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感想_村上春樹語辞典

  村上春樹さんの小説を読み始めたのは、社会人になってからだったと思います。最初に読んだのは『ダンス・ダンス・ダンス』だった気がしますが定かではありません。 ということでナカムラクニオ・道前宏子著『村上春樹語辞典』読了。ハルキスト御用達で知られる荻窪のカフェ6次元を主宰するお二人による、村上春樹にまつわる言葉をまとめた一冊。2018年刊行です。 作品タイトルから、登場人物、交友関係から、作中に頻出する「あるいは」「やれやれ」「悪くない」といった単語、そして「料理」「音楽」「翻訳」「ランニング」など村上さんを読み解くキーワードまでが辞書形式でまとめられていて、「そうそう」とか「あったな〜」とか「これは知らない」とか、読むと村上作品が読みたくなる本でした。ある程度村上作品を読んでいないと楽しめないかもしれませんが、どうですかね。あえてここから始めて、その後著作を読んで答えあわせしていくような楽しみ方もあるかも。 もっとも興味深かったのは、フランスで村上作品を研究しているというアントナン・ベシュレル教授へのインタビュー。大雑把に切り取ると、村上文学はジブリ的なファンタジーだと言っています。主人公はだいたい孤立したり孤独を抱えながら、物語の中で人間関係を修復したりするところに癒しがある。一方で、筋とは無関係な比喩が放り込まれたり、ポップカルチャー的記号が多用されていたりするから、若い世代にウケると。そして主人公の生活や考え方が西洋的なため、西洋人から見て違和感を感じにくいのだそう。なるほど。 村上作品の評論だったり、海外での評価というのを読んだことがなかったので、とても新鮮でした。ベシュレルさんの指摘はとても納得ができるもので、ジブリと同じかどうかはわからないけれど、大人が耐えうるファンタジーというのはまさしくという感じ。マジックリアリズム的手法と、村上さんならではのユーモアと、音楽にしても文学にしても西洋カルチャーが織り混ざってのあのスタイルなんだなと思いました。なんというか、洒落てますもんね。ジャズやクラシックやアメリカ文学に精通してるって教養を感じちゃうフラグ。 そんなわけで、積ん読していた『騎士団長殺し』は今こそ読むときがきた!と思ったので、手をつけようと思いました。短編は、楽しみを取っておこうとあえて読んでなかったのですが、そろそろ読みどきなのかも。ところで、長編

感想_ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2

はっきりと春の足音が聞こえてきましたね。そりゃそうか、もう3月だもの。 さて。ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(2021年刊)読了。前作がベストセラーになった、イギリスはブライトンに暮らす親子のエッセイ。いわゆるダブルである少年の目線を通して、今という時代を切り取る第二弾。少年は思春期の入り口に立ちます。 >>前作のレビューこちら 今作もさまざまな示唆に富む一冊でした。リサイクルをする側、される側のこと。ノンバイナリーという性の多様性のこと。選挙と、図書館のこと。日本の祖父とのこと。ある問題のある歌詞のこと。パブリックなこと、パーソナルなこと、ひっくるめて前作同様に「今、私たちはどんな時代を生きているのか」を問いかけていきます。 少年が成長した分なのか、前作ほどのピュアさや、起きるできごとのバリエーションは少なくなった気がしますが、それでも考えるべきことはたくさん詰まっていますね。不用品をリサイクルに出してすっきりしたような気持ちに感じるエゴとか。多様性と言いながらも一人一人のグラデーションを考慮せずにステレオタイプな多様性に押し込めてしまう危うさのこととか。 これをただイギリスではこんな風なんだなで終わらせるのではなく、自分ごとに引きつけて考えないといけないなと思います。世界で起きていることは、遠いどこかの話ではなく、間違いなく自分の身の回りにもあることだから。今はたとえ見えていないとしても。 これで完結ということですが、コロナ禍や、今のウクライナを見て、彼が、彼らが、何を思うのか、気になりますね。そして、自分自身もこれらの問題について、きちんと考えなくてはと思わされるのでした。読んで損はない一冊。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_追放された転生貴族、外れスキルで内政無双

ウクライナで起きていることが信じられません。断固として抗議したい。 さて。白石新『追放された転生貴族、外れスキルで内政無双』読了。ブラック企業に勤めていた苦労人のヒロは、不慮の死を遂げて転生。その善行が認められて様々なチート能力を授かるも、実の父親から追放される憂き目にあう。与えられた辺境の領地へと向かう道すがら、傷ついた猫耳の少女アメリアと出会って…。 スローライフ系の異世界もの文芸です。冒頭がなかなか愉快で、超まじめでお人好しなヒロの座右の銘は宮沢賢治の雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、なんですが、そのフレーズになぞらえたスキル(水魔法、風魔法への耐性とか)を大量に付与されるくだりが楽しめました。ただのラッキーマンじゃないよ。 中盤以降はスロライものの王道を行く展開。仲間と出会い、助け、生姜焼きだの、から揚げだの、現代日本的な料理を堪能する、と。さらには眼鏡を作ったりもして、前世知識を存分に活用。盛り上がりには欠けるけど、安心して読めるともいう。全体として軽やかでテンポがいいのでサクサク読めます。 最後はアメリアがひとつ困難を乗り越えて、ヒロとの関係も進展して、というところで完。まだまだ内政無双の入り口にも立っていないというところなので、次巻に期待しましょう。とにもかくにも、平和が一番です。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ばにらさま

冬のバーゲンで何も買わなかったというか、買い物に行かなかったな。寂しい。 さて。山本文緒『ばにらさま』(2021年刊)読了。白くて冷たい恋人や、ヴァイオリンとポーランド人の過去、かつての同級生の遺言など、日常風景の小さな光と底冷えする闇を切り取る6つの物語。 山本文緒さんの小説は一時期片端から読んでまして、『恋愛中毒』や『落花流水』が大好きでした。本作もそのエッセンスは健在で、「わたしは大丈夫」はまさに『恋愛中毒』を彷彿させる一作。恋なんてしないと思っていたはずが、底なしの沼にはまる様子を、あっと言わせるプロットでまとめるの、さすがです。ほかの作品も、面白かった。 どの物語の主人公も、自意識と現実の間で揺れている感じが絶妙で、思うにまかせない現実にいつも振り回されるけど、そういうのは自分だけではないんだよなと気付かせてくれます。作中でSNSがよく登場しますが、その空虚な独白に行き場のない感情や、現代の居場所のなさと承認欲求が滲みますね。みんな、どうにかして自分を肯定したいんだ。 トリを飾る「子供おばさん」が僕にはいちばん刺さったというか、身につまされました。自分を子供のままだと思う50手前の女。僕も、自分は大人になれていないんじゃないかと思うことがあって、共感しました。歳をとっても、子供ができても、それでもまだ自分は大人と言えないような。これって何かが欠落しているのか、ただ見えていないだけなのか。 「よくやってるよ」って言い合えたらいいんですよね。忖度でも、傷の舐め合いでもなく、自然にさらっとお互いの健闘やらなんやらを讃えあえたら。今っぽい作品だなあと思いきや、すべて初出は2008〜2015年のものでした。 山本先生のご冥福を祈りつつ。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_無自覚な天才少女は気付かない

  将棋の藤井さんの活躍と謙虚さが本当に素敵ですよね。 さて。まきぶろ『無自覚な天才少女は気付かない』(2021年刊)読了。公爵家の3女として生まれたリリアーヌは、武芸、魔法、芸術とあらゆる才能に恵まれていた。しかし家族たちはリリアーヌがどんな才能を発揮しても、揃いも揃って厳しい態度をとり続ける。一度も褒められたことがないまま耐えてきたリリアーヌだったがついに限界が来て、出奔。冒険者として旅を始めるが、その自己評価の低さとは裏腹に、何をやらせても常軌を逸する能力を発揮し、周囲を驚かせるのだった。はたして彼女の旅はどこへ向かうのか⁉ いわゆる「無自覚チート」ものですが、ここまでありとあらゆる才能に恵まれたパターンてあるんですかねー! 剣や魔法のバトルのみならず、錬金術に歌に絵に小説に芝居と、ここまで多芸多才、しかもそのどれもが超一流とくると清々しい! 無自覚であり自己肯定感が限りなく低い理由も、家族のこじらせたヤンデレな愛情というディテールを、結構文字数かけてやっているので説得力があって面白かったです。 気づけばリリアーヌが素直すぎるがゆえに好感が持て、そしてこんな風に追い詰めた家族を普通に憎たらしく思ってしまったのが、設定がしっかりしている証拠だと思います。旅の連れ合いになるフレドさんが優しくしてくれる理由にも納得できるし。 努力が報われない、正当な評価を受けられないって、ままある事象なので、そういう経験を持つ人は、彼女の健気な頑張りは応援したくなる気がします。前半がボリュームありすぎて、話があまり進まず、後半もこれというほどの見せ場がなかったのはちと残念でしたが、2巻への布石ってことですかね。続刊での特大に無自覚な活躍を期待しましょう。 異世界モノってニッチなジャンルだとは思いますが、いい作品もあるんですよねー。お気に入りを見つけられるのは、嬉しいものです。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ブラックボックス

モーグル男子燃えたし、スノーボード女子スロープスタイルの逆転劇もシビれた。雪山熱あがります。 さて。砂川文次『ブラックボックス』(2022年刊)読了。佐久間は今日も東京を走り抜ける。得体の知れない恐怖を遠ざけるため、余計な思考を消し去るため。衝動的な怒りを抑えられず、不用意に問題を起こしては職を転々としてきた佐久間だったが、メッセンジャーという仕事は性に合っていた。あの日までは。 先日発表された第166回芥川賞受賞作、面白かったです。まず、自転車好きとして、導入の疾走〜転倒までの緊張感ある描写が心地よかったです。自転車のメカニカルなことはわからないけど、都心を疾走する感覚や車や歩行者との兼ね合いにシンパシー。 さてさて、本作の大きなテーマはタイトル通りのブラックボックスなのでしょう。人の心や過去が、いったいどうなっているのかは誰にもわからない。あるいは、自分の属さないコミュニティのことは想像もできない。姿形は見えるのに、そこに誰がいて、何をしているのかが見えない世界と、社会を、切り出したように感じました。どちらかというと後者ですかね。 すなわち、分断の時代と言われる今を捉えていると言えそうです。佐久間のような生活のディテールを僕は知りません。そんなのはお互い様で当たり前っちゃ当たり前だけど、おそらく昔よりも見えにくくなり、複雑になり、それらに対するネガティブな感情の澱が社会全体で増えているのかもしれません。実際がどうかはわからないけど、多分そうなんじゃないかと思わせるだけの空気が世の中にあり、そしてこの一冊の小説の中にもあった。シニカルな不協和音。 ひたすら佐久間の中で蠢く独白のように物語が進み、中盤で大きな転換を経つつも重い通低音は変わらず。だけど、ラストは小さな希望が描かれます。最後まで不協和音が流れると思っていたので、ちょっと意外な展開。佐久間がそれでもまた怒りの暴走に翻弄されるのか、次はどこか違う場所にたどりつけるのか、それは読者に委ねられました。 ブラックボックスはすべてを飲み込むブラックホールではなくて、自分にも起こりうる可能性の世界であり、あくまで先の見えない未来である。そう捉えれば、違う景色を見るためにそのドアの中へと歩を進めるのか、それともただ立ちすくみ、背を向けるのか。佐久間と、僕たちは、問われているのかも知れません。 自転車は孤独や、生身の体や

感想_君が落とした青空

  うかうかしてたらオリンピック始まっちゃいました。追いかけるぞー。 さて。櫻いいよ『君が落とした青空』(2015年刊)読了。今日はついてない日だ。朝ごはんはカレーだし、鬱陶しい雨降りだし、小テストは散々だし、修弥は映画デートに向かう途中でドタキャンしてくるし、最悪の日。そんな最悪の日の終わり、修弥が立ち去った先から大きなブレーキと衝突音が聞こえ、みるみるうちに人だかりができる。嘘、まさか、そんなはずないよね…。次に気がつくと実結がいたのは自分の部屋で、朝ごはんのカレーが待っていた。あれは夢だったのだろうか。あまりにもリアルで最悪な気分を抱えながら実結は、一生懸命思い出そうとする。最悪な1日のことを、そして修弥と付き合ってきた2年間の日々を。 今月映画が公開ということで原作小説を読みました。主人公が悲劇の1日を何度も繰り返すタイムリープもの。実結は、徐々に繰り返しに気づき、最悪のできごとを少しずつ回避しようとするのですが、マンガのようにあれもこれも試して抗って、じゃんじゃん未来を変えていくという感じではありません。抵抗はするものの、それ以上にこの1年うまくいっていなかった修弥との関係を悶々と考え続けます。彼は自分のことをどう思っているのか。別の女と深夜に歩いていたのはなぜか。どうしてそんなそっけない態度なのか。ぐるぐる、ぐるぐる。 ちょっと実結が後ろ向きすぎるので、中盤はもどかしさでモヤモヤ。悲劇を回避するための努力があんまりにもないままに、いつまでもうじうじしているものだから、もうちょっといろいろ試すだろうよ! タケミッチ(東リベ)を見習おうよ!! と思っちゃうのは、タイムリープものをいろいろと見過ぎてるからでしょうか?  でも。伝えたいメッセージはよくわかるんです。大して変わり映えのない日常を送るうち気づけば何もかもが色あせてしまっていて、いつの間にか大事なものを見落としてしまうこと。大抵それすらも気づかないまま遠くまで来てしまうこと。失って初めて気づく、あるある。まさに実結はその悔いを抱えることになります。同じ1日なんて本当はないし、当たり前の明日がいつまでも来るとは限らないこと。でも、その中にいると、そうは思えないんですよね。 そしてもう一つ。どんな思いも、言葉に、行動に、形にしないと、伝わらないということ。これも、あらゆるところで語り尽くされているのに、ど

感想_計算する生命

  恵方巻き、食べたことがないと思う僕です。豆はしぶしぶ食べます。 さて。森田真生『計算する生命』(2021年刊)読了。計算という行為はいかにして人間の営みに組み込まれていったのか。その起源から、数学者と哲学者たちの研究と議論を紐解き、そして人工知能開発に至るまでを論考した一冊。計算とは、この世のことわりを明らかにするものであり、そして生命を拡張さえもするものとなるのか。 森田真生 『計算する生命』 | 新潮社 最近の個人的数学ブームと、同じ森田さんの 『数学の贈り物』 が良かったこともあり、手に取った一冊。これは結構数学用語もたくさんで、難しいところもありました。でも、面白かったです。 計算にしても数学にしても、僕には苦手意識があり、とっつきづらさがあります。でもその行為の元になっているのは、一筋縄ではいかない自然界のルールを突き止めることであり、一人一人がバラバラに認知している世界の共通言語を見つける行為なんだと、教えられました。それはきっと世界の秘密を覗くようなことで、だからこそ多くの数学者たちを惹きつけているんだなと想像できます。ある種のアート。僕にはそれを真似ることはできないけれど、でも、この世界にある見えない法則を知りたいという欲求には共感できます。そういうのを探す生き物なんじゃないですかね、人間て。 数字という概念に疑問を持つこともなかったけれど、改めて向き合うととても不思議なものなんですよね。実体がないし、十進法はとても便利なシステムだけどこの規則も人間が作り上げた人工的なもの。だけど、万人が理解して用いることができる。計算も、一定の約束事の元で運用が可能になる仕組みなんですよね。考えたこともなかったけど、そういう風に捉えるととても理知的で、クールな事だと思えてきました。 僕は言語に興味がありますが、それは目に見えない、手に触れる事もできない、心の中を誰かと共有するツールだから。人の心を覗きたい。誰かの想いを知りたい。そんな欲求が出発点になっているように思います。数字もまた同じで、顕在化できないものを仮想的に代替し、それによって共通理解を生み出すことができるもの。まさか国語と算数が親戚だったとは思いませんでした。対極にあるって無意識に思っていたのに。 ありとあらゆる計算=アルゴリズムが支配しつつある現代、その合理性と利便性は言うまでもありませんし、一

感想_君が僕にくれた余命363日

  朝はEテレから始まります。子育て世代あるある。 さて。月瀬まは『君が僕にくれた余命363日』(2022年刊)読了。生まれつき、他人に触れると相手の余命が見える能力を持った高校生の日野は、その能力ゆえ極端に人との関わりを避けるように。しかしクラスメイトの成田花純はそんなことはお構いなし。見たくない花純の余命を見てしまった日野は、数日の間に彼女の余命が1年減っていることに気付く。そんなことは今までなかった。縮まる2人の距離と、横たわる秘密。2人に残された時間ははたして。 寿命が見えるといえばデスノートが思い出されますが、あちらでは脇役だったその能力にフォーカスした作品。もしも相手の余命が見える能力があったとしたらと想像すると。おそらく大半は無関心でいられるような気がしますが、やはり短いものには反応せざるを得ないでしょうね。そして日野のようにやがて他人との関わりを避けるというのは自然な行為のように思えます。 ちょっとネタバレになりますが、本作にはもうひとつの能力が登場します。それが、花純が持つ死を迎えた瞬間に自分の余命を1年渡せるというチカラ。減りゆく花純の余命を前に、日野がどう対応するのか。その謎を軸にある種のカウントダウンによって物語は推進力を得て、ぐいぐいページを送らせます。 最近『余命10年』(映画化決定)など、余命もののヒット作がいくつかありますが、おの「残された日々」という切実さは身に迫るものがありますね。手のひらに情報とサービスが集まる今、生きる実感というか、生身のリアリティをくれるのが、死という題材なのかもしれません。 本作の結末は苦しいもので、別の展開はなかったものだろうかとは思いますが、それゆえに読者へのメッセージを持ち得たとも思います。今を生きることと、利他の精神。他人からの干渉を避けていた日野は生きる喜びを手放していたも同然で、そんな彼は花純によって救われました。きっとこれからの未来にも、辛いことはあるだろうけど、おそらく日野はそれに向き合って生きていけることでしょう。その代償は、運命と呼ぶにはあまりに重いけれど。 後半のできごとはやや強引な感もありますが、主役2人のキャラクターが好感度高くて、彼らのハッピーエンドを願う気持ちで読める一作。設定の男女を入れ替えてもよかったような気がしますがどうでしょうね。別にどっちでもいいのか。予定外に夜更かし

感想_草魔法師クロエの二度目の人生

最近夜更かしがきつくなってきました。寄る年波よ。 さて。小田ヒロ『草魔法師クロエの二度目の人生』(2021年刊)読了。不遇の人生の末に獄死させられたはずがなぜか5歳に戻っていたクロエは、一度目の人生で得たスキルと知識を頼りに自らの運命を変える戦いを始める。守護者にも恵まれ、まさかのドラゴンとの遭遇を経て、ついにクロエは新しい人生を手に入れる! 草魔法師クロエの二度目の人生 自由になって子ドラゴンとレベルMAX薬師ライフ | 書籍 | カドカワBOOKS いろいろ女性向けの異世界文芸を読んでいて、抜群に面白かったのがこちらです。不遇の末の転生とチートスキルは異世界もののお約束ですが、この作品が良かったのは、一度目の人生の結末もしっかり言及があり、そしてだからこその転生後の選択や発言に説得力があること。それから、草魔法が安易にチートなわけではなく、設定のディテールがしっかりしているので、没入しやすい。本人のキャラクターも好感が持てて、気がつけば応援したくなるのです。 登場人物との出会いや別れもいい感じで、クロエのキャラがしっかり立っているからこそ、そのドラマが効果的に物語を推し進めてくれます。ドラゴンもいきなり最強じゃなくて、生まれたてでまだ非力ってのもいい塩梅。全体としてはストレスなく読めるのも、異世界に求められている要素をしっかり満たしていると思います。 いろいろとこの先の布石も散見されたので、確実に続刊出るんでしょうね。ぜひ2巻も読みたいと思ったのでした。同じKADOKAWAさんだと『 サイレント・ウィッチ 』も人気タイトルだけど、僕的にはクロエ推しで。こういう"当たり"を見つけるのも読書の楽しみですよねー。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_レンブラントの身震い

パソコンの見過ぎでかなり疲れ目です。ブルーライトカットのメガネしたほうがいいのか。。 さて。マーカス・デュ・ソートイ『レンブラントの身震い』(2020年刊)読了。数学者である著者が、ディープラーニングで盛り上がるAIの最前線を訪ね、果たしてAIは芸術性をも獲得することができるのか!? を考察する一冊。面白かった! 難解かも?と最初は恐る恐るでしたが、語り口のうまさにすぐにのめり込みました。話題のディープラーニングによってAIが飛躍的に進化し、囲碁の世界チャンピオンを破ったエピソードなどを小気味好く紹介し、A Iの現在地を掘り下げる過程は、SFを見ているような気分に。しかしこれはすでに起きている現実で、SFでもなんでもない!(2020年の本なので、今はさらに進んでいるんだろうな) 話の展開が恐ろしく上手くて、AI囲碁の話から、アルゴリズムの起源、それを生み出した数学とは何なのかまで掘り下げたうえで、この本の核となる「AIは創造性を持ち得るのか」という主題にたどり着きます。この鮮やかな展開こそ数学者の真骨頂であり、証明という哲学を生きる者の成せる業かと恐れ入る。そして中盤以降、本題である絵画、音楽、そして小説、それぞれのジャンルにおけるAIによる創作の最前線をリポートする。ドラマチックな展開だ! 結論から言うと、現時点でAIが人間を越える芸術性を獲得することはなく、そこに至る可能性は今のところ低そうに思えます。ですが、邦題のソースであり表紙にもなっているようにレンブラントそっくりの絵を描く力を持ち(しかし、そこには本物のレンブラントにある、見る人を身震いさせるような魂がないらしい)、即興でジャズを奏でることもでき、コンピュータが作ったと見分けることができない文章がすでにあるそうです。 以前から、たとえば流行りのポップソングや、映画のシナリオなどには、ある程度人の心を掴みやすい規則性というか、売れ筋とされるような常套パターンが存在すると考えているので、それは機械でも再現できるのではないか?と思っていました。まさにその試みはいたるところで行われていたこと、そしてかなりのレベルでは実現しているそうです。ただ、そこにはどうしても創発的なものがなかったり、部分はよくても全体をオーガナイズする力が今のところAIにはないため、退屈なものになってしまうのだそう。 そのかわり、囲碁のよう

感想_神話最強王図鑑

  オフィスがフリーアドレスになったのですが、僕は固定席のままでした。ちょっと残念。 さて。『神話最強王図鑑 No.1決定トーナメント!! 戦いの舞台は-天上界へ!』(2021年刊)読了。ゼウスやルシファー、オーディンにポセイドン、さらにはスサノオに多聞天など、神話に登場する神・悪魔・幻獣たちによるナンバーワン決定戦! 本屋さんで子供と見本を読んで、2人してコーフンした一冊。その日は購入を見送ったものの、長男は熱望し、僕自身も興味深かったので、後日購入。全部で24の神や悪魔の類が、仮想のトーナメント戦を行います。 ヒンドゥー教の神様ヴィシュヌと北欧神話のフェンリルが戦ったり(ヴィシュヌの勝利)、ギリシャ神話のゼウスと仏教の多聞天が戦ったり(ゼウスの勝利)、ある種の異種格闘技戦。戦いの展開はファンタジーというか妄想ですね。それぞれの特技を繰り出しながら3コマ形式で勝敗が決められていきます。 こういう神話ものキャラクター、とても好きなんですが、結局すべてゲームか漫画に紐づいた知識なんですよね僕は。ヒンドゥーはマンガ『3×3EYES』だし北欧神話はゲーム『伝説のオウガバトル』だし、オーディンはファイナルファンタジーなんかにも出てきますよね。トール(ソー)やロキは『アべンジャーズ』とも繋がりますし。『三国志』も似たようなタイプなのかもしれません、僕にとっては。 興味深いのは、そういう原体験をまだ持っていない6歳児も興味津々ということ。読み聞かせつつ、一人一人のキャラクターは背景を説明しつつ、おそらく半分程度しか理解できていないと思うのですが、とても楽しんで1人でも食い入るように読んで(眺めて?)いました。戦隊モノやポケモンとも、もしかしたら通じているのかもしれません。共通項はバトルもの。 つまるところ、バトルものって多くの人の心をとらえるプラットフォームであり(ワンピースも鬼滅も特撮もポケモンもアベンジャーズも)、神話キャラはその系譜、ん? 系譜というか原典か。なんせ紀元前から存在するのだから! おお、なんか大発見をした気がする。人は、生まれながらにしてバトル好き!? ……ってちょっと怖い気もするな。。 と思って少し検索してみると「かっこいい」というキーワードがあがっていました。対決とトーナメント型式を勝ち上がることが格好よさにつながり、そこを入り口とした好奇心から子供達の

感想_スモールワールズ(の続き)

  12/19 日曜日おはようございます。5年ぶりに免許更新してきました。また5年後会いましょう。 さて。 昨日感想を書いた『スモールワールズ』 ですが、まだ僕の中でうまく消化しきれていないので、もう少し掘り下げるべく6つの作品個々に感じたことを並べてみます。そしたら何か見えてくるかな? 『ネオンテトラ』 望んだ子供を得ることが叶わず、夫の浮気にも気づいてしまった美和。偶然、中学生の男の子が折檻を受けるのを目撃してしまい、実は姪の同級生だった彼と言葉を交わすようになる。 不穏の一言でした。誰にも共感できないまま話は進んで、衝撃というより嫌悪が芽生える結末に。美和の思考や行為は、なんと名前をつければいいのだろう。本人の苦悩は想像できなくもないし、何か一線を超えたわけではないけれど、相容れない冷たさを感じた一作。パラパラと読み直して気付きましたが、最後にちらっと出てきたトラック運転手は、次の作品の魔王ですね。他にもそういう繋がりあったかな?(最後の作品でネオンテトラ出てきますね) 『魔王の帰還』 図体も態度も声もでかい魔王こと、姉の真央が実家に帰ってきた。鉄二の日常はかき乱され、しかし真央が現れたことでクラスで浮いているもの同志の住谷さんと距離が縮まる。鉄二と住谷さんは、幸せな結婚をしたはずの姉が、どうして戻ってきたのかを探ると予想もしない事実が待ち受けていた。 こちらは登場人物全員愛すべきキャラクターで、3人それぞれに苦悩を抱えながらも「気持ちで負けない」ことを選択していきます。世の中にはいろんなことがって、時々結末も決まってしまっているように感じるけれど、それって「気持ちが負け」ているから。でもそれを否定するわけではなくて、ただただそういうこともあると、フラットに受け止めてくれることに救われる気がします。タイトルが実はWミーニングだったと気付かされる最後の一行が秀逸です。 『ピクニック』 不自由なく暮らしてきた瑛里子だったが、思うようにならない子育てに苦戦する。母・希和子の献身的なサポートもあり、未希が10か月を迎えようやく平穏が生まれ始めたその時、事件は起きた。瑛里子の留守中、希和子が未希を見ていたが、目を離したすきに息を引き取ってしまう。その時、一体何が起きていたのか。希和子に疑いがかかるが、真相は闇の中だった。 全くコントロー

感想_スモールワールズ

12/18土曜日おはようございます。「家系」を見て「いえけい」と読んだくらいにはハマっ子になってきた僕です。 さて。よりみちライブラリ第56回。一穂ミチ『スモールワールズ』(2021年刊)読了。子供ができないモデル、事件を起こした球児、幼子を亡くした母娘、被害者と加害者の往復書間など、それぞれの小さな世界で起きる6つの物語。外からは中の様子が見えない、当事者だけにしかわからない出来事と、その心の色。小さな世界の中で、人々はこんなにもすれ違い、時にどうしようもなく息苦しくて。 直木賞候補にもなっていた一冊。広島の書店で推されているのを見て上司に借りました。とても巧みなお話で、するするとページが進む。6つの作品どれも、長編にできるだろうくらいに濃度があって、でもそれをコンパクトにまとめているからこそ強烈な余韻が残ります。 正直に言えば最初の2本は巧妙であるがゆえに、ちょっと悔しいというか、できすぎているようにも感じましたが、3本目の「ピクニック」は子育て中の不幸な事故が描かれており、小さな子を持つ親として他人事ではなくなって一気に引き込まれました。結局のところ、僕は共感性だけでこの本を評価してしまっていたのかな、と反省。その後は貪るように最後まで読みました。 この小さな世界の出来事は、どれもなかなかにヘビーです。設定は極端なものが多く、エッジにいる人たちのギリギリの心を紐解いていきます。兄を殺された妹が、その犯人と交わした手紙とは。15年も会っていなかった娘が男の姿になってやってきた理由とは。それは共感とは遠いところにあって、ほの暗さに苦しくもなります。 でも、例えそこに描かれる人々が自分と近しい境遇ではなかったしても、簡単に理解はできなかったとしても、確かにそれは存在するということは忘れてはいけないのだと気づかされました。多様性やマイノリティという大きな言葉では表せない、生身の人間一人一人の中に様々な世界がある。理屈では割り切れない、言葉にも表せない、よく間違えるし意味もわからないし筋の通らない感情を抱えているのは、みんな同じのだから。 そしてそれは物語という形だからこそ伝えることができ、寄り添うことができる。他者の内情というブラックホールに光を当てることができる。 うまくまとまりませんが、できればたくさんの人の感想を聞いてみたいと思わせる一冊でした。エピソードごとに

スロヴァキアからやってきたブルー

  12/1水曜日おはようございます。竜巻に注意って出たますけど、台風一過のような快晴です。 さて。僕とスロヴァキアという国には3つの縁があります。ひとつは、2011年に旅行したこと。ふたつめは、その数年後に東京で迷子のスロヴァキア人をホテルまで案内したこと。みっつめが、今日ご紹介する写真集です。 スロヴァキア人の写真家、マーリア・シュヴァルボヴァーによるこの『swimming pool』は、その名の通りプールを題材にしたもので、スロヴァキア各地に点在する10のプールで撮影したそうです(ひとつを除いて現役稼働中とか)。 共産主義国であった名残を感じさせる、無機質な機能主義の建物とインテリアは、今見るとレトロで味わいがあり、そこにマーリア独特の淡いパステル調に仕上げた色彩が加わって、なんとも言えないレトロフューチャーな世界が生まれていました。 施設内のフォントやタイル、飛び込み台やスライダーがいちいち絵になるだけでなく(表紙の滑り台かわゆ)、さりげなく存在するモデルと、かわいすぎる水着や小物のカラーリングも完璧で、僕はウェス・アンダーソンの映画を思い出しました。いや、ソフィア・コッポラの方が近いか。作り込みすぎとも言えなくはないけれど、ひとつの完成形。 プールって無条件にある種のノスタルジーがあると思っていて、子供時代の記憶と結びつく場所だと思うのです。夏の喧騒とか、塩素の臭いとか、プール上がりの気だるさとか、水の中の青さと静けさとか。そこに、東欧独特の少し乾いた空気感と、何かが失われてしまったような寂しさが入り混じっているのが、この写真集。 とにかく美しくて、ずっと観ていられるし、そっと飾っておくのも実に絵になる一冊。刊行は2018年。最近知ってネットでは全然見つからず(Amazonとメルカリではプレミア価格)、写真美術館の中のナディッフバイテンでようやく出会えたのでした。 ということで、よりみちライブラリ第54回でした。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ファクトフルネス

  11/22月曜日おはようございます。日本シリーズ第二戦も痺れましたね。オリックス応援してます。 さて。よりみちライブラリ第53回。ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著『ファクトフルネス 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(2019年刊)読了。言わずと知れたベストセラーです。 お仕事相手の方に薦められて読みました。ボリュームありますが、内容は冒頭にほぼ集約されていて、13問のクイズに回答してみればOKです。その結果から、私たちはいかに世界のことや、その他いろいろなことに対して、間違った思い込みをしているかということに気づけるはず。 例えばアフリカはまだまだ最貧困国が多くて、治安も衛生環境も劣悪で、というようなイメージを持ってないでしょうか(僕は持っていました)。ですが、実情は決してそんなことはないということ。もちろん、目を背けたいような状況が残る国はあるものの、20年前よりもはるかに改善しているというのが事実だそうです。なのに多くの人は、昔のイメージや、限定的な悪いニュースの印象だけで、全体を決めつけてしまうことが多いということ。 しかも、イメージで決めるだけではなく、より悪い方、より悲劇的なほうを選んでしまいがちな本能が備わっていることも喝破しているところがミソです。メディアから聞こえてくるのは、良いニュースよりも悪いニュースの方が多くて、そしてそれは良いニュースよりもはるかに記憶に残りやす。なぜのら、よりドラマチックでもあるから。 ちょうど、マンガの『ミステリという勿れ』でも本書とまったく同じことを言っていて、それは「真実は人の数だけあるけれど、事実はただひとつ」ということ、これに尽きます。何が正義だとか、誰が被害者だとか、そういう「真実」は立場や見方によって変わってしまう。でも、起きた「事実」というものは、どこから見てもただ一つであり、そこを見ないことにはあちこちでボタンを掛け違えてしまうということを、私たちに教えてくれます。 このファクトフルネスの考え方は、特に「誰かの考え(=事実とは限らない)」が大量にあふれる今こそ、必要なものだと思いました。どんなにもっともらしい意見も、多くの人が共感するストーリーも、100万ものBUZZも、裏付ける事実がなければそれはあくまでひとつの可能性に過ぎないとい

感想_キリン解剖記

4歳児にキメハラされたました。水の呼吸、知らんし。 さて。郡司芽久『キリン解剖記』(2019年刊)読了。1989年生まれの解剖学者である著者が、学生時代から含めて10年で30頭のキリンを解剖してきたその記録と、やがてキリンの首の第8の骨を発見するまでをまとめた一冊。 2月発売号での「癒しの動物」特集に向けて読みました。世の中にはいろんな本がありますね、まさかキリンの解剖についての本があるなんて。はい、解剖です。亡くなったキリンを研究室で引き取り、メスを使って皮を切り、筋肉を削ぎ、骨を研究しています。リアルにその現場を想像すると、なかなかですよね。 意外でしたが、これだけメジャーなキリンでも、首の動作についてまだわかっていない事があったのです。そして著者はそれを発見した。なんとなく僕は、こんなに便利な世の中なんだし、AIが活躍しちゃう時代だし、もう大抵の謎は解けていて、わからない事なんてないんじゃないか。全部wikipediaに載っているんじゃないかって気持ちになってしまっているんですけど、本当はそんなこと全然なくて、僕の思い上がりというか勘違いでしかないことを、再確認しました。世界はまだまだ広いのです。 キリン種は、今はキリンとオカピの2種類だけながら、絶滅してしまったサモテリウム・メジャーやシヴァテリウム・ギガンテウム、ジラファ・シヴァレンシスなどなどかつては30種もいたそうです。サモテリウムは700万年前頃に生きていたそうで、2016年に化石が見つかったばかりとか。化石といえば恐竜やマンモスくらいと思い込んでいましたよ。 最後にとても示唆に富む言葉で結ばれていました。どうしてキリンを解剖して研究するのか。なぜたくさんの動物の標本を作るのか。それは、博物館という場所で守られる3つの「無」という理念があるからだそう。 すなわち「無目的」「無制限」「無計画」だそう。特に研究に使わないから、あるいは置き場所がないから、という理由で制限をしない。今は目的がなくても100年後、誰かが必要とするかもしれないから。そのために標本を作り、残していくのが、博物館の仕事だと。 意味や理由ばかり問われがちな今、この理念はとても大切だと思ったのでした。だってね、僕たちだって何のために生きているんだって言われたら、答えられないですよね。それはただ、生命というバトンを受け取って、渡すだけのこ

感想_ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

1/13月曜日おはようございます。新成人のみなさまおめでとうございます。僕の成人式は大雪だったことを毎年思い出します。 さて。よりみちライブラリその3。2019年6月刊行の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』読了。これは今読むべき本。書店さんでも多く並んでますね。 福岡出身ブライトン在住の著者のブレイディみかこさんが、アイルランド人配偶者との間にできた11歳の息子さんの学校生活を中心に、英国のさまざまなグラデーションを綴っています。ブレグジットや移民問題、アイデンティティの問題にグレタさんのスクールストライキまで、タイムリーな時事問題とリンクしてるのがまたコンテンポラリーで読むべき理由です。 まず単純に読み物としてものすごく面白い。聡明な息子くん、懐の深い母ちゃん(著者)、そしてクールなツッコミを入れてくる配偶者さんのコントラストが絶妙で、さまざまな級友や地域の方々もユニーク(ヘビーな部分もたくさんあるけど)。僕はクリスマスにラップするジェイソン・ステイサム(似の生徒)が大好き。 著者の筆力の高さ(フラットな視点、多様な経験)によるところもすごく大きいですが、この魅力は圧倒的にリアルだからでしょう。人種、貧富、宗教、地域、思想、セクシャリティなど、あらゆる意味での多様性。日本でこれらのバリエーションを日常的に感じる機会は少ないと思います。知識欲が刺激される。どうしてもニュースなどは大きな現象でしか聞こえてこないので、それだけではわからない本当の市民の声が聞けるのはとても貴重かつ学びが多い。 やはり真に多様性を理解するには無知が最大の敵で、それぞれの立場をよく知り理解する必要があることを痛感。例えばシングルペアレンツ=子供がかわいそう、とか方程式化していないか。いい悪いではなく立場が異なることはままあるし、自分と違うものを人は無意識に排除したがることも忘れてはならない。「他人の靴を履いてみる」という表現、すごく納得。エンパシーの重要性。 ついつい、自分のいる場所がいちばんノーマルだと思ってしまいますが、そんなことは全然ないですよね。そういうことにたくさん気づかせてくれる良著でした。日本でのエピソードは悲しすぎるしこれは他山の石にしなくては。 ちなみにこの本との出会いは、去年の「大人の夏休み」特集でやったオズイチ企画に載っていたから。その時買った積読があと3冊

感想_あたしたちよくやってる

  1/2木曜日おはようございます。カバーを外すのが読書スタイルのオズマガジン井上です。 よりみちライブラリその2。2019年3月刊行の山内マリコさん『あたしたちよくやってる』を読了。さまざまな女性の自意識を巡る33編の小説とエッセイ集。ファッション、友達、結婚など、女性としての生き方をさまざまな角度で切り取って綴っています。一貫してるのは、社会に植え付けられた「女」ではなく、「自分」を生きるべしという応援メッセージだと感じました。タイトルが言い得て妙。 男女平等が謳われる現代、実質は全く追いついてません。僕自身この作品を通して無意識的に男性の目を通しての、女性とは男性とはかくあるべし、こういうものである、と思い込んでいるいくつもの事象に気づかされました。まずはこれに気づき、その枠を外すことから始めないと、どれだけ制度が変わり改革を叫ぼうとも何も変わらないと強く実感。 雑誌の中でも油断すると、なんとなく思い込んでるステレオタイプな表現を使ってしまいがちで、特に気を付けているものの、あまりにも無意識に当たり前と思っていることって本当に多いのですよね。炎上までいかないレベルの、差別とまではされなくとも十分に差別的な意識が、根を張ってます。 女性がこの作品から何を感じるか興味深くもあります。ビターさは伴いそうですが、多くは共感されそう。でもちょっとサブカル、スノッブに寄ってるかもしれません。それは多分山内さんのパーソナリティが大いに反映されてるから。山内さんは大の映画好きで、以前オズの映画企画にご寄稿いただいたこともあります。 というか、作中の『サキちゃんのプリン』自体が2014年1月号に書き下ろしていただいた掌編なのでした。その節はありがとうございました。 さらりと読めて、ほろ苦くも清々しい作品でした。 それでは、今日もいい1日を。

『こびとのおうち』は無限大でした

12/23月曜日おはようございます。昨日銭湯行ったらゆず湯でした!嬉 今日は絵本のご紹介。鬼頭祈さん  @inorii  の『こびとのおうち』。鬼頭さんは日本画を学ばれたイラストレーターさんで、オズマガジンでもよくイラストを描いていただいてます。日本画の技法を生かされてるからでしょうか、女の子やイチゴというモチーフを使いながらも独特の芯の強さとやさしい色遣いがとても素敵。編集部みんな大好き。 そんな鬼頭さんが、お話も(もちろん絵も)手がけた絵本ができたというのでゲットしました。今、青山ブックセンター本店で原画展もやられてます(〜1/6)。サイン本もあったよ。 お話はこびととリスが旅をしていろんなものをおうちにする話。サイダーとか、いちご畑とか、あれもこれもおうちになっちゃう。とてもシンプルで短いお話ですか、大冒険です。細かいところまでよーく見ると、すごく描きこまれててきっと子供に見せたらいろんな発見をしてくれそう。 子供では全然なくなった僕が思ったことは、大人になるとこびとの目を忘れちゃうんだな、てこと。こびとと2メートルも変わらないし、宇宙から見たら2メートルなんて誤差以下なのに、大人になると分かったような気になって世界に対する柔軟性をなくしてしまうよな、と。知らないことと可能性だらけの世の中はもっと楽しめるのかも。 と言うとなにやら固い感想ですが、単純に可愛くて面白いです。大人の人へのプレゼントにもおすすめ。 絵本の海は豊かで広いですね。福島の絵本美術館に行きたくなってきた。 今週いっぱいで仕事納めの方多いでしょうか。編集部も金曜までの予定です。今日も、いい1日を。