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9月, 2022の投稿を表示しています

約束事は思考停止と紙一重

保育園の運動会が3年ぶりにほぼ制約なしの開催。でも小学校はかなり限定的な開催。もう少しの辛抱ですかね。 さて。ぼんやりと「約束事」のことを考えました。約束事があると、その事柄についての判断が不要になるので、便利です。決まった状況において、いちいちどうしようか考えなくてよくなるし、チームの意思統一も図れる。それは合理的。 でも、約束事は万能ではない。状況がまったく変わらなければずっと同じ効力を発揮するのでしょうが、あらゆる状況は変わるので、その変数がどこかで無視できなくなります。また、約束事を守ることが第一義になり始めると、本来の目的を見失うというあるあるも。 約束事はあくまでツールなので、定期的にメンテナンスが必要ってことですね。道具はどんどんアップデートされるし、そもそもの必要性だって疑わないといけない。ルールは時代にあわせて変わるし、それを盲信するのは思考停止に他ならない。 と、長男のラグビーを見ながら、もう少しディフェンスの約束事がほしいな〜と思った次第。でも子供たち素直だから、約束事を守ることが大義になっちゃいそうで、それはちょっと勿体無い気もするんですよね。かといってルールの意味まで考えさせるにはちょっと早いだろうしな〜。 仕事も暮らしも同じですよね。みんなで動くためにはルールは大事だけど、その意味をよく考えながら近視眼的にならずに改善していかなくちゃ。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

電車旅で行こう

旅行割なるものが始まるようで。ゴートゥートラベルよりシンプルなお名前。 さて。OZmagazine TRIP「秋の電車旅へ」特集が発売されました。コロナもあって3年ぶりとなったこちら、人気企画だったので待っていたという方もいるかもしれません。全国各地で増え続けるさまざまな観光列車とあわせて現地の旅情報をパッケージ。 奈良の「あをによし」に始まり、和歌山には「たま電車ミュージアム号」なるものが登場、新潟はほくほく線の「大地の芸術祭ラッピング列車」なんて変わり種もあれば、石川の「のと里山里海号」もいいですね。かと思えば、都電荒川線(今は東京さくらトラムだっけ)にもフィーチャー。 いやはやほんといいですね、電車。鉄道にハマる気持ちもわかります。今時モダン観光系に、リッチなリゾート列車に、レトロを生かしたローカル線。だけじゃなくて、普通に特急電車もカッコいいぜ! 次男くんが電車好きで、絵本やらプラレールやらあるのですが、写真の特急年鑑買ったらビンゴでした。新幹線から始まり、JRの全特急電車を網羅していて圧巻! 山形で見た「いなほ」も良かったけど、こういう知らない特急めちゃくちゃたくさんあるんですよねー。サンダーバードだって名前は知ってるけど乗ったことないし、乗り鉄気分の旅、楽しそうだな。 しかし世界各国どこもこんなにたくさん電車の種類ってあるんでしょうか? ということで、この秋の旅行割はぜひ電車で。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_掌に眠る舞台

二桁勝利をあげる投手がいなくても連覇してみせた高津監督すごいな。奥川不在だったのに。 さて。小川洋子『掌に眠る舞台』(2022年刊)読了。最も好きな作家の1人である小川さんの新刊は、舞台がモチーフとなった短編集。帯に「舞台という、異界」というコピーがありましたが、小川文学そのもが異界じゃないかと。それは、不思議と奇妙が共存する世界で、異端の持つ神秘が詰まっているのです。小川洋子という、異能。 バレエの演目の中の妖精に心酔した少女。かつて名もなき女優だった伯母との短い交流。帝国劇場での『レ・ミゼラブル』全79公演すべてのチケットを買った女性が見たもの。といった具合に、舞台が主役になり脇役になり衣装になりセットになり伏線になり魔境となるような全8編です。 小川さんは本当に何にもなさそうなところから物語を立ち上げ、誰ひとり見つけることのなさそうなところに光をあてるのが上手で毎度惚れ惚れします。その密やかさを気高きものとして描き出し、そしてそこに隠された純粋性やときに狂気を美しきものとして紡ぎあげます。 現実世界の話なのに、どこまでもファンタジーに近くて、それはさながら舞台やお芝居そのもののようにも感じられる。これまで、数式にもチェスにも人質にも無垢なる美しさを見出してきたわけですが、今作もまさにそれ。 すべての登場人物に思想があり流儀があり、すなわち物語があるということを教えられるのでした。 以下、各話の寸評。 「指紋のついた羽」 工具箱と散らばった部品が、バレエの舞台へと昇華される。その秘密を知るのは、少女と縫い子さんの2人だけ。情景を思い浮かべるととてもくすんでいるのに、物語は煌めいていて、このギャップこそが小川文学の真骨頂。目に見える美しさとはまったく違う心のありようの美しさを描き出す。 「ユニコーンを握らせる」 私は遠方の受験のため、かつて女優だったというローラ伯母さんの家に泊まる。口数少ない伯母さんはある芝居の台詞をきっかけに語り始める。芝居という空想に取り込まれたままの伯母さん。現実と虚構がごちゃ混ぜになる、その不思議さと、それこそがフィクションの持つ力とでも言うべき話。 「鍾乳洞の恋」 歯の痛みをこらえる伝票室室長。痛みの原因は謎の白いいきものだった。その秘密を階下に住む鍼灸院長と共有するが。最も不思議だった作品。謎の白いいきものは実在したのかしないのか。室

産後パパ育休が始まりますよ

機関車トーマスのビジュアルが変わることが話題ですが、すでに世界観は相当変わってて驚くぜ(超グローバル&多様性)。 さて。10月から産後パパ育休なる制度がスタートするそうで。子の生後8週間以内に最大4週間(2回に分割化)の休暇を父親が取得できるようにする制度。 制度があることで育休取得が増えて、ハッピーになる人が増えるといいなあと素直に思います。取る取らないは自由だし、取りたいのに取れないということがなくなりますように。 個人的な感覚では、自分の周りでは男性の育児参加はずいぶん進んでいるように思います。保育園の送りもお迎えも、男性の姿をけっこう見ますし(お迎えは比較的少ないかな)、会社でも小さいお子さんのいる女性が遅くまで仕事をしているのを見ると、お父さんが子供の面倒見ているのかなと。 各家庭ごと、ご夫婦ごとに考え方や事情がいろいろあるでしょうから、それぞれに納得感があることが大事。本人たちがよければ、専業主夫であろうと、女性が時短勤務だろうと、構わないわけで。正解は家庭の数だけある。 問題があるとすれば、当事者以外がその実態を知らないってことなんですよねー。特に、すでに子育てを終えている50〜60代以上の方に、理解がないようには感じています。僕の父親も子育ての子の字もなかったですし、母親すら「今の男の人は大変よね」なんて言ってます。 会社の上席や中枢に近いところの理解が深まるとさらに柔軟性は増すのでしょうね。やはり女性管理職増やすことも切り離せないか。とはいえ僕が知ってるのも、自分の知りえる範囲でしかないのですが。 つくづく、知ることって大事。体験するのはもっと大事。夫婦2人であたる育児と、ワンオペ育児にも天と地ほどの開きがあるなと実感する今日この頃。産後パパ育休取って終わりではなく一瞬で過ぎ去る始まりでしかないので、「育休取ったからもういいでしょ」みたいな空気は各方面なしでよろしくお願いします。 他人の靴を履いてみるですね。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

TOKYO MIDTOWN YAESUができていた。

妻出張につき2日間のワンオペ中。がんばります。 さて。東京駅前に新しい大型複合施設の東京ミッドタウン八重洲ができます。グランドオープンは来年3月なのですが地下フロアだけそろっとソフトオープンになったので見てきました。なんせオフィスの目と鼻の先。なお、東京駅と地下通路で直結です。 地下に新しいバスターミナルが入ってそちらが先にオープンしたという事情ですかね。あわせて地下の飲食店もオープン。セブンやスタバというおなじみ店にパリヤやシティベーカリー、根室花まるなど洒落者人気店、そして「ポーたま」、「TASU+」など目新しいお店も。 それだけなので、まだ目指していくべきという感じではなく、オフィスも入居前なのかな? 上にできるブルガリホテルも未開業ですね。新しくて綺麗ですが、建物としても特別インパクトのあるものではなく、都会の高層ビルの趣。 都心はどこもかしこも大型商業施設だらけなので、個人的にはもう少しユニークなハードだといいなと思うのですが。東京駅の目の前という世界中の人がやってくる場所でもありますしね。ま、言うは易しか。でも、オフィスが完全タッチレスだったり、グリーンエネルギーに配慮していたり、EV充電が充実していたりと、今求められる要素は取り入れているらしい。 正面入り口には吉岡徳仁さんによるアートピースが。彗星のような輝きでクールです。裏側には栗林隆さんの地層丸出しの山も。これもインパクトあります。大都会、八重洲の歩みを思わせる。 驚くべきことに、もともとこの場所にあった城東小学校も入居して、子供たち通学していました。今までどこに通っていたのだろう。すごい立地だなしかし。 いずれはお隣京橋駅まで地下で結ばれるらしく、どんどん便利になる東京なのでした。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

スポーツと非認知能力

台風の影響で横浜市は緊急警報鳴りまくり。マクドナルド中でこだましてました。 さて。台風一過の本日は子供のラグビーへ。気持ちのいい秋空で、こんな中でスポーツできてうらやましいぞ(もう2年半も自分が球技していないとか信じられないな)。今、十分な自由時間があれば、習い事したいです。楽しく自分を向上できたらこんなに素晴らしいことはない。なんてことはさておき。 子供にいくつかのスポーツを体験させていて、ここにきて主体的に楽しんでくれるようになってホッとしていたところ、幼少時のスポーツによって非認知能力が高められるという話を聞きました。非認知能力とは、意欲や協調性、忍耐力、創造性、思いやりや勤勉性など、数値化しにくい能力のことを指すそうで、これが高いと将来の生活が豊かになりやすいという研究結果もあるのだとか。 より噛み砕くと、「粘り強く最後までやり遂げる遂行力」「自分の感情をコントロールする力」「計画を立ててそれを実行する力」とも表現できるようで、確かにこれは大切なことだと共感しますね。そして、スポーツがその発達に寄与するというのも、個人的には納得感があります。自分もスポーツでこれらの力を育ててもらった気がします。 約束事のもとでプレイし、決まった目標に向かって進むこと。うまくいくことばかりではもちろんないし、望んだ結果が出ないことも多い。でも、それを楽しみながら工夫しながら乗り越えていけるかどうか。リフティングが10回できたらとても嬉しかったし、逆立ちで7m歩けた達成感もものすごかった。県大会で負けた時は悔し涙も流したし、そういう悲喜こもごもが非認知能力とやらにつながっていたんだな。自分が勤勉で忍耐力や自制心があるなんて、おこがましくて言えないですけどね。 ラグビーのルールなかなか複雑ですが(1年生はタグラグビーです)、子供達は少しずつ規律を学び、挨拶ができるようになり、一生懸命ゴールを目指し、あれこれ考えながら仲間たちと協力し、大きな声を出し、勝てば喜び負ければ悔しがっています。まだまだ集中力はないし、全体感はよくわかっていないだろうし、技術も全然ですけれど、目に見えて成長していっていることは確か。 スポーツが全てではもちろんありませんが、「こういう楽しみがある」ということを知ってもらえたらいいなと思っています。非認知能力? まあ、あくまで副産物ですよね。スポーツをそういう

感想_「静かな人」の戦略書

しばらく間が空いてしまいましたが僕は元気です(今日は10/5)。ここから巻き返します。 さて。ジル・チャン『「静かな人」の戦略書。騒がしすぎるこの世界で内向型が静かな力を発揮する法』読了。自らを「根っからの内向型」と認識する、台湾出身でアメリカで学びキャリアを積んだ著者。声の大きなコミュ力の高い人ばかりが世界を動かしていそうに思ってしまうけど、引っ込み思案で消極的な人でも大丈夫と背中を押す自己啓発本。ブックオブザイヤー特別賞を受賞し、世界中で受け入れられているという一冊。 新聞の書評で気になったので手に取りました。何を隠そうボクも内向型。人前で話すのは得意ではなく、アドリブには弱い。近所で微妙な知り合いを発見するとちょっと道を変えてやり過ごしたり、そういう感じです。なので、大いに期待しましたが、やや期待外れでした。 だって、著者は優秀すぎるんですもの! スピーチの最初に気の利いたジョークを言うのが、たとえちゃんと準備していてもどれだけ難しいか(そもそも思いつかないし!)。戦略的に得意なことで勝負するとは言うものの、勝ち筋を見出すほどの能力に恵まれていなかったらどうしたらいいのか。渡米直後で言葉も不自由だった頃に、なるべくアメリカ人と一対一の会話をするよう心がけたって、本当に内向型なのかな。 終始そういう印象だったので、ボクからするとこの本は、高い能力を持つけど内向型な人の戦略書という感じでした。自分を大きく見せようとしない、何事も入念に準備するなど、共感し学ぶべきところももちろんありましたけれど。 でも、それだけ多くの人がこの本を手にしているのだとしたら、それは内向型に悩む人がそれだけ多いということだと思います(アメリカ人も1/3は内気でシャイなんだそう!)。この本も、最近のその他のいろいろも、ありのままの自分を肯定するように説いています。でもそれって、かなり難しいことだとも思うのです。ありのままの自分でいたいとも思うし、できることなら理想の自分でもありたいと願うのが普通のような気もするから(できれば労せずに!)。 と、クダ巻いたりもしちゃったのですが、おそらく一番大事なことは自分と向き合って、自分はどうありたいのかを考えることでしょう。内向型であれ外向的であれ、それをよしとするのかしないのか。しないのであれば、どうありたいと思うのか、そのために何ができるのか。この

感想_Sランクパーティーを無能だと追放されたけど、鑑定と治癒魔法で成り上がり無双

4月に申し込んだマイナンバーカードを受け取ってきました。マイナポイントってなんだっけ。 さて。『Sランクパーティーを無能だと追放されたけど、鑑定と治癒魔法で成り上がり無双』コミック&小説版読了。Sランクパーティーを追放されたニグリスだが、その鑑定スキルと治癒魔法は他の追随を許さないものだった。新たな仲間とともに、成り上がり冒険譚が始まる! 漫画から読みましたが、これがとても面白かった! ニグリスがとにかく弱きを助ける仲間思いのナイスガイ! 鑑定スキルはテンプレ通りだけど、そこで見えた能力に基づいて本人の人生を助けるための助言を与えるコンサル仕様で、キャラクターと相まったナイス設定。「君の能力なら剣より槍を使ったほうがいいよ」とか、なるほどね!って感じ。 そして真骨頂は治癒魔法で、単なる回復だけではなく自らにかけることでバリアとなり、何重にもまとうとそれは攻撃力にさえなるというのも、ありそうでなかった設定か。治癒魔法という名前に騙されるチートでした。「治癒士が後衛職だとあれが決めた!」という煽り文句がぴったりハマってたわ。 作画は、ここぞというところでの大きなコマの使い方が気持ちよくて迫力あるんですよね。キメのシーンのキャラクターの抜き方も、なんか心を捉えるように感じました。治癒魔法を表現したポワンポワンもいい感じです。それこれも、実直なニグリスのキャラが好感度高いから活きてるかな。 原作小説のほうは、またまた漫画とはちょっとテイストが違っていて、ニグリスのキャラがもう少しクールな感じというか、ちょっとぶっきらぼう。漫画はあの優しさがよかったけど、小説でそれだと青臭くなりすぎる気もするので、このくらいのバランスがいいのかも。 想像でしかないですが、小説をあとからコミカライズすると、全体を俯瞰したうえでいい塩梅の脚色ができるものなのかもしれませんね。それでよりよい作品となるのなら、とてもいい関係性なのかもしれないなと思うのでした。 ということで、おすすめの1作です。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_不運からの最強男2巻

女の園の星3巻発売日が出たうえアニメ化とかでテンション上がりました。 さて。『不運からの最強男』コミック2巻と原作ノベル版読了。不運すぎる前世から異世界転生したジークフリート。規格外の幸運値と魔力で頭角を表し、森で見つけた聖獣の白虎と契約を結ぶが、すべてを1人で背負おうとするあまり倒れてしまい…。新たな出会いと成長の2巻! 1巻面白すぎた待望の2巻も、さらに胸熱展開! ジークは順調に成長し、白虎のハクという新たな相棒を得るものの、一足飛びにチカラを手に入れることはできない。そこを「家族をもっと頼るんだ」と諭すパパに、泣かされたよ! マリー姉さんも成長し、ヴィリバルト伯父さんはまだまだ底なしで、新たな展開に突入したところで終了。絵の可愛い格好いいは相変わらずで、3巻もますます楽しみです。異世界みと、チート能力とキャラクターのバランスがとても良いので、するする感情移入していきます。 ところで、今回原作小説も読んだところ、コミックとはだいぶ雰囲気が違っていてびっくり。この作品の最大のキモと思われた「幸運=不幸と表裏一体の危険なチャンスを勝ち取ること」というのは漫画オリジナルの脚色要素でした。ちなみにコミック2巻は原作1巻の終盤にさしかかったところ。 味わいの異なる小説と漫画、それぞれ併せて楽しむのもおすすめです。なお小説版のカバー&挿絵はコミカライズを手掛けた中林ずんさん。絵柄とタイトルデザインが良くマッチしているのもポイント。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

フューチャー・デザイン思考

次男の拾ったどんぐりで公園に矢印を仕掛けておきました。 さて。新聞で「フューチャーデザイン」という言葉を知りました。アメリカの先住民族は物事を決めるときに7世代先の子孫の利益になるかどうかを判断基準にしていたとか(200年くらい?)。そこから、中長期の目線で物事を考えることを「フューチャーデザイン」というそう。 たとえば、50年後の視点で見ると「空飛ぶクルマ」が走り「ロボットが当たり前」になるという具合で、そんな未来に必要なもの、あるべきものはなんだろう?と発想すると、現在を起点にしたものとはずいぶん違った議論ができるそうです。 確かに自分の仕事で想像しても、どうしても目の前のハードルを越える方法が思いつかずに立ち止まってしまうことは多い。けど、10年20年後にはこうなっているだろうや、こうあるべきだから今変えなくては!という思考回路で見てみると、今やるべきことが確実に変わって驚きました。 つまり、僕らはいつだって近視眼的であるということでしょうね。それはもちろん当たり前というか仕方のないことなのでしょうが、自覚的であればうまく回避できそうな気もします。やるべき理由よりもできない理由を並べてしまわないように、フューチャーデザイン思考でいこうと思うのでした。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

僕にとってのケの日の美学

お米の消費量が下げ止まらないらしいです。自分ちも減ってるのか気になるな(実感ないけど減っていそうだ)。 さて。メトロミニッツ・ローカリズム最新号「ケの日の美学」が配布中です。メトロミニッツが考える、ケの日の4つの美学が紹介されていました。すなわち、使い手の美意識が宿る台所道具、器、食事、日用品を訪ねて日本の各地をご案内。 この特集を象徴していたのは、イントロダクションとして掲載されていた松浦弥太郎さんのインタビュー「日々是好日」で、幾つかのエピソードから何気ない日常をよく生きることについてのヒントが散りばめられていました。実家のお母様が手入れした大根の葉の美味しさのこと、モノは自分が気に入ったものを大事に長く使うこと、食事では食後の余韻までをも楽しむこと、ご飯の後の散歩を欠かさないこと(よりみちだ!)。つまるところ、日々をよく味わうべしということ。 この考えは、このブログの名付け親(?)でもある『暇と退屈の倫理学』にも通じるように思う。毎日はケの日の連続であり、それは繰り返す日常であり、退屈との戦いの日々である。古来より人々はこの退屈というなかなかの強大な敵と戦ってきたわけだが、その攻略法こそ、「よく味わう」ことなのだと僕は解釈している。そこには実は、ハレもケもないのだ。 どんなに刺激的なハレの日も、それがもしも毎日続くとしたらそれはやがてケの日と化し、退屈へと成り代わっていく。だからハレの日は暇つぶしにはなり得るかもしれないけれど、根本的な退屈への対処法ではないのだ。ハレであれ、ケであれ、その奥底に楽しみを見出して付き合うからこそ、退屈の対極にある深い満足を、持続的に得られるのだと思う。表層だけでは通過して終わり。 なので、僕としてはメトロミニッツの特集とは、ちょっと考え方が違うということになるのだ。ケの日を豊かにするために必要なのは、美意識の宿る道具とは限らない。松浦さんがなんでもない瀬戸物に愛着を持っているように、愛着の理由を外から与えられる価値観ではなく自分の内に求めることこそが肝要なのだと思う。ケの日を慈しむのは、自分自身であり、誰かに見せびらかすものではないのだから。美意識の宿る道具を、自分の物差しを通して愛でるのであれば、それはとてもいいことだと思う。 代わり映えのしない通勤路であれ、だいたい同じ食事であれ、他愛のない会話であれ、それは繰り返しのようで

感想_ブラックパンサー

月見バーガーの季節、気付けば各社それ的メニューあるのですね。 さて。『ブラックパンサー』(2018年公開)Disney+鑑賞。アフリカの途上国ワカンダ。というのは表の顔で、希少鉱石ヴィブラニウムによって世界で最も進化した驚異的文明国だった。新たな王=ブラックパンサーとなったティ・チャラだったが、前王の秘密と、ワカンダを襲う危機に直面。国を、そして世界を守るため、立ち上がる。 娯楽作であるスーパーヒーロー映画ながら当時のアカデミー賞作品賞にノミネートされたことでも話題だったこちら、なるほど確かに重みのある大作でした。監督のライアン・クーグラーに主演のチャドウィック・ボーズマン、その他技術スタッフも含めて黒人&女性が主要な役割についているのも今でこそインクルージョンライダーがメジャー化してきたけど、当時は重要なポイント。 序盤、大英博物館を襲ったスティーヴンスが、ワカンダ由来の収蔵品を奪う際に言った「お前たちはこれにカネを払ったのか?」という言葉は、植民地化され搾取されてきたアフリカの歴史を象徴していて、この作品がもしもアフリカに違う歴史があったならという可能性を示唆していました。 人類のルーツと言うべきアフリカと、その美しき大自然へのリスペクトが全編通して描かれていて、そこに近未来文明が合体したビジュアルのインパクトはすごかったな。ヴィブラニウム、威力が半端なさすぎる。 そしてブラックパンサーのハイパーっぷりもとんでもなくて、バットマン以上のハイパースーツにスパイダーマン的スペクタクルと、ハルクやソー並みの超人ぶりで、さすがはアベンジャーズの一角。チャドウィック・ボーズマンと、敵役マイケル・B・ジョーダンの『クリード』(続編観ねば)に続く鍛え上げられたカラダによるバトルもまた、シンプルだけど映像技術に頼りすぎない説得力あったわ。 ただそういう背景要素とビジュアルに比べると、話の展開はそんなに複雑ではなく、わりと淡々と進んだ印象。ティ・チャラの内面はそれほどフォーカスされず、むしろ悲しい運命を背負ったスティーヴンスに感情移入させられたかな。それだけにこの結末の哀しきよ。ラスト、その実態を隠し続けたワカンダが開国に踏み切り、そのすべてを世界のため使おうとするくだり、分断の壁を立てるのではなく、それを乗り越える力になりたいというのは響くメッセージだけど、ティ・チャラの言葉に

感想_ドクター・ストレンジ

J2観戦の予定でしたが悪天候なので取りやめ。残念過ぎる。 さて。『ドクター・ストレンジ』(2017年公開)Disney+鑑賞。天才神経外科医のスティーヴンは交通事故により両手の神経を失い、医師としての人生を断たれる。しかし諦めきれず治療の道を探し続けたのち、カトマンドゥの謎めいた施設にたどり着く。そこで出会ったのは、常識を覆される魔術だった。 見逃しているマーヴェル・シネマティック・ユニバースを追いかけていくよ!ということでまずはここから。『アベンジャーズ』で見かけたドクター・ストレンジが格好良かったので期待してたけど、やっぱりクールだったぜ。 あの、パタパタと3Dが改変されていくビジュアルにワクワクして(インセプションぽい?)、時空を捻じ曲げる逆行シーンも胸熱だし(TENET?)、魔術の炎系のエフェクトもオリエンタルでいいよねと、あっという間の2時間弱でした。 でも、ツッコミたいところもけっこうありまして。そもそもスティーヴンの交通事故があまりに迂闊すぎるし、傲慢キャラもちょっとやりすぎ感あったかな。からの魔術師としての覚醒がエベレスト放置だけってのは説得力なかったよね。 もちろん修行はしてたけど、まだまだってところでバトルに巻き込まれたわりには、ヴィランと渡り合えちゃうのはどうかなって感じだし、タイムストーンの力を借りてるとはいえ時空ねじ曲げる能力発揮するのも、都合良すぎるような。 そして肝心なところは、やたらと長台詞で説明なんだよな。エインシェント・ワン、喋ってばっかりだったし、クライマックスの無限ループもちょっとあっさりしたもんでした。 とまあ、いろいろあるけど、それらも含めてやっぱり楽しいMCU。エンドロール中のシーンは、『ソー・バトルロイヤル』と繋がっていると言われると観なきゃいけないような気持ちになるがしかし心は『ブラックパンサー』へ…。劇場作品以外のドラマも観られてしまうDisney+の罠。こりゃ倍速で観るしかないか(冗談です)。 よりみちしながら、いきましょう。やっぱり敵は睡眠なのか!? 今日も、いい1日を。

防災イベントのありがたみ

台風の行方が心配ですね。被害が出ないことを願っております。 さて。近所の公園で防災イベントがあったので子連れで見てきました。消防車各種が並び、ハシゴ社のハシゴに乗れる体験、放水体験、衣装貸し出しなど、いろんな催しが。水遊びゾーンやバルーンアートプレゼントなど、子供を楽しませるコンテンツもいろいろ。お菓子なども無料でいただけたり、楽しい時間を過ごせました。 本題の防災ですが、神奈川県による避難ナビのアプリを入れたり、防災ハンドブックをあらためて読んだり。一応ハザードマップくらいは確認していて、自宅ロケーションは大きな被害が想定されるエリアではないと思うのですが、いつ何があるかわかりませんものね。最低限の防災セットもあるにはありますが、もう少し拡充しとこうかな。 災害はないに越したことないですが「起きない」と断言できる根拠はないし、むしろ「起きるもの」と考えておいたほうがいいのかもしれないと今回参加しながら思い始めました。 防災に備えることが大きな負担になるわけでもなくて、ただただ多少面倒臭いだけでしかない。だとしたら「備える」という選択肢を排除する理由はないぜ。よし、さっそくリストをチェックだ! 話は変わりますが、パンフレットにて「うんこドリル」を初鑑賞。確かに憶えやすいけど、肝心なところよりうんこを憶えてしまいそう。「川からゴールデンうんこが流れてきたら」とかさ…。 とかなんとか言いながら。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

ウォーカブルシティに幸あれ

ついにPayPayを導入しました。友人間での送金ニーズが多くて。 さて。新聞でウォーカブルシティ増加中的な記事を読みました。全国の市街地で、より歩きやすい街づくりが志向されているようで、賑わいが生み出された成功事例も出てきているとか。大分県や東京で特に多いらしく、横浜だと、関内駅の旧市庁舎跡も、ウォーカブルにするプランがあるそう。 具体的には、歩道を広げたり、ベンチや公園を整備したり、店舗の誘致にマルシェを企画したりといったことで、確かにそういうの増えてますよね。池袋東口とか、名古屋の久屋大通とかがわかりやすい事例でしょうか。 常々、歩くこと=よりみちを推奨している当ブログとしては、とても嬉しいことだと思います。歩きやすいハードと、歩きたくなるソフト。脱炭素社会に貢献し、ヘルスケアにも好影響、にぎわいが消費を促せばそれは街を巡ってさまざまなところに還元される。 歩くスピードは僕たちがものを考えるにはちょうどよく、他者とのコミュニケーションも容易にとれる距離感です。雲の流れも、雨の匂いも、影の濃さも、歩くことでより繊細に感じ取れて、いいことづくめな気がするんですけどね。暑さや寒さは、街角のお店でのんびり回避しましょう。 日本中に、歩いて楽しい街が増えたら、観光ももっと楽しくなるでしょうね。というか、歩く楽しみを思い出すことが最初の一歩なのかもしれません。遠足が待ち遠しかった頃みたいに。歩くって苦痛や修行じゃないはず。近所は宇宙だしね。あと誰でも歩きやすいユニバーサルデザイン。 よりみちしながら、いきましょう。ウォーカブルな街に幸あれ。今日も、いい1日を。

タイパの時代のエトセトラ

家人がディズニープラスに加入するようで喜んでおります。マーベル見るぞ! さて。倍速の時代と言われ、タイムパフォーマンスが重視される昨今です。映画を何倍速で見るかは、個人の好みに委ねられたわけで、目玉焼きに何をかけるかと同じ話になってきたようです。イニシアチブが作り手にないのは切ないといえば切ないけれど。 とにかくコンテンツの楽しみ方が激増し、それに伴ってコンテンツも爆増し、それらの周りに広がるSNSなども鬼増した今、時間が足りないのは当たり前の話で、どうやって時間を捻出するか、みんな頭を悩ませていると思います。そりゃ何もかも時短に済ませたくなるよ。悩んでる時間ももったいないよ。ライバルは睡眠と言った人もいるよ。 40半ばとなった今だからから「そんなに急いでどうすんねん」と思わないこともないのですが、20代の頃は「スローライフ? 冗談じゃないよ」って思ってもいました。「むしろファストライフじゃい」とさえ思っていたかな。いろんなものを吸収したかったし、たくさん欲しいと思っていました。質も量も妥協したくなかった。 こういう話って、結局のところ突き詰めていくと、個人の好き好きということに落ち着くのだと思います。速いのが好きな人も、遅いのが好きな人もいる。質を求めるのが好きな人も、量を求めたい人も、どっちもな人も、いる。どっちもいらない人だって、当然いる。何にもいらないという人も。 だから、自分がどこに属していても構わないと思うし、自分とは違う派の人をどうこう言っても仕方がないのです。ただ、統計的な結果や、傾向というのは、確かにあるものだと思うので、それはそれで知識として受け止めておけばいい。少なくとも以前は倍速機能が備わっていなかったし、実行する人も今ほどは多くなかったわけで、これまでにない変化であることは確かだ。背景に何があるのかという考察も、知ってて損はないでしょうね(得があるかは知らない)。 Z世代で一括りにするのは本質的ではないのでしょうが、それってあくまでマーケティングでしかないし、これ以上に便宜的な言葉がないというのもおそらく事実なわけで、そこに噛み付いても仕方がないのかなと。 一番大事なことは、自分は映画(であれ、なんであれ)を倍速で見たいと思うのかどうか。それはなぜなのか。を知ることなんじゃないかと思います。自分がどの価値に重きをおくのかを知っておくと、判断

新・神奈川県立図書館行ってきた。

  ときどき、ここの枕を書き忘れちゃうんですよね。最後に書こうと思って。 さて。9月1日にオープンした神奈川県立図書館に行ってまいりましたのでプチリポートです。もともとあった前川國男建築のもの(トップ写真)をリノベしたのかと思っていましたが、完全な新築でした。 特設サイト | 神奈川県立図書館 旧図書館から徒歩1分のところに生まれたこちら、モダンな建物で、意匠に前川建築へのリスペクトを込めた作りです。コンパクトな4F建てで、閲覧スペースに予約不要の個人ブース、要予約の個室や会議室もあったので、勉強やリモートワークにも良さそうな感じ。もちろんキレイですし。 「価値の創造」を新たたテーマとしているそうで、本が読める、借りられるのはもちろんのこと、より町のコミュニティ作りと教育の場という側面を打ち出していく模様です。ブックディレクターの幅さんも、幹部に加わっておられました。1Fの本は今っぽいテーマ切りのセレクトになっていましたね。 先日山形で見た、 ミライニ も 豊橋のまちなか図書館 もまさに同様のコンセプトだったので、これは現在進行形の図書館の形なんでしょうね。今後これがどう発展して、根付いていくのか、横浜市民として楽しみですし、ぜひ参加していきたいものです。 蔵書はあまり多くない印象ですが、県立図書館がここと川崎と2つあることで、役割分担をしているらしい点と、書架にない場合は別の場所から探してきてくれるようなので、単純に表に出ていないだけなのかもしれません。子供と行ったのですが、子供向けの絵本や、子連れのためのスペースはなかったのでご注意ください。 1Fにはカフェとショップもあって、3、4Fにはオープンテラスも。開館後、結構な人出が続いているようなので、地元の期待値はかなり高かったと見受けられます。ただ、すぐそばに横浜市立中央図書館もあるので(行ったことないですが)、そことの住み分けはどうするんだろうという疑問は残りましたが。とりあえず今度テレワークでもしてみようかなと思います。 ちなみに旧館は、前川國男館としてリニューアルを予定しているそうなので、それはそれで楽しみにしたいと思います。遺産として残しつつ、現代的な使い勝手になるといいのですが。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

街と人の間に、本と本屋さんがあれたなら

八重洲ブックセンターの本店が来年3月で閉店するそうです。跡地にできる商業施設に入るようですけれども。 さて。昨日ポストしました、 発売中のオズマガジン「日本橋・京橋・八重洲」特集 のコラボ企画として、その八重洲ブックセンター本店さん併設のドトールさんと、丸善日本橋店さんのカフェで、オズマガジンのミニ写真展が開かれています。 こんな感じで(八重洲ブックセンターさん)誌面に載っていた写真が大きく引き伸ばされて、雑誌と合わせて展示されております。丸善日本橋店さんの方では、オズマガジンを買うとカフェで使える200円引き券も(先着100名さま)。そして、オズマガジン編集部は両店の間くらいにあることもあり、特集もご当地なので、編集部員のおすすめスポットが記載されたミニペーパーも配布中。↓こちら この4月から、より街にフォーカスしているオズマガジンらしい、特集×書店さん×カフェという取り組みですね。時代はずいぶん変わりましたが、本屋さんは情報集積地であり、街の文化拠点でもあることを改めて実感。逆に言うと、何かしらの付加価値機能を強調していかないと、今後の書店さんはますます厳しいかもしれません。 街に溶け込む本屋さん、街へと開かれた本屋さん。そして、街の外の人と中の人の架け橋になるようなオズマガジンであれると、作り手、届け手、受け手が、良い形で繋がっていけるのかもしれません。 お時間ありましたらぜひお運びください。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

オズマガジン2022年10月号「みんなの日本橋・八重洲・京橋」

上野動物園の双子のパンダに会いたいです。和歌山のアドベンチャーワールドでもいいのだけど。 さて。オズマガジン最新号「みんなの日本橋・八重洲・京橋」特集が発売になりました。大きな再開発と、小さな名店が混じり合って、そもそもは江戸から続く伝統もあるわけで、なかなかユニークになってきたこのエリア。散歩のしがいがありますよ。 誌面では、新スポット続々の「兜町〜茅場町」、老舗の若旦那が集う「八重洲〜日本橋〜京橋」、新旧の名店がひしめく「人形町〜浜町」、コレド室町にニュースがたくさんの「三越前〜室町」、インディペンデントな空気が魅力の「小伝馬町〜馬喰町」と、5つのエリアにわけてご案内。ナビゲーターはご当地にゆかりある人々で、それぞれの主観で街の魅力を教えてくれます。地元目線がいい感じ。 最後に特集全エリアにまたがるグルメガイドで締めているのですが、こちらも新旧あわせて食のレベルの高さは特筆すべきものがあって、焼き鳥の伊勢廣さんから、クラフトビールにスパイスカレーと旬のお店も集まって、どれもこれもハズレなしの名店揃いといって差し支えないかと。気取り過ぎていないのは江戸人情のなせる技でしょうか。 あらためて街は生き物で、常に変化し続けているものだなぁと、教えられた気がします。常に新陳代謝を続けて、なのに連綿と受け継がれているその街らしさというのも確かにあって。そういうものを見過ごさずに暮らしていきたいなと、ふと思ったのでした。 さて、どこにごはん食べに行こうかな。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

今年も9.11を思う。

朝、空を見上げたらハート型のような、人物の上半身のような雲が浮かんでた。 さて。9.11から21年が過ぎました。21年前に起きた遠い異国の未曾有の事件は、その当時の無知な僕にはあまりピンと来ていなかったのに、年々重みを増しているような気がする。というか、毎年律儀に今日は9.11かって思うのは何ででしょう。 今思い出しても、当時の記憶は飲み会から友人と帰ってぼんやりテレビのニュースでそれを知り、慌てる友人を横目に「ふ〜ん」くらいの感想でほどなく普通に寝たということくらい。あとはその後、『ユナイテッド93』や、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』など、9.11に題をとった映画で想像した程度です。 多分、9.11が自分ごとに近づいたのは、3.11以降です。種類は全然違うけど、前例のないできごとで、多くの命が失われました。NYではそれは最悪の日であったと同時に、多くの人が結束し、希望の日にもなったと、ネット記事で読みました。3.11にもそういう側面はあったと思う。 だけれど、新型コロナはなかなかそうはなりませんね。全世界を同時に覆い、多くの人を苦しめているのは同じなのに。人々が集うことを許さない性質のせいなのですかね。それとも、2001年や、2011年とは、決定的に何かが違ってしまったのでしょうか。 9.11も3.11も、僕はそれらで何も失っていないので、何かを語る資格はありません。でも、そこにいた人たちの哀しみや苦しみを思うとどうしようもない恐怖を感じますし、なんというか、生かされていることのありがたさを喜び、感謝して、希望を持って生きていきたいと思うのです。この日がやってくるたびに。そして、せめていくらかでも善い行いをしないとバチがあたるよな、とも。 何を大袈裟な、と思われるかもしれませんが、そんな気分です。半年後も、1年後も、似たようなことを思うのかな。そう思えたとしたら、無事に月日を過ごせたということですね。そうでありますように。 でも、そうじゃなかったとしても、前を向いていられるように。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

足育について考える。〜長男6歳9ヶ月、次男2歳2ヶ月

現在、長男くんはスパイダーマンの靴を愛用中。ホーキンス製だそうで。 さて。保育園のおたよりで「足育」という言葉を知りました。文字通り、足を育てることで、幼児期にたくさん歩くことで、健康な足になり、ひいては後々のいろんなトラブルの予防になるそうです。 現代の子供は歩く時間・距離が減っていたり、舗装されたアスファルトばかりを歩いていたりが問題視されている模様。結果、土踏まずができない扁平足になったり、浮き指が見られたり、足が変形したりいろいろ問題があるのだとか。そしてそれは歩き方や姿勢が悪くなることにつながり、ケガや腰痛などにも関連していくと。足に合わない靴選びも影響が大きいそうで、それは気をつけなくてはなと。 今、昼寝している次男の足指を見たところは、なんとなく大丈夫そうなので、しっかりたくさん歩いてもらえるように頑張らなくては。 ところで、この足育って子供だけに限ったことではないようにも思います。大人になってから足の形を治そうということではなく、よく歩くことは運動不足解消になり、姿勢も整い、メンタルヘルスにも大きく影響を与える気がします。 あくまで感覚的なもので裏付けなどありませんが、歩くことで手がちゃんと使えて、手をよく使うことは脳の活性化にもなりそうなもんだよなと、二足歩行の進化の歴史みたいなことも思ったりするのですが、どうですかね。ケータイから離れて遠くを見るのも大事。 リモートワークになり、いろいろ便利になってますが、大人こそ意識的に足育に取り組もうと思うのでした。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 ■長男備忘録 スイミングに慣れてきて水中で目が開けられるように(ゴーグルあり)。子供の成長は早い。そしてサッカーが楽しいようで「天国みたい」という名言も飛び出しました。無理矢理連れて行く日もあったけど続けてよかった。親の友人には人見知りするけど、赤の他人とは話せる不思議。作文とか、自分の気持ちを言葉にするのはまだ苦手。1年生、そんなもんかな? ■次男備忘録 会話がさらに達者になって、「父さん、お皿お願い」とかなんか大人みたいなフレーズも飛び出すように。兄を見ているからかサッカーボール好き。まだ夜中ちょいちょい起きてしまう。抱っこ抱っこも多いから足育のためにも歩いてもらいたい。力持ちを「ちかもろち」、おくすりを「おつくり」、お月様を「お月見」(

みんな、行ってしまう。

エリザベス女王のご冥福をお祈りします。 エリザベス女王のこと、よく知りませんが、オリンピックでのジェームズ・ボンドとの共演は最高でしたよね(ヘリから降りてきたのはスタントだったと今回初めて知った)。年齢よりもお若く見えていたので、まだまだご健在のような心持ちがして、残念です。 京セラの稲盛さんだったり、三宅一生さんに森英恵さんなど、ここのところ著名な方が世を去ることが多いように感じています。自分も中年になって、名前を知っている人が増えたからですかね。第一人者とされる方達の訃報に勝手に寂しさを感じています。 自分も含めた誰もがいつかはいなくなってしまうこと。その当たり前の終わりを、少しずつ意識し始めるようになりました。10歳の頃、そのことを思ってベッドで枕を濡らした記憶があって、自分がいつか死ぬという恐怖を僕は意図的に遠ざけてきましたが、少しずつそういうものにも慣れてきたのかしら。 まだ何も成し遂げていないなぁという気持ちと、そもそも自分は何を成し遂げたいのだろうかという迷いと。あらためて仕事のこと、人生のことを、考えないとなと思う、秋の夕暮れでした。 なんの話かわかりませんけれども。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_海の闇、月の影

ラグビーワールドカップまでちょうど1年だそうです。あの興奮が待っていると思うだけで昂まるな。 さて。篠原千絵『海の闇、月の影』全18巻読了。双子の高校生、流風と流水は謎のウイルスに感染し、宙に浮き物体をすり抜ける信じられない能力を身につける。流水はそのウイルスを広め悪用し、流風はその抗体となって止めようとするが。双子が想いを寄せていた当麻克之を巻き込み激しく動き出した彼女たちの運命は…。 子供の頃、姉が読んでいたマンガを少しだけ読んで、すごく面白くて怖かったサスペンス漫画。30年以上結末が知りたかったのをついに大人買い! 双子の三角関係という恋愛要素を下敷きにして、かなりスプラッター味のあるサスペンス作品でした。コロナなんて目じゃない恐るべきパンデミック! 流水が最初に能力を覚醒させて、追いかけるように流風も覚醒して、徐々にエスカレートしていくのがとても面白く、同じ姿形なのにジキルとハイドになっていくのも興奮しました。 最初からけっこうバタバタと人が死んでいきますが、ジーン・ジョンソンが出たあたりから、その流れに拍車がかかり、5枚の処方箋編あたりからは能力も行きすぎるわ、出てくる人物皆殺し状態だわで、ちょっと疲れちゃいました。そして運命の最終決戦。結末はあっさりしたものですが、胸が痛かったよ。 何もかもが同じだった双子の運命を狂わせたものが、淡い恋心だなんてあまりにも残酷で。完全ヒールではあったものの流水の苦悩は想像に難くないし、それを止めなくてはいけない流風の哀しみもいかばかりか。克之はスーパーヒーローすぎますが、事件の発端でもあることを責めずにいられるのだろうかと。 今だったらそのあたりの心理面もより掘り下げた超重厚作品にもなりそうな怪作でしたね。能力もまだまだ考察の余地ありそうだし、青年マンガもびっくりのハードさ。少女マンガと侮るなかれってところでしょうか。 とりあえず長年知りたかった結末を見届けられて満足なのでした。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_鬼の花嫁

Apple Watch SE ほしいかも! しかし今使っている腕時計もお気に入りなんだよな。 さて。今、書店を賑わせてるコミック『鬼の花嫁』(漫画:冨樫じゅん)と、その原作になる文庫『鬼の花嫁』(著:クレハ)1〜2巻を読了。人とあやかしが交わる世界、そのトップに君臨する鬼の一族に「花嫁」として見初められた柚子。あやかしの本能によって溺愛される少女を描いた、和風シンデレラストーリー。 とてもシンプルで、王道ど真ん中とでも言うべきストーリー。不遇な少女が、王子様の出現によって救われるお話です。意地の悪い妹がいて、信頼できる友人がいて、個性ある脇役がいて、読者が望んだ通りに展開するのがいいところ。 文庫はとっても読みやすいエンターテインメントで、コミカライズはストーリーを損なうことなく物語を拡張していると感じました。シンプルなタイトルもよかったんですかね。電子コミック書店のコミックシーモアさんで火がついて、紙コミックスも発売即重版が決まるほどのヒットになりました。 文庫2巻は学園ものに舞台を移しつつ、霊獣まで登場するなど、新キャラも登場。個人的には蛇塚くん推しなので、ぜひ彼にも幸せになってほしいものです。鬼、狐、猫、蛇ときて、今後どんなあやかしが表れるのかも楽しみ。3巻には龍が出るようです。ほかに出るとしたらなんだろ…オオカミもありですかね。あとはヌエとか?(マニアック?) よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

桜木町でドーナツを頬張る。

さて。ブルータスのドーナツ特集を読んでいてもたってもいられなくなり、ドーナツを買いに走りました。向かったのは昨年桜木町にオープンした、BEN-HUR 298 OJIMA BREAD MARKETさん。洒落たパン屋さんです。 何を隠そうこちらのお店は道路を挟んだ向かいにある、大正創業の精肉店・尾島商店がオープンさせたパン屋さんなのです。尾島商店の隣にハンバーガーが楽しめるミートカフェがあるのですが、そこからパン屋に派生するとはね! さてさて、ドーナツのラインナップは、スタンダードなシュガードーナツのほかに、ショコラやカフェやピスタチオたっぷりの甘い系もラインナップ。どれも、もっちりムギュっとした食感で、ものすごい食べ応えで、美味しい〜。コーヒーも売っててお店の前でイートインできます。 お店的には、お肉屋さん由来ですので、メンチカツバーガーなどに代表される惣菜パンも見逃せないのですが、それはまた今度。なお、生食パンは購入しましたがこちらも美味しかったです。 やっぱりドーナツって幸せ。パン屋さんも幸せ。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

ドーナツは本当においしい

朝ごはんのレパートリーが少ないのが悩みです。トーストかTKG。 さて。ブルータスさんが「本当においしいドーナツ」特集を発売中! 待ってましたよドーナツ大好き男のオレ得特集、中身も最高でした。昨今は何度目かのブームと言われていますが、オレはそんなの関係なくずっと好き。 いやしかし、心躍る誌面でした。出るわ出るわの美味しいドーナツ100連発(100かどうかは知りません)! 英国由来のドーナツが京都「Kew」さんにあれば(行きたすぎる)、神楽坂「ドーナツもり」さんはフランス菓子の技術でドーナツ作り。「yup!」さんはクラフトビールとペアリングですか、そうですか。 全体通してみて、とってもバリエーション豊かに広がっていることがわかります。クラシカルなオールドファッションから、とってもデコラティブなもの、そしてイタリアやハワイなどいろんな国で親しまれているスタイルと、なんてグローバルなのさ! そうかこれこそが、みんなでつなごうドーナツの輪。 全国のドーナツ屋さん情報がギュッと集まっていますがそれだけじゃなくて、カルチャー考やミスド特集もあれば、ソウルだNYだの最新ドーナツに、平野紗季子さんが石垣島にサーターアンダギー食べに行ったりと、縦横無尽。ドーナツは、宇宙。 ということでめくるめくるドーナツの世界をぜひお楽しみください。大人も子供も男も女もこんなにとりこにするドーナツってすごいよな。ドーナツは、愛。 特集タイトルは「本当においしいドーナツ」ですが、僕に言わせれば「ドーナツは本当においしい」です。輪っかで穴あいてればそれでいいのだ!(穴がないとカタルシスに欠けるんだよな。マラサダ、ごめん!) 村上さんもそんなこと言ってなかったっけ?(たぶん言ってない) よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

センス・オブ・ワンダーの庭へ

日産マーチ販売終了ってなかなかびっくりしました。時代は変わるぜ。 さて。少し前にクラウドファンディングに参加したクレマチスの丘からリターンが届きました。20周年のコンセプトブックと、KIGIさんがデザインしたトートバッグと缶バッジとポストカード(かわいい)。あと、今やっている展覧会のチケット2枚。 コンセプトブックには、クレマチスの丘の四季折々の様子と植物の紹介から始まり、アート作品と、この場所がどんな風に誕生したのかについての解説。中核にあるジュリアーノ・ヴァンジの彫刻作品と、アーティストの哲学をまじえながら紹介されていました。 一種独特の彫刻作品たちは、想像を促します。この人物はいったい何を思うのだろう、どうしてこういう造形になったのだろう。そしてその想像はおそらく、移ろう季節とともに変化していくのでしょう。もちろんクレマチスの丘自体=自然そのものが日々発見にあふれている。 コンセプトブックの後半に「センス・オブ・ワンダーを育む」という章がありました。広大な庭園とアート作品に触れて感じることで、不思議の魅力を多くの人に、とりわけ子どもたちに感じてほしい。そんな願いが記されています。センスオブワンダー、感じられていたっけな?とふと我が身を振り返りますね。 落ち着かない世の中で、つい安定を望み刺激を避けてしまう日常もあります。それは心の平穏には必要なものだと思いますが、センスオブワンダーも同じくらい大事ですよね。 ということで、早くクレマチスの丘に行きたいという気持ちがムクムクと。少しずつ涼しくなり始めたのでちょうどいい季節ですね。計画を立てなくちゃ。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

「李禹煥」展という至福(延長戦)

水泳すると異様に体力消耗していることに気づく今日この頃。全身運動ってそういうことか。 さて。2日にわたって感想を書いた「李禹煥」展( 前編 、 後編 )ですが、そういえば会場には作品名以外のキャプションはありませんでした。なので基本的に自分の五感のみで対峙していたわけです。 で、現地から持ち帰った作品リストと鑑賞ガイド(写真)を読んだら、作家のプロフィルや代表的なシリーズについての解説があって、より理解が深まったので延長戦として追記しておくことにしました。 李禹煥さんは、釜山出身で、幼少時から文学に親しみ、来日後は哲学を学び、やがて美術表現に向かっていったそう。視覚芸術やジャクソン・ポロックなどの影響を受けながら「もの派」としてデビューし、初期の作品を発表していったようです。 僕も感じましたが、「関係」というのは大きなテーマというかモチーフになっていて、素材と素材、物の配置、絵画と余白、余白と空間など、仕掛けはミニマムながら、いろいろなものの関係を多次元的に浮かび上がらせています。「対話」という作品は、絵画の中で描かれた物体同士の関係性が絶妙で、それは展示室との関係さえも生み出していました。宇宙的! いちばん最後の展示室にあった「対話−ウォールペインティング」ではなんと壁に直接ペイントが施され、そのわずかな絵の具の塊が置かれることで壁の景色が変わり、展示室の空気が変わり、鑑賞者との対話が生まれるというものでした。マインドフルネスでもあるね。 ヨーロッパでも高く評価されるというのはこういうオリエンタルでミニマルな世界観なんでしょうね。直島のほかに、釜山、フランスのアルルにも、李禹煥の個人美術館があるそうですごいことだぜ。なお、ヴェルサイユ宮殿には、中庭にあった「関係項−アーチ」のオリジナル(はるかに大きい)が恒久展示されているようなので、いつか機会があったら観たいものです。 ということで、観れば観るほど、知れば知るほど、その深淵な世界が染み込んでくるのでした。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 関連記事:「李禹煥」展という至福( 前編 )( 後編 )( 延長戦 )

「李禹煥」展という至福(後編)

国立新美術館ていい建築だなあと来るたび思います。 さて。 昨日に続いて国立新美術館の「李禹煥」展レビュー です。 展示の折り返し地点には野外作品がありました。砂利が敷き詰められ、中央に鉄板の大きなアーチと両サイドに岩石。遠くには六本木のビル群と、やたら近くを飛ぶ飛行機たちがいて、不思議な空間でした。これは触ってもいい作品で、石に触れると日の当たる方は温かい。鉄は全体温かい。あらためて素材の違いを体感して、いつも僕たちはそのイメージや思い込みだけでモノを見ていると再確認。触れてみることの大事さよ。 さてさて、後半は絵画作品です。 「点より」シリーズは、規則性のある絵画で、幾何学的でもありながら、筆の質感はアナログで、絶妙な筆致が波を生み、リズムを生み、速度になっていく感じ。 「線より」シリーズは、人に見え、雨に見え、滝に見えてくる作品。それは上から下へと流れていると思っていたけど、いや待てよこれは下から上へと昇っているとも言えるよなと思い当たる。そういえばところどころに作家の言葉が記されているのだけど、「行くもの来るものの両義性」というのがあったけど、まさにこのことかもしれない。ものごとには2つの側面があるね。 「風より」シリーズはより自由にランダムに。それは量子的でいて細胞のようで、生命を感じましたし、「対話」シリーズは絵画の中で関係性が問われていて、ものごとはそれそのものでは完結しないことを思わされました。関係の中にすべてがある。僕も、君も。 という感じで、いやはや、前後半通して魅せられっぱなしでした。最後まで観て、もう一度戻って、2回目を通してみて、ここまでシンプルなのにこんなに胸を捉えられていることに驚きました。 でも、直島の李禹煥美術館で初めて李さんの作品を見た時は「よくわかんねーーーー」って思っていましたけれど。知識が増えて成長したとも言えるし、見方が頭でっかちになったとも言えそうですね。でもでも、この展示はとてもよかったと思います。 美術館の前にももうひとつ野外展示が。これだけの量を一気に観られるのは貴重な体験ですね。会期は11/7まで。ぜひ! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 関連記事:「李禹煥」展という至福( 前編 )( 後編 )( 延長戦 )

「李禹煥」展という至福(前編)

神奈川県立図書館がリニューアルオープンしたので近日中に行ってきます! さて。国立新美術館の開館15周年(早いな)記念「李禹煥」展に行ってきました。めちゃくちゃ良くて、全力で推したいと思います。 展示は大きく前後半に分かれます。前半は「関係項」という作品群に代表される、大きな岩や、鉄板、角材などが絶妙な間合いで配置されたものたち。後半は「点より」「線より」などの大きな絵画作品シリーズです。まずは前半部分から。 岩にしろ鉄にしろ、無機質な物体が無造作に置かれているようなのに、何かそこに意味があるように思えてくる不思議。例えば3本の角材が、3つの置き方で存在します。ひとつは3本がそれぞれを支えるように。ひとつは3本バラバラに壁に立てかけられる。ひとつは3本が床に横たわっている。 ただそれだけなのに、不思議とさまざまなイメージが湧き起こります。角材が人のように見えてきて、支え合う姿、独立する姿、寝そべる姿にも見えてくるし、何かの役割を担い、やがてその役目を終えて朽ちていくようなストーリーにも思えてくる。どの作品も無造作な無機物なのにそんな余白が感じられるという神業。 はたまた一面瓦のような石板が敷き詰められた部屋はそれを踏み締める音が隣の部屋にも響き渡る。なんだか水琴窟のようにも思える。別の部屋は砂利道の中央に鏡の道が。その上を歩くと(歩いてOK)下を見ているはずが天井が映し出されている! その逆転現象の面白さよ。 あまりにも巧妙に余白の世界に連れていかれそうになり、物体のもつパワーと、関係によって生まれる意味性の強さを感じつつ、意味を求めすぎな自分を突き放すと、ただただ物質そのものの美しさ、配置がもたらす空間の機微のようなものも感じられてくるのでした。龍安寺の石庭か。 展示は撮影禁止なのもよかったかもしれません。写真に気を取られずにじっくり作品を観ることができました。 興奮冷めやらぬまま明日の後編へと続きます。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 関連記事:「李禹煥」展という至福( 前編 )( 後編 )( 延長戦 )