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感想_無自覚な天才少女は気付かない

 

将棋の藤井さんの活躍と謙虚さが本当に素敵ですよね。

さて。まきぶろ『無自覚な天才少女は気付かない』(2021年刊)読了。公爵家の3女として生まれたリリアーヌは、武芸、魔法、芸術とあらゆる才能に恵まれていた。しかし家族たちはリリアーヌがどんな才能を発揮しても、揃いも揃って厳しい態度をとり続ける。一度も褒められたことがないまま耐えてきたリリアーヌだったがついに限界が来て、出奔。冒険者として旅を始めるが、その自己評価の低さとは裏腹に、何をやらせても常軌を逸する能力を発揮し、周囲を驚かせるのだった。はたして彼女の旅はどこへ向かうのか⁉


いわゆる「無自覚チート」ものですが、ここまでありとあらゆる才能に恵まれたパターンてあるんですかねー! 剣や魔法のバトルのみならず、錬金術に歌に絵に小説に芝居と、ここまで多芸多才、しかもそのどれもが超一流とくると清々しい! 無自覚であり自己肯定感が限りなく低い理由も、家族のこじらせたヤンデレな愛情というディテールを、結構文字数かけてやっているので説得力があって面白かったです。


気づけばリリアーヌが素直すぎるがゆえに好感が持て、そしてこんな風に追い詰めた家族を普通に憎たらしく思ってしまったのが、設定がしっかりしている証拠だと思います。旅の連れ合いになるフレドさんが優しくしてくれる理由にも納得できるし。


努力が報われない、正当な評価を受けられないって、ままある事象なので、そういう経験を持つ人は、彼女の健気な頑張りは応援したくなる気がします。前半がボリュームありすぎて、話があまり進まず、後半もこれというほどの見せ場がなかったのはちと残念でしたが、2巻への布石ってことですかね。続刊での特大に無自覚な活躍を期待しましょう。


異世界モノってニッチなジャンルだとは思いますが、いい作品もあるんですよねー。お気に入りを見つけられるのは、嬉しいものです。


よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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