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感想_神話最強王図鑑

 

オフィスがフリーアドレスになったのですが、僕は固定席のままでした。ちょっと残念。

さて。『神話最強王図鑑 No.1決定トーナメント!! 戦いの舞台は-天上界へ!』(2021年刊)読了。ゼウスやルシファー、オーディンにポセイドン、さらにはスサノオに多聞天など、神話に登場する神・悪魔・幻獣たちによるナンバーワン決定戦!


本屋さんで子供と見本を読んで、2人してコーフンした一冊。その日は購入を見送ったものの、長男は熱望し、僕自身も興味深かったので、後日購入。全部で24の神や悪魔の類が、仮想のトーナメント戦を行います。


ヒンドゥー教の神様ヴィシュヌと北欧神話のフェンリルが戦ったり(ヴィシュヌの勝利)、ギリシャ神話のゼウスと仏教の多聞天が戦ったり(ゼウスの勝利)、ある種の異種格闘技戦。戦いの展開はファンタジーというか妄想ですね。それぞれの特技を繰り出しながら3コマ形式で勝敗が決められていきます。


こういう神話ものキャラクター、とても好きなんですが、結局すべてゲームか漫画に紐づいた知識なんですよね僕は。ヒンドゥーはマンガ『3×3EYES』だし北欧神話はゲーム『伝説のオウガバトル』だし、オーディンはファイナルファンタジーなんかにも出てきますよね。トール(ソー)やロキは『アべンジャーズ』とも繋がりますし。『三国志』も似たようなタイプなのかもしれません、僕にとっては。


興味深いのは、そういう原体験をまだ持っていない6歳児も興味津々ということ。読み聞かせつつ、一人一人のキャラクターは背景を説明しつつ、おそらく半分程度しか理解できていないと思うのですが、とても楽しんで1人でも食い入るように読んで(眺めて?)いました。戦隊モノやポケモンとも、もしかしたら通じているのかもしれません。共通項はバトルもの。


つまるところ、バトルものって多くの人の心をとらえるプラットフォームであり(ワンピースも鬼滅も特撮もポケモンもアベンジャーズも)、神話キャラはその系譜、ん? 系譜というか原典か。なんせ紀元前から存在するのだから! おお、なんか大発見をした気がする。人は、生まれながらにしてバトル好き!? ……ってちょっと怖い気もするな。。


と思って少し検索してみると「かっこいい」というキーワードがあがっていました。対決とトーナメント型式を勝ち上がることが格好よさにつながり、そこを入り口とした好奇心から子供達の知識欲につながっていくとと。なるほど、その通りかもしれません。


何にしてもこれすでに3刷でしたし、実は類似シリーズが多数出ていて(妖怪、動物、恐竜、水中などの各種最強)、小学生中心に大ヒット中。シリーズ累計で200万部超えているほか、フィギュアなど各種グッズにもスピンアウトしているとか。知らなかったし、近々別のシリーズを購入しそうな気が。


いやー、知識、雑学って面白いですね。バトルから始まる教養への第一歩。


よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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