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鑑賞_生まれておいで 生きておいで

さて。東京国立博物館で開催中の内藤礼の企画展「生まれておいで 生きておいで」鑑賞してきました。とんでもなく良かったなこれは。 展示は大きくふた部屋+1。まずは平成館の展示室ですが、入った瞬間この人やっぱ天才だなと。薄暗い室内に、小さくてカラフルな毛糸玉がテグスで吊り下げられています。頭の高さの少し上くらいにランダムに並ぶそれはそれらは小惑星のようであり、生命体のようでもある。とてもささやかでシンプルなのに、おごそかで美しい。 何気なく置かれる木や石、展示ケース内に敷き詰められた白フェルトも作品だよね。 わずかにゆれる小さな風船、ガラス玉? 鏡に材質不明の板も、あ、鈴もあった。鑑賞者が行き交う姿すら取り込んで景色にしてしまう神業です。そーっと息を吹きかけると小さくさざめくのもまたよき。もしかしたらケースの向こうが死者のゾーンなのかもしれない。 それは普段からそこにあるのに見過ごしているような、まだなにかの形にもなる前の(胎児のような)、あるいは形としての役目を終えた後の、精霊のような魂のようなものに思えてきます。見えるものと見えないものの間にある、もしくはずっとそこにあるのに見過ごされてきた、なにか。お盆に見るに相応しいな。今日は終戦記念日だ。 次の展示室に移動すれば天才の偉業その2。空間との調和が半端じゃない。小さきものに目を凝らし、歩き、しゃがみ、想いを致す。木片の上の毛糸の切れ端、ケースの隅の微細な紙片、木彫の下に佇む陰影、ガラス玉の連なりを透かす光、そっと立てかけられた小枝、キャンバスの絵の具は描いたというより映し取るように。観てると思考と言葉が自然と湧き出てくるのが心地いい。物と物の距離、偶然のような必然のようなバランス、全てを包むような白いフェルト。あるものと、ないもの。 自然光を取り込んだ空間なので、あ今陰ったな、とわかる。真っ白だったキャンバスは時間と共に彩られていく。しかしそれもやがて無に帰すということ。始まりと終わりとその輪廻という永遠。光と影、生と死、黄泉のつがいよ。歩み寄らないと見えない銀のテープ。この展示室は以前は仮囲いがされ絨毯も敷かれていたそうですが、作家の意向ですべて剥がされオリジナルの空間が蘇ったそう。 この博物館には太古のアイテムが多数ある中で、内藤礼の現代美術作品がそっと溶け込む。それによって 生と死や光と陰のように対になるもの、...

水面を覗き込んだら宇宙が見えた

さて。鍵岡リグレアンヌの個展「Undersurface」を鑑賞してきました。6/22〜8/3まで天王洲アイルのMAKI ART GALLERYさんにて。 去年か一昨年の企画展で一目惚れした鍵岡さん、待望の個展です。今回は彼女の代表的なシリーズ「Reflection」をメインにした展示。このシリーズは水面をモチーフに独特の技法で唯一無二の絵画作品に仕上げたもの。その色彩の美しさと、彫刻的な立体感、そして見る人を引き込むリズムが素晴らしいのです。 ちょうど作家さんが在廊していていろいろお話も聞かせていただけました(!)。さまざまな水面を求めて各地に足を運んでいること、ビビっとくる瞬間をひたすら待ち、撮影した写真をもとに水彩画の習作をまず起こすこと(今回はその展示も。見比べるとまた楽しい)。そしてそこから作品に落とし込むこと。 風や波によるゆらぎに同じものは一つとなく、その時々の光や周囲の環境を写し込んだ水面はまさしく一期一会であり、そこで切り取られた瞬間がこういうふうに作品化されるプロセスにまず感動。さらに作品を前にすると、宇宙から見た地球や大陸のようにも見え、無限の広がりが感じられるというのもすごい。ひとつの水面から立ち上がる永遠。刹那と悠久をつなぐアート。大げさではなくそう思うのでした。 うん、作品のリズムがそう感じさせるんだよね。水がひとつところにとどまらないように。命の循環や自然の摂理をも思い起こさせて、ずっと見ていられる。豊島美術館の作品『母型』にも通じる輪廻を感じますね。物質の動きを伴わないあくまで絵画なのにそれを成し得ているという神業作品。背景をうかがえたことでいっそう深く魅せられたのでした。いや本当にいい時間だった。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

横トリ鑑賞。野草のような僕たちの未来

さて。横浜トリエンナーレ行ってきました。リフレッシュした横浜美術館を中心にした国際芸術展。8回目。 今回のテーマは「野草:いま、ここで生きてる」。複雑性を増し、様々な危機に見舞われる現代、それでも時にしなやかに、時に力強く生きている私たちを、野草になぞらえながら問いかけます。 アーティストをディレクターに招聘するのが横トリの特徴で、ゆえにコンセプチュアル。とっつきづらさもありますが、その分深みもあると思います。会場の挨拶文にある言葉が全てという感じだったので、一部引用させていただきますね。 「私たちはささやかに想像してみることを提案します。すなわち、私たちの生とは、任意に結びつき、横につながり、予期せず出会い、他者に対して開放的で、絶えず変化し生成する、そのような野草であると」 多様性や環境に対する個人的な闘争から、歴史的・社会的な国や共同体レベルの紛争までがあふれる世界で、ここに集まった作品群もそういった争いに根差したものが多かったです。会場入って最初に飛び込んでくるのは男女も肌の色も混然としたマネキンで首の上からスマホを持った手が伸びます。多様性や見えない差別を問いつつ、現代のスマホ脳を批判してるようにも見えます。 厳しい環境の中わずかな手元の素材で絵を描くコソボのアーティスト、台湾で働くベトナム人のストライキを再現した作品、鮮やかな壁の前に張り巡らされた有刺鉄線のオブジェなどなど、ワールドワイドなそれぞれのサバイブが可視化され目の前に置かれます。それは苦しさ、厳しさを突きつけてくる。 それでも僕たちは生きているし、生きていかなくてはならない。タフな状況ではあるけれど、古今東西、野草の如く確かに生きてきたわけで、どんな危機も乗り越えられると信じるに足ると思います。あなたも、私も、きっとそれぞれ何かと戦っている。一つひとつは小さな野草の叫びを捨て置くことなく目を凝らし、耳を澄まし、想いを致すこと。それらを尊重し共生することが、大事なことなのでしょう。 美術館の他の拠点とも連携して展開されていますが、願わくば館を飛び出して屋外のパブリックなところでもまとまった数と規模の作品が見られると、より街と人の目に触れて意義が高まるのかなとも思いつつ(難しいですよね)、おかえり横浜美術館! 横浜美術館が閉まってると横浜のアート界隈がやっぱり寂しいので嬉しいです。 美術館横の壁面...

科学で哲学なオラファー展へ

麻布台ヒルズがオープンしたということで行ってきました。神谷町と六本木の間くらいというなかなか行きづらい場所ですね。 お目当ては、麻布台ヒルズギャラリーでやっていたオラファー・エリアソンの展示です。ヒルズの館内にも彼の恒久作品があって、そのつながりでのこけら落としなんでしょうね。 コンパクトな展示ながら十分に心をつかむ内容でした。赤い球体が光を放ちながら回転する作品、ホースから撒き散らされる水の軌跡を暗闇の中で照らす作品、などなど宇宙的?な物理運動を取り入れながら作られているのが特徴的。 乱反射する光を見ながら、モノの見方は角度で変わるよなということを思ったり、伸び縮みする影にいろんなものの因果や影響もまた光の強さや角度で変わるんだよなと思ったり、科学的なのに自然摂理のようなものを感じさせてくれるんですよね。自然と科学はひとつってことだ。一見、不規則に見えるもの。まったくの偶発的なもの。それらも宇宙視点で見ると定められた法則のようにも思えてくる神秘。神の手のような。 だからか、ずっと見てられるんですよね。機械的なのに無機質には思えない。制御されたランダム、ってそれはランダムなのか? みたいな。 光と闇、音と運動、なんだかそこにいると滝行でもしているような(したことないけど)マインドフルネスを感じるのでした。何言っているのかわかりませんが。展示ラストのインタビュー映像もよかったです。 館内の天井にある彫刻作品は、ゴミの燃焼から生まれる亜鉛を再利用しているそうで、環境への意識も。鈍色の多面体は硬質だけど有機的な曲線を描いていて、これもまたコスモを感じるのでした。さすがワールドクラスのアーティスト。たっぷり堪能できました。 麻布台ヒルズギャラリー開館記念「オラファー・エリアソン展 相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」24/3/31まで。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

見える、観る、魅せる。

アーティゾン美術館の『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここにきてやむに止まれぬサンサシオン』観てきました。これは見て良かった! コレクションと美術館がコラボするこの企画、アーティストの編集・キュレーション視点が見れてとても楽しいです。今回は山口さんの思想や技巧がたっぷり感じられて良かった。彼がコレクションの中きらフォーカスしたのは、セザンヌと雪舟で、それらへのオマージュ作品や解説と、既存作品が展開されてました。 最初、全てが斜めに傾いた部屋に入るのですが、いきなり三半規管が歪められてなんなら少し気分が悪くなる(そういうひと向けの注釈もある)。あれは、物事の見方を変えよならメッセージだったのかな。 感銘を受けたのがセザンヌ作品の解説で、その絵画の技法を事細かに紐解いていて、そこまで読み取れるのかと驚き。セザンヌがどんな風に絵を描き、そこにどんな想いを載せていたのかを、想像も含まれるとはいえ精緻に読み解いている。全ての絵描きがそうなのかわからないけど、「見える」ことも「見る」ことも「見せる」ことも、とことん突き詰めている。精神や哲学の領域まで。そのことにとにかく感じ入りました。これぞプロフェッショナル、エキスパート、スペシャリストやで。説得力が半端じゃない。観る、視る、診る、見る、同じ「みる」にも色々あるね。 入り口に本展はスケッチOKとあり、山口さんよりスケッチの勧めの一文もありました。すなわち、書き写すことでよく見るし、よく見ると見えてくるよと。ああ、最初の斜めの部屋もそうですが、視覚体験を問い直し、見つめ直すための舞台だっだんだなここは。表層の情報に泳がされる現代人へのアンチテーゼ。見ているつもりを疑え。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

宇宙遊泳的インシデント

夏休みで美術館もいつもより賑わってますねー。東京駅もすごい人です。 さて。国立新美術館で開催中の「蔡國強 宇宙遊ー<原初火球>から始まる」鑑賞。中国出身の蔡國強さんの個展です。昨日のアーティゾン美術館に続いてこちらも、とっても良かったです!! 会期8/21までとあと少しですがぜひもの。 展示室に入ってびっくり、全部ぶち抜きでどかんどかん作品が並んでいたのですが、その半分近くを占めている<<未知との遭遇>>がすごい! さながらテーマパークのごときインスタレーションで、ワイヤーみたいなフレームで作られた観覧車とかメリーゴーラウンドみたいなのが旋回しています。よく見ると宇宙モチーフで、エイリアンのようなものや月などの造形。LEDがいろんなパターンで光るフォトジェニックさ。素敵。 展示全体が時系列に沿って、蔡國強の歩みをたどります。代名詞的な火薬を作った絵画やプロジェクトがいかにして生まれ変遷していったかがわかって大変興味深かったです。火薬という中国的モチーフでルーツを強烈に意識しながらも、美術界の東西の分断を文字通り爆破してしまうそのインパクト! そしてそこに込められていたのは宇宙からの視点という超ロングスパンかつメタな態度でした。 今ってとかく近視眼的だから、そのスケール感にほとほと感じ入ってしまったのですね。合理性とか生産性とか、宇宙の瞬きの中ではあまりにも小さな話。あの星から届く光は200年前のものなのにあなたたちは何言っちゃってるの?みたいな感覚になりました。 あらためて火薬ドローイングってどう描いてるんだ?って思いましたが、本当に火薬で絵を描いて、火をつけて爆破していましたw その制作ドキュメント映像を見ていて、一瞬の閃光とその後に訪れる闇の対比が興味深く、それは命の儚さともつながっているように思います。星の明滅にも接続しているのかも。姿形は消え去るけど残る火薬の匂いと網膜の記憶。という美しさ。 そういえば北京オリンピックの開会式もこのひとの仕事だったなとか、8年前の横浜美術館での個展のこととかも思い出しつつ、要の東西を超えた宇宙と真理を感じさせる展示なのでした。30年前の作品と、近年の作品が違和感なく共存していたのもすごいし、でもその我々からしたら十分に長い時間も、宇宙スケールで見ちゃうと一瞬なんだよね。光すら届かぬほどの寸...

抽象絵画スペクタクル

書きたいことはいろいろあるのですが、書く時間がうまく取れなくてすみません。 でも。これはどうしても書き残したい! アーティゾン美術館で開催中の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」鑑賞しました。 軽い気持ちで観に行ったのですが、とてもよかったです。何がよかったかというと、最後の「現代の作家たち」のセクションで、文字通り現代作家の抽象画が並んでいるのですがとても好みで最高だったのです。特に感動したのが鍵岡リグレ アンヌさんの作品↓ 「Reflection」というシリーズの2点でしたが、流る水を思わせる色使い、世界地図のようにも見えた奥行きというか広がりの視覚的インパクトもさることながら、これジオラマのように隆起している立体的な作品なのです。解説によるとグラフィートという古典的な壁画の技法に布のコラージュが加わっているそう。初めて、心の底から、この作品が欲しいって思いました。いくらするかわからないけど何とかして手に入れたい。作品集もあればほしい(検索したところ見つからなかった)。 そのほかにも、リタ・アッカーマン、津上みゆき、高畠依子、横澤美由紀といった面々の作品もインパクト抜群でした。めちゃくちゃワクワクした。 展示全体でいうと、抽象画前夜のセザンヌやゴーガンに始まり、マティスにピカソにジョルジュ・ブラックのキュビスム、そしてカンディンスキーやパウル・クレーといった始祖の作品が連なります。やがてその中心はアメリカに移り、ジャクソン・ポロックやクーニング夫妻、マーク・ロスコなども並ぶオールスター的なラインナップで見応えありました。 あらためて抽象画、パッと見からは何を描いているのかわかりません。印象派たちが自らの感性のまま風景をとらえたのち、作家たちは自らの内面に目を向けそれをアウトプットしたのが抽象画だとするなら、それはすなわち心象風景であり前後の文脈や作家の言葉を参照せずに、わかるはずはない。 だから、わかろうとしなくてもいいんですよね。僕なんかはもう見た感じが好きか嫌いかでしかないし、それが何を描いているのか想像したところで正解なんてもはやないわけで。そしてそれこそが醍醐味だなと再確認しました。強い原色、荒ぶる筆致、あるいは薄暗い世界、不思議な幾何学模様。なんだか答えのない今の時代にぴったりとも言えるかもし...

暗闇と信号が問いかける。

レッドソックス吉田選手の無双が凄すぎる。どこまで行くのか!? さて。アーティゾン美術館で開催中の「ダムタイプ|2022:remap」を鑑賞。去年の第59回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館展示に選出されたインスタレーションを、再構成したもの。石橋財団がビエンナーレの日本館建設に深く関わっていることで、帰国展を開催しているそうです。 前情報なく臨みましたが、展示室は照明が最小限の真っ暗な空間に、何かノイズ的サウンドが流れています。会場中心部にメインの展示があるようで人が集まっている。そして周辺には光るクールなレターンテーブルが。音はここから聞こえてくるようです。この音は、世界中の都市で収集されたものだそうで、北京、ケープタウン、チェンマイ、ロンドンなどなど全16都市がその位置関係にあわせて配置されていました。 中心部の展示は、ある映像が床の鏡に映し出されるもの。覗き込むとそれは等高線の描かれた地図のようなものが流れ続けます。キャプションがないので、これはなんだろう?の答えはありません。自分で考え、想像するしかない。地図に見えるけど具体的な場所のヒントがないんだよな。 そのとき、周辺の壁にムービングサインが流れていることに気づきます。「What is the Earth?」「What is an Ocean?」「How many Countries are there?」といった根源的な問いが連なっていました。それを見てやはりこの映像は地図なんだと確信。 地図には文字と数字と線が描かれていますがやがてすべてが崩れて「線」だけに回収され、しばらくするとまた再構築されたりします。僕たちの知識にある国とか町とかってイメージでしかなかったり、普段見ている風景と地図ってかなりギャップがあるわけで、僕たちは情報や知識によって山やら国やら境界線を理解しているんだなと思い至る。 情報量の少ない地図に、謎のテキストとサウンドという極度に限定された情報を前に、自分が何を展開できるのかを試されるような展示でした。情報過多の時代、僕たちはあまりにも外部のイメージからしかものごとを思考できなくなっているのかもしれません。誰だって結局、参照するのは過去の体験と記憶になるのですが、ちゃんと自分の中からそれらを引っ張り出して思索を巡らせるということはもはや新鮮な体験でもありました。 自分の中に潜っていか...

アートは世界の鏡なり。

8年愛用したモンベルのサンダルが潰れたので翌日即補充。定番商品のありがたみよ。 さて。森美術館で開催中の「ワールド・クラスルーム:現代美術の国語・算数・理科・社会」を鑑賞。開館20周年記念展だそうですが、ちょっと前に周年の「LOVE展」やったばっかじゃん!と思ったらあれはもう10年前でした。うそやん。 てのはおいといて。さまざまなものに光を当てその手法も多岐にわたる現代美術はもはや総合学科とも言うべきもの。ということで、アートを国語・算数・理科・社会・哲学・音楽・体育・総合とわけてキュレーションした展覧会。国語なら言葉にまつわる作品が、社会は作品数も多くてさまざまな世相を切り取ったもの、理科は化学を参照したり科学的アプローチを取ったものなどといった具合。 ここ数年森美術館はアジアを意識していると思いますが、今回もやはりアジアの作家が多く出品していました。必然的にアジアの国々の社会を切り取ったものも多いので、地味と言えば地味かもしれませんが、グローバルで観た美術館のアイデンティティとしては正しいんだろうなと思いました。宮島達男さんのデジタルカウンターや、奈良美智さんの絵画、杉本博司さんの写真など日本のスターアーティストの作品も。 アートを入り口に世界のさまざまな物事に触れられること、それらの背景を知るきっかけを与えてもらえるのはとても貴重なことだなと再確認する展示でした。好きだったのはメイン写真の作品でジャカルタの古い自作看板を交換して収集したもの。 しかしお客さん、外国の方がとても多くて驚きました。あと、5/27〜28に行われる六本木アートナイトの作品が屋外に先行展示されていましたよ〜。行きたいな。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。