さて。映画『オッペンハイマー』(2024年公開)鑑賞。原爆の父ことロバート・オッペンハイマー。その世紀の発明は、数多の命を一瞬にして奪い、しかしそれは悲惨な戦争を終わらせるものだった。本年度アカデミーの作品賞、監督賞、主演&助演男優賞ほか7部門受賞作! クリストファー・ノーラン最新作はシリアス伝記映画。インターステラーとかテネットのようなハイパーSFからこういう濃密ヒューマンまで撮れるんだから、毎度のことながらインテリジェンスすごすぎだろと。作り手によってはとっても地味になりそうなところですが、いくつものドラマを走らせ、巧みな映像表現と、あといちばん思ったのは音楽の使い方が神業すぎて、退屈しらずの3時間でした。え、もう180分経ったの!? オッペンハイマー本人はなかなかの曲者で、学生時代にはメンタルもちょっとやられてたり、共産主義者の集会に顔を出したことで疑いもかけられたり。科学者としての実力は確かながらそのこじらせた性格もあって、プロジェクトを共にする仲間たちとも一触即発(他の科学者たちも曲者揃いなんですけど)。 そんな様子を戦後の時間軸に起点をおきながら(こっちがモノクロ)、回想形式で振り返るシナリオ(こっちがカラー)がまずすごいんだよな。オッペンハイマーは善人ではなかったかもしれないけれど、純粋な科学者であり、ある種の犠牲者でもあった。映画的ハイライトをリハーサル実験にもってきて、メガトン大爆発映像と不穏に神経逆立てる音楽で盛り上げつつ、主眼はあくまで数奇な運命を俯瞰することに置いた緻密な構成よ。 「あなたはどうしたいのか、何をしたいのか」と問われるシーンがいくつかあって、オッピーは答えに窮する。いったい私は何をしたのだろうと自問するような。学者として理論を突き詰め、実践に没頭し、衝き動かされるまま、求められるまま進んでいたら、気づけば後戻りできないところまできてしまっていた。その功罪は個人の手にはあまりにも大きすぎて。殺意のあった毒林檎は止められたけど、大義のための原子爆弾は個人の意思ではもはや止めることは出来なくて。 アインシュタインとの邂逅がなんだか胸熱で、彼もまた世界を変え、やがて忘れられていくオッペンハイマーの未来を唯一知る人。2人だけが知る会話に疑心暗鬼にとらわれたストローズのエピソードは、結局のところ真相は当事者にしかわからないことのメタファーに
「よりみち」をテーマに綴ります。お出かけのような物理的なもの、心持ちのような精神的なもの、たしなみのような文化的なもの、全部ひっくるめての「よりみち」を推奨していきます。よりみちしながら、いきましょう。(ブログタイトルは『暇と退屈の倫理学』より借用。基本方針は、2022年1月1日のポストをご覧ください)