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感想_君が落とした青空

 

うかうかしてたらオリンピック始まっちゃいました。追いかけるぞー。

さて。櫻いいよ『君が落とした青空』(2015年刊)読了。今日はついてない日だ。朝ごはんはカレーだし、鬱陶しい雨降りだし、小テストは散々だし、修弥は映画デートに向かう途中でドタキャンしてくるし、最悪の日。そんな最悪の日の終わり、修弥が立ち去った先から大きなブレーキと衝突音が聞こえ、みるみるうちに人だかりができる。嘘、まさか、そんなはずないよね…。次に気がつくと実結がいたのは自分の部屋で、朝ごはんのカレーが待っていた。あれは夢だったのだろうか。あまりにもリアルで最悪な気分を抱えながら実結は、一生懸命思い出そうとする。最悪な1日のことを、そして修弥と付き合ってきた2年間の日々を。


今月映画が公開ということで原作小説を読みました。主人公が悲劇の1日を何度も繰り返すタイムリープもの。実結は、徐々に繰り返しに気づき、最悪のできごとを少しずつ回避しようとするのですが、マンガのようにあれもこれも試して抗って、じゃんじゃん未来を変えていくという感じではありません。抵抗はするものの、それ以上にこの1年うまくいっていなかった修弥との関係を悶々と考え続けます。彼は自分のことをどう思っているのか。別の女と深夜に歩いていたのはなぜか。どうしてそんなそっけない態度なのか。ぐるぐる、ぐるぐる。


ちょっと実結が後ろ向きすぎるので、中盤はもどかしさでモヤモヤ。悲劇を回避するための努力があんまりにもないままに、いつまでもうじうじしているものだから、もうちょっといろいろ試すだろうよ! タケミッチ(東リベ)を見習おうよ!! と思っちゃうのは、タイムリープものをいろいろと見過ぎてるからでしょうか? 


でも。伝えたいメッセージはよくわかるんです。大して変わり映えのない日常を送るうち気づけば何もかもが色あせてしまっていて、いつの間にか大事なものを見落としてしまうこと。大抵それすらも気づかないまま遠くまで来てしまうこと。失って初めて気づく、あるある。まさに実結はその悔いを抱えることになります。同じ1日なんて本当はないし、当たり前の明日がいつまでも来るとは限らないこと。でも、その中にいると、そうは思えないんですよね。


そしてもう一つ。どんな思いも、言葉に、行動に、形にしないと、伝わらないということ。これも、あらゆるところで語り尽くされているのに、どうして上手にできないんでしょうね。恥ずかしかったり、思い込んだり、経験則だったり、いろんなものが邪魔してきがち。もっと素直に、無邪気に、いろいろオープンにできたらいいのだけど。そのジレンマは実結に限らず修弥も抱えていました。


実結はなんとか、本当に少しずつだけど、どうにかこうにか繰り返す今日を変えていきます。意固地な自分を手放すこと。黙り込むのではなく声を出すこと。俯くよりも修弥の顔を見ること。そして、なんとかして笑って手を振ること。ラストはどちらにもとれるような終わり方でしたが、前向きにとらえておきたいですね。きっと読んだ人は、自分の日常を振り返って、身近な人とのコミュニケーションを顧みるのだと思います。もっと大切にしないとって。


この内容を映画でどんなふうに表現するのか興味深いです。小説は実結の内面描写が多いので、2時間にするにはけっこう脚色しないともたないような気もしますがどうでしょう。もう少し実結をポジティブ娘にするのかな? うん、楽しみだ。


ということで。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。



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