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感想_ルックバック

さて。映画『ルックバック』劇場鑑賞(2024年公開)。チェンソーマンの藤本タツキによる青春マンガのアニメ化。マンガを描くことが大好きな藤野は、引きこもりで同じくマンガ好きの同級生京本と出会う。導かれるように二人で作品をつくり上げついに雑誌連載が決まるが二人は別の道を進むことになり…。 周囲の評判がとても良く、58分という尺もありスキマ時間にサクッと鑑賞。THE青春ジュブナイルという感じでほろ苦なあと味。ネタバレを避けるのがなかなか難しいですが、強烈な感動やわかりやすいメッセージよりも、各シーンの意味を考えてるといろんな点がつながって全体像が浮かび上がる系の良作でした。作画もアニメーションも凄く情感あって良かったな。エンディングの音楽も。 自己愛の強い藤野は自身を責めるが、パラレルワールドがその背中をそっとさすってくれる。あっちの世界線でも京本の運命はおそらく変わらないし、藤野と漫画の距離も多分変わらないことを示唆する。人は出会うべくして出会い、別れるべくして別れるってことなのかもしれない。 背景しか描けなかった京本が、物語を立ち上げ藤野を救うくだりがハイライトで、それは藤野との出会いが背中を押してるし、きっと漫画の力でもあるんだろうな。主役ではないとされる、背景もれっきとしたクリエイティブであり、それを作る人々へのリスペクト。藤野のアシスタント探しでも直接的に言及してましたね。人は一人では生きていけないという普遍へのメッセージもあるのかな。 京都アニメーションの事件をこんな風に直接的に描いたのは驚きで、作者なりの追悼や怒りの意味があったのでしょうか。これを使うのはまだ早過ぎるようにも感じましたがニュースで見るのとは違うインパクトがあったので、風化させない意味でもよかったのかな。そして創作に昇華することで理不尽に負けない決意も示してくれたとも思いました。 4コマ漫画というモチーフも良かったですね。とてもシンプルなフォーマットだけどその最小の物語でさえ人を動かすチカラになりうること。藤野キョウの物語はこれからもまだ続いていく。その原点は学級新聞の片隅の四つの四角にあるし、もしかしたらファーストキスというあの作品にも通じるのかも。 創作は誰かを救うこともあるし、時に誰かを傷つけてしまうこともある。無力感に苛まれることも多いけど、たった1人の感動が得がたい幸福感も与えてくれ...

感想_オッペンハイマー

さて。映画『オッペンハイマー』(2024年公開)鑑賞。原爆の父ことロバート・オッペンハイマー。その世紀の発明は、数多の命を一瞬にして奪い、しかしそれは悲惨な戦争を終わらせるものだった。本年度アカデミーの作品賞、監督賞、主演&助演男優賞ほか7部門受賞作! クリストファー・ノーラン最新作はシリアス伝記映画。インターステラーとかテネットのようなハイパーSFからこういう濃密ヒューマンまで撮れるんだから、毎度のことながらインテリジェンスすごすぎだろと。作り手によってはとっても地味になりそうなところですが、いくつものドラマを走らせ、巧みな映像表現と、あといちばん思ったのは音楽の使い方が神業すぎて、退屈しらずの3時間でした。え、もう180分経ったの!? オッペンハイマー本人はなかなかの曲者で、学生時代にはメンタルもちょっとやられてたり、共産主義者の集会に顔を出したことで疑いもかけられたり。科学者としての実力は確かながらそのこじらせた性格もあって、プロジェクトを共にする仲間たちとも一触即発(他の科学者たちも曲者揃いなんですけど)。 そんな様子を戦後の時間軸に起点をおきながら(こっちがモノクロ)、回想形式で振り返るシナリオ(こっちがカラー)がまずすごいんだよな。オッペンハイマーは善人ではなかったかもしれないけれど、純粋な科学者であり、ある種の犠牲者でもあった。映画的ハイライトをリハーサル実験にもってきて、メガトン大爆発映像と不穏に神経逆立てる音楽で盛り上げつつ、主眼はあくまで数奇な運命を俯瞰することに置いた緻密な構成よ。 「あなたはどうしたいのか、何をしたいのか」と問われるシーンがいくつかあって、オッピーは答えに窮する。いったい私は何をしたのだろうと自問するような。学者として理論を突き詰め、実践に没頭し、衝き動かされるまま、求められるまま進んでいたら、気づけば後戻りできないところまできてしまっていた。その功罪は個人の手にはあまりにも大きすぎて。殺意のあった毒林檎は止められたけど、大義のための原子爆弾は個人の意思ではもはや止めることは出来なくて。 アインシュタインとの邂逅がなんだか胸熱で、彼もまた世界を変え、やがて忘れられていくオッペンハイマーの未来を唯一知る人。2人だけが知る会話に疑心暗鬼にとらわれたストローズのエピソードは、結局のところ真相は当事者にしかわからないことのメタファーに...

感想_哀れなるものたち

さて。『哀れなるものたち』観賞。自殺を図ったある女性が、天才外科医ゴッドウィンによって胎児の脳を移植され一命を取り留める。ベラという名を与えられ、身体は大人、しかし精神は子供という彼女は、次第に外の世界に興味を持ち始めて…。エマ・ストーンの主演女優賞はじめアカデミー賞4部門受賞の話題作! 強烈エキセントリック・ファンタジー! 序盤はモノクロでマッドサイエンティスト色が強かったけど、中盤カラーになってからはコメディ色がたちのぼり、やがて終盤は複雑なテーマ性も併せ持つという離れ業! かなり面白かったです。どこから語っていいかわからないくらいの切り口てんこもり。 まずは美術賞取ったビジュアルから。箱庭的なセットと毒々しいほどに華美な背景、そしてベラのめくるめく衣装を見てるだけでも楽しい! はじめは子供の無垢さを表すような白くてふわふわな衣装、外の世界に飛び出しカラーモードになると原色中心、やがて成熟とともに色彩は落ち着きすっかり理性的になった終盤はリトルブラックドレスを思わせる黒と、意味合いもいろいろ込められてそう。時々出てくる魚眼レンズもメタ視点のようでそれも楽しかった。そりゃ賞取るわ。 役者陣も見事で、人の一生を演じたようなエマはもちろん、ドンファンかと思いきやダメンズだったマーク・ラファロの達者さも最高で、特殊メイクもハマってたウィレム・デフォーは今日も快演。その他端役も曲者揃い! このぶっ飛んだ世界に命を吹き込んでましたよね。鶏犬とかもキモカワ!(かわいくないか) 何より考えてしまうのは「理性」についてか。本能のままに生きる子供ベラが知識と経験を得て社会に溶け込み大人女性ベラとなり生きる方針を見つけていく話だったわけですが、その「社会性を身につけること」の喜びと哀しみの両面を描いていたようにも思います。幸福や善悪とは別の、ヒトの定めとしての問いかけ。 良識ある社会の中で、人は本音も本能も本性も隠しながら生きるようになる。でも隠し持つそれらがなくなるわけではないし、悪なわけでもない。程度の差こそあれそういうものを誰しもが持ち、持ち方次第でそれは欠落にもなる。哀れなるものというタイトルの原題はpoor thingsで、poorにはそういう欠損の意味も含まれるのかなと。 この貧しさも厄介で、物理的なものもあれば、精神面での豊かさの対極でもあるわけで、ダンカンやアルフィー...

感想_レディ・バード

ということで、昨日の『バービー』のグレタ・ガーウィグつながりで『レディ・バード』(2018年公開)鑑賞。面白かった。 主演のシアーシャ・ローナンのイメージは自分の中ではかわいらしい少女って感じなのですが、それを裏切るオフビート系の作品でした。サクラメントの女子高生クリスティンは、自らを「レディ・バード」と名乗り(家族にもそう呼ばせる)、日々に退屈し、毒も吐けば衝動的な問題行動も起こし、モヤモヤした「今いるここ」から抜け出したいと感じているガール。うん、わかるぞそういう感じ。 この手の青春イニシエーション系作品は定期的にある気がして、ちょっと前だと『ジュノ』でもう少し前だと『ゴーストワールド』(ちょうどリバイバルしている)とかでしょうか。”普通”とはちょっと違う自分を抱えて、居場所がないはみ出しものたちの自己実現。 レディ・バードはでもその系譜とはちょっと違うのか(ポップではない。でもカワイイ)。母との愛情にすれ違い(いきなり飛び降りる衝撃!)、恋愛にはわりと積極的。でもいい感じの男の子はゲイだし、次の彼は素敵だけど一番にはなれなくて。 なんか上手くいかない。何がダメなのかわからない。自分か、環境か、若さか。恵まれていないわけではないけれど、幸福だとは思えない。母のことは好きだけど、愛されていると実感できない。この街を出れば何かが変わるんじゃないかって思う、第一期青春の日々のもうすぐ終わりのところ。 いろいろ出来事はあるけれど、全体として決定的な起伏はありません。テンションはややダウナー。それがリアルであり、小さなエピソードの積み重ねの中に、彼女の葛藤や変化が映し出されていく心地よさというのでしょうか。観客はレディ・バードの観察者になるけど、詳細な説明はないので想像で話の余白を継ぎ足していく。で、共感したり、しなかったり。でも最後、なんとなくほろ苦さを感じて終わるんじゃないかな。この町を出たけど、あんなに望んでいたはずの未来で待っていたのもなんだか同じようなモヤモヤであり、多分どこまでいってもつきまとうだろう孤独だったという第二期青春の始まり。的な終わり方。 町をよく観察している、それはすなわち愛情だ、というシスターの言葉が素敵でした。初めて助手席から運転席に乗り換えて知った景色。それを母親と重ねて知る感情。レディ・バードはきっと人よりも色々なものが見えすぎるのだろう...

感想_バービー

さて。アカデミー賞も近づいてきたので、ノミネート候補の『バービー』(2023年公開)鑑賞。面白かったわー! オープニングのバービー登場で子供らが赤ちゃん人形破壊するシーンから笑わせてくれて(あれなんかのパロディですか?)、全体でもシュールギャグぽいのが散りばめられた良質コメディ。でもいろいろ皮肉も効いていて、最後はちょっとグッとくるものもあって、おバカな商業映画ではない。 超前時代的アイコンゆえ、現代の価値観とは全く折り合わないバービーをフックにした自分探しストーリーなのですが、近現代の女性の生きづらさとか訴えをリアルに落とし込んだ女性賛歌になってるのが見事。男社会の欺瞞を暴きながらも男たちなりの苦しさも出してくれました。ケンダムランドを作るケンもまた男性性の犠牲者に見えたよね。 みたいな話を、バカバカしいほどにバービー世界を再現し、人間世界との行き来は書割セットでコミカルに描いたのが秀逸すぎるやん。脳みそお花畑なバービーを演じたマーゴット・ロビーも、ダサい金髪野郎の悲哀を出し切ったライアン・ゴズリングも良かった! 謎にゴッドファーザーとかスナイダー版ジャスティスリーグとか映画トリビア入れてくるのも面白かったね。 かと思えば、壁を作って世界を分断するのはトランプ風刺だろうし、死をタブー視するバービーランドの近視眼的危うさはポピュリズムへのアンチテーゼにも思える硬派な一面も。ラスト、バービーが見た人生の記憶は、幸せなシーンばかりで、こんな世の中ではあるけれどその人生には幸福な出来事もこれだけたくさんあると肯定的に人の世を描いてくれてるように感じて救われました。 色んな表層的価値観や役割定義に踊らされがちな昨今だけど、大切なのは自分とは何者かを知ること。完璧だったバービーも、ただの付属品だったケンも、誰かに与えられた設定を乗り越えた先に初めて生きる意味を見出したように。 主演2人の実年齢や、ティーンのサーシャじゃなくてその母が頑張るあたり、この作品のターゲットって古い価値観に縛られるリアルバービー世代の40〜50代なのかもですね。今の子はもうデフォルトで呪い解けてるのかな。解せなかったのはラスト、え、妊娠フラグ?と思ったのですが、あくまでバービーの進化のサイン??わからんかった。生まれ変わって改めて女性として生きることの喜びや幸福の象徴だったのかな。母娘の絆はテーマのひ...

感想_ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

阪神が尋常じゃなく強すぎて心配になります。 さて。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』鑑賞。ブルックリンの配管工兄弟マリオとルイージは、水道管事故を調査中に謎の世界へとワープしてしまう。大魔王クッパに囚われたルイージを救うため、マリオはピーチ姫とキノピオとともに戦いの舞台へ! てことで話題のマリオ観てきました〜。アメリカじゃ批評家は酷評、一般層は大絶賛と聞いていてどんなもんかと楽しみにしてましたが、うん、確かに批評筋にはウケそうにない感じでした! でも、キノコでパワーアップし、ノコノコを踏んづけて、たぬきスーツで空を飛び、甲羅を投げて敵カート撃墜と、マリオカートまで含めたゲーム世界が次々飛び出してくるのは純粋に楽しい。おなじみゲーム音楽もあちこちで活用されてるし、よくよく見ると、ファミコン小ネタもいろいろ詰め込まれているらしいです。もちろん、スターをゲットすれば無敵さ! 僕のマリオ歴はスーパーマリオ1〜3で終了しているので、それ以降に設定変更などあるのか知らないのですが、劇中の兄弟はちょい小馬鹿にされ設定。ルイージは気弱な弟で、マリオは負けん気が強いタイプ。そしてピーチ姫は武闘派でした。スカーレット・ヨハンソン(というかブラック・ウィドウ)かと思ったよ。いや、アンジーかな? そしてキノピオの声はスネ夫でしたよね? クッパは悪者というよりはおバカな感じでしたかね。ピアノが上手でピーチ姫への想いを熱唱する姿はちょいジャイアン風味。小2×3人と観に行きましたが爆笑してました。そこが刺さるのか!  お話はないに等しく、90分の尺でも軽く眠気を覚えるくらいには退屈しましたが、子供達がとにかく目を輝かせて見入る姿が何よりも映画的で、それを見せてもらえたので大感謝の大満足させてもらいました。マリオのすべてを詰め込めるだけ詰め込んだ気がしたから続編はネタなさそうだなとか思ってたら、マーベルよろしくエンドロール後にヨッシー匂わせあったので、続編あるんじゃん! 次はもう少しドラマを作ってくるかもね。僕はルイージの活躍が見たいです(マリオ2だっけ?かはルイージのほうがBダッシュ速くてジャンプ力あるとかだった気がするので、今回のキャラはちょっとイメージと違った)。 てことで次回は小3か4とかになったキッズたちとまた観に来ようと誓うのでした。彼らは鑑賞後、公園でマリオごっこしてたよ。写...

感想_エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

マリオの映画始まっちゃったよ。観に行かないと。 さて。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』鑑賞。経営するコインランドリーの税金問題と家族のごたごたに悩まされるエヴリン。そんなとき、夫の人格が突然別の誰かに入れ替わる。アルファバースから来たというその男、全宇宙の危機を救えるのは君だ!と告げるからさあ大変。わけもわからないままバースジャンプさせられたそこには、別の宇宙のエヴリンが無数にいて…!? 本年度アカデミー賞を席巻した話題作、やっと観に行けるぜ〜!と上映館探したらもうめちゃくちゃ少なくてびっくり。公開2ヶ月経ってないのに? アカデミー賞総なめだったのに?? ミシェル・ヨーのスピーチが感動的だったのに??? でも観たら納得、こりゃ一般ウケしないわ!笑 面白かったのですが、とにかくぶっ飛びまくり! 最初はエヴリンの状況も話の展開もつかみづらいスロースタート。しかし別バースと接続して豹変旦那がウェストポーチ・カンフーで戦うシーンで加速すると、そこからは怒涛のカオス展開! つながるマルチバースの先の世界観がとらえにくいは、それぞれのビジュアルがトリッキーだわ、それらが目まぐるしく動き回るわで、もう大変。キングスマンのようなおしゃれキッチュではなく、キルビルのようなスタイリッシュでもなく、ミシェル・ゴンドリーのようなクラフトマンシップともちょっと違って、エキセントリックとしかいいようがなかったよね。どっからかギャグかわからない珍妙シーンも挟みつつ、でもカンフーは格好いいぜ! でもその裏に流れるテーマはけっこう深い。自分も、家族も、世の中も、あらゆる欠落を抱えてその中で苦悩しながら生きている。抗えない時代を憂い、時に暴力に堕ち、その先の虚無にも苛まれる。今とは違う輝かしい人生があったんじゃないか。ここではないユートピアがあるのではないか。そう思いたくもなるけど、どの宇宙にもやっぱり足りないものはあるし、今あるすべてがそれより大きな流れの中では微々たるものにすぎない。 そう気づいてしまったときにやってくる諦念のようなものを謎のベーグルの輪になぞらえて、エヴリンの娘ジョイはそこに落ちていきそうになります。エヴリンもまたそこにいざなわれながら、踏みとどまる。生きることに何の意味があるかはわからない、何の意味もないかもしれない、でも確かにあなたにここにいてほしいと思...

感想_ドラえもん のび太と空の理想郷

シン・仮面ライダーはPG12なのか〜。長男連れてくのはやめておこう。 さて。映画『ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)』鑑賞。出来杉が教えてくれたトマス・モアの「ユートピア」。争いもなく誰もが幸せな理想郷があったらいいなと夢想するのび太は、偶然裏山の上空に光る島を見つける。ドラえもんにお願いして時空移動ができる飛行船タイムツェッペリンで空に浮かぶその島を捜索しついに発見、そこはまさに理想郷と呼ぶべき「パラダピア」なる島だったが…!? 去年はリトルスターウォーズの焼き直しだったので新作は2年ぶりとなる映画ドラえもん。いやいや今作も泣かせてくれました。大人の鑑賞に耐えうるナイスなドラえもんです。 相変わらずのポンコツのび太が、現実逃避のために理想郷を目指し、そこで何不自由ない暮らしをするのですが、あまりにも不自然で無菌状態の「完全性」に違和感を覚えて…というお話。 ネタバレになっちゃうかもですが、テーマは「みんな違ってそれでいい」ということです。ポスターのキャッチコピーは「僕らの『らしさ』が世界を救う」ですしね。パラダピアにノーを突きつけるのび太が、しずかちゃんの、スネ夫の、ジャイアンの欠点も含めたその個性を擁護する叫びに胸を撃たれました。 後半はそんな感じで泣けるシーンの連打です。のび太とドラえもんの友情が再確認され、ドラえもんはパーフェクト猫型ロボットのソーニャを友と呼び魂で語りかけます。そしてラストの壮絶な別れも…。 ベタな展開ではありますし、あまりにも真っ直ぐで青臭いとも言えるメッセージです。それは道徳の授業のようでもあるのですが、ドラえもんという文脈、テンプレートに乗ることで破壊力抜群になって素直に心に届くように思います。一緒に見た長男も、泣きそうになったと言ってましたよ(どのシーンで?って聞いたら忘れたって言ってたのであやしいけどw)。 そして黒幕はいるものの、決して悪者にはしなかった仕立てもお見事でした。ジャイアンの暴力やスネ夫の意地悪はあんまり肯定しちゃいけないんだけどねー。 ということで大満喫の映画ドラえもん。エンディングでは来年の新作の予告もありました。ずばり名付けましょう。「ドラえもん のび太とオモチャの音楽隊」か、「ドラえもん のび太の夢の音楽隊(マジカルオーケストラ)」。オモチャだと子供っぽすぎるから、後者がいいかな! 今から楽しみ〜。...

感想_スパイダーマン:ノ・ウェイ・ホーム

麻婆炒飯なるメニュー食べましたが、別々に食べる方が好みだなと思いました。 さて。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2022年公開)鑑賞。ミステリオの謀略によって素顔を世界中に晒されたあげく悪評をばらまかれたスパイダーマン。周囲にまで悪影響が及んだことを危惧し、ドクターストレンジに自身を知る者の記憶を消してもらおうとするが術は失敗し異なる世界からピーター・パーカーを知る者を呼び寄せてしまい…。 マルチバースの扉が開いたマーベル、まさかのトビー・マグワイア(さすがに老けましたね)&アンドリュー・ガーフィールド(すっかり大人)登場のスパイダーマン3世代揃い踏みとは恐れ入りました〜! しかもそれぞれのヴィランまで(しかも役者さんも同じで!)引き連れてくるとはね(MJとグエンは来なかった)。でもこの設定自体は、『スパイダーマン:スパイダーバース』で既出なのであれが実写化されたか〜という感じ。 マルチバース&スパイダーマンアンサンブルもかなり楽しいけれど、ドクター・ストレンジのミラー次元での1対1も相当胸熱でしたね。翻弄されまくるスパイダーマンが頭脳働かせて突破するのはお見事! 魔術を数式が凌駕するというのはなんか象徴的でもあるようなないようなな瞬間でした。さすがはMIT進学予定。 ヴィランたちの改心を望むスパイダーマンもよかったし、それぞれのバースからの先輩たちも後悔をここで取り戻すのもよかったですね。「大いなる力には大いなる責任が伴う」のお約束メッセージもしっかり落とし込まれ、最終的なピーターの決断は切なかったけれど、ここからどう話が続いていくのかに期待しましょう(あるのかな、続き?) と、ここまで書いてみてなんかあれですね、面白かったけど大した感想が出てこなくてすみません。 ところで、作中に『ヴェノム』との連動シーンが出てきて、MCUとは別のソニー・スパイダーバースが展開されて、もう全容を把握しきれませんね。そっちも観たいけどとりあえず次はドクター・ストレンジの続編を楽しみたいと思います。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ドリームプラン

iPhoneで映画見るとやっぱりディテールがよく見えないんだよなー。 さて。映画『ドリームプラン』(2022年公開)鑑賞。リチャード・ウィリアムズは娘2人をテニスチャンピオンにすることを夢見て、78頁にも及ぶプランを練った。未経験ながらあれこれ調べて2人にテニスを教え、学業も決して手を抜かない。期待に応えて成長する2人を無償でコーチしてくれる人物を探しあてるが、しかしエージェントの言いなりには決してならない。その少女の名は、ビーナス&セリーナ。いかにして彼女たちは世界を変えたのか。 映画『ドリームプラン』オフィシャルサイト ウィル・スミスのアカデミー賞主演男優賞(と授賞式での殴打事件)作品です。今年はセリーナ引退というニュースもありましたね(ビーナスはまだ現役と言うのも驚き)。そのウィリアムズ姉妹がいかにして育ったか、破天荒な父親にフォーカスした伝記映画。原題は「King Richard」。リチャード王の名に相応しいクレイジーさだったぜ。 話の結末は最初からわかっているわけで、姉妹は史上最高のテニスプレイヤーになる。そこにどんなドラマがあったのかって話ですが、いやいやとんでもないパパだったんだな! 厳しくも娘想いなことはよく伝わるけど、とにかく我が道を行くから周りは大変。自分が選んだコーチにいちゃもんをつけ、エージェントの発言に腹を立て追い払い、娘たちが勝利に喜びすぎると謙虚さがないと置き去りにする始末。 それはもちろん彼女たちを守るためであり、チャンピオンにするためなんだけど、どこまでが許されるのか線引きは難しいですね。毒親と言われてもおかしくないモンスターっぷり。でも、彼女たちは頂点に立つわけだからリチャードの大勝利です。感動のシーンとかはないんだけど、でもだからこそリチャードの信念が際立ちます。最後は妻の言葉にちょっとだけ折れたけど。そもそもこの映画の制作に姉妹が参加しているので、基本的に父のことポジティブに受け止めているのかな。 その根っこにあるのは自らの境遇であり、大きくは描かれないけど差別を受けてきた過去。同じ想いを娘たちには絶対にさせない。白人の食い物にもさせない。娘たちもそれを理解してるからこそ、ちゃんとついてきたのだと思いました。テニスより学業などを優先したのはモダンだとも思うしね。 しかし、ウィリアムズ姉妹って若い頃は編み込んだビーズがほどけてパ...

感想_ケイコ 目を澄ませて

初詣でおみくじ大吉引いた僕です。やったぜ! さて。映画『ケイコ 目を澄ませて』(2022年公開)鑑賞。生まれつき両耳が聞こえないケイコはプロボクサーとしてデビューし勝利をおさめる。次の試合に向けて準備を始めるものの、その心にはボクシングを続けることへの迷いが生じていた。日々の仕事、家族との距離、ジムの仲間との関係。迷いながらも日々は流れて…。 批評家筋から激賞されているというこちら、とても良さそう!と思い立って観に行ってまいりました。なるほど、玄人好みで万人受けするタイプではないと思いますが、とても良質な映画でした。聾唖、女性、ボクシングというキーワードはあるものの、ケイコはスーパーヒーローではありません。傷つき、葛藤し、迷いもがきながら、進む。その姿を安易に語ることなく炙り出していきます。 冒頭、ジムの音が重なり合っていく演出が秀逸で、縄跳びの音、ミットを叩く音、マシンの音、それらが一つずつ重なりあって協奏曲のようになっていきます。さらには街のノイズ、電車の通過音などと合わさって、街全体のざわめきになっていく。 もちろん、ケイコはそれらが届かない世界を生きているのですが、それを露骨には意識させないところがニクイですね。手話も当然出てくるけど、安易にケイコの内面は語られません。だから、想像する。彼女は何を考えているのか。なぜボクシングをしているのか。答えもないし、ヒントも特になかったと思う。だから、無限に想像できてしまう。というか想像するしかない。 途中、ジムのコーチたちが、煮え切らないケイコに苛立ちを見せるシーンが。真面目にトレーニングしていたケイコが知らぬ間に期待していたコーチたちだけど、そこには温度差があった。ケイコ自身にも答えはないディスコミュニケーション。誰も間違ってないのにすれ違っちゃうことってあるんだ。 視力を失いつつある会長と、閉鎖されてしまうジム、少しずつ居場所をなくしていく雑多でノイズだらけの下町の風景。それはセンチメンタルではあるけれど、聴力を持たないケイコは戦えているのだから、何が「ある」で何が「ない」のかの線引きがぼんやりしてくるんですよね。 そんな中で、ケイコの弟の何気ないやさしさと、その恋人(?)のささやかな歩み寄りが心地よくて、3人でボクシングしてダンスするシーンの清々しさよ。それからケイコの対戦相手との偶然のすれ違いもまた示唆に富む...

感想_THE FIRST SLAMDUNK

何度か言ってますがスラムダンクの中では宮城リョータ好きな僕です。 さて。映画『THE FIRST SLAMDUNK』(2022年公開)鑑賞。言うまでもない国民的コミックのアニメ映画化で大ヒット中、原作・脚本・監督は井上雄彦先生。周囲の評判も良くてこれは原作ファン(完全版を何度も読み返しているくらいにはファン)として見ないわけにはいかない気持ちになりました。 率直な感想を申し上げると、スラムダンクとして鉄板の面白さだけど、映画としては特段面白いものではない、でした(お好きな方には申し訳ありませんが)。 山王戦の破壊力はやはり凄くて、背中を痛めた桜木が一度下げられるもまた出ていくところで涙が溢れました。だけどそれは原作で震えたもの以上ではなかったんだよな。むしろ原作にはもっともっと見所があったけど、それはスポイルされてしまったとも思います。「断固桜木」とかカットされてしまったセリフもけっこうあったしね。もちろん仕方がないことでしょうが。 漫画だからよかったタメや、台詞の重み、見開きコマの迫力などが、うまくアニメーション化されていなかったようにも感じました。これも尺の問題なのかなー。最後の沢北の逆転シュートから花道の再逆転シュートまでの演出はカッコよかったけれど。 オリジナルの絵の世界をそのまま使えたのはいいことだと思うものの、個人的にはそこから離れたとしてもより演出性を高めた世界を観たかったようにも思います(どんなのと言われたら困るんですが、新海誠系? あるいはスパイダーバースのやつ??)。動きは滑らかだけど作画が平面的すぎるのがもったいなかったような。漫画にはないちょっとした予備動作とかが描かれているのはよかったけど。 映画オリジナルのストーリーとして、宮城リョータの背景が描かれていましたが、これも個人的にはしっくり来ず。原作の宮城のキャラとブレてるように感じましたし(別バースと考えるべき?)、お母さんの悲しみはわかるけどもうちょっとリョータとのコミュニケーションあってもよかったような。海に息子を奪われその痛みに苛まれてもなお海のある街に住むのもやや疑問(種々の事情があるんでしょうが)。あとリョータ、小さい頃から足は速かったんじゃないのかな〜とか。リストバンド2個着けは原作からでしたっけ?(原作でも着けてました) これらの過去エピソードが合間合間に入るので、試合への没...

感想_ガチボーイ

昔チャットモンチーのライブ行ったなーと思い出した夜。 さて。『ガチボーイ』(2008年公開)鑑賞。プロレス同好会に入部した五十嵐は愛想のいい好青年だけど、メモと写真魔で、何だか覚えも悪いぞ? しかしマリリン仮面のリングネームで迎えた初戦はその必死さが観客に大ウケする。実は五十嵐にはある秘密があるのだった。 公開当時に試写で見てかなり胸熱涙したこちら。でも世間の評価はさほどでもなくてあれオレだけ?て思ってたので確認のためにも再鑑賞しました。 うん、確かに当時の自分は感情移入しすぎてたなとちょっと反省。コテコテのギャグはあえてとしてもやや寒いし(と言いつつ何度か笑った)、泣かせるあざといシーンも目につくし、いろいろ都合が良すぎる展開もある。いくら何でも最後の試合ああはならないだろうと。 でも、それは多分作り手もぜーんぶわかってて、もろもろひっくるめてのプロレス、すなわち興行・エンタメ・段取り・お約束ってことなんだなと思いました。プロレスへのリスペクトというべきなのかも。リアルに寄せるのではなく、この話はこういう形でよかったんじゃないでしょうか。お客さんも仕込みとわかってる、その前提で楽しむ新喜劇方式。原作も舞台だしね、その良さを生かす方向だったのかなとか。 その上で、やっぱり五十嵐の苦悩は本物だと思えるわけで。フラれたことだけは書き残せない切なさも、毎朝絶望しながら這い上がる痛みも、日々増え続けるメモと写真の数に目眩のようなものを感じるだろうことも、家族への何より自分への不甲斐なさも、しっかり伝わってきました。それでもギブアップだけは絶対に絶対にしたくないんだという覚悟も。 それでもカラダだけは覚えていてくれるというのは、運動好きな僕としてはとても共感。どんな困難があっても確かに生きていて、積みあがっていく日常。自分で実感できなくても誰かが見ている(冒頭の「見てくれてるやつはいるんだな」はこの伏線だったか)。そこには少なからず意味があると。 名作と呼べるようなものではないかもしれませんが、僕の心には今回改めてしっかりと刻まれた良作エンタメ。エンディングのチャットモンチーも青春風味で染みたのでした〜。よかったら軽い気持ちで見てみてくださいね。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

さて。ウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2022年1月公開)鑑賞。架空のフランスの街の架空の雑誌の創刊編集長が急死。追悼号であり最終号となるラストイシューの誌面をオムニバス形式で綴っためくるめくる不思議ファンタジー! iTunesレンタル200円でした。去年公開だと思ってたけど今年でしたね。ウェス大好きっ子として外せません(犬ヶ島観てない観なきゃ)。いやもう、徹頭徹尾ウェス・アンダーソンでした。グランドブダペストホテルの箱庭感はさらに進化していっそうの縦横無尽(ライフ・アクアティック感も)、スクリーンサイズもくるくる変わり、衣装も背景も何もかもが美意識の塊。さらにはアニメーションも融合して今回も過去最高にオシャレスノッブの権化! お話は正直よくわかりません。舞台となる街のレポートから始まり、アートエディターによる獄中の天才芸術家と看守とギャラリストの話、学生運動デモに身を投じる若いカップルのルポ、異国で出会ったシェフと誘拐犯とのグルメ探訪(じゃないか)。全部シュール! と言いつつ、そこにあるのはカルチャーと呼ばれるものへのラブレターかなと思いました。雑誌というメディアがまさしくそうであり、古き良き街への愛情(再開発の憂鬱!)、監獄の壁に描いちゃったアート(それをひっぺがす暴挙!)、若者たちの青春(それを奪う体制!)、警察署長の話は…なんだろな、わからないや笑。題材もそうだし、この異常なまでのディテールの作り込みもそうだし、時代と共に失われつつあるものへの愛しみみたいなものを感じました。ちょっぴりの批判も。 そう思うともう一回じっくり見直したくなるな、大きい画面で。誌面のバックナンバーのビジュアルがこれまた素敵だったし(↓画像)。で、相変わらずキャストも豪華で作品ごとにメンツが増えていきますね。イツメンたちの中に今回はティモシー・シャラメにレア・セドゥーも加わっちゃいました。みんなとんでもなく楽しそうだぞ! あまりにも濃密過ぎて一度じゃ全然味わいきれません。なんかこれは一日中家の中でつけときたい感じ。BGMならぬバックグランドムービー。この映画を完全分析した本が欲しいよ!(来年出るっぽい?) いろいろ想いを巡らせてたらカルチャー熱が無茶苦茶高まってきた。「推し」もいいけど、やっぱり僕はいろんなものに手を出した...

感想_すずめの戸締まり

やっぱりスラムダンクの映画観たい気がしてきたけど今日この頃です。 さて。『すずめの戸締まり』(2022年公開)鑑賞。不思議な青年草太と出会った鈴芽は、巨大な怪物と遭遇。その名をミミズという怪物を閉じ込めるため草太は日本中を旅していたが、鈴芽の行動により草太は小さな足の1本取れた椅子の姿にされてしまう。草太を救うため旅に出た鈴芽は、自らの命をかけて過去の記憶と向き合うのだった。 ようやく観れました。そして、泣かされました。失われた者たちへのレクイエムであり、遺された者たちへの讃美歌でした。明確に東日本大震災が下敷きにあるので、震災をどう受け止めているかで感想は大きく変わる気がします。 冒頭から一つ一つのシーンの意味を感じさせるのが新海イズム(シンカイズムと読む)で、玄関の鍵をかけ、自転車の鍵を開けるだけでもこの行為がお話のキーポイントであることが伝わります。鈴芽が暮らす海を見下ろす高台の家もまた過去とのコントラストですね。同じ海が、凶器にも希望にもなる。 終盤、「ここってこんなにキレイだったんだな〜」という何気ないセリフに戸惑う鈴芽のリアクションがありましたが、同じ景色でも持っている記憶によって風景が異なることを示唆していたように思います。こういう何気ない描写にも役割があって、無駄のない緻密さがすごいんですよね。 序盤からいきなりトップスピードな展開は今時のスタンダードで倍速視聴なんてさせないぜ!という心意気も見え隠れ。ミミズの造形や、普段は大地の下に蠢く魂のかたまりっぽい成り立ちはとても日本的でよかったですし、お話の始まりが宮崎なのは、高千穂の天岩戸伝説を借りてますよね。てか鈴芽の苗字が岩戸だしな。『君の名は』もそうでしたがこういう日本的美意識をくすぐるのも新海さんお上手。右大臣左大臣も絶妙なネーミング。 合間にもいろんなドアが登場。コンビニの自動ドア、電車の扉、極め付けはオープンカーの屋根。閉まり切らないルーフからは雨が降り注ぐのも、開いたドアは閉じなければならないというメタファーかな。だとしたらあれは悲しみの雨。我々はあまりにも多くのドアを無責任に開けっぱなしにしているのかもしれません。個人としても、社会としても。 お話のクライマックスは、鈴芽が過去のトラウマと向き合うシークエンス。要石となった草太を救い出す時の、草太の生への切望には打たれずにいられません。あれ...

感想_マイティ・ソー バトルロイヤル

はや今年度半分経過かー。会社でも面談があります。振り返らねば。 さて。マーベルシリーズをディズニープラスで振り返るというか見逃しキャッチアップ。『マイティ・ソー バトルロイヤル』鑑賞。アスガルド崩壊のラグナロクを招くスルトを倒したソー。帰還したアスガルドでは、死んだと思っていたロキがオーディンになりすましていた。本物のオーディンを見つけると、ソーの姉であり死の女神ヘラの存在を明かされる。ほどなく現れたヘラはソーを圧倒しアスガルドは窮地に追い込まれ…。 うん、あらすじ書きながら思いましたが、話の展開がてんこもり。その後ソーとロキはスクラップ置き場のような惑星サカールに囚われ、そこで出会ったのは行方不明と思われていたハルクでバトルロイヤル突入という。脱出するのにひと苦労して、ようやくヘラと対峙するのはラスト30分。 ヘラにケイト・ブランシェットを配しながらも出番が少なすぎるぜ! 特殊メイクでケイトらしさを堪能するヒマもなかったしな。しかも無敵すぎて倒せずに最期はスルトと道連れラグナロクフィニッシュ。うん、邦題も原題のラグナロクにして欲しかったです。 全体的にコメディ感たっぷりで、前作ダークワールド観てないのですが、ソーのシリーズはその路線てことですよね。ロキがすっかりコミカルキャラだし、ソーも軽口が似合うし、グランドマスターの乱行花火で追手を撃退は笑ったよね。短髪ヘムズワース格好よす。 ラスト、雷神覚醒したソーやらハルクやらヴァルキリーやら入り乱れるバトルはさすがの迫力。北欧神話が下地にありながら、すっかり宇宙とSFスペクタクルなのでした。で、今年の夏公開したラブ&サンダーに続く、と。 次は「キャプテンマーベル」見てMCUフェーズ3ひと段落(アントマンは観てない)です。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ブラックパンサー

月見バーガーの季節、気付けば各社それ的メニューあるのですね。 さて。『ブラックパンサー』(2018年公開)Disney+鑑賞。アフリカの途上国ワカンダ。というのは表の顔で、希少鉱石ヴィブラニウムによって世界で最も進化した驚異的文明国だった。新たな王=ブラックパンサーとなったティ・チャラだったが、前王の秘密と、ワカンダを襲う危機に直面。国を、そして世界を守るため、立ち上がる。 娯楽作であるスーパーヒーロー映画ながら当時のアカデミー賞作品賞にノミネートされたことでも話題だったこちら、なるほど確かに重みのある大作でした。監督のライアン・クーグラーに主演のチャドウィック・ボーズマン、その他技術スタッフも含めて黒人&女性が主要な役割についているのも今でこそインクルージョンライダーがメジャー化してきたけど、当時は重要なポイント。 序盤、大英博物館を襲ったスティーヴンスが、ワカンダ由来の収蔵品を奪う際に言った「お前たちはこれにカネを払ったのか?」という言葉は、植民地化され搾取されてきたアフリカの歴史を象徴していて、この作品がもしもアフリカに違う歴史があったならという可能性を示唆していました。 人類のルーツと言うべきアフリカと、その美しき大自然へのリスペクトが全編通して描かれていて、そこに近未来文明が合体したビジュアルのインパクトはすごかったな。ヴィブラニウム、威力が半端なさすぎる。 そしてブラックパンサーのハイパーっぷりもとんでもなくて、バットマン以上のハイパースーツにスパイダーマン的スペクタクルと、ハルクやソー並みの超人ぶりで、さすがはアベンジャーズの一角。チャドウィック・ボーズマンと、敵役マイケル・B・ジョーダンの『クリード』(続編観ねば)に続く鍛え上げられたカラダによるバトルもまた、シンプルだけど映像技術に頼りすぎない説得力あったわ。 ただそういう背景要素とビジュアルに比べると、話の展開はそんなに複雑ではなく、わりと淡々と進んだ印象。ティ・チャラの内面はそれほどフォーカスされず、むしろ悲しい運命を背負ったスティーヴンスに感情移入させられたかな。それだけにこの結末の哀しきよ。ラスト、その実態を隠し続けたワカンダが開国に踏み切り、そのすべてを世界のため使おうとするくだり、分断の壁を立てるのではなく、それを乗り越える力になりたいというのは響くメッセージだけど、ティ・チャラの言葉に...

感想_ドクター・ストレンジ

J2観戦の予定でしたが悪天候なので取りやめ。残念過ぎる。 さて。『ドクター・ストレンジ』(2017年公開)Disney+鑑賞。天才神経外科医のスティーヴンは交通事故により両手の神経を失い、医師としての人生を断たれる。しかし諦めきれず治療の道を探し続けたのち、カトマンドゥの謎めいた施設にたどり着く。そこで出会ったのは、常識を覆される魔術だった。 見逃しているマーヴェル・シネマティック・ユニバースを追いかけていくよ!ということでまずはここから。『アベンジャーズ』で見かけたドクター・ストレンジが格好良かったので期待してたけど、やっぱりクールだったぜ。 あの、パタパタと3Dが改変されていくビジュアルにワクワクして(インセプションぽい?)、時空を捻じ曲げる逆行シーンも胸熱だし(TENET?)、魔術の炎系のエフェクトもオリエンタルでいいよねと、あっという間の2時間弱でした。 でも、ツッコミたいところもけっこうありまして。そもそもスティーヴンの交通事故があまりに迂闊すぎるし、傲慢キャラもちょっとやりすぎ感あったかな。からの魔術師としての覚醒がエベレスト放置だけってのは説得力なかったよね。 もちろん修行はしてたけど、まだまだってところでバトルに巻き込まれたわりには、ヴィランと渡り合えちゃうのはどうかなって感じだし、タイムストーンの力を借りてるとはいえ時空ねじ曲げる能力発揮するのも、都合良すぎるような。 そして肝心なところは、やたらと長台詞で説明なんだよな。エインシェント・ワン、喋ってばっかりだったし、クライマックスの無限ループもちょっとあっさりしたもんでした。 とまあ、いろいろあるけど、それらも含めてやっぱり楽しいMCU。エンドロール中のシーンは、『ソー・バトルロイヤル』と繋がっていると言われると観なきゃいけないような気持ちになるがしかし心は『ブラックパンサー』へ…。劇場作品以外のドラマも観られてしまうDisney+の罠。こりゃ倍速で観るしかないか(冗談です)。 よりみちしながら、いきましょう。やっぱり敵は睡眠なのか!? 今日も、いい1日を。

感想_ムーンライト

JR東日本が、ランダムに行き先を選ぶ「どこかにビューーン!」というサービス始まるそうです。JALもありましたね。使ってみたい。 さて。映画『ムーンライト』(2017年公開)鑑賞。アメリカ南部、シングルマザーの母と暮らすシャロンは周りからイジメの標的とされているところを、ドラッグディーラーのフアンに保護される。彼はシャロンに目をかけるが、シャロンの母はフアンからクスリを買い、やがて薬物中毒に陥るのだった。 アカデミー賞作品賞受賞作で、当時本名視されていた『ララランド』を破ったことで名を馳せた作品。いや、確かに、これは、凄かったわ。ものすごく静かな物語で、説明も、セリフさえも少ないのに、ここまで豊かに語るとはこれぞ映画の本懐!という感じ。 シャロンの幼少期、学生期、そして大人になってからの3つのパートを通して、シャロンの心の中へと潜っていきます。貧困やイジメというバックグラウンドに胸を痛め、寡黙に耐える彼は何を思うのか。壊れていく母と、フアンに救われながらも間接的に母を奪われていることを知ったときの絶望とはいかほどか。そして運命の事件からなにが彼をあれほどまで変えたのか。唯一心を許せたケヴィンとの間にあった感情とは。 これらを台詞ではなく、映像で捉えるのが絶妙です。人物の目を真っ直ぐに捉えたかと思えば、ロングショットで俯瞰したり、言葉で説明しようとすると陳腐ですが、感情に寄り添うカメラワークにぐいぐい惹き込まれる。ごく私的なストーリーが、徐々に他人事ではなくなり、親密なものになっていく神業よ! 自分とシャロンに重なるものはほとんどないのに(もちろん、観る人によって異なる部分です)、愛に飢え、孤独に囚われる彼をなんとか救い出したいと願わずにはいられません。あまりにも変わってしまったシャロンの、唯一変わらなかったこと。その正体は一体何だったのか。愛か、魂か、救済か、希望か、それとも。いつまででも考えていられそうな衝撃の一作。アカデミー賞の名に相応しい作品でした。観ておいてよかった。 わかりやすいエンターテインメントが幅を利かせてますが、やはりこういう体験は捨て難いものです。3つの時代を別々の役者さんが演じているのですが、ポスタービジュアルは3人の顔のコラージュだったこと、今更気付きました。そこもわかりにくくしといたのかな!(違います) よりみちしながら、いきましょう。今日も...

感想_グリーンブック

そういえばマリリン・モンローの映画を観たことないことに気づきました。 さて。映画『グリーンブック』(2019年日本公開)鑑賞。NYのナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップに、その評判を頼りに運転手の仕事が舞い込む。依頼主は、黒人の天才ジャズピアニスト、ドクター・シャーリー。8週間に及ぶアメリカ南部の演奏ツアーを通して、トニーは美しいアメリカの風景と、そして苛烈な黒人差別の現実を知る。 アカデミー賞作品賞を受賞した本作、噂に聞いた通りのフィールグッドムービーでした。最初は反目し合う二人が、いくつかの出来事を通して友情で結ばれ、最後にはクリスマスの小さな奇跡を呼び起こす。友人たちと楽しい食事の後にでも観たくなる、多くの人に好まれそうな映画です。いい感じで笑えるのは、コメディの名手ファレリー監督の手腕と、役作りで大増量した主演のヴィゴ・モーテンセンの達者っぷりのおかげ! フライドチキンのくだり、笑えるぜ! イタリア系移民で、決して裕福ではないトニーも当初は黒人差別を当たり前にしています。それは60年代当時のアメリカでは一般的な光景だったのでしょう。でも、そんなトニーでさえ、ホテルでもレストランでも、そして演奏に招かれた先のトイレでも差別を受けるドクターの姿を目の当たりにして、憤りを覚え始めます。もちろん、観客もその目線を追体験しながら、自然に憤慨。 そうなることをわかっていながら、ドクターがなぜ南部ツアーに出たのか。それについて明確に語られるシーンはありません。暴力とは違う形でのメッセージであり抵抗なのか、彼自身のアイデンティティを巡る旅なのか。差別される側でありながら、一般的な黒人とは全く違う立場にあるため、同胞である黒人からも奇異の目で見られるその孤独は、想像するだけで胸が痛みます。何かを変えたかったんじゃないかな。それが何かはわからないけれど。そういう焦燥ってあるような気がします。 トニーもまた決して順風満帆の人生ではなかったでしょうが、ドクターの才能を理解し、その孤独を受け入れていく。クライマックス、ずっと耐えてきたドクターはトニーとともに戦い、傷つきながらも音楽に救われ、そして最後には良心に触れる。現実は決して変わらないとはいえ、その後も二人は親交を深めたというのだから、運命の出会いだったのでしょうね。未来への小さな希望だったかもしれない。 題材の重厚さを考...