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感想_成瀬は信じた道をいく

さて。昨日の続きです。宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』(2024年刊読了)。滋賀が生んだスーパーヒロイン成瀬の脱力冒険譚、第二弾です。 基本構成は前作踏襲で、奇才成瀬の周辺の視点でお話が展開されていきます。成瀬ファンの小学生、成瀬の父親、成瀬のバイト先のスーパーにくる客、成瀬と観光大使をやることになった女子大生、で最後は島崎に戻ってくると。微妙に時系列は行ったり来たりしてたし、最後は未来だったな。 前作よりも、成瀬の武士感が高まった気がしました。そう、成瀬は武士なんですよね。スマホを持たず(後半持ったけど)、口調も武士のそれで、タイムスリップものみたい。ああそうか、この小説は成瀬という異分子を通して、その周辺の人々のドラマを描いていたんだな。と今更気づいたのでした。 『不適切にもほどがある』ってドラマ(見てません)もやってますが、日常に異物が入ることで気付かされる、「普通」とされていることの違和感をあぶり出す方式。成瀬が特殊だから成瀬の物語だと思ってたけどそうではなくて、成瀬と触れ合うことで小さな疑問や変化が生まれること、どちらかというと読者はそちら側に感情移入していく作品なんだなと腑に落ちました。 島崎が成瀬に引っ張られて大胆になり、男の子はその真っすぐさに恋をして、みらいちゃんは他人に合わせなくてもいいんだと知り、篠原かれんは映えなくても大丈夫だと思えた。『ダイヤモンドの功罪』って漫画もある意味同じかもな。天才が生み出す不協和音の物語。綾瀬川の内面があまり描かれないのはそういうわけか。こういうフォーマット、上手いですね。 ちと話が脱線してますが、でもやっぱり僕は成瀬のことをもうちょっと知りたいなと思うのでした。彼女が何を考え、何を見ているのか。最後の紅白はちょっとやり過ぎな気もしましたしね。あとお父さん、18年も一緒に暮らしてるのに慣れてなさすぎるだろ。 ぐだぐだ言いましたが、第3弾出たらたぶん読んじゃうと思います。成瀬、ありがとう! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_成瀬は天下を取りにいく

さて。宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』(2023年刊)読了。滋賀県の中学生、成瀬あかり。走るのは誰よりも速く、頭も切れる。けど、変。徹底的に変。200歳まで生きると豪語し、この夏は閉店が決まった西武大津店に毎日通うと言い出した。成瀬あかりは、どこへ向かうのか!? どうやら本屋大賞の本命らしい本作。1月に続編も出て、実は去年から同僚に借りたまま眠らせていたのですが周りが感想を語り合っているのについていきたくてようやくページをめくりました。面白かったです。 成瀬は平たくいって変人なのですが、そこは深掘りせずにわりと低体温に進みます。成瀬は何を考えているかよくわからないまま、成瀬を見ている周囲の目線で話は展開。最初は同級生の島崎。次は同じ町に暮らすおじさんのエピソードに移り、いつの間にか成瀬は高校生になって元同級生視点、広島の高校生男子、最後は第三者視点になって終わる。つまり連作短編集でした。 いちばん好きだったのはM1に出るやつと、男子高校生の章で、つまりは青春ぽいやつが好みってことですね。でも全体通して、成瀬の解像度は結局上がらないままで、あんまり成瀬が出ない話もあるし、体温も低いまま。なんとなく消化不良な気持ちでした。サクサク読めるし、つまらないわけではない。でも「かつてなく最高の主人公」という帯のコピーは誇張だろうと思いましたよ。 確かにスペック的にもキャラ的にも奇才であることは確かなんだけど、輪郭だけで中身がわからないもんだから感情移入できなくて。滋賀ローカルふんだんなのはよくわかった。 こんなに話題になるほどかなぁ、なーんてちょっと斜に構えながら本を閉じたのですが、続編を読んで少し感想が変わったのでした。続きはまた明日。 よりみちしながら、いきましょう。滋賀っていいよね。今日も、いい1日を。

感想_おかえり横道世之介

あんまり暑いので扇風機を出しましたよ、2台同時に。 さて。吉田修一『おかえり横道世之介』(2019年刊)読了。あの横道世之介が帰ってきた! 就職活動はさっぱりうまくいかず、バイトとパチンコで食い繋ぐ24歳になった世之介。そのパチンコ屋で出会った新たな友達、大学時代の親友とひょんなことから出会ったヤンママ家族、やっぱり世之介は頼りなくて、ボンクラで、だけどどうしようもなく憎めなくて。 なんだか大学時代よりダメになった気のする24歳の横道世之介。流れるままにフラフラと過ごし、ヤンママと親しくなってその実家の世話になるってどんな流れだよ!って感じですが、世之介だとなんかそれでオッケー。 大学時代ほどのキラキラした感じはなくて、もう少し世知辛さや社会のやや日陰っぽいところが舞台になっています。バブル崩壊後の元気がない世相も取り込んでいるのかな。それでも世之介は世之介のままで、そういう劣等感や差別的なものに一切加担しません。いつも通り、今まで通りに、打算なくフラットな世之介のままでいてくれるからどうやっても応援したくなる。 前作同様に、1年間を追っていて、合間に登場人物が世之介を振り返るモノローグが挟まれます。なんと東京オリンピック開催の2020年も物語に織り込まれそこからの視点になっていて(まさか延期になるとは知る由もなく)、よりドラマチックな仕立てでした。ただ、キーパーソンぽい感じだった浜ちゃんのエピソードがあんまり掘られなかったところはおや?って思いましたが。 ラストに思いっきり書かれている世之介の善良さについて。ああそうか、善良なんだな、世之介のいいところってと腑に落ちました。フリーターだし、まるで頼りないけれど、シングルマザーにも親友にも訳アリそうなパチンコ仲間にもお隣の異国人にもフラットに接することができる世之介。人を疑わず、貶めず、あるがまま受け入れられること。 多様性とかボーダレスとかそれっぽい言葉が飛び交うけれど、先入観なく人と向き合えることがどれほど貴重なことか。自分にはほんとなかなかできないことだから(頭ではわかっているつもりでも)、やっぱり世之介が眩しいよね。頼りないと言われながらも、やる時はやるところもカッコいいんだぜ。 文庫版のおまけで、映画を撮った沖田監督と高良くんの対談があって、やっぱりまた映画が見たくなってしまうというね。むしろこの続編も撮っ

感想_横道世之介

『永遠と横道世之介』が発売されていますね・・・! ということで。吉田修一『横道世之介』(2009年刊)読了。大学進学を機に長崎から上京してきた男、横道世之介。名前も面白いが、本人も面白い愛すべきボンクラ男。流れるままにサンバサークルに入り、超お嬢様とのお付き合いが始まり、周囲の人を微妙に巻き込みながら過ぎていく、愛すべき青春の日々。 この小説を原作にした映画が大大大好きで、いつか読みたいと思っていた原作をついに手に取りました。あらためて、映画はとても原作に忠実だったんだなぁと確認し、どうやっても世之介は高良健吾君になり、祥子ちゃんは吉高由里子になってしまい、倉持は池松壮亮君になってしまいますよね。なんて愛おしい世界なんだ。 映画にはなかった(よね?確信ないが)、世之介のおばあちゃんの死が描かれていて、それはそこまで重要なシークエンスではないと思うけど(だから映画ではカットされたんだよねきっと)、原作にしかない部分なので読めてよかった気持ちになりました。 あらためて、世之介の持つ類まれなる善良さのようなものに触れて心が温まります。そしてその明るさに。闇雲な希望とか、現実味のない理想とかではなく、いつだってそこにいそうなのに、実際にはなかなか手に入らないこと。でもきっと僕たちはちょっとなら世之介に近づけるはず。全部が世之介になるのは難しいけれど、少しずつ世之介を自分の中に取り込むこと、彼の居場所を持つことはできるんだろうなぁと思いました。 それって何なんだろうと思うと、打算のない素直さかなーと。情報と同調圧力が渦巻く中で、正解かどうかなんて気にせずに感情の赴くままに行動する世之介への憧れの気持ち。僕自身はどうしても空気を読んで計算して日々立ち振る舞ってしまうから、その対極にありそうな世之介に惹かれてしまうんだよね。祥子も同じかなー。似たもの同士。 ということで、小説版も素晴らしくよかったので、映画とセットでマスターピース入りが決定しました。ラストお母さんからの手紙に「世之介に出会えたことが自分にとって一番の幸せ」という言葉がありますが、僕も同じ気持ちです。一番の幸せはさすがに言い過ぎだけど、出会えて幸せなことは間違いない。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_天才はあきらめた

『たが、情熱はある』は観てません。ドラマ好きなのに観てないなー。 さて。山里亮太『天才はあきらめた』(2018年刊)読了。南海キャンディーズの山ちゃんのお笑い芸人としての半生をまとめた自叙伝。面白かったです。『天才になりたい』(2006年)の大幅な加筆修正だそうで、そっちは読んでない。 僕は南海キャンディーズの漫才も観てなければ、山里さんのテレビやラジオもほぼ触れてないので、おかっぱスカーフで毒吐くインテリ芸人というイメージでしたが、まあそのイメージ通りでありつつも、圧倒的努力の達人ということがわかりました。 普通の人なら諦めたら腐ったりする場面で、彼はなんやかや半ばキレながらも退路を絶ち、言い訳をねじ伏せ、嫉妬を全開に、目標へ向かって前進する。お笑い芸人の世界はわからないけど、ネタをノートに書き続け、言葉を磨き、コンマ単位の間合いをログする人はどれだけいるのでしょうか。この圧倒的なエナジーは誰にも真似できないと思う。情熱はある、ってこのことかと思わされる熱量。 戦略的なそのやり口は、インテリジェンスあってのものだと思うし、いわゆるPDCAを本気で高速回転させているのだろうことが、数々のエピソードからわかります。それは真似したくてもできないレベルですが、その根底とも言えそうな部分であり、僕が最も共感したのは「やりたいお笑いがない」というくだり。誰かを笑わせるのは好きだしそのために努力しているけど、自由にやっていいと言われたら迷子になる感じ、僕にはとてもよくわかる。 そんな時でも山ちゃんは圧倒的な努力で乗り切り、成り上がり、それでもまだ歩みを止めずに進んだからこその今なんでしょう。僕にもまさに、「何者かになりたい」思いがいまだに燻っていて、でも山ちゃんのような圧倒的努力ができていないことを突きつけられるほろ苦さも含んだ一冊。もっと頑張らないとなー! 文才もあるなーと感じさせる山里さんは、同い年。あとがきはオードリーの若林さんの愛ある寄稿でしたが、もっと周囲からの山ちゃん評も読みたくなりました。なんだかんだクセはありそうだし、どう思われてるんだろ。 ま、山ちゃんへの最大のシンパシーは蒼井優ちゃんが好きだ!ってことなんですけどね。もっと頑張らなくては! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_<叱る依存>がとまらない

アンガーマネージメントにも興味がある今日この頃。 さて。村中直人『<叱る依存>がとまらない』読了。部下を、子供を、つい叱ってしまう。その日常的な行動には叱る側の依存性があった。臨床心理士の著者が「叱る」のメカニズムを解き明かし、叱らない社会をやさしく説いた1冊。 7歳と2歳の子供を持つ生活は、日々のあちこちに「叱る」が潜んでいます。前を向いて歩きなさいとか、ごはんこぼすなとか、いたずらするなとか、早く支度しなさいとか…。そんなのはどこでもそうだと思うのですが、「程度」がわからないのですよね。どのくらいがしつけや教育の範囲で、どこからそれ以上に逸脱してしまうのか。そんな自分の悩みの出口を求めてこの本を手に取りました。 なお、自分は対子供で考えていましたが、この本は対部下や後輩というのも大いに含まれています。 本書の大きなポイントは叱るという行為は、叱る側の欲求を満たすものであって、叱られる側を変える効果は非常に弱いということ。「本当はこんなこと言いたくないけど仕方ないから」と思いながら叱っているつもりが、実は「叱りたくて叱っているだけ」ということです。独り相撲かよ! もちろん、相手に変化を促したいという気持ちは間違いなくあるのですが、叱るというのは手法としてまったく有効じゃないと言うことです。でも、叱ることで相手が言うことを聞いたように見えたり、萎縮したりするから勘違いが生まれてしまい、その実本質的には何も変わっていなかったというオチ。こうして「何度言ってもわからないならこうだ!」的な負のスパイラルが生まれ叱る依存はエスカレートしていくと。 実験データや専門的知識をもとに語られているのでこのロジックはとても腑に落ちますし、確かに怒ってみせたり、きつく言い聞かせたところで、相手が何にも変わらないというのは実感もあります。子供もそうですし、対大人でもそう。自分が叱られる立場で考えても「この説教早く終わらないかな」とか思ってたりしますよね笑(いや、自分に非があればもちろん認めますよ…)。 叱るの持つ効果は、例えば道路に飛び出す子供を止めるような無条件の危機介入・抑止力のみのようです。とにかく何が何でも止めなきゃいけないときだけ。なので、相手に本質的な改善や理解を要求するならば、叱る以外の方法を模索した方が良い。 子育て8年目に突入した今、これはなんとなく思うところなのでした

感想_秀和レジデンス図鑑

能登の地震被害が心配ですと思ってたら未明の千葉の地震で飛び起きた。のは少し前の話。 さて。『秀和レジデンス図鑑』(2022年刊)読了。知る人ぞ知るマンション「秀和レジデンス」。青い屋根と白塗りの壁が特徴的なこのシリーズは、1960〜70年代に多く建てられ、その印象的なルックスから一定のファンを獲得。そんな秀和のすべてをまとめた一冊。 ミーハー心で秀和レジデンス物件に10年くらい住んでいたのですが、こんな本が出ていたとは知らなかったぜよ! 都内各地で見かけて洒落てるな〜と思っていたり、知り合いが実際に住んでいたりしたので、ちょうど家探し中に出物を見かけたのでこれ幸いと入居したのでした。 一世を風靡してその後バブル崩壊で衰退したらしいというのはなんとなく知ってましたが、当時の秀和の代表の方は長者番付3位になるほどだったこと、住宅ローンや管理組合という仕組みを作ったのものその代表の小林さんだそうです。それは全然知らなかったぜ。すごいな。 紙面では、現在の住人の方のお部屋を撮影しインタビューしながら、建物としての特徴をひとつずつまとめていくスタイル。同じ白塗りの壁でも物件ごとにいろいろ模様が違うことや、実は青い瓦屋根以外にも赤や黒もあったこと、うちにはなかったけど特徴的なタイルの玄関アプローチやステンドグラスもあったんだね、と住んでいる時は気付いてなかった発見がいっぱいでした。 中古リノベマンションが一定の人気を集める今だけに、ヴィンテージマンションとして秀和も根強い需要はあるみたい。紙面に出てくる人もだいたい素敵にアレンジしていました。ただし秀和に限らず古いマンションは給排水管などの内部は築年数相応のガタがきていることは間違いないので、ちゃんと修繕が行われているか、計画があるかをチェックするのがマストだそうです。そんなチェックしなかったけど住んだ物件はちゃんとあったのでよかったな。階下の住人さんから子供の足音がうるさいというクレームは来ちゃったけどね。 今も中古リフォーム物件に住んでいることもあり、ピカピカ新築よりも、こういう味わいのある建物を好きにアレンジするほうが好みな僕なのでした。今度かつての住処の近くに行ったら、秀和ディテールを確かめてこよっと。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する(小説2巻、漫画5巻)

阪神にも村神様が誕生して嬉しいです。まだまだこれからでしょうけれども楽しみ。 さて。『追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する』小説2巻と漫画5巻読了。マジックワールドの世界を転生前のゲーム知識によって攻略していくエルマ。しかし、ダンジョンでは前世ではありえなかった不可解な現象が発生、極限の戦いを強いられて…! 小説1巻に魅了されて漫画を読み始めて、続きが読みたいな〜と思っていた本作、ついに小説2巻が出たのでした〜。漫画のほうは小説2巻の1/3くらいまできております。 あらためて安定した筆力としっかり詰められた設定が楽しめる本作。快調にスキルアップしていくダイナミズムが楽しめます。やっぱ最初から最強無双よりも、無双なんだけど一歩ずつ進化していくほうが楽しめるように個人的には思うな。 しかも、次々と上位概念の設定が出てきて、ゲーム攻略の楽しみから想定外の進化が2段階用意され、さらにはその世界そのものを揺るがす黒幕の存在まで匂わされて、とてもよくできている。さらに最後には本編から少しズラしたサブゲームのエピソードも盛り込まれてバトル一辺倒じゃないのもいい塩梅。 キャラもよくできてて、冷静かつ大胆で頭も切れる主人公エルマに、お調子者ながらもやるときゃやるルーチェを軸に、新キャラたちが周辺を賑わしてくれて飽きさせないんだよね。今の所原作の面白さに対してコミックは忠実ではあるものの本質的な面白みは表現しきれていないようにも感じますが、このまま両方楽しませてもらいたいと思います。 小説3巻が早く出ますように。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_パレードのシステム

秋の米国旅行に向けてDuolingoというアプリで英会話勉強始めました。 さて。高山羽根子『パレードのシステム』読了。祖父の葬式で見つけた遺品から知った、彼が日本統治時代の台湾で生まれたという事実。それをきっかけに、ひょんなことから知り合いとともに参列することになった台湾の葬儀で、私は美大時代の友人の死と、私たちを含む生と死のシステムについて思いを巡らせる。 高山さん、芥川賞作家ということですが、初めて手に取りました。主人公は新進気鋭のアーティストとして脚光を浴びていて、美大時代の話など、なんとなく興味と多少の知識のある分野なので入りやすかったです。 淡々とお話は進んで、特別ドラマチックな展開があるわけではありません。でも終盤にかけて少しずつ熱を帯びていく展開はお見事。私たちが生まれ、ある種のシステムの中で日常を送り、やがて死を迎えそれもまたシステムの中に回収されていく。全てを飲み込み網羅するようなそのシステムの中で私たちは自らの生をどう捉え、いかにして暮らしていくのか。 細かい言及はないが、主人公は顔をテーマにした作品を作っているらしい。顔というあらゆる人で違う唯一無二のものもまた、顔という概念においては絶対性をなくしシステムに組み込まれうること。その一方で、彼女が亡くした友人は打ち捨てられたミニカーなど無機的なものを使ってオリジナルの作品を作っていたそうだ。最後の瞬間まで。その対比もまたメタファーに富んでいる。 最後まで明らかなテーマ性のようなものも見えにくいし、受け取りやすいメッセージがあるわけでもない。でも、だからこそ、いろいろな余韻と解釈が生まれて、そこに身を委ねる心地よさがある。後半にかけてだんだんと沼にはまるように面白く読んだけれど、言語化して感想を述べるのはとても難しい。し、おそらく読むたびに少しずつ印象を変えるタイプの作品だと思うので、2度3度と読み返したいと思うのでした。 しかし、この本を読みながら、小説って流行らないよな〜と、ふと思ったのですが、それはまた今度。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_異世界のんびりキャンプ

あろうことかエイプリルフールをすっかり忘れていて、嘘つかなかったなー(嘘ではありません)。 さて。長野文三郎『異世界のんびりキャンプ』読了。限界社畜サラリーマンのアキトが、今日も今日とて長時間労働の帰り道に迷い込んだのは、異世界のとある島だった。そしていつの間にか手に入れたのは「キャンパー」なるジョブで。聖獣の住まう島で、貴族令嬢と出会うアキトのキャンプ生活は果たして!? めちゃくちゃ、めちゃくちゃ、面白かったです! とにかく語り口が最高で、穏やかながら軽妙洒脱、笑わせてくれるの感じは誰かに似てるな・・・そうだ、森見登美彦さんだ! よし著者の長野文三郎さんのことはこれから異世界の森見登美彦と呼ぼう。いやむしろ、森見さんが京都の長野さんだったのか?(意味不明) 冗談はさておきまして、キャンパーのジョブは、様々なキャンプスキルを取得していきます。テント系、料理系、鑑定系などいろいろ。毎日少しずつポイントを取得しながらスキルツリーを伸ばしていくので、その着実な成長感が心地いい。しかもストーリーを上手に展開させながらスキルの説明がなされていくので、まどろっこしさも分かりにくさもない。こういうのができるのって、お見事な腕前です。 話も面白くて、貴族令嬢は訳ありのドリルヘアーで、そそっかしいけどめちゃ強くて世間知らず。そんな彼女がキャンプとアキトに知らず知らず惹かれていくのがいいのよね。サブキャラとして出てくる、食いしん坊猫や、憎たらしい鳥もいいアクセントで、極めつけは矛盾と葛藤を抱えた人見知りのアシカね。是非読んでほしいわ。 ということで、異世界とは思えない滑らかで上質なこの味わいは、是非多くの人に知ってほしいところ。超おすすめです! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_駆け出しクリエイターのための時間術

トリキバーガーってあるんですね。鳥貴族さんのチキンバーガー専門店。 さて。三浦崇典『駆け出しクリエイターのための時間術』(2023年刊)読了。著者は天狼院書店の経営者であり、雑誌「READING LIFE」の編集長であり、「秘めフォト」フォトグラファーであり、著書多数。マルチタスクなパラレルキャリアの中でハイパーに仕事し続けるその原動力とも言える「時間術」をまとめた一冊。 駆け出しクリエイターのための時間術|玄光社 とにかく上に書いた以上の肩書きと仕事量をどうやってこなしているのか不思議だったわけですが、本書を読むことでその秘訣が明らかにされます。とにかく徹底的に時間の無駄を排除し、時間当たりの生産性を上げ、それをフル回転でドライブさせていく。そんなことできるのか?って感じですが、とても理性的にロジカルに組み立てられているメソッドなので違和感は全くありませんでした。 例えば、「予定のブロック化」という方法。とにかくこのタスクはここでこなす、という予定を抑えてしまいます。そしてその中でやりきる。とてもシンプルだけど、僕自身で言えばここができていない。なんとなく今日の午前中にここまで進めたいなとは思っているものの、その間に他のメールを返信しちゃったり、飛び込んできたLINEを見てしまったり。それが生産性を落としてしまっている。分かっているけど管理できていないんですね。著者はそこを意識してコントロールしている。 あるいは仕事には想定外がつきものだと思いますが、著者はここの対策も施しており、木曜日は丸々この想定外を処理するための「調整枠」にしているのだとか。この枠があることで、不測の事態に慌てることはないし、ここでカタをつけると決めていれば既存の仕事にも差し支えなく、もちろんこの枠の中でイレギュラーを潰していく。うーん、ためになるぜ。 という方法論が余すことなく綴られているわけですが、一番大事なことは、「なんとなくやり過ごしてしまうもの」を徹底的に可視化して、その上で対策を立てておく。ということだと思います。これができるか、できないかが、仕事のできる・できないを分けていると言っても過言ではないでしょう。僕を含む多くの人がおそらく、ことが起きてから考え始めている。この時点で出遅れてるってことですね。リスク管理。 実はここにも秘密があって、著者は一番の敵はストレスだと言います。

感想_HELLO,DESIGN 日本人とデザイン

節分で鬼に扮したところ、2歳半の次男に父親であることを見抜かれてました。 さて。石川俊祐『HELLO,DESIGN 日本人とデザイン』(2019年刊)読了。10年ほど前?から提唱される「デザイン思考」。でも、日本ではその語感から「見た目のデザイン」「クリエイターのためのもの」として誤解されている部分も多い。そこに危機感を持った、ロンドンでデザインを学びデザイナーとして活躍してきた著者が、わかりやすくデザイン思考のイロハを紐解いた一冊。 「デザイン=design」の言葉の意味には、形や意匠を作るという一般的なものの他に、もう少し広義にとらえた「目的のための立案・設計」というものがあります。ものに限らずプロジェクトや組織、生活様式、概念といった無形のものも含まれていて、そのニュアンスが日本だと抜け落ちている気がしますね。著者が危惧しているのもまさにそこで、デザイン思考って本当はこの広義の意味での「設計」を大事にすることだということを、さまざまな事例を用いて優しく説いてくれます。とてもわかりやすく納得感ある。 デザインを「設計」という日本語に置き換えるとしっくりくる気がしますね。目に見えるものであれ、見えないものであれ、そこには目指すべきゴールがあり、そのための土台作りや導線作り、そして見た目の装飾まで、一つひとつを設計することが必要です。ゴールが曖昧だと何でもありになるでしょうし、使う人のことを無視したら不便なものになってしまう。 そこから大事なことは2つあって、まずは「創意工夫」。今あるものより、もっとよくすること。現状の延長線にある改善ではなく、もう少し大きな視点で根本から見直して設計し直すこと。これがデザイン思考の本質だと僕は読み解きました。 もうひとつ必要なことが「問いを立てること。課題を見つけること」です。これからは問いを立てる力が重要というのは数年前から言われていますが、まさにデザイン思考の文脈でも同じことが述べられていました。今あるものを疑い、もっといい仕組みはないか考える。そのためによく観察すること、インタビューすること、多様な意見を集めることなど、具体的なメソッドが豊富に紹介されていました。 課題を見つけて創意工夫を設計する。この一連の流れがデザイン思考。小難しく聞こえてしまうかもしれませんが、本書を読むと、案外身近なものとして理解できると思います。ビ

感想_事業を最速でスケールさせるフランチャイズの始め方

半年やってようやく水泳力が戻りつつある。がんばろ。 さて。浅野忍土『事業を最速でスケールさせるフランチャイズの始め方』(2022年刊)読了。フランチャイズ支援のコンサル企業に勤め、いくつもの著名フランチャイズの事業拡大に貢献。後に独立し、みずからもFC本部運営を行う筆者による、フランチャイズの始め方虎の巻。 フランチャイズはもちろん知ってますが、それが何と言われたらきちんと答えられない僕。ビジネス全般にも疎いので、勉強になればと読みました。知ってるようで知らないフランチャイズのこと、とても勉強になりました。 直営では難しいスピード感で短期に事業拡大できるというそもそもの意義や、具体的な進め方の手法、いかにしてフランチャイズを拡大し利益を上げていくか。経営者のみならず、いちビジネスパーソンとしても視野を広げるきっかけになる一冊かもしれません。 自分の仕事の領域でいえば、TSUTAYAさんが大きなフランチャイズ展開をしているので、ふんわりとしていた本部と加盟店の関係性を踏み込んでイメージすることができてとても役に立ちました。自分の仕事など身近な領域に引きつけて考えるとより、有益に読める本だと思います。 いろんな本を読むのは勉強になりますね。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 【知り合い著者シリーズ】 感想_台湾はおばちゃんで回ってる?! 感想_事業を最速でスケールさせるフランチャイズの始め方 感想_HELLO,DESIGN 日本人とデザイン 感想_駆け出しクリエイターのための時間術

感想_台湾はおばちゃんで回ってる?!

実家からもらった大量のミカンを消費する日々です。次男が爆食い。 さて。近藤弥生子『台湾はおばちゃんで回ってる?!』(2022年刊)読了。台湾でノンフィクションライターとして活躍する著者が、自身のさまざまな経験をもとに綴ったエッセイ。「読んで旅する、よんたび」シリーズの新刊です。 台湾はおばちゃんで回ってる⁈ (文庫) 僕がいちばん足を運んでいる海外は台湾で、その魅力は温かな気候と、ほかほか美味しいごはん、そしてぬくもり溢れる人々という、「3温(さんぬく)」だと思うのですが(今、名付けました)、3番目の「ぬくもり溢れる人々」にフォーカスしたのが本書です。旅行者には漠然と、なんとなく台湾の人は親日でいい感じ止まりですが、10年以上暮らす著者の目線から見る台湾の人たちの本質が、とても新鮮です。 すなわち「スルー力が高くて、ストレートにものを言う」となるそうで、個々を尊重し、気になることはお金のことでもなんでもズバズバと発言し、しかし後腐れなくいられるざっくりさなんだとか。そして子供は社会全体で我が子のように大切にして、社会人も昼食の後は昼寝を欠かさず、日本だと度を越したお節介も日常的に行われている模様です。すごい包容力だぞ台湾! で、その象徴が「おばちゃん」なんだそう。 外国に暮らしたことのない僕は、日本人の日本人ぽさというものを客観的に見られていないのと、ネガティブに語られがちな日本人ぽさ(同調圧力が強いとか、他人に冷たいとか?)もあんまり気にしていないので、日本がダメダメとは思っていないのですが(いろんな人がいますからね)、そんな僕でも台湾人いいな~と思うエピソードばかり。しかも著者は、台湾で出産、後に一時帰国して離婚、シングルマザーとして再び台湾に渡り、台湾人と再婚して二度目の出産と、さまざまな経験をしており、出産や産後事情など当事者だからこその情報もとても興味深いです。 次に台湾に行くときはきっと子連れになるだろうから、うちの子たちがどれだけ可愛がってもらえるのか、とても楽しみになりました。そして、この本から学べる台湾の素晴らしさを、日本でも取り入れていきたいと思うのでした。とりあえず、よその子も全力でかわいがるぞ。 なお著者はオードリー・タンさんに関する著作を持ち、本書にもそのエピソードが出てきます。よく見ると表紙にもオードリーさんいるよね? そして、何を隠

2023年のご挨拶と抱負。

ハッピー・ウー・イヤー。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします(ウーは、兎ーです(ダジャレ))。 さて。1年の始まりなので抱負的なものを書きたいと考えていましたが、ちょうど年末に写真の本『おおきな木』を購入しました。1964年にアメリカで出版され日本でも読み継がれてきたロングセラーですが、2010年に村上春樹さんによる新訳となったそうです。 原題は『THE GIVING TREE』。与える木、ですね。そのタイトル通り、1本の木がその実を、枝を、幹を、ひとりの少年の生涯にわたって差し出すお話です。かなりほろ苦い後味ですが、示唆に富んでいるとも言えます。よろしければ手にとってみてください(作品としてはもちろん、村上さんの後書きだけでも買う価値がある、と言ったら作者に怒られてしまいそうですが)。長男にプレゼントと思っていますがどう受け止めるのか気になるところ。 きれいごとになり過ぎてしまうのですが、自分もこんなふうに与えられる人でありたいと思うのでした。これまでを振り返れば、損したくない得したい、と思って利己的に生きてきた方だと思います。損得勘定で動いたことは数知れず。でもいい歳してそういうのもあんまり品のいい話ではないよなとも(ようやく)思うわけで。 自分が主役にはなれないとしても、ならば周りの人の手助けになれるように。多少なりとも経験値があるのだとしたら、出し惜しみせず誰かに役立ててもらえるように。個人よりもチームで、組織で、幸運をつかめるように。なんとなくそんな1年にできるよう頑張ってみようと思います。 やっぱり綺麗事すぎるし、そんなにすぐには変われないと思うのですが、ひとつでもふたつでも、利他的な行動を増やすことを目標にしていきたいと思います宣言。家族にも同僚にも世の中にも。 あとは、しっかり体を動かすこと(目標は秋のNYCマラソン)、このブログは年間300ポストを目指しつつ(難しいかな?)、家族の健康管理に気を配って、楽しい毎日を過ごしたいと思います。 あいも変わらず、よりみちしながらいきましょう。今年も、いい1年を。

感想_アンソーシャル ディスタンス

芥川賞直木賞候補出ましたね。どれも気になります。 さて。金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』(2021年刊)読了。彼が鬱になりボロボロになる女、年下恋人のために美容整形にのめり込む女、セックスレスの夫と友人の弟の狭間で悩む女、希死念慮を持ち恋人と旅行する女、かけがえのない相手とコロナで距離ができてしまった女、の5つの短編集。 最初の3本はコロナ前に発表されてて、残り2本がコロナ中で作中にコロナも出てきます。4本目が表題作の「Unsocial Distance」。非社会的距離。なるほどどの主人公も社会常識とされるようなものからはずいぶん外れている。仕事中に酒を飲み不倫に溺れ、整形も自殺も、きっと眉を顰められ後ろ指を指されそうなものだ。読んで気分のいいものではない。 でも、どれも確かにそこにあるわけで、どの作品も金原さんらしい生々しい女性たちの闇が詰まってますが、タイミングとタイトルにも引っ張られて「心の距離」の物語のようにも感じました。 夫や恋人や不倫相手と自分。それぞれとの距離感があって、それは大きな事件や何気ない一言で、近づいたり離れたりを繰り返す。適切な距離とはなんだろう、そんなものは維持できるものなのかと考えてしまいます。 客観的に見れば、そんな関係やめたほうがいいとか、それは間違ってるよとか言えるかもしれないけど、当事者というか本人にしかわからないんだよねそういうのって。そして心は移り変わるし相手もいるから一定の距離を保つことは不可能なのかもしれない。近ければいいわけでもないし、自分を曝け出せば近づくというものでもないから難しい。 なにより自意識と自分自身の距離さえもままならないのだと、彼女たちを見ていて思うのでした。コロナも自分も簡単にはコントロールできないからややこしい、僕たちを取り巻く適切な距離とはどこにあるんだ問題。 ところでこの物語、反対側からの男性視点で見たら彼女たちはどう映るのだろう。あるいは友達視点でも面白いかも。社会との距離、他人との距離、自分との距離。お構いなしのコロナはすごい。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

あれ、気付けば全然アート観に行けてなくていかんな。 さて。川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(2021年刊)読了。著者は全盲の美術鑑賞者・白鳥健二さんと出会う。目の見えない白鳥さんはいかにアートを見るのか。それは、同行者が作品を詳細に説明すること。どんな見た目で形で色で…。そうすると、不思議と今まで見えてなかったものまで見えてくるのだった。2022年Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞作。 今、めちゃくちゃ書店で平積みされてる話題の本。刊行当初に書評見て気になってたのをこのタイミングで購入しました。女性ライターさんのノンフィクションで、『僕はイエローで~』に近いムードがあって、この作品も社会性があり、とても意義深い本でした。アート鑑賞を始める序盤は『13歳からのアート思考』にも似ています。作品をよく見て、鑑賞者同士で言語化していくことで、初めて見えることがある。 それだけでもかなり面白いのですが、この本ではアート鑑賞はあくまで入口、フックでしかありません。白鳥さんが起爆装置ではあるのですが、白鳥さんもまたスイッチでしかありません。本質的に伝えていることは、私たちが知っていること、見えていることは、本当にわずかであること。たくさんの先入観、思い込みで生きていて、そしてそれは知らない間に差別や分断を生んでいるということ。見える人と見えない人。聞こえる人と聞こえない人。無知はそれを無意識に生産してしまう。 僕も、目が見えるから、全盲の人の気持ちはわからない。それは仕方ないとして、全盲の人は大変だろう、可哀そうだ。そんな風に思うのはちょっとおかしいよということだ。もちろん、全盲の人が俺は大変で可哀そうだというならそうなれでいいのだが、少なくとも白鳥さんはそうではなかった。白鳥さん曰く、最初から見えていないから見えないことが普通であって何が大変と言われているのかわからない」のだそうだ。 だいぶ次元の違う話だけど、僕の髪は堅いらしくて、床屋や美容院で必ず「大変ですねー」と言われる。でも僕は生まれたときからこの髪質でこの髪しかセットしたことないから、別に大変じゃないというか、大変かどうかわからないのだ。ほかの人の髪をセットしてめちゃくちゃ簡単だったら、「あ、おれの髪大変なんだな~」ってわかるのかもね。 話がそれましたが、この本はそんな風にして、

感想_僕は何度でも、きみに初めての恋をする。

ラグビー日本代表、今週末はNZ戦! 楽しみ。 さて。沖田円『僕は何度でも、きみに初めての恋をする。』読了。両親の不仲に悩む高校生のセイは、学校から遠く離れた公園で一人の青年ハナに出会う。不躾にカメラを向けてきたハナは、戸惑うセイをよそに無邪気に話しかけてくる。程なく距離を縮める二人だったが、ハナには1日しか記憶が持たないという秘密があった。 実はこれ2015年に文庫で発売したものが単行本化されたもの。実は実は、僕は2015年当時に読んで、これはあかんと思ったのでした。記憶が持たない設定の物語っていくつかあると思いますが、僕の中では『50回目のファーストキス』と『ガチボーイ』が神作品すぎて、それと比べたら余りにもゆるく幼く感じたのが理由でした。 が、今回もう一度読んでみたら、意外とイケたんですよね。単行本化にあたって加筆修正がなされたせいかもしれないし、僕がこう言うキャラクター文庫と呼ばれる類の物語に慣れたのかもしれないし、はたまた他にも理由があるかもしれません。 もしも、自分が、記憶が1日しか持たなくなったとしたら。それを思うと潰れそうなほどに苦しいです。自分はそれを受け入れられるのか。ハナのように振る舞うことができるのか。想像するだけでも呼吸が浅くなる心持ちになります。人のつながりをつくるものの大部分に、記憶というものは関係していて、それをなくしても誰かと繋がっていられるのか。誰とも繋がらずに生きていけるのか。そこにはハナにしかわからない葛藤と、世界があるんでしょう。僕たちはそれに触れることはできないから、でもそれが壊れてしまわないように、優しく手を差し伸べ、抱き止めるのかな。セイがそうしようと決めたように。 ただ、記憶を維持できないハナが、毎日初見であるセイに惹かれる理由は見当たらないかったかな。ノートに書くだけでどこまで信じ込めるものなのか。理由もなく惹かれるというのはあり得ることだけど、セイの客観評価が少なすぎるんだよね。友達の三浦さんをもう少し働かせても良かったかもしれない。まあ、そんなのは大人戯言で必要ないのかもしれないけれど。 タイトルは、ハナの言葉として読むのが普通でしょうが、むしろこれはセイの誓いであり宣言だったように、今は思えます。毎日初めましてをしよう。何度でも、何度でも。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

名古屋よりみち記。2022秋おまけ お土産

スラムダンクの映画より『リアル』16巻を求めてる僕です。映画に合わせて出ないかな。 さて。昨日ポストしましたON READINGさんで2冊購入したのでそのご紹介で、名古屋よりみち記を〆たいと思いマス。 1冊目が、NOBUE MIYAZAKIさんの『See You Tomorrow』。大人向けの絵本ですね。絵本の体裁ですが、漢字に読みがながないので、これは子供には向けられていないといっていいと思います。中身は、日がな一日何をしているかよくわからない過ごし方を断片的に、観念的に刻み、最後は「またあした。」で終わります。 果たしてこの内容に意味があるのか。意味なんて求めちゃいけないのか。そもそも意味があってもなくてもどっちでもいいのではないのか。そんなことを問いかけているような気がします。便利や効率や理由を求めがちな僕たちをちょっとたしなめるような、まあまあと肩に手をのせてくれるような、そんな味わい。 僕は最近よくこういうことを考えるので、そうなんだよな~と思いながら浸りました。生産性もなければ建設的でもなく、別に投げやりでもなく自堕落でもない、何の気なしの自由というか。なんとなく、そうしたいからしただけ。というテンション。誰に言い訳する必要もないし、自分を納得させることさえも要らないんじゃないかと思ったりします。理由なんて知らないというか、そうしたかった以上の理由なんて、本当はないんですよねー。知らんけど。「後付けはいらないよ」って感じですかね。 ちなみに作者は姉妹でSTOMACHACHE.として活動されていて、横浜で言うとハンマーヘッドの館内のペイントやサインを手掛けてますね。雑誌や広告などご活躍で、僕の好きなテイストということもあります。 2冊目は、イラストレーターの箕輪真紀子さんによるリトグラフとペインティングによる作品集。素朴なタッチで何気ない風景を描いているのですが、そのさりげなさがなんとも映画的で、タイトルはまさしく『Film』。記録、というニュアンスもあるのかな。コロナパンデミック中に制作されたそうなので。 これも、何でもないことの肯定であるような気がしました。特別じゃなくたって全然いいし、そこにたくさんの人の営みが刻まれてもいるわけだし。なんかそういう普通だって普通に大事なんだぜ、という気持ちです。 何を言っているのかよくわかりませんけれど、僕自身は「あ

感想_掌に眠る舞台

二桁勝利をあげる投手がいなくても連覇してみせた高津監督すごいな。奥川不在だったのに。 さて。小川洋子『掌に眠る舞台』(2022年刊)読了。最も好きな作家の1人である小川さんの新刊は、舞台がモチーフとなった短編集。帯に「舞台という、異界」というコピーがありましたが、小川文学そのもが異界じゃないかと。それは、不思議と奇妙が共存する世界で、異端の持つ神秘が詰まっているのです。小川洋子という、異能。 バレエの演目の中の妖精に心酔した少女。かつて名もなき女優だった伯母との短い交流。帝国劇場での『レ・ミゼラブル』全79公演すべてのチケットを買った女性が見たもの。といった具合に、舞台が主役になり脇役になり衣装になりセットになり伏線になり魔境となるような全8編です。 小川さんは本当に何にもなさそうなところから物語を立ち上げ、誰ひとり見つけることのなさそうなところに光をあてるのが上手で毎度惚れ惚れします。その密やかさを気高きものとして描き出し、そしてそこに隠された純粋性やときに狂気を美しきものとして紡ぎあげます。 現実世界の話なのに、どこまでもファンタジーに近くて、それはさながら舞台やお芝居そのもののようにも感じられる。これまで、数式にもチェスにも人質にも無垢なる美しさを見出してきたわけですが、今作もまさにそれ。 すべての登場人物に思想があり流儀があり、すなわち物語があるということを教えられるのでした。 以下、各話の寸評。 「指紋のついた羽」 工具箱と散らばった部品が、バレエの舞台へと昇華される。その秘密を知るのは、少女と縫い子さんの2人だけ。情景を思い浮かべるととてもくすんでいるのに、物語は煌めいていて、このギャップこそが小川文学の真骨頂。目に見える美しさとはまったく違う心のありようの美しさを描き出す。 「ユニコーンを握らせる」 私は遠方の受験のため、かつて女優だったというローラ伯母さんの家に泊まる。口数少ない伯母さんはある芝居の台詞をきっかけに語り始める。芝居という空想に取り込まれたままの伯母さん。現実と虚構がごちゃ混ぜになる、その不思議さと、それこそがフィクションの持つ力とでも言うべき話。 「鍾乳洞の恋」 歯の痛みをこらえる伝票室室長。痛みの原因は謎の白いいきものだった。その秘密を階下に住む鍼灸院長と共有するが。最も不思議だった作品。謎の白いいきものは実在したのかしないのか。室