二桁勝利をあげる投手がいなくても連覇してみせた高津監督すごいな。奥川不在だったのに。
さて。小川洋子『掌に眠る舞台』(2022年刊)読了。最も好きな作家の1人である小川さんの新刊は、舞台がモチーフとなった短編集。帯に「舞台という、異界」というコピーがありましたが、小川文学そのもが異界じゃないかと。それは、不思議と奇妙が共存する世界で、異端の持つ神秘が詰まっているのです。小川洋子という、異能。
バレエの演目の中の妖精に心酔した少女。かつて名もなき女優だった伯母との短い交流。帝国劇場での『レ・ミゼラブル』全79公演すべてのチケットを買った女性が見たもの。といった具合に、舞台が主役になり脇役になり衣装になりセットになり伏線になり魔境となるような全8編です。
小川さんは本当に何にもなさそうなところから物語を立ち上げ、誰ひとり見つけることのなさそうなところに光をあてるのが上手で毎度惚れ惚れします。その密やかさを気高きものとして描き出し、そしてそこに隠された純粋性やときに狂気を美しきものとして紡ぎあげます。
現実世界の話なのに、どこまでもファンタジーに近くて、それはさながら舞台やお芝居そのもののようにも感じられる。これまで、数式にもチェスにも人質にも無垢なる美しさを見出してきたわけですが、今作もまさにそれ。
以下、各話の寸評。
「指紋のついた羽」
工具箱と散らばった部品が、バレエの舞台へと昇華される。その秘密を知るのは、少女と縫い子さんの2人だけ。情景を思い浮かべるととてもくすんでいるのに、物語は煌めいていて、このギャップこそが小川文学の真骨頂。目に見える美しさとはまったく違う心のありようの美しさを描き出す。
「ユニコーンを握らせる」
私は遠方の受験のため、かつて女優だったというローラ伯母さんの家に泊まる。口数少ない伯母さんはある芝居の台詞をきっかけに語り始める。芝居という空想に取り込まれたままの伯母さん。現実と虚構がごちゃ混ぜになる、その不思議さと、それこそがフィクションの持つ力とでも言うべき話。
「鍾乳洞の恋」
歯の痛みをこらえる伝票室室長。痛みの原因は謎の白いいきものだった。その秘密を階下に住む鍼灸院長と共有するが。最も不思議だった作品。謎の白いいきものは実在したのかしないのか。室長と院長の関係性とはなんなのか。オペラ座の怪人の意味するところは。目に見えるものと見えないもの、見ることができる人とできない人、そんな境界を行き来する。
「ダブルフォルトの予言」
帝国劇場に毎日通ううち話しかけてきた女は、この劇場に住む「失敗係の女」だった。促されるまま通された部屋で、彼女は奇妙な予言を耳にする。私たちが知るのは劇場の表だけ(まさに表舞台)。その裏側には何があるのか。そんな想像を刺激するファンタジー。私たちの人生に失敗係はいない。それは、人生という劇場に失敗なんてものはないから。なんちって。
「花柄さん」
ある女性が亡くなったその部屋のベッドに残されていたのは、大量のサイン入りパンフレットだった。「花柄さん」はいかにして膨大なサインを手に入れたのか。空想の中に生きた少女。その記憶も忘れただろう頃に出会ったのが舞台での出待ちという瞬間。舞台という架空の世界に確かに命が宿った証は、花柄さんを救っていたのだろうか。
「装飾用の役者」
コンパニオンとして生きてきた私。もっとも奇妙だった仕事は、自宅に劇場を持つ男のための役者になるというものだった。演じるものの痛みや孤独を描いた…のかどうかわかりませんが、そういうお話。人にはさまざまな仕事や役割があり、誰もが何かを誰かのために演じてる?
「いけにえを運ぶ犬」
演奏会を聴きながら僕が思い出したのは、幼い頃よく来ていた「馬車の本屋」のことだった。移動本屋と各地を巡るコンサートツアーをなぞらえつつ、渡り鳥までモチーフにした旅ガラスなお話。渡り鳥のように、僕たちの日々は見えない何かに導かれているようだ。
「無限ヤモリ」
子宝祈願で知られながらも今はすっかり寂れた温泉地。その宿では、不思議なヤモリを売っていた。子を欲する気持ちや子を失う痛み、そして迷信に縋りしがらみに絡めとられる様を、縺れて解けなくなるヤモリに落とし込んだダークファンタジー。一種異様です。
ということで、噛み砕くほどに舞台をキーワードにしながらもどこまでも広がっていくファンタジーワールド。読むごとにいろんな味わいが出てきますね。お見事。
よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
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