朝、空を見上げたらハート型のような、人物の上半身のような雲が浮かんでた。
さて。9.11から21年が過ぎました。21年前に起きた遠い異国の未曾有の事件は、その当時の無知な僕にはあまりピンと来ていなかったのに、年々重みを増しているような気がする。というか、毎年律儀に今日は9.11かって思うのは何ででしょう。
今思い出しても、当時の記憶は飲み会から友人と帰ってぼんやりテレビのニュースでそれを知り、慌てる友人を横目に「ふ〜ん」くらいの感想でほどなく普通に寝たということくらい。あとはその後、『ユナイテッド93』や、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』など、9.11に題をとった映画で想像した程度です。
多分、9.11が自分ごとに近づいたのは、3.11以降です。種類は全然違うけど、前例のないできごとで、多くの命が失われました。NYではそれは最悪の日であったと同時に、多くの人が結束し、希望の日にもなったと、ネット記事で読みました。3.11にもそういう側面はあったと思う。
だけれど、新型コロナはなかなかそうはなりませんね。全世界を同時に覆い、多くの人を苦しめているのは同じなのに。人々が集うことを許さない性質のせいなのですかね。それとも、2001年や、2011年とは、決定的に何かが違ってしまったのでしょうか。
9.11も3.11も、僕はそれらで何も失っていないので、何かを語る資格はありません。でも、そこにいた人たちの哀しみや苦しみを思うとどうしようもない恐怖を感じますし、なんというか、生かされていることのありがたさを喜び、感謝して、希望を持って生きていきたいと思うのです。この日がやってくるたびに。そして、せめていくらかでも善い行いをしないとバチがあたるよな、とも。
何を大袈裟な、と思われるかもしれませんが、そんな気分です。半年後も、1年後も、似たようなことを思うのかな。そう思えたとしたら、無事に月日を過ごせたということですね。そうでありますように。
でも、そうじゃなかったとしても、前を向いていられるように。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
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