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感想_ドクター・ストレンジ

J2観戦の予定でしたが悪天候なので取りやめ。残念過ぎる。

さて。『ドクター・ストレンジ』(2017年公開)Disney+鑑賞。天才神経外科医のスティーヴンは交通事故により両手の神経を失い、医師としての人生を断たれる。しかし諦めきれず治療の道を探し続けたのち、カトマンドゥの謎めいた施設にたどり着く。そこで出会ったのは、常識を覆される魔術だった。

見逃しているマーヴェル・シネマティック・ユニバースを追いかけていくよ!ということでまずはここから。『アベンジャーズ』で見かけたドクター・ストレンジが格好良かったので期待してたけど、やっぱりクールだったぜ。

あの、パタパタと3Dが改変されていくビジュアルにワクワクして(インセプションぽい?)、時空を捻じ曲げる逆行シーンも胸熱だし(TENET?)、魔術の炎系のエフェクトもオリエンタルでいいよねと、あっという間の2時間弱でした。

でも、ツッコミたいところもけっこうありまして。そもそもスティーヴンの交通事故があまりに迂闊すぎるし、傲慢キャラもちょっとやりすぎ感あったかな。からの魔術師としての覚醒がエベレスト放置だけってのは説得力なかったよね。

もちろん修行はしてたけど、まだまだってところでバトルに巻き込まれたわりには、ヴィランと渡り合えちゃうのはどうかなって感じだし、タイムストーンの力を借りてるとはいえ時空ねじ曲げる能力発揮するのも、都合良すぎるような。

そして肝心なところは、やたらと長台詞で説明なんだよな。エインシェント・ワン、喋ってばっかりだったし、クライマックスの無限ループもちょっとあっさりしたもんでした。

とまあ、いろいろあるけど、それらも含めてやっぱり楽しいMCU。エンドロール中のシーンは、『ソー・バトルロイヤル』と繋がっていると言われると観なきゃいけないような気持ちになるがしかし心は『ブラックパンサー』へ…。劇場作品以外のドラマも観られてしまうDisney+の罠。こりゃ倍速で観るしかないか(冗談です)。

よりみちしながら、いきましょう。やっぱり敵は睡眠なのか!? 今日も、いい1日を。

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