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感想_不運からの最強男2巻

女の園の星3巻発売日が出たうえアニメ化とかでテンション上がりました。

さて。『不運からの最強男』コミック2巻と原作ノベル版読了。不運すぎる前世から異世界転生したジークフリート。規格外の幸運値と魔力で頭角を表し、森で見つけた聖獣の白虎と契約を結ぶが、すべてを1人で背負おうとするあまり倒れてしまい…。新たな出会いと成長の2巻!

1巻面白すぎた待望の2巻も、さらに胸熱展開! ジークは順調に成長し、白虎のハクという新たな相棒を得るものの、一足飛びにチカラを手に入れることはできない。そこを「家族をもっと頼るんだ」と諭すパパに、泣かされたよ!

マリー姉さんも成長し、ヴィリバルト伯父さんはまだまだ底なしで、新たな展開に突入したところで終了。絵の可愛い格好いいは相変わらずで、3巻もますます楽しみです。異世界みと、チート能力とキャラクターのバランスがとても良いので、するする感情移入していきます。

ところで、今回原作小説も読んだところ、コミックとはだいぶ雰囲気が違っていてびっくり。この作品の最大のキモと思われた「幸運=不幸と表裏一体の危険なチャンスを勝ち取ること」というのは漫画オリジナルの脚色要素でした。ちなみにコミック2巻は原作1巻の終盤にさしかかったところ。

味わいの異なる小説と漫画、それぞれ併せて楽しむのもおすすめです。なお小説版のカバー&挿絵はコミカライズを手掛けた中林ずんさん。絵柄とタイトルデザインが良くマッチしているのもポイント。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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