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感想_目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

あれ、気付けば全然アート観に行けてなくていかんな。

さて。川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(2021年刊)読了。著者は全盲の美術鑑賞者・白鳥健二さんと出会う。目の見えない白鳥さんはいかにアートを見るのか。それは、同行者が作品を詳細に説明すること。どんな見た目で形で色で…。そうすると、不思議と今まで見えてなかったものまで見えてくるのだった。2022年Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞作。

今、めちゃくちゃ書店で平積みされてる話題の本。刊行当初に書評見て気になってたのをこのタイミングで購入しました。女性ライターさんのノンフィクションで、『僕はイエローで~』に近いムードがあって、この作品も社会性があり、とても意義深い本でした。アート鑑賞を始める序盤は『13歳からのアート思考』にも似ています。作品をよく見て、鑑賞者同士で言語化していくことで、初めて見えることがある。

それだけでもかなり面白いのですが、この本ではアート鑑賞はあくまで入口、フックでしかありません。白鳥さんが起爆装置ではあるのですが、白鳥さんもまたスイッチでしかありません。本質的に伝えていることは、私たちが知っていること、見えていることは、本当にわずかであること。たくさんの先入観、思い込みで生きていて、そしてそれは知らない間に差別や分断を生んでいるということ。見える人と見えない人。聞こえる人と聞こえない人。無知はそれを無意識に生産してしまう。

僕も、目が見えるから、全盲の人の気持ちはわからない。それは仕方ないとして、全盲の人は大変だろう、可哀そうだ。そんな風に思うのはちょっとおかしいよということだ。もちろん、全盲の人が俺は大変で可哀そうだというならそうなれでいいのだが、少なくとも白鳥さんはそうではなかった。白鳥さん曰く、最初から見えていないから見えないことが普通であって何が大変と言われているのかわからない」のだそうだ。

だいぶ次元の違う話だけど、僕の髪は堅いらしくて、床屋や美容院で必ず「大変ですねー」と言われる。でも僕は生まれたときからこの髪質でこの髪しかセットしたことないから、別に大変じゃないというか、大変かどうかわからないのだ。ほかの人の髪をセットしてめちゃくちゃ簡単だったら、「あ、おれの髪大変なんだな~」ってわかるのかもね。

話がそれましたが、この本はそんな風にして、境界を乗り越えていくことを推奨していきます。全盲の人の世界に触れてみること。海外の暮らしに触れてみること。そんなに大げさではなくても、隣にいるあの人の本当の声を聴いてみること。それは黙っててはできなくて、コミュニケーションによって図られていくということ。実際に体験して感じること。

当たり前なんだけど、その大事な当たり前が少しずつ失われつつあるのが今だと思うから、これは忘れちゃいけないと思ったな。あと、価値観は本当に多様だということ。できる・できないがすべてじゃなければ、どちらかが正しいわけでもないということ。そういう違いも真の意味で理解して乗り越えていくべきで。すべてに共感や同意はもちろんできないけど、違いがあることを認めあえることが大事。

ちと、とっちらかってしまいましたが、境界を乗り越える大切さを教えてくれる、評判なのも納得の1冊でした。あらためて、自分の知っている世界は小さくて、本と言うものが開いてくれる世界って貴重だな、とも思うのでした。そしてやっぱりアートも観に行きたくなります!

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。





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