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感想_天才はあきらめた

『たが、情熱はある』は観てません。ドラマ好きなのに観てないなー。

さて。山里亮太『天才はあきらめた』(2018年刊)読了。南海キャンディーズの山ちゃんのお笑い芸人としての半生をまとめた自叙伝。面白かったです。『天才になりたい』(2006年)の大幅な加筆修正だそうで、そっちは読んでない。

僕は南海キャンディーズの漫才も観てなければ、山里さんのテレビやラジオもほぼ触れてないので、おかっぱスカーフで毒吐くインテリ芸人というイメージでしたが、まあそのイメージ通りでありつつも、圧倒的努力の達人ということがわかりました。

普通の人なら諦めたら腐ったりする場面で、彼はなんやかや半ばキレながらも退路を絶ち、言い訳をねじ伏せ、嫉妬を全開に、目標へ向かって前進する。お笑い芸人の世界はわからないけど、ネタをノートに書き続け、言葉を磨き、コンマ単位の間合いをログする人はどれだけいるのでしょうか。この圧倒的なエナジーは誰にも真似できないと思う。情熱はある、ってこのことかと思わされる熱量。

戦略的なそのやり口は、インテリジェンスあってのものだと思うし、いわゆるPDCAを本気で高速回転させているのだろうことが、数々のエピソードからわかります。それは真似したくてもできないレベルですが、その根底とも言えそうな部分であり、僕が最も共感したのは「やりたいお笑いがない」というくだり。誰かを笑わせるのは好きだしそのために努力しているけど、自由にやっていいと言われたら迷子になる感じ、僕にはとてもよくわかる。

そんな時でも山ちゃんは圧倒的な努力で乗り切り、成り上がり、それでもまだ歩みを止めずに進んだからこその今なんでしょう。僕にもまさに、「何者かになりたい」思いがいまだに燻っていて、でも山ちゃんのような圧倒的努力ができていないことを突きつけられるほろ苦さも含んだ一冊。もっと頑張らないとなー!

文才もあるなーと感じさせる山里さんは、同い年。あとがきはオードリーの若林さんの愛ある寄稿でしたが、もっと周囲からの山ちゃん評も読みたくなりました。なんだかんだクセはありそうだし、どう思われてるんだろ。

ま、山ちゃんへの最大のシンパシーは蒼井優ちゃんが好きだ!ってことなんですけどね。もっと頑張らなくては!

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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