アンガーマネージメントにも興味がある今日この頃。
さて。村中直人『<叱る依存>がとまらない』読了。部下を、子供を、つい叱ってしまう。その日常的な行動には叱る側の依存性があった。臨床心理士の著者が「叱る」のメカニズムを解き明かし、叱らない社会をやさしく説いた1冊。
7歳と2歳の子供を持つ生活は、日々のあちこちに「叱る」が潜んでいます。前を向いて歩きなさいとか、ごはんこぼすなとか、いたずらするなとか、早く支度しなさいとか…。そんなのはどこでもそうだと思うのですが、「程度」がわからないのですよね。どのくらいがしつけや教育の範囲で、どこからそれ以上に逸脱してしまうのか。そんな自分の悩みの出口を求めてこの本を手に取りました。
なお、自分は対子供で考えていましたが、この本は対部下や後輩というのも大いに含まれています。
本書の大きなポイントは叱るという行為は、叱る側の欲求を満たすものであって、叱られる側を変える効果は非常に弱いということ。「本当はこんなこと言いたくないけど仕方ないから」と思いながら叱っているつもりが、実は「叱りたくて叱っているだけ」ということです。独り相撲かよ!
もちろん、相手に変化を促したいという気持ちは間違いなくあるのですが、叱るというのは手法としてまったく有効じゃないと言うことです。でも、叱ることで相手が言うことを聞いたように見えたり、萎縮したりするから勘違いが生まれてしまい、その実本質的には何も変わっていなかったというオチ。こうして「何度言ってもわからないならこうだ!」的な負のスパイラルが生まれ叱る依存はエスカレートしていくと。
実験データや専門的知識をもとに語られているのでこのロジックはとても腑に落ちますし、確かに怒ってみせたり、きつく言い聞かせたところで、相手が何にも変わらないというのは実感もあります。子供もそうですし、対大人でもそう。自分が叱られる立場で考えても「この説教早く終わらないかな」とか思ってたりしますよね笑(いや、自分に非があればもちろん認めますよ…)。
叱るの持つ効果は、例えば道路に飛び出す子供を止めるような無条件の危機介入・抑止力のみのようです。とにかく何が何でも止めなきゃいけないときだけ。なので、相手に本質的な改善や理解を要求するならば、叱る以外の方法を模索した方が良い。
子育て8年目に突入した今、これはなんとなく思うところなのでした。最近の自分のモードは怒ったところで何も変わらないから、ゆっくり噛み砕いて言う&繰り返し諭す、で、即効性はまったくないけど、じんわり染み込んでいって「そういえばこんなこと親に何度も言われてたな」というのをそのうち思い出してくれればいいやという感じです。とりあえず衣食住は確保しておくから、あとのことは自分でなんとかしてくれモード。
会社でもスポーツでも結局は同じことで、叱る怒るでら、建設的な変化が起きないんですよね。特にすでに起きてしまったことに対しては何の効果もないわけです。ミスを責めても、失ったものは帳消しにならないし、ひっくり返ったお盆は元通りにはならないよ。なら、いかに前向きに能動的になれるかを考えなくちゃね。同じミスを繰り返したくないのなら、叱るじゃなくて別のアクションだ。
もうひとつ重要な学びを。子供に、苦しい場面を耐える・我慢する経験は必要なのではないかという思いがあります。すぐに諦める、逃げ出すのではなく、粘り強く立ち向かったり、より良い方法を考えられる子であってほしい(親エゴですかね)。そのためにできることは何なのか。
本書によると、「他人から強制される我慢や苦痛」と「目的のための自発的な我慢」はまったく別物だということ。同じ我慢でも、本人の内側で起こることがまったく別で、前者に対しては諦めや無力感が生まれ、後者であれば学習やセルフコントロールにつながる。強制的忍耐にポジティブな意味はないと。
叱るにしても我慢にしても、突き詰めると本人がいかに自分の頭で考えられるかが大事ってことですね。となると、外にいる人間ができることは、いかに考える材料を提供してよいサポートをできるかってことなんだな。
ということで、子育てのみに直結した本ではなかったので、期待していたものと違う部分もありましたが、うっすら感じていたことが客観的事実に基づいて整理されてとてもスッキリしたのでした。これでもう叱らなくてすむね! あとは叱られないようにするだけだぜ!
よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
コメント
コメントを投稿