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感想_エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

マリオの映画始まっちゃったよ。観に行かないと。

さて。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』鑑賞。経営するコインランドリーの税金問題と家族のごたごたに悩まされるエヴリン。そんなとき、夫の人格が突然別の誰かに入れ替わる。アルファバースから来たというその男、全宇宙の危機を救えるのは君だ!と告げるからさあ大変。わけもわからないままバースジャンプさせられたそこには、別の宇宙のエヴリンが無数にいて…!?

本年度アカデミー賞を席巻した話題作、やっと観に行けるぜ〜!と上映館探したらもうめちゃくちゃ少なくてびっくり。公開2ヶ月経ってないのに? アカデミー賞総なめだったのに?? ミシェル・ヨーのスピーチが感動的だったのに??? でも観たら納得、こりゃ一般ウケしないわ!笑

面白かったのですが、とにかくぶっ飛びまくり! 最初はエヴリンの状況も話の展開もつかみづらいスロースタート。しかし別バースと接続して豹変旦那がウェストポーチ・カンフーで戦うシーンで加速すると、そこからは怒涛のカオス展開!

つながるマルチバースの先の世界観がとらえにくいは、それぞれのビジュアルがトリッキーだわ、それらが目まぐるしく動き回るわで、もう大変。キングスマンのようなおしゃれキッチュではなく、キルビルのようなスタイリッシュでもなく、ミシェル・ゴンドリーのようなクラフトマンシップともちょっと違って、エキセントリックとしかいいようがなかったよね。どっからかギャグかわからない珍妙シーンも挟みつつ、でもカンフーは格好いいぜ!

でもその裏に流れるテーマはけっこう深い。自分も、家族も、世の中も、あらゆる欠落を抱えてその中で苦悩しながら生きている。抗えない時代を憂い、時に暴力に堕ち、その先の虚無にも苛まれる。今とは違う輝かしい人生があったんじゃないか。ここではないユートピアがあるのではないか。そう思いたくもなるけど、どの宇宙にもやっぱり足りないものはあるし、今あるすべてがそれより大きな流れの中では微々たるものにすぎない。

そう気づいてしまったときにやってくる諦念のようなものを謎のベーグルの輪になぞらえて、エヴリンの娘ジョイはそこに落ちていきそうになります。エヴリンもまたそこにいざなわれながら、踏みとどまる。生きることに何の意味があるかはわからない、何の意味もないかもしれない、でも確かにあなたにここにいてほしいと思う自分はいる。抱きしめて引き留めたいと思うのは嘘じゃないのだ。

最終的な落とし所が「Be kind」ってのはそんなに簡単じゃないだろうと思ったりもしたけど、このあたりは見れば見るほどいろんな味わいをくれそうな深みがありました。もう一回観たいかと言われると今すぐじゃなくていいけど、もう一度観たいな。

もしもあのときああしていれば、というのがバースの分岐になっていて、ありえたかもしれないもう1人の自分が出てくるのはミスター・ノーバディを思い出させてくれました(あれも観直したい)。人生はその繰り返しだし、思うにまかせないし、誰かをコントロールもできないし、それでも生きていくんだぜ。

長くなりましたがそれだけ語るポイントがあったということで。とにかく何にも似てないトンデモ映画。これがアカデミー獲るのって、すごく時代を感じるなぁと思うのでした。去年は聾唖者、その前はノマド、その前は半地下。2020年代は多様性の時代として記録されますね。

一般ウケしない珍味ではあるけれど、だからこそ観てよかったという不思議な鑑後感。これぞ映画の醍醐味だ。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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