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感想_罪人たち

想定外過ぎたし度肝抜かれ過ぎた。ライアン・クーグラー監督『罪人たち』鑑賞。1932年ミシシッピ。双子のスモークとスタックは7年ぶりにシカゴから帰ってきた。白人から古い製材所を買い取り、音楽酒場に改装。街の黒人たちを集めたオープニングの夜、盛り上がりが頂点に達した時、招かれざる客がやってきた…。

『国宝』の絶賛評価にあえて背を向けたわけではないけど、こっちもかなり面白いらしいという噂にのみ誘われて、前情報なしで劇場に行きました。最初は自由を求める黒人の感動ドラマかと思い、音楽映画としての迫力に全身高鳴り、からのまさかの展開に超びっくりしてたら、最後には傑作やんか。そしてエンドロールの後にそれは伝説クラスに…!凄かったな。観終わって誰かと話したさが半端じゃなかったです。

ブルースの持つ歴史とパワーをてこにして、魂の叫びや黒人に限らない人類のルーツ、そこにある原罪、そして内なる光を描き出した物語。て何言ってるかわかんないけど、濃厚に緻密にいろんなメッセージが詰まっていたように感じました。足跡と叫びの多重奏。

整理つかないので順を追いましょう。前半は帰ってきたスモークとスタックがクールで、旧知の仲間たちとのファミリー感も何か起きる予感に満ちて高揚感ありあり。みんなキャラ強くてかっこいいしサミーの歌声には痺れたしスタックが驚くのも無理はない。全てのエネルギーが凝縮されたようなあの夜は、全身がブルースの渦に引きずり込まれたよね。もちろん劇場中を巻き込んで。過去も未来もひっくるめて、究極の磁場となるスーパーマジックリアリズム!!!からの一気のひっくり返しに瞳孔開きまくり。絶頂から絶望へ、饗宴から凶宴へ、祝祭から厄災へ。反転が見事過ぎる…!

尋常ならざるものの登場にはそっちかよ!と本当に驚きましたが、それはそれでホラーとしての迫力も神業級。1人、また1人と倒れていくあの恐怖よ。血やパニック苦手な方はご注意を。あの白人はアイルランド系移民(歌詞がそうだったな)で彼らもまた被差別人種だったそうで、ただのフリークスでもなさそう。痛みも記憶も共有するのは、虐げられてきたものたちの無念であり、死者の怨念なのか。

振り返るとトラックの荷台にいたヘビもなんかのメタファーに思えるし、そして先住民の存在は何だったんだろ。天恵の歌声が魔物を呼び込み、繰り返された搾取が更なる悲劇と接続する。クライマックス、アジア系女性が呼び入れてしまったラストバトルは何かのオマージュだったのかな、すごいかっこよかったぞ。

タイトルの罪人とは、すべての私たちの原罪を指すのかな。誰もが持ちうる暴力性。と同時に必ず宿している小さな光。ルーツは脈々と受け継がれ、ああ、アダムとイブの罪もってことかな、自由を求め、大地を踏み締め、胸を掻きむしり、そして知らぬ間に弱者から奪い続け、その裏で何者かに搾取され続けながら。今の社会を映しているように思えるところもある。

全てが変わってしまった最悪の1日だけど、最高の1日でもあったこと。罪人たちの記憶は、血として、呪術として、この世界に染み入り溶け込んで生きながらえ続けるということ。でも願わくは、俺たちの内なる微かな光を輝かせられますように。ルーツとビートの融合、正義と異質の邂逅、神の教えと悪魔の誘いの饗宴、それらを音楽と吸血鬼で描いたってどういうことよ! ほらね、すごい映画でしょ?

双子を演じてるマイケルBジョーダンはどっちだろ?スモークだよね、じゃあスタックは誰?とか思ってたら一人二役かい! 音も映像もすごくて通常スクリーンで観たけどIMAXだったらどうだったんだろ。しれっと入る長回しワンショットや広大な南部の風景にも心揺さぶられ、アメリカじゃインセプション以来だかの実写オリジナルの大ヒットだそうで、急遽日本公開が決まったのだとか。一部の映画好きだけのものにするのは勿体無い、ぜひ多くの人に劇場で観ていただきたい大問題作でした!次はIMAXでもう一回観るぞ!




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