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感想_哀れなるものたち


さて。『哀れなるものたち』観賞。自殺を図ったある女性が、天才外科医ゴッドウィンによって胎児の脳を移植され一命を取り留める。ベラという名を与えられ、身体は大人、しかし精神は子供という彼女は、次第に外の世界に興味を持ち始めて…。エマ・ストーンの主演女優賞はじめアカデミー賞4部門受賞の話題作!

強烈エキセントリック・ファンタジー! 序盤はモノクロでマッドサイエンティスト色が強かったけど、中盤カラーになってからはコメディ色がたちのぼり、やがて終盤は複雑なテーマ性も併せ持つという離れ業! かなり面白かったです。どこから語っていいかわからないくらいの切り口てんこもり。

まずは美術賞取ったビジュアルから。箱庭的なセットと毒々しいほどに華美な背景、そしてベラのめくるめく衣装を見てるだけでも楽しい! はじめは子供の無垢さを表すような白くてふわふわな衣装、外の世界に飛び出しカラーモードになると原色中心、やがて成熟とともに色彩は落ち着きすっかり理性的になった終盤はリトルブラックドレスを思わせる黒と、意味合いもいろいろ込められてそう。時々出てくる魚眼レンズもメタ視点のようでそれも楽しかった。そりゃ賞取るわ。

役者陣も見事で、人の一生を演じたようなエマはもちろん、ドンファンかと思いきやダメンズだったマーク・ラファロの達者さも最高で、特殊メイクもハマってたウィレム・デフォーは今日も快演。その他端役も曲者揃い! このぶっ飛んだ世界に命を吹き込んでましたよね。鶏犬とかもキモカワ!(かわいくないか)

何より考えてしまうのは「理性」についてか。本能のままに生きる子供ベラが知識と経験を得て社会に溶け込み大人女性ベラとなり生きる方針を見つけていく話だったわけですが、その「社会性を身につけること」の喜びと哀しみの両面を描いていたようにも思います。幸福や善悪とは別の、ヒトの定めとしての問いかけ。

良識ある社会の中で、人は本音も本能も本性も隠しながら生きるようになる。でも隠し持つそれらがなくなるわけではないし、悪なわけでもない。程度の差こそあれそういうものを誰しもが持ち、持ち方次第でそれは欠落にもなる。哀れなるものというタイトルの原題はpoor thingsで、poorにはそういう欠損の意味も含まれるのかなと。

この貧しさも厄介で、物理的なものもあれば、精神面での豊かさの対極でもあるわけで、ダンカンやアルフィーのような人物も貧しきものと言えそう。そう言えばベラは船上で哲学を学び、売春宿で資本主義と社会主義、女性の権利も学び、ゴッドの医学知識を受け継ぎ、ひたすら改良を追い求めていたな。欠けているものがあるならばそれを埋めるように改良していけば良いという発想で、でもそれって堂々巡りでもありそうで、哲学的やなー! ヤギの脳を持ったアルフィーは幸せですかそれとも不幸せ?ってね。

てことであれこれ思索を巡らせるにはもってこい、尽きない興味を掻き立てられるうちにもう一度観たくなる沼シネマ! 後世に語り継がれるべき怪作だと思うのでした。

ところで監督ヨルゴス・ラモンティスの名を知りませんでしたが、デビュー作の『籠の中の乙女たち』は観ていました。あれも奇天烈クレイジーだった記憶。『女王陛下のお気に入り』も観ておこう。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。


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