スキップしてメイン コンテンツに移動

感想_ガチボーイ

昔チャットモンチーのライブ行ったなーと思い出した夜。

さて。『ガチボーイ』(2008年公開)鑑賞。プロレス同好会に入部した五十嵐は愛想のいい好青年だけど、メモと写真魔で、何だか覚えも悪いぞ? しかしマリリン仮面のリングネームで迎えた初戦はその必死さが観客に大ウケする。実は五十嵐にはある秘密があるのだった。

公開当時に試写で見てかなり胸熱涙したこちら。でも世間の評価はさほどでもなくてあれオレだけ?て思ってたので確認のためにも再鑑賞しました。

うん、確かに当時の自分は感情移入しすぎてたなとちょっと反省。コテコテのギャグはあえてとしてもやや寒いし(と言いつつ何度か笑った)、泣かせるあざといシーンも目につくし、いろいろ都合が良すぎる展開もある。いくら何でも最後の試合ああはならないだろうと。

でも、それは多分作り手もぜーんぶわかってて、もろもろひっくるめてのプロレス、すなわち興行・エンタメ・段取り・お約束ってことなんだなと思いました。プロレスへのリスペクトというべきなのかも。リアルに寄せるのではなく、この話はこういう形でよかったんじゃないでしょうか。お客さんも仕込みとわかってる、その前提で楽しむ新喜劇方式。原作も舞台だしね、その良さを生かす方向だったのかなとか。

その上で、やっぱり五十嵐の苦悩は本物だと思えるわけで。フラれたことだけは書き残せない切なさも、毎朝絶望しながら這い上がる痛みも、日々増え続けるメモと写真の数に目眩のようなものを感じるだろうことも、家族への何より自分への不甲斐なさも、しっかり伝わってきました。それでもギブアップだけは絶対に絶対にしたくないんだという覚悟も。

それでもカラダだけは覚えていてくれるというのは、運動好きな僕としてはとても共感。どんな困難があっても確かに生きていて、積みあがっていく日常。自分で実感できなくても誰かが見ている(冒頭の「見てくれてるやつはいるんだな」はこの伏線だったか)。そこには少なからず意味があると。

名作と呼べるようなものではないかもしれませんが、僕の心には今回改めてしっかりと刻まれた良作エンタメ。エンディングのチャットモンチーも青春風味で染みたのでした〜。よかったら軽い気持ちで見てみてくださいね。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

コメント

このブログの人気の投稿

相模原camp

さて。キャンプ行ってきました。我が家は道具無しの素人なのでバンガローに宿泊して、ふとんもレンタル。食事類はすべて友人家族におんぶにだっこ。感謝しかありません。 向かったのは相模原のほうの青根キャンプ場というところ。とにかくお天気に恵まれて、夜〜朝こそひんやりしましたが気持ちよくて。バンガローはきれいでエアコンもあったので快適そのもの。 子供達もいろいろ手伝ってくれてお昼はカレーを作り夜はお鍋を作り、翌朝はホットサンド。燻製もあったりどれもこれも美味しくて。自然の中でいただく手作り料理。ベタですが本当に最高ですね。 施設内に大浴場があるのも嬉しいし、川も流れてて釣りや川遊びに興じることも。2日目は近くの宮ヶ瀬湖で遊んで帰りました。とにかく子供たちが楽しそうで、多幸感あふれるキャンプになりました。めでたし。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_チ。―地球の運動について―(第1〜6集)

ラグビーリーグワンはプレーオフへ。残念ながら横浜キヤノンイーグルスは進出ならず。 さて。魚豊『チ。―地球の運動について―』1〜6集読了。天動説が信じられる15世紀ヨーロッパで、地動説を唱える者たちがいた。しかしそれはC教では異端とされ、決して誰かに知られてはならない研究。真理に惹かれ、知性を信じる者たちの、命を賭けた美しき生き様を描き出す!   本屋さんでよく見かけ、マンガ系のランキングで上位に入っていたこちら、めちゃくちゃ面白かったです。主人公と思しき少年が、早々に死ぬ展開で驚きました。地動説を巡る大河ドラマなわけですが、主人公は少年ではなく、「地動説」そのもの、あるいは、「人間の知性」かもしれません。サスペンスでありスペクタクルで、これはめちゃくちゃ続きが気になります。 そしてその中身は名言だらけ。「不正解は無意味を意味しない」「怖い。だが、怖くない人生などその本質を欠く」「僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす」「芯から湧き出た苦悩は、煮詰められた挫折は、或いは君の絶望は、希望に転化し得るのだ」「この星は生きるに値する素晴らしい何か」「才能も発展も人生も、いざって時に退いたら終わりだ」「文字は、まるで奇跡ですよ」などなど、哲学的とも言えるものばかり。 10年単位で紡がれるドラマと、これらの名言と繋がっていく中で立ち上がってくるのが、もう一つの主人公とも言えそうな、「文字」そして「本」です。まだ識字率も高くない時代、そして手書きの本しかなかった時代に、言葉を記す文字と本は、浪漫そのものとして存在します。100年、200年前の誰かの言葉が、生き様が、研究が、真理が、言葉によって時を超えて受け継がれること。やがてそれは単なる記録ではなく、「感動」を写し取るものとしてさらに多くの人を巻き込むことになること。 地動説が物語の軸にはありますが、この作品が描こうとしているのは人間の感性や感情の伝播と、その美しさだと思います。科学がテーマなのに、しかしそれを動かすのは、成し遂げるのは、人々の直感と情熱と信念という、論理では表せないものというのが実に面白い! データやロジックの比重が高まるからこそ、アートが斬りこんでくる今の時代をも映し出していますね。 まさに、世界が動き出す、そんなコペルニクス的転回に溢れた傑作。活版印刷が登場してきて、第7集はどうなるんだ!? これ...

感想_汝、星のごとく

さて。凪良ゆう『汝、星のごとく』(2022年刊)読了。小さな瀬戸内の島での出会いは17歳。父が家を出た暁海と、恋多き母に連れられてきた櫂。誰にも言えない孤独と不満を抱えた2人は惹かれ合い結ばれる。時間と距離のすれ違い、母の呪縛、大切な人との別れ。運命に翻弄され、過去という亡霊に取り憑かれた2人がその行く末に見つけたものとは。2023年本屋大賞受賞作。 初めての凪良さん作品、周りの絶賛評に誘われましたが、自分にはそこまでフィットせずでした。展開がドラマチックすぎると思ったし、思わせぶりなセリフが多いけど一つ一つのシーンが深まらない。結果、2人をもうひとつ好きになれませんでした。 選択が常に極限すぎるからかな。理不尽もらい事故に不条理袋小路などなど本人に非のないハードモードの目白押しで同情はするけど自分ごとにはなりにくい。好みでしかないけど、価値観の小さなささくれや、日常の他愛のない湿気にこそ、普遍が露わになるのではと思っている自分がいるので、そこが相容れなかった。 もしも櫂にあの事件がなかったら。暁海の母が昔のままだったら。それでも2人の物語が重なり合っていた、ようには思えなかったのです。境遇以外の2人のつながりが脆弱だったし、櫂の文才も暁海の刺繍センスも、裏付けに欠けていた。あるいはエクストリーム波瀾万丈シーソーゲームをサバイブできたのはこの二人だからこそとも言えるのかもしれないけどね。その絶対性に共感も知性も要らないのかな。 このラストならもはや暁海と北原先生の互助は不要に思えるし、結局のところ櫂の私小説なのだとしたら何を突っ込んでも野暮にしかならないぜ(櫂’s脳内美化フィクションで片づいちゃう)。凪良さんも施設育ちとwikiにあったからこれが事実と言われたら受け入れるしかないものね。15年にわたる恋物語を下敷きに、創作や自立、ヤングケアラーにジェンダーと、色んなエッセンスが入りすぎて本筋がボヤけた感じもしました。ラブストーリーだよねこれ? 結ばれぬ恋としての重みは足りなくて、なんとなくセカチューを思い出しました。男女両A面という意味では冷静と情熱の間か。って例えが昭和臭なので、つまりは歳食ったおじさんのタワゴトですね。令和に求められたある種の通過儀礼であり、時代を超える作品ではない(と思う)けど、その時代を確かに彩った物語として位置付けられそうな気がするのでした...