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感想_「静かな人」の戦略書

しばらく間が空いてしまいましたが僕は元気です(今日は10/5)。ここから巻き返します。 さて。ジル・チャン『「静かな人」の戦略書。騒がしすぎるこの世界で内向型が静かな力を発揮する法』読了。自らを「根っからの内向型」と認識する、台湾出身でアメリカで学びキャリアを積んだ著者。声の大きなコミュ力の高い人ばかりが世界を動かしていそうに思ってしまうけど、引っ込み思案で消極的な人でも大丈夫と背中を押す自己啓発本。ブックオブザイヤー特別賞を受賞し、世界中で受け入れられているという一冊。 新聞の書評で気になったので手に取りました。何を隠そうボクも内向型。人前で話すのは得意ではなく、アドリブには弱い。近所で微妙な知り合いを発見するとちょっと道を変えてやり過ごしたり、そういう感じです。なので、大いに期待しましたが、やや期待外れでした。 だって、著者は優秀すぎるんですもの! スピーチの最初に気の利いたジョークを言うのが、たとえちゃんと準備していてもどれだけ難しいか(そもそも思いつかないし!)。戦略的に得意なことで勝負するとは言うものの、勝ち筋を見出すほどの能力に恵まれていなかったらどうしたらいいのか。渡米直後で言葉も不自由だった頃に、なるべくアメリカ人と一対一の会話をするよう心がけたって、本当に内向型なのかな。 終始そういう印象だったので、ボクからするとこの本は、高い能力を持つけど内向型な人の戦略書という感じでした。自分を大きく見せようとしない、何事も入念に準備するなど、共感し学ぶべきところももちろんありましたけれど。 でも、それだけ多くの人がこの本を手にしているのだとしたら、それは内向型に悩む人がそれだけ多いということだと思います(アメリカ人も1/3は内気でシャイなんだそう!)。この本も、最近のその他のいろいろも、ありのままの自分を肯定するように説いています。でもそれって、かなり難しいことだとも思うのです。ありのままの自分でいたいとも思うし、できることなら理想の自分でもありたいと願うのが普通のような気もするから(できれば労せずに!)。 と、クダ巻いたりもしちゃったのですが、おそらく一番大事なことは自分と向き合って、自分はどうありたいのかを考えることでしょう。内向型であれ外向的であれ、それをよしとするのかしないのか。しないのであれば、どうありたいと思うのか、そのために何ができるのか。この

感想_鬼の花嫁

Apple Watch SE ほしいかも! しかし今使っている腕時計もお気に入りなんだよな。 さて。今、書店を賑わせてるコミック『鬼の花嫁』(漫画:冨樫じゅん)と、その原作になる文庫『鬼の花嫁』(著:クレハ)1〜2巻を読了。人とあやかしが交わる世界、そのトップに君臨する鬼の一族に「花嫁」として見初められた柚子。あやかしの本能によって溺愛される少女を描いた、和風シンデレラストーリー。 とてもシンプルで、王道ど真ん中とでも言うべきストーリー。不遇な少女が、王子様の出現によって救われるお話です。意地の悪い妹がいて、信頼できる友人がいて、個性ある脇役がいて、読者が望んだ通りに展開するのがいいところ。 文庫はとっても読みやすいエンターテインメントで、コミカライズはストーリーを損なうことなく物語を拡張していると感じました。シンプルなタイトルもよかったんですかね。電子コミック書店のコミックシーモアさんで火がついて、紙コミックスも発売即重版が決まるほどのヒットになりました。 文庫2巻は学園ものに舞台を移しつつ、霊獣まで登場するなど、新キャラも登場。個人的には蛇塚くん推しなので、ぜひ彼にも幸せになってほしいものです。鬼、狐、猫、蛇ときて、今後どんなあやかしが表れるのかも楽しみ。3巻には龍が出るようです。ほかに出るとしたらなんだろ…オオカミもありですかね。あとはヌエとか?(マニアック?) よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_おいしいごはんが食べられますように

ちょっと海外行きの航空券見てみたらサーチャージ半端ないって…! さて。高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(2022年刊)読了。小さなデザイン制作会社に勤める二谷は、食べるものにも、食べることにも、その周辺にも執着しない。そんな二谷に仕事を引き継ぐ芦川は、「体にいいものを食べること」を是として、手作りのお菓子を職場で配る。後輩の押尾は、そんな芦川を疎ましく思うのだった。 今回の芥川賞受賞作品、ほんわか装丁と中身のギャップで話題を呼んでいる一作です。ほんわかごはん、出てきません(丁寧おやつは出てきます)。いや、ちゃんとごはんも出てはくるんですけどね、それがひとつの攻撃対象として物語を回す役割という意外性。価値観のギャップの象徴。 人間関係の奇妙さを描いた作品だと思いました。二谷は芦川をどこかで馬鹿にし、嫌悪さえしながらも同時に放って置けないとも思っている。押尾は芦川を嫌い、二谷を好み、2人の関係に勘付きながら傍観する。職場の人間関係はそんな三角関係も飲み込んで回っていく。合理的じゃないし、筋も通らないけど、それこそが人間と人間の距離感なんでしょう。 頭が痛くて早退してしまい、仕事で決して無理をしない(そして周りはさせない)芦川を、みんなもやもやしながら受け入れるのが、とても今っぽくて、どちらの立場にしてもこういうのは思い当たるところあるんじゃないですかね。 僕も、子供の熱などを理由に早退したり、在宅したりすると、後ろめたさを感じざるをえません。一方で、いやいや、親だからこれが当たり前だしこういうのが普通になる方向に世の中変わっていかなきゃいけないんだと正当化したり。答えは出ないよね。 それぞれ自分のルールが第一にあって、みんながそれを尊重できることが多様性のように言われています。でも、個のルール同士が相いれないことはしょっちゅうあるし、それとは別に共同体のルールだってあるはずで、そのあたりどう折り合いをつけていくのかの共通解が見えない今日この頃。誰も教えてくれないよ。 なんとなく僕は自転と公転を思い浮かべて、好き勝手自転した結果、公転の軌道を外れてしまったら、その惑星系は成立しないよね多分。 今は、人間関係や社会との距離感といった惑星系が、大きく揺らいでいる時代なのかもしれないなと思う一冊でした。まさしく今を切り取るテーマであり、それこそが芥川賞の要因なんだ

感想_小さなトロールと大きな洪水

いつのまにか中銀カプセルタワー解体工事始まってたんかー! 見に行かねば。 さて。トーベ・ヤンソン『小さなトロールと大きな洪水』読了。ムーミントロールとママは、パパを探しながら森の中をさまよう。スニフやニョロニョロ、チューリッパなど不思議な仲間と出逢う。 ムーミンの原作小説のいちばん最初のお話。第二次大戦中に書かれ、その出来栄えにヤンソンさん本人があまり納得していなかったこともあって、日本で翻訳されたのは他のシリーズの30年もあとだったという本作。ヤンソンさんそもそもは風刺画家だったそうで。 『ムーミン谷の彗星』もかなりシュールな物語でしたが(とても好き)、この作品もなかなか突飛というかファンキーというか。つかみどころのない、なかなか素直には愛しづらい特異なキャラクターたちが次々と不思議な体験の中で旅が進みます。 なんで?という唐突な展開と、何を考えているかよくわからない登場人物たち。でもこの理解とは別のところを進む物語性と、媚びてない感じが好ましくも思います。読者や、子供におもねることのない、作家の描きたいものを描いているように感じます。戦争という暗い時代が描かせたという部分も含めて。子供の方がこういうのは素直に楽しみそうな気が(長男に読ませてみよう。文字だけの本は初めてかな)。 僕はアニメも見ていないので、まっさらな気持ちでムーミンたちのお話を楽しんでいます。この先のシリーズもちょっとずつ読み進めていこう。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ゆめのはいたつにん

村神様の弟さん、兄と同じ九州学院の4番を打っていて、甲子園出るんですって! どこまで盛り上げるんだ〜! さて。教来石小織『ゆめのはいたつにん』(2016年刊)読了。派遣社員をしながら、脚本家を目指していた筆者が、あるとき一念発起して、カンボジアの子供たちに映画を届ける活動をスタート。コネもない、お金もない、チカラもない中で、それでも映画で子供たちに明るい未来を見せるという信念が、多くの人を動かしていったその記録。 いち映画ファンとして、なんて素晴らしい活動だろうと胸を打たれました。と同時に、恥ずかしいというか悔しいような気持ちも。映画は好きだし、素晴らしいと思うけれど、彼女ほど強く映画のことを信じられていないとも思ったし、それ以上に彼女のように自分の夢を持ち、信じ、進み、そして叶えること、できていないよなと。羨ましさと、ジェラシー。 活動は苦難の連続ながら、素晴らしい仲間がその時々に現れて、前へ前へと進んでいきます。カンボジアについて教えてくれる人、上映を手伝ってくれる人、プロジェクターやスクリーンを提供してくれる人、チームを引っ張ってくれる人、時にしかって鼓舞してくれる人。この本だけだと、それはそれは順風満帆のサクセスストーリーにも思えてしまうけど、現実はそんなに生易しいものではなかったと想像します。にもかかわらず多くの人を惹きつけている事実に、著者の方にお会いしてみたいと思いました。なお、この活動は今、 NPO法人 World Theater Project として、さらに多くの子供たちに映画を届けているそうです。(コロナによって色々大変そうです) 夢を持つってやっぱり簡単じゃないし、持ち続けること、行動に移すことはさらにハードルが高い。だからこそ、それを実現している人にはどうしても自分の分まで託すような気持ちでついて行きたくなるのかもしれないな。 翻って、自分は何ができるだろうか。彼女が映画なら、僕はやっぱり本かもしれない。なんだかんだ本が好きで、本に関わってきた半生。それを何かしらの形で社会に還元したいような。著者は、映画の配達を「夢の種まき」と表現しています。でもそれは少し違うかもしれなくて、映画を受け取ったわけではない僕にまで(おそらく他にも活動に参加したり、この本を読んだ人たちにも)、夢の種は蒔かれているように思います。著者自身が夢の生産者だ。 そんな

感想_希望の糸

村神様の5打席連発は異常でしたね。3連発で逆転負けくらったときは悲しみに暮れましたが、5打席連発となると話は別! 打たれてよかったよ異次元の記録をありがとう!! さて。東野圭吾『希望の糸』(2019年刊)読了。自由が丘で喫茶店を営む花塚弥生が殺された。誰に聞いても「どうしてあんないい人が」と言い、捜査一課の松宮たちは手掛かりがつかめない。しかし、思わぬところから真犯人の自供が出た。でも、何かがおかしい。みんなが嘘をついている。もつれた運命の真相とは、はたして。 けっこうボリュームありましたが、いつものように真相を知りたい気持ちに引っ張られてほぼ一気読み。バラバラだった人物が悲しい事件を起点に交差し、もつれていくのは、なんともやりきれないぜ。大きなテーマは子宝と親子関係で、子供に恵まれること、それを失うこと、親を看取ること、親の人生を知ること、いろいろな糸が織りなされています。読む人の立場で、感情移入する人物が変わりそうな気がします。 いつも通り面白かったのですが、最大のテーマになる親子関係の扱いが軽いようにも感じました。ミステリとしての複雑性・意外性を取るために関係者を多くした結果、それぞれの心の動きはちょっと弱くなったきらいが。ある程度はトレードオフにならざるを得ないとしても、体外受精などデリケートなテーマも含まれているし、そもそも親子関係を掘り下げた作品は数多く、名作もたくさんあるだけにね。汐見家の憂鬱、花塚さんの孤独、綿貫夫婦の過去、そして松宮姉弟の運命。どれか一つでも長編分のドラマがあるよ。 その中心にいるべきキーパーソンであり、ある種の被害者とも言える萌奈をもうちょっと輝かせてほしかった気もする。「あたしは、誰かの代わりに生まれたんじゃない」なんてアオリを入れるくらいならなおのこと。そして花塚さんのキャラクターはブレていたように感じて、誰もが「いい人」と呼ぶようには見えなかったかな。きわめつけは、犯人の境遇があまりにも悲しい。ようやくたどり着いた安住の地をこんなふうに奪われてしまうのは、辛すぎるし、その気持ちを動機としてしまうのも苦しかったです。彼女が最後についた嘘はあまりにも重いよ。あんなこと言わせないでほしかったし、もっと別の救いを与えてほしかったよ。あと、別世界線で動く松宮のエピソードも、ちょっと都合がよすぎたように思います。 辛口になってしまいまし

感想_嫌いなら呼ぶなよ

先日芥川賞と直木賞発表されましたね。芥川賞読みたいな。 さて。綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』(2022年刊)読了。4本の中編が収められた一作。装丁に惹かれて買いました。水玉好き。 『眼帯のミニーマウス』 闇を抱えた元ロリータファッションに身を包んだ広告代理店(中小)勤務のりなっち。うっかりプチ整形のことを会社で知られたら盛り上がっちゃったので、ちょっと仕返しをしてみたり。 こじらせ女子を絶妙なテンションで書き上げる綿矢節が炸裂!って感じで痛快に読み上げました。 「インスタントに表明されてはすぐ消える私のお気持ち」とか「時すでにお寿司で遺伝と早期教育は私にバッチリ染み込んでいて」とか、ネットスラングじみた言葉使いが秀逸よね。実際にこんなふうに書くかどうかは置いといて、絶妙にそれっぽいぜ。 おそらく装丁の毒々しめポップ路線はこのお話からインスパイアされているのではと思いました。けばけばしいスイーツの、体に悪そうな感じのお話。中毒性あり。 『神田タ』 マッシュルームカットで飲食店アルバイトを転々としてきた、ぽやんちゃん。ひょんなことから2流YouTuberの神田を追いかけ始めたところ、まさかのバイト先で遭遇。いちばんのファンを自負していたものの、神田はぽやんちゃんの愛憎混じったコメントを見ていなかったことを知って…。 これまたアクロバティックにこじらせた主人公。勝手な思い込みで突っ走り、暴走し、あげくプチ放火して我に帰ることもなく、神田が振り返ることもなく。これまた絶妙な自意識高い系を描き切る綿矢先生よ! 『嫌いなら呼ぶなよ』 妻の友人、ハムハム夫婦たちに不倫を責め立てられる霜月。永遠に終わらない攻撃を受け流しながら、ひたすらこの苦行について思いを巡らせるが、最後までここから逃げ出すことはできず…。 珍しく男性主人公で、だけど、こじらせてるのはやっぱり同じ。ちなみに本作品すべてに共通してコロナ禍が舞台。そしてみんな、謎のあだ名が登場。ハンドルネームっぽい呼び名の交換は今時のアバター感出てるのかな。メタバース先取り的な。どれも自意識中心に語られる一人称で、コミュニケーション不全を感じさせる不穏さ。この一方通行感が生々しいのと、もどかしいのとで、なんともいえない気持ちの悪さ。でもこれが今のリアルなのかもしれないぞ。 霜月を擁護はしにくいけど、変わるがわる正義を振りかざすハムハム

感想_人助けをしたらパーティを追放された男は、ユニークスキル『お助けマン』で成り上がる。

まもなく開業の東京ミッドタウン八重洲に小学校が入っててびっくりした僕です。 さて。お寿司大好・著、只野まさる・作画『人助けをしたらパーティを追放された男はユニークスキル『お助けマン』で成り上がる。』読了。弱者を放っておけない生来のお人好しを疎まれてパーティを追放されたウォリーだったが、彼が助けた謎の老人にユニークスキル「お助けマン」を授けられる。それは、人を助けるごとにスキルポイントを得られる前代未聞の規格外スキルだった。 小説版と漫画版同時発売の本作、まずは小説が三人称で驚き。異世界ではあまりないパターンな気が。キャラクターがしっかり立ってて、ウォリーの行動に必然性があるので応援できます。 差別を受ける魔人や、パーティ内いじめをされる子など、マイノリティの救済にポイントが定まっていて、とても今の時代っぽい優しい世界観。スキル的にほぼ際限なく強くなってしまうけど、うまく制約を咥えながら展開していてるのもいい感じ。小説版のクライマックス、昇格したお祝いの場でのダーシャのスピーチには泣かされちゃったよね。成長感! 憎たらしいミリアにさえも救いをあたえるラストもお上手で、これは後に回収されそうなフラグ。 コミック版も原作を忠実にテンポよく消化しています。そのうえで、漫画らしいコミカルさが加わっているのもいいところ。個人的には小説の世界観を知った上で漫画を読むと、二度楽しめるかな〜と思いました。 キャッチコピーは「正直者がバカをみない」。まさに!というお話です。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい 1 日を。

感想_ウルトラライトハイキング

いつかロングトレイルやってみたいんだよな〜。ただひたすら歩くをやってみたい。 さて。土屋智哉『ウルトラライトハイキング』(2011年刊)読了。アメリカで生まれ日本にも広がる「ウルトラライトハイキング」のイロハをまとめた一冊。歴史、思想、そして具体的な道具選びまで、これを読んだらハイキングに出たくなる! たまたま古書で見かけて、 ちょっと前に読んだWIRED で山と道の方のコラムにウルトラライトハイクについて書かれていたな〜と思って手に取りました。10年前の本だから、きっと今はさらに日本にも定着しているのかな? 読んで字の如く、極限までミニマムな装備で山に入り、長期間のロングトレイルを楽しむスタイルのことですね。 本編にも、WIREDのコラムにもありましたが、このスタイルの肝は、何を持っていくか以上に、何を置いていくかを考えることだそう。すなわち、自分に必要なものを見極めて、削ぎ落として、残るものとはなんなのか。食事を優先するのか、寝具にプライオリティを置くのか、そういうこと。 ちょっと前まではモノが少ない時代だったから、モノをたくさん持つことが志向された。けど、部屋に入り切らないくらいのモノにあふれた今は、どれを手放すかを考えるほうが理にかなっているというか、自然体に近づけるんでしょうね。僕たちの手はそんなにたくさんの荷物を持てなかったってだけのこと。 映画『わたしに会うまでの1600キロ』でも、トレイル初心者主人公が、持てないくらいの荷物を準備したけど、ベテランハイカーにあれもこれも要らないってポイポイ捨てられるシーンがあったっけ。再生がテーマのドラマでしたが、人生の荷物をちょっとほどいておろしていく直喩だったんだなと思い出しました(また観たいなあらためてRIPジャンマルクヴァレ監督)。 やっぱり現代人は身も心も、物理的にも精神的にも、直喩的にも暗喩的にも、荷物が多すぎるのかもしれません。そんなことを示唆してくれるウルトラライトハイキングでした。一度、やってみたいな。まずは1泊2日とかで、近場でいいから、たっぷり歩いて身軽に自然の中に泊まりたいよ。 余談ですが、たまたま読んだ雑誌から、この本につながったわけで、そういう偶然の興味の連鎖が好き。アンテナが立つとそれまでは素通りしていたはずのものが見えてくる不思議。シナプス・ツリーとかマインド・ツリーとか呼んでおくか(

感想_時間は存在しない

時計のバンドが切れかかっているので交換したいのですが、生活動線上に時計屋さんがないんですよね〜。 さて。カルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』(2019年刊)読了。イタリアの物理学者による時間論で、「物理学的に時間は存在しない」ということをさまざまなアプローチから実証。では、私たちが日々刻々と感じているこの時間とはなんなのかを解き明かす科学エッセイ。 実はこれとは違う時間にまつわる本に興味を持ったところ、この本も併せて読みたい的な感じだったので先にこちらを読んだ次第。物理や数学の用語も多くてかなり難解だったのですが、一方でドッグイヤーをつけたところもたくさんあり、示唆に富む、ベストセラーというのも頷ける一冊でした。まず驚いたのは、時間は低いところよりも高いところで、また速度のあるところよりもないところで、速く流れるということ。そんなことってあるの!?(あるんだそうです) 正確に理解できているか甚だ自信はありませんが、この世界には物理的な「時間」という存在はないのだそう。それどころか「モノ」さえもなくて、すべては変化=出来事の集合なんだそうです。モノと思われるものは変化が少ないだけで、石も、鉄も、人間も、すべてがいずれは消滅する=変化するということだそう。時間というのはその変化の連続を相対的に表しているにすぎず、前述の通り場所によって速さも変われば、すべてに共通する「今」というのは幻想でしかないのだそう。地球における今と、数万光年先の星における今は、同時に発生することがないように(今、ここに届いた光は、いつ生まれた光なんだっけ?という話)、時間とはあくまでごく近い間柄でのみ共有しうる局所的な概念なんだそう。 詰まるところ(だいぶ端折ってしまいますが)、時間とは私たちの記憶と予測なんだそう。過去とは記憶であり、未来とは予測であり、その中間点こそが今であるということ。私たちの人生はその総体としての物語であり、それゆえに悩みも苦しみもすれば、幸福や愛情を感じることもあるのだそう。記憶や予測がなかったら、それはつまり時間のない世界ということになるわけです。 さて。時間が存在しないとして、だからどうだというのでしょう。この本を読んだことで、僕の時間が止まるわけでも消滅するわけでもなく、今日は昨日になり、明日が今日になっていくことに変わりはありません。物理的に存在しないとしても

感想_心をととのえるスヌーピー

サーキュレーターと扇風機の違いを学んだ僕です。それにしても、いきなり暑さ全開ですね。 さて。 スヌーピーミュージアムに行ってきたわけですが、 そういえば、最近書店でよくスヌーピー本を見かけるよなと思って購入したのがこちらの本です。枡野俊明さんという曹洞宗のご住職による監修で、コミックのピーナッツに「禅」との共通点を見出し、その教えを説くという一冊。なるほどそうきたか! 昨年出版されて早くも10刷と大人気! 構成は、禅の言葉ひとつと、それに対応するピーナッツ作品が並び、解説が加わるというシンプルなもの。例えば「日日是好日(にちにちこれこうにち)」とあって、「晴れの日も雨の日もかけがえのない一日」ですよと説き、あわせて「人生には晴れの日も雨の日もあります」というマーシーの台詞が入ったコミックが添えられると。 なんたって禅の言葉なので、ちょっと心を整えてくれるような教えがたくさん出てきて、今の自分に合うものがきっと一つや二つ見つかると思います。ピーナッツと併用されるので、とても受け止めやすくて、寝る前とかにパラパラめくるのにちょうどよい感じで、「悩みが消えていく」という副題も、さもありなんというところ。 強いていうならば、僕的にはピーナッツの本質は、禅の言葉のような思想を軽くいなしちゃったり、茶化しちゃったりする茶目っ気だと思うのですよね。前述の日日是好日にしたって、マーシーの言葉を受けたペパーミントパティは「今夜の私の谷は土砂降りだわ」って返すわけで。禅というよりはリアリストかな、と。きれいごとを、きれいごとだけで終わらせない(決して馬鹿にもしてないのがいいところ)から、より悟りを開いているとも言えそうな気がしました。 ちなみに、写真の右の本は、ミュージアムで買った公式図録で、こちらはシンプルにピーナッツの作品集といった向き。巻末に作者のシュルツさんの奥さんと、落語家の春風亭一之輔さんのインタビューがありました。ピーナッツが落語とちょっと似てるというのは目から鱗。確かにね。ちなみにこちらのブックデザインは祖父江慎さん&コズフィッシュ。 何にしてもピーナッツのコミックにはユーモアと哲学が詰まっているってことは間違いないですね。 よりみちしながら、いきましょう。たまにはスヌーピーみたいに屋根の上で寝るのもいいかもね。今日も、いい1日を。

感想_追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する

関東、もしかしてもう梅雨明けしましたかね? やったー。 さて。猫子著、じゃいあん作画『追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する』読了。外れクラスとされる「重騎士」を引いたエルマは内心ほくそ笑む。なぜならここは前世でやり込んだゲーム「マジックワールド」の世界そのもので、重騎士は一見使い勝手が悪く不人気だが、極めれば最強となる壊れクラスなのだ! それを知らない周囲の人間たちはエルマを嘲笑い、父は彼を追放。エルマはひとり冒険に繰り出し、重騎士を育て、最強への道を歩み始める! 無茶苦茶面白かった。無茶苦茶面白かった(2度言う)。まだそんなに多くを読んでいないのにあれですが、作者の猫子さんを、ラノベ界の東野圭吾と呼びたくなったよ。そのくらい、簡潔で無駄のない文章と、よく作りこまれた設定に魅了されたのです。コミック版も忠実に再現されていて、早く続きが読みたいぞ! 何がいいって、使い勝手が悪い重騎士という特性上、チートで無双することはわかっていながらも、いつも格上とのギリギリの戦いなので、普通にワクワクすること。使う技も、出てくる敵も、キーアイテムも、ベタなテンプレではなく、玄人好み。グールヘッドにマッドヘッドって、ビジュアルも気持ち悪すぎるだろうよ。笑 まだ序盤ですがすでに盛り上がってる上、ここからの展開もまだまだ広がりがあることが読み取れるので、先へ先へとページをめくらせる推進力に。この辺りが東野圭吾と呼びたくなる理由。 今更ながら、ゲーム世界を物語として再現するって最初に考えた人すごい。実際のゲームはプログラム通りにしか動かないけど、現実世界に落とし込んだ瞬間、あらゆる設定に意志が宿ってキャラたちも自由に動き始めるという。この作品も、ゲームよりも貨幣価値がインフレしているとか、貴族がより権力を強化しているとか、確かにそういうことは起こりうるよな、とリアルです。 ネット小説と侮るなかれ。こういう本物と時々出合わせてもらえるから、エンタメってやめられません。(まだ初心者のため、もっと前から同様の名作あるのを知らないだけかもしれませんが) よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_くるまの娘

夜、みるみる冷えてきて、慌てて長袖長ズボンのパジャマに戻しました。さぶ。 さて。宇佐見りん『くるまの娘』読了。病気を経て変わってしまった母、そんな母をなじり手を上げることもある父、そんな家を早々に出て行った兄、そして妹のかんこは、学校にうまく行けなくなって…。しかし、祖母の葬儀のため家族は1台の車に乗り込んだ。かつての家族旅行のように車中泊を経て、束の間の高揚感にも包まれるが、思わぬ衝突が生まれて。 くるまの娘 :宇佐見 りん|河出書房新社 『かか』『推し、燃ゆ』の宇佐見りんさん最新作。前2作どっちも読んでないので、フラットな気持ちで読みましたが、とても力のある作品でした。わずかな出来事で小さな家族のひそやかな歴史を掘り下げていくのですが、車というキーアイテムもあってロードムービーのような印象でした。とても映画的だと思いますし、実際に映像化したものも観てみたいと思いました。安直だけど、『ドライブ・マイ・カー』のような味わいになりそうな。 簡単に言えば、半壊した家族です。かなり悲惨と言ってもいい。でもそれは、誰が悪いわけではなく、誰にも止められないままそうなったもので、程度の差はあれど、どんな家族も、どんな人生も、そんなものだろうと思いました。たまたま良いほうに転がることもあれば、どうしてか悪いほうにいってしまうこともある。かんこたちは、ちょっとついてないほうの目が出ただけ。 でもそれを、周囲や社会は許してくれなかったりする。細かい事情は全然見えてないのに、表面の現象だけで善悪を決めつけ、価値観を押し付け、結論を迫ろうとする。現代はそれがより、短絡的かもしれない。むやみに正義を振りかざされることも多いような気もする。でも、人間関係とか人生とかって、きれいに因果を求められるものじゃないし、正しいとされるものがすべてでもないんだよな、と読みながらそんなことを考えました。この物語では「自立」や「自己責任」というものを問いかけています。自己責任という言葉はある頃から一般的になりましたが、そんなに簡単にひとりで何でも引き受けられるもんじゃないですよね。 そういう、どろどろしたものを、多かれ少なかれみんな抱えている。どんなに世の中が便利になって、スマートに成熟したとしても、こういう人間味や、ある種の不条理はなくならないんだろうと思います。いや、なくしてはいけないものなのでしょう。

感想_ナナイロ雷術師の英雄譚

えー、もう梅雨入りですか、早いなあ。早く明けてほしいなあ。 さて。日之影ソラ『ナナイロ雷術師の英雄譚』と、水木シュウ『ナナイロ雷術師の英雄譚』1巻、読了。前者がノベル版、後者がそれを原作としたコミック版。魔法がすべての世界で、11の属性を持ち神童ともてはやされたリンテンス。しかしある日、雷に打たれたことで、ほとんどの属性が消えてしまう。絶望に打ちひしがれるところ、聖域者のアルフォースが現れ、リンテンスを弟子にしようと告げる。唯一残された雷属性を武器に、最強を目指してリンテンスは再び立ち上がる! 異世界ものの王道的な成り上がりストーリー。能力を失ったことで両親から見捨てられるも、師匠との出会いを経て、自分を捨てた者たちを見返すために立ち上がっていくリンテンス。「雷」は男子的にはなかなかの萌えキーワード。しかもここで扱うのは色源雷術なる、七色(以上あるかな?)の雷を操るのだから迫力あります。コミックもこの絵柄が見せ場だぜ。 鬼滅の刃の呼吸よろしく、色源雷術「赤雷」「蒼雷」「藍雷」などコールとともにバトルが展開。やはりこの様式美パフォーマンスは、盛り上がります。ノベルは程よくかっちりした文体で、この雷魔術のディテールがよく考えられているなという印象。すでに超絶奥義も登場しますが、コミック1巻ではまだ赤と蒼だけなので今後が楽しみ。映像映えもしそうね。 追放からの成り上がり、ユニークスキル、師匠(無敵!)との信頼関係に学園の仲間たち(炎に精霊にケモ耳)との切磋琢磨、そして強敵たちとの邂逅と、バトルものの王道がしっかり詰まった英雄譚。楽しく読めました! しかしながら、異世界市場はこの作品のようなバトルものがやや退潮気味の模様。バトルものは出発点もプロセスも違えど、頂点を目指すというゴールがどうしても類似してしまって、飽きられてしまうというか単調になってしまう部分もあるのかもしれないなと思いました。対して、スローライフものと言われる世界は、どちらかというと自由に水平に360度広がっていくイメージ。それはそれで収拾つけるのは難しいと思うのですが、キャラや会話をサクッと楽しめるのがネット小説らしくていいのかもしれません。奥が深いぞ、新文芸。 そんなわけで、まだまだ異世界勉強中。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_雨上がり、君が映す空はきっと美しい

  トランクルーム借りたいような気がする今日この頃。徒歩圏内であるといいんだけどな。 さて。汐見夏衛『雨上がり、君が映す空はきっと美しい』(2021年刊)読了。くせっ毛は言うことをきかないし、ジメジメして滅入るし、雨なんて大嫌い。そんな風に思っていたコンプレックスの塊の高校1年生、美雨。でも、憧れの先輩、映人と言葉を交わしたのは、そんな雨の日だった。 『君はきっとまだ知らない』 の汐見さんの単行本、これもなかなか良かったです。等身大の高校生と言っていいですかね、こんな風に自分を肯定できず、いろんなことを諦めたり、逃げ出してしまったり、そういう経験がある人には特に共感できるような、そして背中を押してくれるのではないかという本でした。 登場人物はごく少数で、決して大きな世界ではありません。それゆえに主人公の心情がストレートに伝わります。自分を卑下して、先輩への恋心をひた隠しにし、でもどこかで奇跡を願ってしまう自分が愚かで醜いとすら追い込んでしまう美雨。対照的に、おおらかでどこまでも明るく自由で太陽のような映人。それには理由があるわけですが、2人のコントラストはわかりやすくて、自然に好感が持てるのです。 映画がキーアイテムにもなっているので、映像的な描写も美しく、渡り廊下の横の水たまりを見つめる描写は胸を打つものがありました。雨樋からの水滴がコツコツと地面を打ち続け、やがて土を掘り、水たまりとなり波紋を映す様を、自らの恋心となぞらえる。その裏では、毒親(最後にフォロー入るけどなかなかひどい)からの呪いの言葉によって少しずつ闇が深くなっていったことも示唆しつつ。全体、雨と水にまつわる単語をちりばめて、物語世界全体を包んでいるのも綺麗ですね。書影イラストもいい感じ。 なんだか、映画『虹の女神』を思い出したな。何気ない日常のきらめきを切り取るような物語。この小説も、いい青春映画になりそうで。あと、隅っこにいた自分が対極にいる人と触れて価値観が開かれていくという意味では、『ウォールフラワー』も頭をよぎったのでした。映画つながり。 できすぎている部分もありますが、それよりも瑞々しく優しい世界に癒されました。青春好きさんはよろしければ。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_君はきっとまだ知らない

久しぶりに大道芸を楽しみました。観覧者も一頃より随分増えてましたよ。 さて。汐見夏衛『君はきっとまだ知らない』読了。正義感が強く、クラスのまとめ役だった光夏は、ささいな出来事をきっかけにクラス全員から無視されるように。ギリギリのところで耐えていた光夏の前に、幼馴染だった千秋、春乃、冬哉が現れ、彼女をサークル活動に誘うが、今の自分を知られたくない光夏は、彼らを拒絶してしまう。 自己肯定感をなくしてしまった高校生の物語。こういう迷いや挫折は、学生にはつきものと言えそうです。いや、学生に限った話ではなく、すべての世代に共通するものがあるように思います。失敗や、不運が重なることで、いろんなことがうまくいかなくなり、自分は何者なんだろうと思い惑い、袋小路に迷い込むようなこと、大なり小なりありますよね。 大抵は、それでも折り合いをなんとかつけてやっていくのでしょうけれど、どんどん悪い方に行ってしまうことだってあるわけで、光夏はまさにそんなタイミングでした。真面目で、それまでは自分に自信があったからこそ、思い描いていた自分とのギャップに苦しんでしまったという。   そんな彼女を救ったのが、幼馴染の3人、とりわけ千秋(男子です)でした。なぜ疎遠になっていた彼らが現れたのかはネタバレになるので控えますが、光夏が見失った光夏自身を、彼らが思い出させてくれます。おそらく彼ら自身も当たり前だった光夏の存在を再確認したのでしょう。自分だけでは見えないこと、気づけないことも、誰かがきっと見ていてくれる。特に世界がまだ小さい学生には、この物語がそれを知るきっかけとして機能しそうです。 人は1人じゃないし、1人では生きていけないこと。それを教えてくれる1冊です。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_騎士団長殺し(上下)その2

  葛根湯様様の僕です。無事に体調回復しました。 さて。村上春樹『騎士団長殺し』の感想の後編です。 改めて、村上作品の主人公は一貫して孤独(ある意味での)であり、徹底したスタイルを持ち、実年齢とは別に少年のままですよね。それが独自のファンタジーとなり、 " 子供みたいな純粋性 " を残した(あるいはそうでありたいと願う)人たちを刺激して、「これは自分の物語だ」と思わせているのかもしれないと思いました。だからこそ世界中で愛されているし、あまり共感できないという人もいる。村上チルドレンやハルキストと呼ばれる人は、この純粋性に憧れを持つ人なんだと思います。子供っぽいと言っても間違いじゃないのかも(そして僕もその一人)。 ところで副題に「イデア」と「メタファー」とありますが、これってなんでしょうね。日本語訳すれば、理念と暗喩。前者は物事のあるべき姿で、言い換えれば善なるもの。後者はそこに隠された意味で、真実や示唆というところでしょうか。「どんな物事にもいい面と悪い面がある」は本書にも出てきましたし、村上さんの定説だと思いますが、何事にもイデアとメタファーがあると言っても差し支えないかもしれません。あるべき姿と、その裏に潜む意味と。この辺りは本書の大きなメッセージのひとつのようにも感じられます。 小説としても前半は「イデア」が仕掛けとして次々立ち上がり、後半は「メタファー」となって回収へと向かっていく。私たちの目の前に現れることは全部何かしらの意思を持ったイデアということができるし、そして巻き起こるあまねく事象は何らかの示唆を含んだメタファーでもある。無駄なことなんておそらく一つもなくて、それらを拾い集めながら僕たちはどこに向かうのかを日々決定しているのでしょう。好むと好まざるとに関わらず、いい面と悪い面を混在させながら。 それに自覚的であることが、僕たちの日々をよりよくするために必要なものであり、他人に対して寛容である唯一の方法のようにも感じます。時間がすべてを押し流し、強大なものが力を行使し、ちっぽけな個人ではただ飲み込まれてしまうような毎日だからこそ。今日、何を見て、何を思うのか。自分にとってそれらが何の意味をなすのか。無自覚であればそれはただ流れ去る空白でしかなく、でも目を凝らして一つ一つを吟味すれば、強大な何かに対抗しうる強い力になる

感想_騎士団長殺し(上下巻)その1

突然発熱して1日伏せってました。何だったんだろう。 さて。村上春樹『騎士団長殺し』読了。うまくやっていると思っていた夫婦生活は、妻からの一方的な申し出により終わりを告げた。私は家を出て当てもない旅をし、そして友人の雨田政彦の紹介で、彼の父である雨田具彦の暮らした小田原の家に転がり込むことになった。一人になるために。傷を癒すために。しかしその家には知られざる傑作絵画『騎士団長殺し』が眠り、そして謎めいた白髪の紳士より肖像画の依頼が舞い込む。開き始めた環は、私を取り込んでどこへ向かうのか。 相変わらずの村上さんスタイルで、面白く堪能しました。しかしいつもながら長大な物語ゆえ、どこからどう感想を綴っていいかわからないので、本書に習って2回に分けたいと思います(イデアとメタファーに分けられないけど)。まずは物語の筋について。 序盤、またも妻に去られ(女のいない男がまた一人!)、井戸のような穴が現れ、やがて謎めいた人物と少女が主人公を翻弄していくのは、いつもの村上節だな~と、久しぶりの長編でしたが、安心感と既視感の間で。孤独なようでいて女性関係には妙に縁がある主人公もおなじみです。職業は肖像画家。描写から読み取るしかないのですが、そのスタイルは、村上さんの創作スタイルと相通じるのではないかと想像しました。対象の中に深く入り込み、その核となるものを見つけたらそこから物語を立ち上げ、様々なものを肉付けしていくような。あくまで想像に過ぎませんが、そう思わせてくれます。主人公の描いた絵を見てみたかったな。 免色さんというキーマンが名前からして不穏すぎて、果たしてどんな役回りになっていくのかという興味が前半を引っ張っていきます。何かしら邪悪なるものの象徴になっていくのではないかと思っていましたが、最後までそういうことはありませんでした。善なるものとは言えないかもしれないけど、全体として彼は彼の役割を全うしていたように思えました。むしろ、仮想敵のようなものを物語に求めてしまった自分が恥ずかしいような。そういう分かりやすさを知らず知らず求めてしまうのか…。それから、いつ主人公が穴に潜るのかと思ってましたが、ついには潜りませんでした。笑 出口ではあったけれど。 非常にたくさんのキーワードとモチーフが出てきます。免色さんという人物と名前もそうだし、謎の大きな穴もそうだし、騎

感想_ジャングル・ブック

  ソニーとホンダのEVってちょっとワクワクしますね。どんなブランド名になるのか。 さて。ジョセフ・R・キップリング『ジャングル・ブック』読了。集英社の「子どものための世界文学の森」シリーズです。祖父が長男に買い与えてくれたものを、読み聞かせしました。文字だけの本の読み聞かせ、そこそこ長いし、なかなかハード。 読み聞かせではありますが、僕自身読んだことなかったので自分の興味優先で読みました。トラにさらわれた赤子がオオカミに育てられ成長するも、人間ゆえにやがて群れを追われ、しかし人間社会にも居場所がなく、という物語。ワイルドだぜ。 動物たちはジャングルの掟を守りながら生きてはいるものの、対立もあれば逸脱もあり、一筋縄ではいきません。一方で、ここに出てくる人間たちも、よそものである主人公を受け入れられないために、かなり悪者として描かれます。どんな社会にもルールがあり、しかしそれを破るものがいる。善良なものもいれば、そうでないものもいる。 主人公自身も決して紳士というわけではなく(ジャングル育ちだしね)、怒りっぽいし、お調子ものっぽいし、最後には群れを捨てて独立しちゃうし。現代に置き換えても、なんともいえないですね。もう少し平和的にいけかなかったものかな、と。 ただ、本作はいくつもの短編の3編をまとめたものということなので、これだけで物語を評価はしないほうがよさそうです。そういえば、少し前に映画化もされてましたっけ。急に観てみたくなりました。子供と一緒に観れるかしら。 そして、この小学校低学年向けのシリーズ、全40作あるのですが、恐ろしいことにほとんど読んだことないです。「若草物語」とか「海底二万里」とか「ロビンソン・クルーソー」とか。だいぶ遅いけど、子供用とかこつけて一緒に読むことにしようと思います。これもまた学び直し。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_女のいない男たち(2回目)

無事に長男卒園式を迎えることができました。色々と感慨深いのでそれについてはまた今度。 さて。村上春樹『女のいない男たち』再読。2014年刊行の短編集。映画『ドライブ・マイ・カー』( レビューはこちら )の評価が高まるとともに、原作が入っているこちらも急上昇中。映画鑑賞後に読もう読もうと思いながら、ようやく再読しました。文庫の帯は映画仕様になってますね。 文春文庫『女のいない男たち』村上春樹 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS 映画を観たときには小説の内容はすっかり忘れてしまっていましたが、改めてなるほど映画の原作になっているなと再確認(なんだそりゃ)。ご存知の通り、『ドライブ・マイ・カー』を骨格としつつ、『シェラザード』『木野』の2作も重要なモチーフとして取り入れられています。 しかし、よくこの短編を映画化したなというのが改めての感想で、確かに骨格は原作からスタートしているし、小説にあるセリフも使われている。でも、主人公の家福の生活や仕事ぶりやロケーションは映画独自のものだし、それがあるからこそ180分もの大作になり、結果として小説が描いていた世界を次元の違う豊かな物語として成立させていました。もう一度映画が観たくなる。 映画とは少し離れて、改めて小説としては、どのお話も、大切な女性を何かしらの理由で失う男たちの話です。死であったり、離婚であったり、あるいはただただ選択としての別れであったり。村上さんの作品は大抵どれも大切な女性を失っているとは思いますが、この短編集もそこから物語が始まります。それは人生を大きく変えるほどの痛みにもなっていますし、結果として自分と向き合うことにもなる。小説にも映画にもある通り、他人を知ろうと思ったら、自分の中を深く覗き込むしかない。それこそが、村上さんが一貫してメッセージしていることなのかもしれません。 大切なものを失った時に初めて、自分にとって大切なものとは一体何だったのか。なぜそれは失われてしまったのか。失ったことで自分はどうなってしまうのか。そういうことと向き合いうことになる。そこに何が残るとしても(残らないとしても)できればそれを受け入れ、乗り越えることが、人生の大きな意味を占めるということかもしれません。 小説単体としても十分に面白いですが、やはりもう映画とは切り離せない一作になったと思いました。ぜひ両方を行き来しながら楽しん