さて。宇佐見りん『くるまの娘』読了。病気を経て変わってしまった母、そんな母をなじり手を上げることもある父、そんな家を早々に出て行った兄、そして妹のかんこは、学校にうまく行けなくなって…。しかし、祖母の葬儀のため家族は1台の車に乗り込んだ。かつての家族旅行のように車中泊を経て、束の間の高揚感にも包まれるが、思わぬ衝突が生まれて。
『かか』『推し、燃ゆ』の宇佐見りんさん最新作。前2作どっちも読んでないので、フラットな気持ちで読みましたが、とても力のある作品でした。わずかな出来事で小さな家族のひそやかな歴史を掘り下げていくのですが、車というキーアイテムもあってロードムービーのような印象でした。とても映画的だと思いますし、実際に映像化したものも観てみたいと思いました。安直だけど、『ドライブ・マイ・カー』のような味わいになりそうな。
簡単に言えば、半壊した家族です。かなり悲惨と言ってもいい。でもそれは、誰が悪いわけではなく、誰にも止められないままそうなったもので、程度の差はあれど、どんな家族も、どんな人生も、そんなものだろうと思いました。たまたま良いほうに転がることもあれば、どうしてか悪いほうにいってしまうこともある。かんこたちは、ちょっとついてないほうの目が出ただけ。
でもそれを、周囲や社会は許してくれなかったりする。細かい事情は全然見えてないのに、表面の現象だけで善悪を決めつけ、価値観を押し付け、結論を迫ろうとする。現代はそれがより、短絡的かもしれない。むやみに正義を振りかざされることも多いような気もする。でも、人間関係とか人生とかって、きれいに因果を求められるものじゃないし、正しいとされるものがすべてでもないんだよな、と読みながらそんなことを考えました。この物語では「自立」や「自己責任」というものを問いかけています。自己責任という言葉はある頃から一般的になりましたが、そんなに簡単にひとりで何でも引き受けられるもんじゃないですよね。
そういう、どろどろしたものを、多かれ少なかれみんな抱えている。どんなに世の中が便利になって、スマートに成熟したとしても、こういう人間味や、ある種の不条理はなくならないんだろうと思います。いや、なくしてはいけないものなのでしょう。それでいいというか、それがいいんですよね。もがいて、傷ついて、でも愛おしいこともあって。救いがあるとも言えないし、シリアスな話ではありますが、人はあらゆる意味において一人では生きていけないと教えられました。
孤独や痛みを一人で抱え込むのではなく、共有できる誰かがいますように。かんこを支え、背中を押してくれる味方が現れることを、最後に少し願うのでした。
よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
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