さて。カルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』(2019年刊)読了。イタリアの物理学者による時間論で、「物理学的に時間は存在しない」ということをさまざまなアプローチから実証。では、私たちが日々刻々と感じているこの時間とはなんなのかを解き明かす科学エッセイ。
実はこれとは違う時間にまつわる本に興味を持ったところ、この本も併せて読みたい的な感じだったので先にこちらを読んだ次第。物理や数学の用語も多くてかなり難解だったのですが、一方でドッグイヤーをつけたところもたくさんあり、示唆に富む、ベストセラーというのも頷ける一冊でした。まず驚いたのは、時間は低いところよりも高いところで、また速度のあるところよりもないところで、速く流れるということ。そんなことってあるの!?(あるんだそうです)
正確に理解できているか甚だ自信はありませんが、この世界には物理的な「時間」という存在はないのだそう。それどころか「モノ」さえもなくて、すべては変化=出来事の集合なんだそうです。モノと思われるものは変化が少ないだけで、石も、鉄も、人間も、すべてがいずれは消滅する=変化するということだそう。時間というのはその変化の連続を相対的に表しているにすぎず、前述の通り場所によって速さも変われば、すべてに共通する「今」というのは幻想でしかないのだそう。地球における今と、数万光年先の星における今は、同時に発生することがないように(今、ここに届いた光は、いつ生まれた光なんだっけ?という話)、時間とはあくまでごく近い間柄でのみ共有しうる局所的な概念なんだそう。
詰まるところ(だいぶ端折ってしまいますが)、時間とは私たちの記憶と予測なんだそう。過去とは記憶であり、未来とは予測であり、その中間点こそが今であるということ。私たちの人生はその総体としての物語であり、それゆえに悩みも苦しみもすれば、幸福や愛情を感じることもあるのだそう。記憶や予測がなかったら、それはつまり時間のない世界ということになるわけです。
さて。時間が存在しないとして、だからどうだというのでしょう。この本を読んだことで、僕の時間が止まるわけでも消滅するわけでもなく、今日は昨日になり、明日が今日になっていくことに変わりはありません。物理的に存在しないとしても、概念としてのそれは消えることなく流れているわけで。
でも、改めてすべてはうつろいゆくものであるということは再確認できました。私たちの、そしてこの世界の本質は変化であり、それは恐れるものでも讃えるべきものでもなく、真理だと確信しました。膨大な変化の過程のごくわずかな一部が私たちなのです。そう思えばあらゆることはささいなことだし、だからこそこの短い生命の一瞬のきらめきは儚くも美しいのかもしれません。
時間とは、自身の内側の世界とそれ以外の世界をつなげるためのツールであり、すべてがうつろっていく人生を導いてくれる指針であり、著者の言うところの美しい歌であるということ。
時間とは何か。考えもしなかったことについて、深く考える時間をくれる一冊でした。
いつかその歌が鳴り止むときまでは、よりみちしながらいきましょう。今日も、いい1日を。
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