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「運」を味方につけましょう。

謎の肩の背中側付け根痛に悩まされています。様子見で大丈夫かな…。 さて。雑誌好きとかいいながら似たようなのしか読んでないよなと反省して新しい雑誌を手に取りました。季刊誌の「kotoba」。多様性を考える言論誌ということで、22年夏号の特集は「運の研究」。カバーイラスト(スイカ割り!?)は一条ひかるさん。 なかなか面白く読み応えありました。「運」という目に見えず数値化もできない要素を、さまざまな視点から取り上げていきます。哲学、宗教、占星術、数学、経済学、文学、スポーツ、将棋などなどあらゆる角度で「運」について論じられている。 こういうひとつのテーマを多角的にアプローチするのは雑誌のひとつの常套手段で面白いですよね。餃子特集で美味しい餃子屋さんの紹介だけではなく、レシピに起源、アート(あるのか?)、小説(あるのか??)、などなど広げていくことで新しい姿が見えてくるというやつ。 はたして「運」も、掴みどころがないだけに捉えどころもさまざま。運という不確定要素を最小限にすることを是とする考え方もあれば、それを掴み取るための準備こそが真価とするセレンディピティ論も。興味深かったのは意思決定や代表者をくじ引きで選ぶというもの。公平性を確保するのが主旨でなるほどそういう考え方もあるのか! あみだくじがいちばん公平。ただし最良の結果が出る保証はないぜ。 自分の考える「運」論は、準備と分母を増やすこと。確率1%の幸運ならば、それがいつ起きてもいいように備えることと、100回やることが肝要と考えます。1000に1度の当たり目を引くには1000回やればいつかは当たりが出ると考えます。999回出なくて次の1回は、それはもう幸運とは違うものになっているようにも思えますが、それこそが運を味方につけるってことなんじゃないかと。 こう言う実態のないものを多角的に切るのは言論誌の真骨頂という気がして面白かったです。知らない雑誌、楽しいな。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

ウェルビーイングを問うアート展へ

  7月に捕獲したカブトムシズがめでたく卵を産み一部は孵化していました! 孫ができた気分…とまでは言わないけど嬉しい。 さて。森美術館で開催中の「地球が回る音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」展を鑑賞してきました。僕の感想をひとことでいうと、ウェルビーイングとは狂気。です。なかなかいろいろ考えさせられます。 パンデミックにさらされたこの3年を通して「ウェルビーイング」という言葉を聴く機会も増えてきました。この展覧会ではウェルビーイング、すなわち「よく生きること」とはいかなることかを、国内外16名の作家の新旧140点ほどの作品で提示しています。 ある作家は、ひたすら集めた花粉によって黄色い大きなペインティングを作り上げたり、別の作家は北極点で24時間かけて地球と反対回りに動く様子を撮影したり、はたまた新聞紙を一部のキーワードをのぞいて塗りつぶして星空を生み出した作品もあれば、植物を細部まで再現した絵画作品もあり、毎日ひとつ作品を作り続けた軌跡もありました。こんな具合に、あらゆる出品作品がやりこみ系でまとめられていました。 僕にはそれはひとことで言うと「狂気」だと思ったのです。常人ではとてもできないレベルでひとつのことを突き詰め、結晶化された作品。はたしてこれはウェルビーイングなのだろうか。普通じゃない。異常といって差し支えない。作家たちはこの制作を通して、幸せを感じていたのだろうか。聞いてみないとわかりませんね。 でも、ここまでやりきれるもの、向き合う対象があるというのは、外から見ている分には羨ましい面もあるかもしれません。行為そのものを真似することはなくても、そこまで没頭できる、夢中になれる、という状態は理想的とも言えそうです。外部からの価値に意味などない。真価とは、自らの中にある。 タイトルは、オノ・ヨーコさんの作品からとられたもの。あらゆる価値観がゆらぎ、自身の内なる声に向き合わざるをえなくなった今、果たしてそれぞれにとってのウェルビーイングとはどんなことなのか。そんなことを問いかける展示でした。 ぼんやりしてちゃいけないけれど、よりみちしながらいきましょう。会期は11/6まで。今日も、いい1日を。

クリエイティブ魂を感じる雑誌

  新海監督の新作映画が楽しみな今日この頃です。 さて。書店で雑誌を見ていたら、GINZAがアニメ特集だったので手を取ってみました。8月はファッション誌はネタがない時期なのですが、アニメできますか〜。その横では装苑がクリエイター特集と似たような感じだったので、こちらも購入。モードな人たちはクリエイティブに夢中? アニメって一大産業なのに、漫画や映画ほど大衆に知られた個人の名前が多くない気がすると、なんとなく思っていたのですが、僕が知らないだけだったかも。特集見ているとすごそうな名前がたくさん出ていました。アニメ音痴なオレ。 一方の装苑に出てくるクリエイターも知らない名前ばかりで、世の中には才能が溢れまくっているんだなと思いましたよ。個人の才能がインターネットによって羽ばたきやすい時代、と同時にライバルが古今東西の強者たちという厳しい時代、生き残るのは半端じゃなさそうだ。 アニメにもクリエイターにも特段の強い興味があって買ったわけではないのですが、やはりこうやって知らない知識に触れられる雑誌というメディアは貴重ですね。もちろんきちんと編集されているというのが大事なことで、さすがに尖っていた両誌。このパッケージとアーカイブは、雑誌ならでは。ページが有限だからこそのまとまり。 ファッション誌が8月とはいえここまでファッションから離れた特集を組むのは驚きでしたが(今じゃ普通のことかしら)、ファッションて洋服だけがすべてではなく、クリエイティブマインドこそがその核なるものなのでしょう。いつまでもその核をもって好奇心を刺激し続けてほしい両雑誌なのでした。マーケットに迎合した特集なんて見たくないんだぜ。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

夏が終わるよ。

アシックスがRUNNET運営のアールビーズ買収ですか〜! いろいろ変わりそうだな。 さて。朝晩ずいぶん涼しくなって、空も雲もなんだか穏やかで、すっかり夏の終わりですね。6月の酷暑のときはどうなることかと思ったけど、あそこがピークだったとは。 小学生の夏休みも今日でおしまいです(いつから8/31までじゃなくなったの?←10年近く前からのもよう)。お盆以外はほぼ毎日学童に通ってもらったので、これって夏休み感あるのだろうか?と思ったりもしたけど、保育園時代もそうだったし、まあ共働きのおうちの子にはこれがスタンダードでしょうきっと。なんかごめんよ、無限に続くような夏休みを味わわせてあげられなくて。 せめてもの罪滅ぼしでもないですが、夏休み最後の夜は手持ち花火を楽しみました。今時の花火は「煙が少なくて写真写りがいい」とか、「色が2回変わるよ」とか、パッケージに書いてあるんですね。火をつけるまでどんな花火かわからないのと、どっちがいいんだろ(まあどっちでもいいね)。 ひと月前につかまえたカブトムシのオスとメス。卵を産んだかしら?とマットを掘り返してみたら、ありました〜! 小さな白い卵が3つくらいと、すでに孵化したあとの小さな幼虫が3匹くらい。幼虫用のケースとマットを買って、来年の夏の楽しみができました。シングルのオスクワくんとあわせて、成虫たちはあとどのくらい生きてくれるかな。 小学生のいる夏休みは、小学校の追体験のようなところがあって、楽しいものでした。夏休み楽しかった?と問うと、いろいろ思い出を数え上げてくれてちょっとひと安心。夏は君を成長させたよね。僕もがんばるよ。 いくつになっても去りゆく夏は切ないもので。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

密なる世界を生きている

町中のトンカツ屋さんのロースがやわらかくて、副菜も充実で、大満足でした。トンカツって密。 さて。甲子園で東北勢初の優勝を飾った、仙台育英高校の須江監督のインタビューが話題になりました。「青春って密」はパワーワードでしたね。流行語大賞候補確実。 長いスピーチではなかったようですが(全文読みましたが映像は見てません)、とても気配りのある監督さんのように感じました。東北のみなさんおめでとうは、いつかのヤクルト若松監督を思い出すぜ。 ほかにもいくつか記事を読むところ、考え方がロジカルでモダンな方なのかとお見受けしました。青学の原監督に通じるような? 学生は先生で大きく変わりますね。子供は親で変わるし、職場は上司で変わるから、どこいっても同じか。 話変わってこの週末、3年ぶりの友人たちと顔を合わせて、密な時間を過ごしました。自分も含めて3年分の歳を重ねていて、ブランクを感じるでも関係性が変わるでもないけどれ、失われた時は確かにあったなと思わされました。会える喜びよ。 社会で、集団で生きる僕たちには、密なる世界は切り離せないんだなと思う今日この頃。そのありがたみを、球児たちと旧友たちから教えてもらったのでした。非・非接触ワールド。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

ガンバリズムの周縁と終焉(後編)

死んでると思った蝉が最後の力を振り絞って動くのを「セミファイナル」と言うの、知らなかったよ(うまいこと言うよね)。 さて。 昨日のポスト の続きです。個人の個性やスタイルはどこまで守られるべきなんだ問題。あらゆる個性は尊重されるべきだけど、コミュニティに悪影響がある場合にどうするか。 モヤモヤのもとを自分なりに紐解いてみると、相手に対して「そこは頑張ろうぜ」と思うところで「あんまり頑張ってもらえない」ことへの苛立ちとかそういうのなんですよね。できるできないではなくて、頑張るポイントや、頑張れるボリュームの違いへの戸惑い。頑張りって目に見えないし、数値化しにくいですもんね。そして、「そこは頑張るんかい」ってこともままある。 昔は多分割と「頑張ること」が推奨されていたけど(それがきつかった人も多かったのでしょう)、今はどちらかといえば「頑張りすぎは良くない」になってきました。この辺りの「頑張り」への考え方と、耐性とか許容量みたいなものが、世代で大きく違うし、もちろん個々人も違う。僕とかは24時間戦えますかイズムがある程度ありますもの。昭和のあれ。 頑張って健康を損なうのはもちろんダメ。でも頑張ることで越えられる壁は確かにある。かといって頑張りを強要しすぎてはいけないし、強要されたくもない。頑張ることで成長するし、頑張らないと伸びない。でも別に伸びたいと思わない人もいるし、それはその人の自由。 とまあ、ガンバリズムの周縁にはけっこう埋めがたい溝がありそうですね。何度も言うけど、それは目に見えないよ。考えるほど「ちょうどいい頑張り」を共有するのは無理ゲーな気がしてきましたぜ。 さて、ここでセリーナ・ウィリアムズ(引退寂しいお疲れ様!)がVOGUEに寄せたエッセイに金言がありましたので、引用します。 「最近、子どものやりたいことをさせるという親が多いけれど、それじゃあ今の私はいなかった。勤勉、ルールに従うよう、私は娘をプッシュする。もちろん彼女が興味をもった方向に、追い込み過ぎないように気をつけながら」 この意見をどう捉えるかも人それぞれでしょうが、僕は共感し、賛同します。勤勉さとハードワークはとても大事だと思うし、付け加えるならば献身性も重要だと考えます。あとは規律かな。 ずいぶんとスポ根でマッチョな意見に聞こえちゃいますかね。根性論とは別のつもりですが、でもまあ基本装備が

ガンバリズムの周縁と終焉(前編)

昆虫って死ぬとひっくり返るのはなんででしょうね(そうでないケースもあるのかな)。自由研究ネタだな。 さて。 昨日ポストしました芥川賞作『おいしいごはんが食べられますように』を読んで 、いろいろ思うところがあるので続きです。 「みんな自分の働き方が正しいと思っている」というセリフのわかりみがすごかったのですが、そういえば日経新聞に載ってた FTのコラムにも「20代社員とどう向き合う」という記事 がありました。記事を要約すると、会社の要求よりも自身のスタイルを優先する若手が多くて困っちゃうよねとのこと。 もちろんそうじゃない20代もたくさんいるだろうし、若者に対して年長者が不満を持つ構図はソクラテスの時代から変わらないそうです。なので、20代がとりわけ悪者というわけではなく、とにかく価値観の分断がかつてないほど大きいということが問題なんでしょうね(コロナがその大きなきっかけになったことは言うまでもなく)。 小説の登場人物の中心は入社5〜6年目だったのでおそらく20代社員で、まさしくコラムにあった問題と同じでした。(なお、コラムは海外の話なので、日本と同じとは限りません) さて、ここで多様性や寛容性の問題が出てくるから悩ましい。どんな働き方であれ、個人が尊重されるべきであると考えるのか、いやいやそんなに甘やかしてばかりもいられないよと対決するのか。仕事なので成果を上げるのがゴールだとは思いますが、ゴールのために自らをどこまで犠牲にできるのか。 犠牲なんてないに越したことはないけど、ゼロというわけにもいかない場面はたくさんある。イチならいい? ニまでオーケー? ジュウいけちゃう?? 人それぞれだろうから絶対揃えられる気がしないぜ! そしてやることやれば和を乱してもいいのか問題が日本にはありますな。どこで線を引いても不満は出そうです。 少し話は変わりますが、子育てしながら小学生相手に同じようなことを考えていて、本人の個性という名の下に甘やかしているのではないか?と非常にモヤモヤするのです。学校や習い事に行きたくないと言った時、本人の意思を尊重するのか、それとも無理やりにでも連れて行くのか。なんでもすぐ放り出す子にはなってほしくないけど、合わないことを無理強いするのもリスクがありそうだし…。ぐるぐる。 ゼロヒャクの話ではないのでケースバイケースでしょうし、柔軟な対応が大事でしょ

感想_おいしいごはんが食べられますように

ちょっと海外行きの航空券見てみたらサーチャージ半端ないって…! さて。高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(2022年刊)読了。小さなデザイン制作会社に勤める二谷は、食べるものにも、食べることにも、その周辺にも執着しない。そんな二谷に仕事を引き継ぐ芦川は、「体にいいものを食べること」を是として、手作りのお菓子を職場で配る。後輩の押尾は、そんな芦川を疎ましく思うのだった。 今回の芥川賞受賞作品、ほんわか装丁と中身のギャップで話題を呼んでいる一作です。ほんわかごはん、出てきません(丁寧おやつは出てきます)。いや、ちゃんとごはんも出てはくるんですけどね、それがひとつの攻撃対象として物語を回す役割という意外性。価値観のギャップの象徴。 人間関係の奇妙さを描いた作品だと思いました。二谷は芦川をどこかで馬鹿にし、嫌悪さえしながらも同時に放って置けないとも思っている。押尾は芦川を嫌い、二谷を好み、2人の関係に勘付きながら傍観する。職場の人間関係はそんな三角関係も飲み込んで回っていく。合理的じゃないし、筋も通らないけど、それこそが人間と人間の距離感なんでしょう。 頭が痛くて早退してしまい、仕事で決して無理をしない(そして周りはさせない)芦川を、みんなもやもやしながら受け入れるのが、とても今っぽくて、どちらの立場にしてもこういうのは思い当たるところあるんじゃないですかね。 僕も、子供の熱などを理由に早退したり、在宅したりすると、後ろめたさを感じざるをえません。一方で、いやいや、親だからこれが当たり前だしこういうのが普通になる方向に世の中変わっていかなきゃいけないんだと正当化したり。答えは出ないよね。 それぞれ自分のルールが第一にあって、みんながそれを尊重できることが多様性のように言われています。でも、個のルール同士が相いれないことはしょっちゅうあるし、それとは別に共同体のルールだってあるはずで、そのあたりどう折り合いをつけていくのかの共通解が見えない今日この頃。誰も教えてくれないよ。 なんとなく僕は自転と公転を思い浮かべて、好き勝手自転した結果、公転の軌道を外れてしまったら、その惑星系は成立しないよね多分。 今は、人間関係や社会との距離感といった惑星系が、大きく揺らいでいる時代なのかもしれないなと思う一冊でした。まさしく今を切り取るテーマであり、それこそが芥川賞の要因なんだ

海街の暮らしに触れる旅

雨上がりの夕空を見て夏の終わりを感じる今日この頃です。切なひ。 さて。メトロミニッツの最新号が配布されていました。特集は「海街ステイケーション」ということで、定期的に特集されるステイケーション号。でも登場するのは愛媛と高知なので、ステイというより普通にバケーションな感じですが。目印は花くまゆうさくさんのゆるイラストかわいい。 海街といえば、 このあいだいってきた庄内 も海街と言えそうですが、どうしても平野と山の印象が強いですね。お魚も美味しかったし、海水浴楽しかったけど。それに比べると、ここに出てくる愛媛の宇和島とか、高知の室戸は「海街」度が高いような気がします。カツオに鯛めしにアジ・サバ・ブリと、どれもこれも美味しそうだぜ。ちなみに宇和島市の人口は7万人、室戸市は1万ちょっとか。 町としては小さいほうなのだと思いますが、どちらの町にも豊かな自然と文化がしっかりありそうです。古いもの、古いものを新しくしたもの、新しいもの。それらがつながりながら新しい文化を生み出している最中。町はいつだって変化の途中にあるんだよね。目に見える開発ばかりが変化じゃないし、少しずつ衰退していくのは嬉しいことではないけれど、変化にほかならない。 それにしても「 むろと廃校水族館 」なるものがあったとは! 近くの海で定置網にかかった生き物たちを展示しているとかで、25mプールにサメがいたり、教室にウミガメがいたり、跳び箱が水槽になっていたりと、なんてユニークなんだ! 廃校の利活用はわりと見てきたつもりだけど、全然知りませんでした。 海も山も、まだまだ、まだまだ、知らないところ、素敵なところがいっぱいありますね。自分では見つけられないこういう場所を教えてくれるから、雑誌っていいですよね。そしてフリーマガジンだからこそできるニッチさ。もっともっといろんなところに行きたいものです。 よりみちしながら、いきましょう。なくなれコロナ! 今日も、いい1日を。

チームラボの破壊力

おっと、コンビニセルフレジでお酒は買えないのか! まあそりゃそうですよね。 さて。お台場にあります「チームラボ ボーダレス」に行ってきました。行って気づきましたけど、この8/31で閉館するそうです(都内移転予定とのこと→8/24追記。神谷町~虎ノ門に行くみたいですね)。ビーナスフォートも閉館して、大観覧車も8/31までで、この青海駅周辺一帯は25年頃に新たな1万人規模の多目的アリーナ(BLGのアルバルク東京のホームコートとか)&商業施設になるそうな。 それはまあさておいて、チームラボです。開業直後くらいにちとお邪魔して以来、本格的に遊ぶのは初めてでしたが、安定した破壊力でした。特に子供への刺さり具合は相変わらずで(豊洲にあったやつで実証済み)、館内は家族連れが大半と、カップルが客層の中心でした。 1Fはお得意のデジタルアートがシームレスに壁面を彩るスペースが中心で、春夏秋冬をモチーフにした和テイストの動く壁画。触れることで反応することに気づいた瞬間、子供たちは狂喜乱舞です。大人も楽しめる。 2Fは「運動の森」なる起伏あるスペースを中心に、こちらはさまざまなアトラクションが登場。色を変えながら光る卵型の球体が連なるゾーンもあれば、自分で描いた生き物が床や壁を彩ったり、デジタルアートの上の滑り台に、忍者修行のようなエリアも。あと宇宙でブラックホールを生み出すトランポリンもあったな。 ただ観るだけではなく、触れることで反応も楽しめ、さらには身体も積極的に動かすことでより有機的な体験になっていく仕掛け。これが「アート」なのかは議論の分かれるところではありますが、エンターテインメントとしての威力は一度体験するとわかるのではないでしょうか。3時間が秒で過ぎていき、子供たちはまだまだ遊びたさマックス(体力の限界は超えている)。 食事を気にしなければ(再入館不可)、1日フルで遊べるのでコスパも悪くないです(事前予約の入場時間指定制)。来年には都心部に移転するらしいので、また行きたいかも。 ただ、あらゆる意味で騒がしいので、大人がじっくり鑑賞するタイプでもないし、何か問題提起するタイプの作品でもないので、好みの分かれるところではありますよね。どの施設も、同じような体験になっているのも事実だと思いますし。 でも、他に同じものがあるわけではなく、たまに行って楽しむにはとてもいいなと思うの

LEGOスタンプラリー完走!

子供がスイミングを始めてその引率の間、僕も横で泳ぐことにしました。なんて有意義な時間だ。 さて。先月から参戦していたJR東日本のLEGOスタンプラリー、ついに30駅コンプしました。いやー大変だったぜ。都区内パス使ったり、1日切符買ったりして、船橋行ったり、土浦行ったり、上尾行ったり、国分寺行ったり。 最初は7つ集めてミニフィグひとつもらえればいいやと思っていましたが、やり始めるとコンプリート欲が親子共々ふつふつと湧いてきて、やってやろう!となってしまうのはなんなんでしょうね。ゲーミフィケーションとはこのことか(物事にゲーム性を持たせるとモチベーションあがるってやつ)。 でもこれをきっかけに、普段行かない場所に出かけるのはなかなか面白いことでした。船橋から柏に東武野田線でショートカット?したり(JRの企画なのにね)、土浦の駅直結施設のプレイアトレをよりみちしたり、尾久駅から王子駅は歩いて移動してみたり。そして王子駅前はベビーカーにまったく優しくない動線であることを知りつつ、駅前の飛鳥山公園が楽しかったり。 30駅踏破した後は、東京駅のゴールカウンターで、最後のスタンプを押して、景品のミニキットと記念証をもらって終了。せっかくもらったキットは大して遊んでいないのが泣けますが、まあ楽しい夏のイベントでした。来年もやるかはわかりません。 よりみちしながら、いきましょう。人はなぜスタンプを集めるのか。そこにスタンプがあるからさ。今日も、いい1日を。

感想_小さなトロールと大きな洪水

いつのまにか中銀カプセルタワー解体工事始まってたんかー! 見に行かねば。 さて。トーベ・ヤンソン『小さなトロールと大きな洪水』読了。ムーミントロールとママは、パパを探しながら森の中をさまよう。スニフやニョロニョロ、チューリッパなど不思議な仲間と出逢う。 ムーミンの原作小説のいちばん最初のお話。第二次大戦中に書かれ、その出来栄えにヤンソンさん本人があまり納得していなかったこともあって、日本で翻訳されたのは他のシリーズの30年もあとだったという本作。ヤンソンさんそもそもは風刺画家だったそうで。 『ムーミン谷の彗星』もかなりシュールな物語でしたが(とても好き)、この作品もなかなか突飛というかファンキーというか。つかみどころのない、なかなか素直には愛しづらい特異なキャラクターたちが次々と不思議な体験の中で旅が進みます。 なんで?という唐突な展開と、何を考えているかよくわからない登場人物たち。でもこの理解とは別のところを進む物語性と、媚びてない感じが好ましくも思います。読者や、子供におもねることのない、作家の描きたいものを描いているように感じます。戦争という暗い時代が描かせたという部分も含めて。子供の方がこういうのは素直に楽しみそうな気が(長男に読ませてみよう。文字だけの本は初めてかな)。 僕はアニメも見ていないので、まっさらな気持ちでムーミンたちのお話を楽しんでいます。この先のシリーズもちょっとずつ読み進めていこう。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

衣食住の「衣」について

無敵に思えた大阪桐蔭が負けるのだから甲子園って面白いですよね。 さて。ファッションデザイナーの三宅一生さん、森英恵さんの訃報が相次いで入ってきました。ご冥福をお祈りします。 お二人のこと、名前はもちろん存じていますが詳しいことは知りませんでした。それぞれの服を身につける機会もなく。でも、訃報に触れた近しい方たちのコメントや追悼記事を読んでいると、クリエイターとしてはもちろん、文化を作り上げた先駆者だったことがわかります。 印象的だったのは三宅一生さんの「衣食住の中で衣の地位がいちばん低い(から上げたい)」というもので、確かにそうかもしれないなと思いました。感覚値でしかないけど、食や住を大切にする人の数に比べると、衣を大切にする人のほうが少ないような。 なんでですかね。究極的に服は生命の維持とは直結していないからかな? 食があって、住があって、その次が衣になるのはまあ当然ですよね。逆に、衣に代わるものって何かあるかな。食が体、住が脳、衣が心、ってこじつけすぎか。でもなんとなくそんな感じで、「衣」という言葉に捉われすぎない方がいいのかも。 つまり「衣」は、被服に限らない文化全般ととらえればしっくりくる。音楽とか、アニメとか、瞑想とかもアリ。要は心を育むもの。それがアパレルでも建築でもサッカーでも大した問題じゃないですね。てのが、衣食住の真理なのかも。 自分自身が健やかであれるように。と通り一遍の結論に落ち着いたところで。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_推しの子1〜8巻

保育園でコロナ吹き荒れてて戦々恐々です。手洗い、うがい、ソーシャルディスタンス。 さて。赤坂アカ×横槍メンゴ『推しの子』1〜8巻読了。患者の影響で、アイドル星野アイのファンになった医者のゴロウは、何者かによって殺害されるも、どういうわけか星野アイの隠し子として転生する。しかし、待ち受けていたのは…。 大人気コミック、ついに読みました。転生するのは知ってましたけど、まさかまさかのサスペンス展開に大びっくり! 帯に描かれてた転生あり、サスペンスあり、恋愛あり、青春ありの芸能マンガというコピーの通り、いろいろ全部盛りでなかなか凄かったです。序盤のハッピー路線を期待していたんですが、サスペンス軸が加わることで、つい先が気になって離脱しにくいぜ! なんとなーく『バクマン』(途中までしか読んでない)を思い出しました。業界バックストーリーでつかみつつ、アイドル、SNS、2.5次元といった思いっきりライブ感あるネタでぐいぐい展開するから惹きこまれるし、シリアスと笑の配分もよく計算されていて絶妙。すごくマーケティングされている感はありますが、そんなの関係なくおもしろいわ。 時に僕はアイドルオタクでもなければ、推し活も特にしていないのですが、どんな感じでしょうね。ファンやマニアやオタクは前からありましたが、推しの概念は少し違うものなんですかね。単なる好きじゃなくて、アウトプットが加わることで「推し」になっていくのかな。SNS時代ならでは。愛でるだけではない双方向性というか、多方向性? せっかくなので『推し、燃ゆ』も読んで、もう少し推しについて深めてみようと思うのでした。 よりみちしながら、いきましょう。演技の裏側の話が面白いです。今日も、いい1日を。

庄内よりみち記⑦スイデンテラス再訪

子供の頃は夏休みといえば母の実家のある京都に長期滞在でした。大文字送り火、毎年みていたな。 さて。今回の山形旅行で宿泊したのは、酒田駅まえの「月のホテル」さん、そのあとに鶴岡駅前の「北海屋旅館」さん。飛島の代わりに急いで探して空いていた民宿で、素泊まりさせてもらいました。昔ながらの古い民宿ですが、必要なものがしっかり揃って行き届いていて、よかったです。泊まった翌日からは、野球部の合宿で貸し切りだそうで、そんな感じの宿でした。 そして、最後に泊まったのは「スイデンテラス」さん。春の宿泊に続いての再訪です。あの頃は雪解け間も無くて田んぼには水しかありませんでしたが、今回は緑の稲がすくすく育っていて、そんな姿を見られました。次は秋か? 坂茂さんの建築はやっぱり心地よく、合理的なのにドライな感じはしなくて、木の力なのかなぁと思います。風景の力も大きいか。でも、春よりは少し年季が加わった気がしました。まだまだきれいだけど、いずれ5年、10年と月日が流れたときに どんな姿になっているのか、それもまた興味深いです。雨風雪に生き物たちと、どんなふうに共生するんでしょうね。 蛙たちがあちこちにへばりついていたり、ツバメやサギがとびかっていたり。それからハスの花も立派でした。夜は満月で、レストランの名前の「ムーンテラス」の面目躍如。その明くる朝は雷雨がすごくて、「サンダーテラス」と化していたのも一興。自然が近い。 そして「月のホテル」さんもそうでしたが、ライブラリーがあるというのは落ち着くもので。子供たちが好きな絵本や図鑑もたくさんあって、心豊かに過ごせますよ。そして、お隣の施設のキッズドーム ソライも相変わらず素晴らしかった。 結局、心配されたお天気は最終日の朝の雷雨以外はほぼ雨に降られることもなく無事に過ごせました。帰る日は関東地方に台風がきた日で、飛行機の出発が遅れたうえ、「羽田に着陸できない場合は成田or名古屋」に向かいますという、まさかの「どこかにマイル」状態でしたが、多少揺れたものの拍子抜けするほどすんなり羽田に着陸。 そんなこんなで、海に風に食にと、庄内の魅力をたっぷりと味わう、いい夏休みをいただけました。ぜひみなさんの旅の選択肢のひとつに、庄内を加えていただけたら嬉しく思います。キャッチーな観光名所はないですが、落ち着いたいい空気を味わえる地域だと、思います。 よりみち