昆虫って死ぬとひっくり返るのはなんででしょうね(そうでないケースもあるのかな)。自由研究ネタだな。
さて。昨日ポストしました芥川賞作『おいしいごはんが食べられますように』を読んで、いろいろ思うところがあるので続きです。
「みんな自分の働き方が正しいと思っている」というセリフのわかりみがすごかったのですが、そういえば日経新聞に載ってたFTのコラムにも「20代社員とどう向き合う」という記事がありました。記事を要約すると、会社の要求よりも自身のスタイルを優先する若手が多くて困っちゃうよねとのこと。
もちろんそうじゃない20代もたくさんいるだろうし、若者に対して年長者が不満を持つ構図はソクラテスの時代から変わらないそうです。なので、20代がとりわけ悪者というわけではなく、とにかく価値観の分断がかつてないほど大きいということが問題なんでしょうね(コロナがその大きなきっかけになったことは言うまでもなく)。
小説の登場人物の中心は入社5〜6年目だったのでおそらく20代社員で、まさしくコラムにあった問題と同じでした。(なお、コラムは海外の話なので、日本と同じとは限りません)
さて、ここで多様性や寛容性の問題が出てくるから悩ましい。どんな働き方であれ、個人が尊重されるべきであると考えるのか、いやいやそんなに甘やかしてばかりもいられないよと対決するのか。仕事なので成果を上げるのがゴールだとは思いますが、ゴールのために自らをどこまで犠牲にできるのか。
犠牲なんてないに越したことはないけど、ゼロというわけにもいかない場面はたくさんある。イチならいい? ニまでオーケー? ジュウいけちゃう?? 人それぞれだろうから絶対揃えられる気がしないぜ! そしてやることやれば和を乱してもいいのか問題が日本にはありますな。どこで線を引いても不満は出そうです。
少し話は変わりますが、子育てしながら小学生相手に同じようなことを考えていて、本人の個性という名の下に甘やかしているのではないか?と非常にモヤモヤするのです。学校や習い事に行きたくないと言った時、本人の意思を尊重するのか、それとも無理やりにでも連れて行くのか。なんでもすぐ放り出す子にはなってほしくないけど、合わないことを無理強いするのもリスクがありそうだし…。ぐるぐる。
ゼロヒャクの話ではないのでケースバイケースでしょうし、柔軟な対応が大事でしょうが、いちいち対処するのもキリがないこの問題、さあどうする!?
てことで、もう少し書きたいことがあるので、続きはまた明日。中途半端ですみません。
よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。後編はこちら。
(後編書いててタイトル変えました)
コメント
コメントを投稿