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庄内よりみち記⑦スイデンテラス再訪

子供の頃は夏休みといえば母の実家のある京都に長期滞在でした。大文字送り火、毎年みていたな。

さて。今回の山形旅行で宿泊したのは、酒田駅まえの「月のホテル」さん、そのあとに鶴岡駅前の「北海屋旅館」さん。飛島の代わりに急いで探して空いていた民宿で、素泊まりさせてもらいました。昔ながらの古い民宿ですが、必要なものがしっかり揃って行き届いていて、よかったです。泊まった翌日からは、野球部の合宿で貸し切りだそうで、そんな感じの宿でした。

そして、最後に泊まったのは「スイデンテラス」さん。春の宿泊に続いての再訪です。あの頃は雪解け間も無くて田んぼには水しかありませんでしたが、今回は緑の稲がすくすく育っていて、そんな姿を見られました。次は秋か?

坂茂さんの建築はやっぱり心地よく、合理的なのにドライな感じはしなくて、木の力なのかなぁと思います。風景の力も大きいか。でも、春よりは少し年季が加わった気がしました。まだまだきれいだけど、いずれ5年、10年と月日が流れたときに
どんな姿になっているのか、それもまた興味深いです。雨風雪に生き物たちと、どんなふうに共生するんでしょうね。


蛙たちがあちこちにへばりついていたり、ツバメやサギがとびかっていたり。それからハスの花も立派でした。夜は満月で、レストランの名前の「ムーンテラス」の面目躍如。その明くる朝は雷雨がすごくて、「サンダーテラス」と化していたのも一興。自然が近い。

そして「月のホテル」さんもそうでしたが、ライブラリーがあるというのは落ち着くもので。子供たちが好きな絵本や図鑑もたくさんあって、心豊かに過ごせますよ。そして、お隣の施設のキッズドーム ソライも相変わらず素晴らしかった。

結局、心配されたお天気は最終日の朝の雷雨以外はほぼ雨に降られることもなく無事に過ごせました。帰る日は関東地方に台風がきた日で、飛行機の出発が遅れたうえ、「羽田に着陸できない場合は成田or名古屋」に向かいますという、まさかの「どこかにマイル」状態でしたが、多少揺れたものの拍子抜けするほどすんなり羽田に着陸。

そんなこんなで、海に風に食にと、庄内の魅力をたっぷりと味わう、いい夏休みをいただけました。ぜひみなさんの旅の選択肢のひとつに、庄内を加えていただけたら嬉しく思います。キャッチーな観光名所はないですが、落ち着いたいい空気を味わえる地域だと、思います。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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