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庄内よりみち記②飛島の洗礼

甲子園、東北勢が頑張ってますね。 さて。いよいよ明日は日本海に浮かぶ山形の離島・飛島に向かうその時! 宿泊予定の旅館から連絡が入ります。 「船が出ないかもしれません!」 なんと乗船予定のフェリー定期便が悪天候により欠航になるかもしれないとのこと。よくよく聞くと明日は大丈夫そうだけど、その次の日から1週間ほどが怪しく、帰れなくなる可能性があると。おりしも北東北は大雨、山形も向こう1週間ほとんど傘マークとはなんてこったい!(知床の事故も鑑みるとより慎重な判断になりそうな…) 我々の持つカードは、とにかく島に渡ってしまって帰りの船が無事に出ることを祈りつつ最悪島での足止めを覚悟するか、上陸を諦めるかのふたつ。都合の悪いことに僕はPCを持ってこなかったので2日戻りが遅れると仕事に大きく差し支える状況。万一の時は同僚に甘えるのか!? 当日朝まで悩んだ末に、滞在4時間の日帰りで行こうという第3のカードを用意したのでしたが、出発準備してたら午前の便は出るけど午後の便は欠航が決定(1日2便です)。ガーン! なんせ子連れだし上陸してもそんな悪天候じゃ島時間を楽しむのは難しそうだと判断して、飛島上陸は断念することに。いやー旅にトラブルはつきもの。島、甘く見てたなー! PC持ってきてたらえいやで渡ってたかな、どうだろう。 悔しいので調べた限りの飛島のこと紹介します。場所は酒田から北西に39km、フェリーとびしまで75分。対馬海流のおかげで暖かく、積雪もあまりないそう。これにより南北の動植物が混在しているのが特徴。なかでも渡り鳥の中継地になっていることでバードウォッチングのメッカなんだって。なお、縄文遺跡もあるそうで、5000年前くらいから人がいたと推測されてます。 人気のアクティビティは他に、釣り、磯遊び、ダイビング、植物ハントなど。国定公園に指定されてて、日本ジオパークにも認定されています。旅館と商店が数軒あるだけで、島内移動は無料のレンタサイクルで。基本的には自然に触れてのんびりするところでしょうね。僕は海水浴しつつ子供たちに豊かな自然を味わってほしかったのですが! 何がなんでもこの島じゃなきゃ!ってことはなかったのですが、行けなかったとなると無性に恋しくなるもので、必ずやリベンジしたいと思います。今度はちゃんとPC持ってくるぞ!(そこ?) よりみちしながら、いきましょう。島に行けな

庄内よりみち記①山形の離島・飛島へ。

大谷さん、異次元のダブルダブルおめでとうございます。世界ナンバーワンプレイヤーや! さて。夏休みの僕は山形を目指します( 4月に行ったばかりだけど。その時の様子はこちら )。目的地は日本海の離島、飛島。自然豊かな島だそうです。 羽田空港は夏休みらしい混雑でこの感じは久しぶり。前に見て気になってた、搭乗口まで連れていってくれる自動運転マシンに乗りました。歩くより遅いのと、周囲の人に避けてもらうことも多いので、気まずさがありますが、ラクちんといえばラクちん。今後はもっと快適になるのかな。 庄内空港に到着し、バスで酒田駅へ。飛島までは、酒田港からフェリーに乗りますが、長時間移動を避けてまずは酒田で一泊します。宿は駅前に昨年できたばかりの月のホテルさん。再開発プロジェクトとかで、きれいな図書館「ミライニ」と観光案内所がセットになった複合施設。とても快適なので、酒田旅におすすめ。 ホテルに荷物を置いたら港の近くの日和山公園を散歩。松尾芭蕉ら文人ゆかりの地らしく、園内には文学碑が幾つもりましたよ。園内からは酒田港が望め、海辺にはスケートパークがあってライドを楽しむ親子が多数。未来の堀米君がいるかも。 公園の隣には、「 ヒヨリベーカリー&カフェ 」なる素敵ベーカリーカフェまであって、メロンのパフェが激安劇美味なほか、バターミルクパンケーキも絶品でした。夜は駅前の家族歓迎の焼き鳥居酒屋で一杯やって、気持ちよく酒田の夜は更けてゆく。しかし、それは嵐の前の静けさ?なのでした〜。 よりみちしながら、いきましょう。しばし旅の記録が続きます。今日も、いい1日を。 【庄内よりみち記まとめ】 ①山形の離島・飛島へ。 ②飛島の洗礼 ③小さな都市は楽しい ④ローカルスポットを巡る ⑤風の町へ ⑥地元グルメを堪能 ⑦スイデンテラス再訪

オズマガジン2022年9月号「池袋案内」

マクラを18年ぶりくらいに新調しましたが、前から安眠できてるので違いがわかりません。 さて。オズマガジン最新号「池袋完全ガイド」が発売しましたー。巻頭でがっちり池袋を特集したのは初めてか、相当久しぶりか。実はここ数年で池袋はずいぶんと変化しています。 池袋が23区で唯一、消滅可能性都市とされたのが2014年で、その危機感からの大改革によって復活を遂げたのはけっこういろんなところでニュースに。具体的には、駅周辺の大型公園を美しく再生しカフェなどを設置し、市民のにぎわいと憩いの場に。 それから区庁舎も実質0円で税金投入せずにナイスな建物に一新したことも大きな話題に(高層階を販売したり、旧庁舎跡地を貸すことで建築費を相殺)。かつ区民に開かれたスペースも。その跡地はハレザに変身してオープン。もともとアートカルチャーのバックボーンがある街なので、それを活かしつつ新しい池袋に進化してます。 そんな行政のやる気に導かれたのか、発見しにくかった小さなお店も増加中。カフェやビストロなどなどが点在するように。ラーメン激戦区なのは相変わらず。あとは三省堂がリニューアルしたり、ジュンク堂は相変わらずマンモス書店だし、天狼院書店もあったりと、本屋さんも元気です。 知らなかったけど、駅の東西をつなぐ北口のウィロードがアーティストによって一新されてたり、西武鉄道が謎の本社ビル建て替えてたり。IWGPもすっかりクリーンですよ。 ワタクシ、まさにIWGPリアルタイムに池袋を拠点にしていたので、その頃とは隔世の感がありますな。一般的に言えばイメージのいい街ではなかったと思いますが、もともと住めば都でなかなか良かったところ、当時よりも暮らしやすさは確実にアップデートしてるようですね。 なにげに、「わめぞ」(早稲田、目白、雑司ヶ谷)や、東長崎〜江古田などの西武線沿線、最近じゃディープレトロな大塚など、お隣エリアもお散歩向きの街と、大池袋の楽しみ方いろいろです。ぜひ、オズマガジン片手に出かけてみてくださいね! よりみちしながら、いきましょう。案外いい街、池袋。今日も、いい1日を。

作文が書けない時代? 〜長男6歳8ヶ月、次男2歳1ヶ月〜

次男が重くなってきて抱っこ性腰痛の気配です。 さて。国語力が低下しているという話、けっこうよく目にする気がします。例えばテストで問題が解けないのは、答えがわからない以前に、設問の意図を読み取れていない人が多いとか。そして、先日、中学生の作文能力が落ちているという新聞記事を読みました。読解力に、作文力てことは、読み書き両方じゃん。 原因はいろいろあるのでしょう。本を読まない。SNSではスタンプや、「やばい」「だるい」といったライトなコミュニケーション。結果、子供たちは「作文の書き方がわからない」のだそう。英語教育に力を入れ始めているけど、その前に日本語ができないといろいろ困りそうですよね。仕事ではメールでガンガン文章を書きますが、若い世代は就職するまでは、なかなか長い文章を書く機会ってなかったんじゃないかな〜と邪推したりもします(別に今の40代もなかったか)。 果たして我が子は、1学期が終わって(横浜市は二期制らしいけど)、どうも作文ぽいことのスタートラインに立ったようです。まずは「私は〇〇が〇〇だ」くらいのところから。上手に作文の書ける子になってほしいなあと単純に思いますが、どうなることか。 僕の思うところ、結局のところ習うより慣れろであり、慣れの基本は模倣なんじゃないかな。お手本をたくさんコピーすればいい。なのでコピーするための材料を仕入れるためには、やっぱり読書ってことになると思います。いっぱい読めば、ある程度は自然と身につく。今は、30年前よりも100万倍くらい文字を読む時代だと思いますが、作文の参考になるものは多くはないかもしれません。 正しさにこだわるつもりはないけど、良い作文とは、伝わる文章ということ。それはとりもなおさず、相手の気持ちを考えられるということ。何をどういう順序で伝えたら相手とコミュニケーションが成り立つのか。日本語がどうとか、読める書けるということ以上の、他者との相互理解を育むための基本ツールだと思うので、みんなで頑張っていきましょう。 (最近の備忘録) ◆長男 夏だしスイミングを始める。ゴーグルしてても、顔を水につけるのが苦手。夏休みも毎日朝から学童に行っているので、あんまり夏休みっぽくなくて申し訳ないような気もするけど、保育園からそうだから、本人的には違和感ないかもしれませんね。せめて親の休みには楽しい事したげなくちゃという気持ちに。

移り変わる言葉たち

夏季休暇を頂いておりますが、ブログは年中無休です(一応)。 さて。僕は書き物が好きなので、言葉選びや言葉遣いには、それなりに気を使っています(一応)。単語の持つ響きや字画、組み合わせなどなど、比較的アンテナを張って見ていると思います。 それはなぜかと言えば、少しでもいい形で物事を表現したいから。事実を正しく伝えたり、感動を共有したり、誰かを笑わせたり、求めるものはTPOで変わるので、それ相応の書き方があるはず。一人称ひとつとっても、僕、私、自分、オレ、わっち、小生、拙者、我輩、ミー、と使い分けるわけです。 言葉そのものはすでにもう完成されてるけど、組み合わせ方で無限の広がりが生まれるもの。AppleとPenをくっつけたら大フィーバーしたみたいにね。あるいは、スケボー解説の「ゴン攻め」「ビッタビタ」あたりはオリジナルでいいなと思いました。やり方次第で新しい表現は生まれていくし、時代も人も移り変わる中でその時々にあった伝え方もまた移ろうもの。目的はやっぱり伝わることだから、ゴン攻めの定義はよくわかんなくてもニュアンスが伝わればOKですよね。ウェーイ。 言葉の力で、誰かの心を少しでも動かせるように。そんな所存でございます。よりみちしながら、いきましょう。流行り言葉も未来の格言かもしれないぜ。今日も、いい1日を。

ライアン・ガンダー われらの時代のサイン

この夏、ようやく1枚目のTシャツを買いました。 さて。東京オペラシティ・アートギャラリーで開催中の「ライアン・ガンダー われらの時代のサイン」展を見てきました。ひとことで言えば素晴らしかった! インパクトがあり、仕掛けとユーモアに満ちていて、想像を促す稀有な個展! イアン・ガンダー われらの時代のサイン|東京オペラシティ アートギャラリー 最初のスペースに足を踏み入れた瞬間にオモシロ!と肌が粟立ちました。広々した中にモノトーン基調の作品が点在するのですが、物憂げに座る女性の彫刻的な作品が目に飛び込み、ベンチのような立方体がずらりと並び、よく見ると壁に小さなセンサーがあって手をかざすと謎の数値がプリントアウトされた。 ひと目でそれがどんな作品かは分からないけど、会場マップには作品タイトルが記されていて、それはとても意味深なものばかり+少し情報があるので想像を膨らませやすくなってます。しかも、うっかり見過ごしてしまいそうな会場のすみっこにも作品が潜んでいるので、宝探しのような趣も。 段々と読み取れてくる(気がする)のは、「情報」のこと。与えられたヒントを手がかりに作品の意味を理解しようとするけど、情報によってイメージが固定化してしまうことは、ミスリードされてるのではないかと疑心暗鬼になる。今僕が巡らせている想像は、ちゃんと自分の頭で考えているのだろうか。誰かに操作されたものをなぞっているだけではないかと。本当は答えなんてないし、あったとしてもひとつなわけないのに、当てに行ってしまう態度を批判されているような気持ちになるよ。こういうの、おもしろ〜。 こちらの動きにセンサーで反応する作品や、時間と共に変化していく作品、私たちの行動が取り込まれる作品もあるので、体感性が強いのも、特筆すべきポイント。やっぱり自身が直接的に関わるのは楽しいし、それもまた必然的に作品と向き合うきっかけになる。 モノトーンなので派手さはないけど、だからこそ意味の余白が広がっていてとても心地よかったです。後から美術手帖の紹介記事を読んだら、この展覧会は「時間」をテーマにしていたとか。なるほど、確かにいろんな時間がモチーフになっていたし、ここで過ごした時間もまた全体として作品に取り込まれていたような気がするよ。 同時にライアンが選んだ収蔵品展も開催されていて、こちらもモノトーンでまとめられていてとてもク

感想_ゆめのはいたつにん

村神様の弟さん、兄と同じ九州学院の4番を打っていて、甲子園出るんですって! どこまで盛り上げるんだ〜! さて。教来石小織『ゆめのはいたつにん』(2016年刊)読了。派遣社員をしながら、脚本家を目指していた筆者が、あるとき一念発起して、カンボジアの子供たちに映画を届ける活動をスタート。コネもない、お金もない、チカラもない中で、それでも映画で子供たちに明るい未来を見せるという信念が、多くの人を動かしていったその記録。 いち映画ファンとして、なんて素晴らしい活動だろうと胸を打たれました。と同時に、恥ずかしいというか悔しいような気持ちも。映画は好きだし、素晴らしいと思うけれど、彼女ほど強く映画のことを信じられていないとも思ったし、それ以上に彼女のように自分の夢を持ち、信じ、進み、そして叶えること、できていないよなと。羨ましさと、ジェラシー。 活動は苦難の連続ながら、素晴らしい仲間がその時々に現れて、前へ前へと進んでいきます。カンボジアについて教えてくれる人、上映を手伝ってくれる人、プロジェクターやスクリーンを提供してくれる人、チームを引っ張ってくれる人、時にしかって鼓舞してくれる人。この本だけだと、それはそれは順風満帆のサクセスストーリーにも思えてしまうけど、現実はそんなに生易しいものではなかったと想像します。にもかかわらず多くの人を惹きつけている事実に、著者の方にお会いしてみたいと思いました。なお、この活動は今、 NPO法人 World Theater Project として、さらに多くの子供たちに映画を届けているそうです。(コロナによって色々大変そうです) 夢を持つってやっぱり簡単じゃないし、持ち続けること、行動に移すことはさらにハードルが高い。だからこそ、それを実現している人にはどうしても自分の分まで託すような気持ちでついて行きたくなるのかもしれないな。 翻って、自分は何ができるだろうか。彼女が映画なら、僕はやっぱり本かもしれない。なんだかんだ本が好きで、本に関わってきた半生。それを何かしらの形で社会に還元したいような。著者は、映画の配達を「夢の種まき」と表現しています。でもそれは少し違うかもしれなくて、映画を受け取ったわけではない僕にまで(おそらく他にも活動に参加したり、この本を読んだ人たちにも)、夢の種は蒔かれているように思います。著者自身が夢の生産者だ。 そんな

紀伊国屋書店で待ち合わせ。

1年前にオリンピックやってた気がしないんですよね。なんだか。 さて。新宿の紀伊国屋書店の1〜2Fが5月の終わりにリニューアル。ようやく足を運べましたが、とってもいい感じ。1927年にこの地でスタートして、今やビルは東京都選定の歴史的建造物となり、その外観を維持しながらの耐震補強&リニューアル、お疲れ様でした! 全体的に広々スッキリして、本が見やすくなったと思います。1Fエントランスは特集コーナーという感じで、話題のコンテンツをギャラリー的に展開。今は、あだち充さんお作品やグッズがずらっと並んでいました。来るたびに色々変わって楽しそうだ。 その奥は新刊コーナー。こちらも数多ある新刊からオススメがセレクトされる感じ。地球の歩き方のジョジョのやつとか、芥川賞に直木賞とかとか。店内のサイン系も、本棚も洒落ています。 さらに進むと雑誌コーナーと奥にレジ。改めて雑誌もこういうお店の文脈の中にインストールされるとさらに魅力的に見えますね。集英社の雑誌たちのワンピース祭りが目につきました。メンノンなんて、ワンピース表紙&付録バージョンと、キングダム(山崎賢人)表紙&付録バージョンが出てたもんね。すご!(中身は多分一緒) 2Fの文芸・文庫スペースも整然と棚が並んだ今時のセレクト書店の装いで、でも中身は大型書店の物量という感じです。僕はとても居心地よかったですが、古き良きの方がよかったという人もいるのかな。実際、売り上げがどうなっているか知りたいところ(でも、書店全体がGW以降元気がないので、単純比較できないか)。なんとなく銀座の伊東屋さんのリニューアルを思い出すな。 変わり続けなくてはいけない時代に合わせて、アップデートした紀伊国屋。新宿の待ち合わせにぴったりだなと思ったら、自ら「紀伊国屋書店で待ち合わせよう」と言ってました。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_希望の糸

村神様の5打席連発は異常でしたね。3連発で逆転負けくらったときは悲しみに暮れましたが、5打席連発となると話は別! 打たれてよかったよ異次元の記録をありがとう!! さて。東野圭吾『希望の糸』(2019年刊)読了。自由が丘で喫茶店を営む花塚弥生が殺された。誰に聞いても「どうしてあんないい人が」と言い、捜査一課の松宮たちは手掛かりがつかめない。しかし、思わぬところから真犯人の自供が出た。でも、何かがおかしい。みんなが嘘をついている。もつれた運命の真相とは、はたして。 けっこうボリュームありましたが、いつものように真相を知りたい気持ちに引っ張られてほぼ一気読み。バラバラだった人物が悲しい事件を起点に交差し、もつれていくのは、なんともやりきれないぜ。大きなテーマは子宝と親子関係で、子供に恵まれること、それを失うこと、親を看取ること、親の人生を知ること、いろいろな糸が織りなされています。読む人の立場で、感情移入する人物が変わりそうな気がします。 いつも通り面白かったのですが、最大のテーマになる親子関係の扱いが軽いようにも感じました。ミステリとしての複雑性・意外性を取るために関係者を多くした結果、それぞれの心の動きはちょっと弱くなったきらいが。ある程度はトレードオフにならざるを得ないとしても、体外受精などデリケートなテーマも含まれているし、そもそも親子関係を掘り下げた作品は数多く、名作もたくさんあるだけにね。汐見家の憂鬱、花塚さんの孤独、綿貫夫婦の過去、そして松宮姉弟の運命。どれか一つでも長編分のドラマがあるよ。 その中心にいるべきキーパーソンであり、ある種の被害者とも言える萌奈をもうちょっと輝かせてほしかった気もする。「あたしは、誰かの代わりに生まれたんじゃない」なんてアオリを入れるくらいならなおのこと。そして花塚さんのキャラクターはブレていたように感じて、誰もが「いい人」と呼ぶようには見えなかったかな。きわめつけは、犯人の境遇があまりにも悲しい。ようやくたどり着いた安住の地をこんなふうに奪われてしまうのは、辛すぎるし、その気持ちを動機としてしまうのも苦しかったです。彼女が最後についた嘘はあまりにも重いよ。あんなこと言わせないでほしかったし、もっと別の救いを与えてほしかったよ。あと、別世界線で動く松宮のエピソードも、ちょっと都合がよすぎたように思います。 辛口になってしまいまし

コミュ不全の僕たちが抱え始めた小さな闇のこと

マジで日傘検討するレベルの暑さですね。。 さて。 昨日綿矢りささんの新刊『嫌いなら呼ぶなよ』の感想書きました が、コミュニケーション不全はひとつのテーマだったように感じます。ちょうど 似たようなテーマのコラムを日経で読んだ ので、思うところなどを書いてみます。 前提として、現代は「シンギュラリティー(個別性の意。AIがヒトを越えるあれとは違うのか?)」の時代だそう。多彩な情報と多様な価値観が広まり、一律的で固定的な考えの押しつけを嫌う(男はかくあるべし、的な)。昨今言われる多様性のことと思っていいでしょう。どんな個性も否定されるべきではないし、受け入れられるべきである。まっこと、その通りだと思います。 でも、それゆえに、共通性を維持することがとても難しいとも感じる。すべての価値観が一致する人なんていないわけで、その差異をどこまで許容できるかも、人によってずいぶん違ってくるだろう。5割一致すれば多いほうとみなすのか、8割一致でもまだ足りないと思うのか。大筋は一緒だけどディテールが違うとき、それでも一緒に歩みを進められるのか。それもまたシチュエーションによって変わるでしょう。無数の変数の中で、他者との関係をどう切り結んでいくのか。いちいち全部考えていくのもめんどいしね! 摩擦や衝突はできれば避けて通りたい。炎上なんてもってのほかだ。そうするとどうなるかといえば、リスクヘッジを最優先して、当たり障りのないことだけを言い、周囲の顔色を窺いながら、やがて心地いい内輪の世界に閉じこもることになるはず。確かに自分でも、余計なことは言わないでおこう的マインドは、昔よりも強くなっているので(年を取って丸くなった以上に)、これは決して大げさではないように思う。何より、どんな意見にもそれなりの理屈はある以上、それはもうそれぞれの個性であり好き好きだとすると、口をはさむ余地なんてなくなっちゃいますよね。個人の自由さ。 コラムでは、その先に起こることにも触れているので、引用します。 「お互い踏み込んだり、踏み込まれたりしない、ゆるやかな多様性の世界は、実は自分の身の回りに異物が入ってくることを正義の押し付けとして排除する、専制の空間ではないか。自分は寛大だという人の多様性は、実はかなり狭いのではないか。「よく考えたけど決められない」という一見誠実にみえる態度は、一部の信念ある(カルト的なもの

感想_嫌いなら呼ぶなよ

先日芥川賞と直木賞発表されましたね。芥川賞読みたいな。 さて。綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』(2022年刊)読了。4本の中編が収められた一作。装丁に惹かれて買いました。水玉好き。 『眼帯のミニーマウス』 闇を抱えた元ロリータファッションに身を包んだ広告代理店(中小)勤務のりなっち。うっかりプチ整形のことを会社で知られたら盛り上がっちゃったので、ちょっと仕返しをしてみたり。 こじらせ女子を絶妙なテンションで書き上げる綿矢節が炸裂!って感じで痛快に読み上げました。 「インスタントに表明されてはすぐ消える私のお気持ち」とか「時すでにお寿司で遺伝と早期教育は私にバッチリ染み込んでいて」とか、ネットスラングじみた言葉使いが秀逸よね。実際にこんなふうに書くかどうかは置いといて、絶妙にそれっぽいぜ。 おそらく装丁の毒々しめポップ路線はこのお話からインスパイアされているのではと思いました。けばけばしいスイーツの、体に悪そうな感じのお話。中毒性あり。 『神田タ』 マッシュルームカットで飲食店アルバイトを転々としてきた、ぽやんちゃん。ひょんなことから2流YouTuberの神田を追いかけ始めたところ、まさかのバイト先で遭遇。いちばんのファンを自負していたものの、神田はぽやんちゃんの愛憎混じったコメントを見ていなかったことを知って…。 これまたアクロバティックにこじらせた主人公。勝手な思い込みで突っ走り、暴走し、あげくプチ放火して我に帰ることもなく、神田が振り返ることもなく。これまた絶妙な自意識高い系を描き切る綿矢先生よ! 『嫌いなら呼ぶなよ』 妻の友人、ハムハム夫婦たちに不倫を責め立てられる霜月。永遠に終わらない攻撃を受け流しながら、ひたすらこの苦行について思いを巡らせるが、最後までここから逃げ出すことはできず…。 珍しく男性主人公で、だけど、こじらせてるのはやっぱり同じ。ちなみに本作品すべてに共通してコロナ禍が舞台。そしてみんな、謎のあだ名が登場。ハンドルネームっぽい呼び名の交換は今時のアバター感出てるのかな。メタバース先取り的な。どれも自意識中心に語られる一人称で、コミュニケーション不全を感じさせる不穏さ。この一方通行感が生々しいのと、もどかしいのとで、なんともいえない気持ちの悪さ。でもこれが今のリアルなのかもしれないぞ。 霜月を擁護はしにくいけど、変わるがわる正義を振りかざすハムハム

プール、プーラー、プーレスト。

横浜ってスポーツ環境に関する都市ランキング、総合1位だそうです。へ〜。 さて。プーラーの僕ですが、ようやくこの夏初プールへ。幼児プールと25mプールの小さな市営プールですが、やっぱり最高に気持ちよかったです。今さら特に語ることもないのですが、とりあえず言っておきたくなる気持ちよさ。 お邪魔したプールは去年に続いて完全入れ替え性の整理券方式でしたが、今の所は整理券完売の日はないそう。去年より営業しているプールが多いのか、第7波が敬遠されているのかはわかりませんけれど。水の中では感染しないとのことですし、屋外ではありますが、ある程度の人が集まっているのは確かだから相応のリスクはあるよな。 横浜市の市営プールを検索したところ、けっこういろいろあって、元町プールなんて50mプールなうえ、なんと夜間営業まであるとか。数百円でナイトプールできてしまうなんてね。今度行こう。 子供たちの無尽蔵な体力とはしゃぎっぷりを浴びながら、ぷかぷか浮いて、気が向いたら少しだけ泳いで、ちょっと焼けた肌と心地よい疲労を抱えながらアイスを食べて。日焼けだなんだを気にしなくていいノングルーミング44歳には至福の時間です。ああ、夏だわ。 そういえばもう、としまえんはないんだよなー。ワイルドブルー横浜もとっくにないし、地元の市民プールもなくなった。もしかしてプールも消えゆく運命なのかしら。少子化だし。夏しか稼働しない施設ってのは確かに持続可能性がなさそうだ。オフシーズンはスケートパークにでもなんないもんですかね。そのくらいじゃ回せないか。むー。 できることといえば、せめて夏の間は足繁く通うくらいか。たくさん思い出作りにいこう。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

LEGOスタンプラリー実況中継!

さて。JR東日本が実施している「LEGO スタンプラリー」に一家総出で参戦中。例年は横目に見てましたが、いざやってみるとなかなか楽しい。ですがハードでもある模様をリポートします。 今回は都心部の一都三県から選ばれた30駅に台紙&スタンプが設置されています。どこかで台紙をゲットして、まずは7駅分のスタンプを集めたうえで規定のNEW DAYSで台紙1枚につき500円以上買い物をすると、ミニフィギュア1体(3種からランダム)、シール、そしてネクストステージの30駅スタンプコンプ用冊子がもらえるという仕組み。我が家はとりあえず7駅巡ってミニフィグ獲得です。 各駅のスタンプにはミニフィギュのキャラクターが割り振られていて、なんとなく町の特性とリンクしています。東京駅は騎士で、おそらく皇居からイメージを引っ張っているのかと。横浜駅は赤ひげ船長。新宿のトウガラシマンはよくわかんない。さらにスタンプ絵柄には各町のランドマークが入っていて、いい感じ。普通に集めて楽しい絵柄だぜ。実際に大人単身で、台紙じゃなくてノートにスタンプ集めている方も見受けられました。わかるぜその気持ち。 30駅コンプで今度はオリジナルのレゴキットが6種類からランダムでひとつとコンプリート記念証がもらえて、さらにすごいレゴセットに応募する権利がもらえる仕立て。北は土浦、東は船橋、南は桜木町、そして西は国分寺と、一つひとつはまあそこまで遠くないけど、全部となると目が回りますな。しかも期間は8/21まで(景品引き換えは8/22まで)と短め。 大人が本気だしちゃえば1日かもうちょいで回れちゃうんだろうけど、子連れだとなかなか思い通りにはいきません。が、いけるところまで頑張ってみたいと思います。どの駅のスタンプ台に行っても親子連れで賑わっておりました。実は、NewDaysで500円以上の買い物がハードル高かったわ。4人で2000円て、そんなに買うものないですよね。仕方なく次男用に電車シールブックと総武快速線のハンカチを買って、思う壺感もすごかった! 楽しませてもらってるからいいんだけど、電車賃もそれなりよね。 なにはともあれ、LEGOって子供の頃はまったく縁がありませんでしたが、ここにきて無性にハマっております。ブランド力あるよな〜。 30駅、よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

町の蕎麦屋も消えないで

夏はカルピスソーダが飲みたくなるのですが、あんまり売ってないんですよね〜。 さて。 昨日、町中華の話をしましたが 、町の蕎麦屋さんはどうなんだろうとふと思いました。どっちのほうが軒数が多いのかわかりませんが、形態としては似ているような。中華のほうが直接の競合が多そうな気もしますが、蕎麦店が安泰てことはないですよね多分。 ということで、 横浜駅徒歩圏内の生野屋さん へ。こちら、蕎麦が美味しいのはもちろんのこと、オリジナルメニューが豊富なんですよね。「おそばやさんのタンタンめん」とかくり出してくるんですよ。で、いただいたのは、冷やしカルビ蕎麦(とろろ付き)。そんな組み合わせあり? ありなんですねーこれが。最初、蕎麦(普通に蕎麦つゆをかけていただく)と、カルビを別々に食べてたんですけど、それじゃあワンプレートの意味ないよなと、途中から混ぜ混ぜしていただくと…あれ、合うじゃん、美味いじゃん! となりました。 カルビのタレの甘さと、蕎麦つゆのしょっぱさがいい感じに絡み合って甘じょっぱいにバージョンアップ。とろろがちょうどよく間を取り持ちつつ、葉っぱで包んで食べるのもサンチュぽくてグッド! これはまさかのマリアージュだよ! こちら、夜の一品メニューも豊富かつ、そば焼酎などもしっかり揃えているので、今度は夜一杯やりにきたいですね。蕎麦飲みってやったことないもので。 町中華も、町の蕎麦屋も、こういう創意工夫ができているところが生き残っていくんだろうなと、そば湯をいただきながら思うのでした。メニューのイラストもいい感じだぜ! お蕎麦屋さんにも、よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

町の中華よ消えないで。

久しぶりにアイスコーヒーにガムシロップ入れてみたら、甘くて美味しかったです。でも洒落たコーヒー屋さんにはガムシロ置いてないっけ? さて。町中華という言葉がいつから登場したかわかりませんが、今やすっかり市民権を得ていて、ほんとにしっくりきますよね。新聞のコラムによると、北尾トロさんが名付けたとか、はたまた、広めたとか。お見事なネーミング。 ご多分に漏れず僕も町中華好き。しかし跡継ぎ問題やら、再開発やら、コロナやらで閉まってしまう店も多いですね。職場の近くの行きつけも、自宅の近くのお気に入りも、日本橋の名店も、この数年で相次いで閉まってしまいました。切なすぎるし、切実に困るぜよ。 星がつくような特別なお店ではなく、お店によっては清潔とも限らないのに、どうしてこんなに惹かれるのか。安さやボリュームもあるでしょうが、絶妙な落ち着きが最大の要因でしょうか。何の気兼ねもなく、ふらりと入れる場所。そしてどこの町にもあるし、ある種のコンビニというか、もはやインフラレベルか。 そして、何というか正直さみたいなのも、あるかもしれません。過度な営利性というか商売っ気は感じられず、過剰なサービスもなく、普通の、普段着の、存在感。大半が家族経営で庶民的。そのマジメさが安心感になっているというと、持ち上げすぎかな。ただただ普通、とことん普通、それがいいのか。厨房から聞こえるでかい中華鍋をカチャカチャ打ち鳴らす音がたまらんです。デリバリー? 何十年も前からやってるぜ! 決して絶滅することはないとしても、絶対的な数が減るのは寂しい限り。銭湯とかもそうか。本格中華じゃなくて町中華。サウナじゃなくて銭湯。そういう価値観て、確かにありますよね。懐古主義とはちょっと違う何か。とりあえず僕は、炒飯と餃子を頼みがちですが、ニンジンやグリーンピースの入ってる炒飯は苦手。 そんなこんなで、町中華にもよりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 (写真はチェーン店。ないんですよ、生活圏に町中華が!)