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感想_君が落とした青空

  うかうかしてたらオリンピック始まっちゃいました。追いかけるぞー。 さて。櫻いいよ『君が落とした青空』(2015年刊)読了。今日はついてない日だ。朝ごはんはカレーだし、鬱陶しい雨降りだし、小テストは散々だし、修弥は映画デートに向かう途中でドタキャンしてくるし、最悪の日。そんな最悪の日の終わり、修弥が立ち去った先から大きなブレーキと衝突音が聞こえ、みるみるうちに人だかりができる。嘘、まさか、そんなはずないよね…。次に気がつくと実結がいたのは自分の部屋で、朝ごはんのカレーが待っていた。あれは夢だったのだろうか。あまりにもリアルで最悪な気分を抱えながら実結は、一生懸命思い出そうとする。最悪な1日のことを、そして修弥と付き合ってきた2年間の日々を。 今月映画が公開ということで原作小説を読みました。主人公が悲劇の1日を何度も繰り返すタイムリープもの。実結は、徐々に繰り返しに気づき、最悪のできごとを少しずつ回避しようとするのですが、マンガのようにあれもこれも試して抗って、じゃんじゃん未来を変えていくという感じではありません。抵抗はするものの、それ以上にこの1年うまくいっていなかった修弥との関係を悶々と考え続けます。彼は自分のことをどう思っているのか。別の女と深夜に歩いていたのはなぜか。どうしてそんなそっけない態度なのか。ぐるぐる、ぐるぐる。 ちょっと実結が後ろ向きすぎるので、中盤はもどかしさでモヤモヤ。悲劇を回避するための努力があんまりにもないままに、いつまでもうじうじしているものだから、もうちょっといろいろ試すだろうよ! タケミッチ(東リベ)を見習おうよ!! と思っちゃうのは、タイムリープものをいろいろと見過ぎてるからでしょうか?  でも。伝えたいメッセージはよくわかるんです。大して変わり映えのない日常を送るうち気づけば何もかもが色あせてしまっていて、いつの間にか大事なものを見落としてしまうこと。大抵それすらも気づかないまま遠くまで来てしまうこと。失って初めて気づく、あるある。まさに実結はその悔いを抱えることになります。同じ1日なんて本当はないし、当たり前の明日がいつまでも来るとは限らないこと。でも、その中にいると、そうは思えないんですよね。 そしてもう一つ。どんな思いも、言葉に、行動に、形にしないと、伝わらないということ。これも、あらゆるところで語り尽くされているのに、ど

シーパラで生物の種類について考えた

サンタの正体はまだバレてませんが、鬼の正体はそろそろバレそうな我が家です。 さて。八景島シーパラダイスに行きました。おそらく20年ぶりくらい。いろんなものがずいぶん変わっていたような気がしますが、そもそもあまり憶えていないのであてになりません。何にしても、水族館がすごく面白かったです。 メインのアクアミュージアムはペンギンやホッキョクグマといった人気どころから、深海魚にクラゲに海亀まで、たくさんの種に会えました。初めて見聞きするものも多くて興奮。屋上にはカピバラやレッサーパンダまでいたしね。お隣ドルフィンファンタジーもきれいだったし、イルカショーも楽しみました。 リニューアルしたというUMI FARMでは釣りも楽しめるそうなので(そして釣った魚を調理してもらうことも!)、これは次回やろう。それからふれあいラグーンではオタリアやシロイルカに触ることができました。シロイルカ、あんなにゴムゴムしているとは! 全体的にいろいろ工夫を感じましたし、生き物を身近に感じられる展示だったように思います。 多種多様な海の生き物を見ていてふと、海の中は陸上よりも種の数が多いんだろうなと漠然と思いました。だって生命は海から誕生してるし、面積も大きいしさ。でも、検索してみると、確かなデータがないようで、海の方が多いとしている説もあれば、陸の方が多いとしている説もあるようです。 そもそも、生物が何種類いるかも諸説あるそうで、3000万種とする研究もあれば、1000万種とするものもあるとか。いずれにしてもその90%くらいは未知の種と推定されているそうです。そんなにか! 全然知りませんでした。 地球にはこんなにもたくさんユニークな生き物がいて、そしてまだまだ知らない生き物のほうが多いだなんて、妙にわくわくしちゃいますね。人間の中だけで小さいことをゴニョゴニョ言ってると笑われそうだ。 ということで、まだまだ遊び足りないのでまた来たいと思います。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

受付嬢におっさんテイマー! グラストCOMICS_2022年1月刊

保育園の面談をZoomか書面で実施と聞きました。書面のやりとりは面談じゃなくて…文通? さて。グラストCOMICSの最新刊が出ているのでご紹介です。 まずは『受付嬢に告白したくてギルドに通いつめたら英雄になってた』。こちらタイトル通りの作品で、幼き頃、受付嬢のガーネットさんに一目ぼれしたジェイドは、ただただ彼女に会いたいがために冒険者となり、毎日ギルドに通う理由を作るためクエストをこなしまくっていたら英雄になっていたというお話! 開始早々に英雄になっていて、そこからのガーネットさんとのじれじれしたラブコメストーリーが展開されます。異世界でここまでピュアでいいんだろうか?っていうとぼけた感じで、出てくるキャラもみんないい人。ホワイトドラゴンのドラミも抜けてていい感じ。2巻以降、どんなふうに展開していくのか楽しみです。なお、バトル描写はよくわからない1~2カットのみ。 もう一作『才能なしと言われたおっさんテイマーは、愛娘と共に無双する! ~拾った娘が有能すぎて冒険者にスカウトされたけど、心配なのでついて行きます~』。これもタイトル通り、冒険者にはなれなかったおっさんウードが、ある日森の中で捨てられていた少女クレスを保護。成長したクレスには予想もしない才能が眠っていて、冒険者にスカウトされて…という話。 おてんばっぽいクレスが覚醒し、実はウードも才能なしなんかじゃなくて、狩人としては凄腕。それだけではなく、さらに秘めたる才能があったのですが、それは1巻の次の第6話のお話(電子で読めます)。父娘、それぞれに規格外の能力を持った、バディものとしてさらに面白くなっていきそう。どっちも面白いけど個人的にはこっちのほうがより楽しみです。 グラストCOMICS、次は3月25日の発刊となります(奇数月第4金曜日発売)。どうぞお楽しみに!

感想_計算する生命

  恵方巻き、食べたことがないと思う僕です。豆はしぶしぶ食べます。 さて。森田真生『計算する生命』(2021年刊)読了。計算という行為はいかにして人間の営みに組み込まれていったのか。その起源から、数学者と哲学者たちの研究と議論を紐解き、そして人工知能開発に至るまでを論考した一冊。計算とは、この世のことわりを明らかにするものであり、そして生命を拡張さえもするものとなるのか。 森田真生 『計算する生命』 | 新潮社 最近の個人的数学ブームと、同じ森田さんの 『数学の贈り物』 が良かったこともあり、手に取った一冊。これは結構数学用語もたくさんで、難しいところもありました。でも、面白かったです。 計算にしても数学にしても、僕には苦手意識があり、とっつきづらさがあります。でもその行為の元になっているのは、一筋縄ではいかない自然界のルールを突き止めることであり、一人一人がバラバラに認知している世界の共通言語を見つける行為なんだと、教えられました。それはきっと世界の秘密を覗くようなことで、だからこそ多くの数学者たちを惹きつけているんだなと想像できます。ある種のアート。僕にはそれを真似ることはできないけれど、でも、この世界にある見えない法則を知りたいという欲求には共感できます。そういうのを探す生き物なんじゃないですかね、人間て。 数字という概念に疑問を持つこともなかったけれど、改めて向き合うととても不思議なものなんですよね。実体がないし、十進法はとても便利なシステムだけどこの規則も人間が作り上げた人工的なもの。だけど、万人が理解して用いることができる。計算も、一定の約束事の元で運用が可能になる仕組みなんですよね。考えたこともなかったけど、そういう風に捉えるととても理知的で、クールな事だと思えてきました。 僕は言語に興味がありますが、それは目に見えない、手に触れる事もできない、心の中を誰かと共有するツールだから。人の心を覗きたい。誰かの想いを知りたい。そんな欲求が出発点になっているように思います。数字もまた同じで、顕在化できないものを仮想的に代替し、それによって共通理解を生み出すことができるもの。まさか国語と算数が親戚だったとは思いませんでした。対極にあるって無意識に思っていたのに。 ありとあらゆる計算=アルゴリズムが支配しつつある現代、その合理性と利便性は言うまでもありませんし、一

誰もがみんなクリエイティブだったときのこと。

ちょっと前まで2020年を心待ちにしていたきがするのに、もう2022年の1月が終わったとかいって、嘘だろ?って思う今日この頃。本当なんですよねーこれが。 さて。コロナによって人との関わりが減ったわけですが、新しい仕事を覚えるのもなかなか難儀だよなと思ったりしています。マニュアル通りに遂行することはできるものの、教わるほどでもないちょっと気の利いたテクニックとか、なんとも言えないトラブル対応とか、わざわざ時間取るほどでもない素朴な疑問とか、そういうのって周りの人がしている電話とか雑談とか飲み会から学んだり、盗んだりしていたよな〜とか思うんですよね。 それはさておいて、日経新聞(1/27朝刊かな)に寄せられていた作曲家の藤倉大さんのコラムにいいことが書いてあったので引用させていただきます。 「 自分の作品は自分の子どもと同じで、比べようのない愛情が注げる。クリエーティブにはそういう力がある。その力が、今こそ求められている。 自分はクリエーティブじゃないと思う人がいたら、忘れているだけ。子どもに作曲を教えると、みんなアイデアが湧き出てくる。音楽ってこういうものだよ、と大人が教えるうちに、そがれていってしまうのだと思う。 だから自分のなかの火を、探してみて欲しい。楽しければ音楽でも、美術でも、テレビゲームのストーリーを考えるのだっていい。誰かに見せる必要も、お金になるか考える必要もない。わくわくする、熱中する、そういうことが人間を救い、豊かにするのだから」 本当にそうなんだよな、と思います。みんなクリエイティブなはずなのに、どこかで見えない線を引いてしまう。僕も知らず知らず経験則に引っ張られて、その枠の中で物事を考えてしまっていること、よくあります。 もうひとつ、先週のセブンルールに『13歳からのアート思考』の著者である美術教師の末永幸歩さんが出演していたのですが、彼女の授業がとてもよくて、末永さんに教えられた高校生がクレヨンと画用紙で最高に独創的でクールな作品を生み出していました。 藤倉さんや末永さんの話を聞いていて思うのは、コロナがどうだ、なんだかんだってのはあるんですが、そういう枠組みや線引きを乗り越えるためのクリエイティブな能力を、きっとみんな持っているはずなんだってこと。それを取り戻したり思い出すのに必要なのは、好奇心や探究心なんでしょうね。 導入と着地がめちゃく

七五三と記念写真と。

子供にタイムリープ説明するの難しいです。 さて。長男の七五三しました。なんとなく後回しにしてしまって、気がつけばすでに6歳だわ、1月だわで、ごめんなさい。 まずは撮影スタジオで撮影。ファミリー向けのこういうところを利用するのは初めてでしたが、楽しめました。二の足踏んでたくせにいざ行くとなると何着てこうかとか、親の方が盛り上がるという。長男もレンタル衣装着て、髪型整えてもらって、ポーズ指導受けて、頑張ってました。 スタジオのスタッフさんは流石に慣れたものでほがらかな撮影タイム。無事に終了して、やって良かったなと。納品はデータで30カット。所要時間は90分ほど。長男はわりと緊張して撮影中表情固い感じでしたが、ちゃんと笑顔を引き出しててくれてありがたい。 そのあとは神社で御祈祷。初詣もひと段落してるからか混雑もなく、サクッと終えられて良かったです。行事もの、おろそかにせずに、大事にしてあげないとな。特に次男。 久しぶりにスーツ着て、イベントごともこの2年ほとんどなかったから、この機会にあやかれて良かった良かった。おうち時間とか、日常は大切だけど、たまのハレの日ってやっぱりいいものですね。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

なんていとしき紙ものショップ

 マクドナルドのポテト早く復活してほしいものです。 さて。オズマガジンのイベントにあわせて、どうしても行きたかったのがこちら、ラッピングペーパーの専門店「REGARO PAPIRO」さん。12月発売のオズマガジン文具特集で表紙を飾っていた一軒。 小さなお店の入口を入った瞬間、その色とりどりの紙の世界に包み込まれます。右手の壁一面を彩る紙たちは色もデザインも豊富で、恐竜の化石柄とか、息子が喜ぶだろうなぁとか、いろいろ想像が膨らみます。 反対側の壁にはレターセットや一筆箋にポチ袋など、魅惑の紙ものアイテムたちがずらり。これは物欲爆発すること確実なところ、つとめて冷静に、ポストカードとマスキングテープを購入しました。 こちらはグラフィックデザイナーのオーナーさんが福岡にオープンしたお店の2号店だそうで。紙ってシンプルで、プリミティブ。折って、書いて、包んで。ここに来るだけで想像力が自然に膨らむような、そんなお店でした。これは定期的に通いたい。 ここにきて蔵前の充実っぷりがすごいですね。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

コーヒーイベントin蔵前、開催中!

 コーヒーはミルでがりがりやっている僕です。 さて。オズマガジンが主催するイベントに行ってきました。会場は蔵前と御徒町の間らへん、鳥越と呼ばれる街の「torigoeT」さん。発売中のオズマガジンでも紹介している、コーヒーにまつわるお店のアイテムを集めて販売しています。 目玉は、浅草橋の加藤製作所に制作を依頼したオリジナルのコーヒー缶。誌面で使われた大塚文香さんのイラストがあしらわれた、シンプルだけどかわいらしい一品でした。そのほか、オリジナルのマグカップや、6つのコーヒーショップによるコーヒー豆などが一堂に。 会場でもコーヒーのほかおやつが楽しめるほか、オリジナルの蔵前おさんぽMAPを配布。ここを起点に周辺のさんぽを楽しむことができちゃいます。僕もコーヒー片手に楽しませていただきました。 近所にはカキモリさんやSyuRoさんといった蔵前の殿堂入りショップも。イベントは30日までなので、この週末お時間ありましたらぜひ足を運んでみてください。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_君が僕にくれた余命363日

  朝はEテレから始まります。子育て世代あるある。 さて。月瀬まは『君が僕にくれた余命363日』(2022年刊)読了。生まれつき、他人に触れると相手の余命が見える能力を持った高校生の日野は、その能力ゆえ極端に人との関わりを避けるように。しかしクラスメイトの成田花純はそんなことはお構いなし。見たくない花純の余命を見てしまった日野は、数日の間に彼女の余命が1年減っていることに気付く。そんなことは今までなかった。縮まる2人の距離と、横たわる秘密。2人に残された時間ははたして。 寿命が見えるといえばデスノートが思い出されますが、あちらでは脇役だったその能力にフォーカスした作品。もしも相手の余命が見える能力があったとしたらと想像すると。おそらく大半は無関心でいられるような気がしますが、やはり短いものには反応せざるを得ないでしょうね。そして日野のようにやがて他人との関わりを避けるというのは自然な行為のように思えます。 ちょっとネタバレになりますが、本作にはもうひとつの能力が登場します。それが、花純が持つ死を迎えた瞬間に自分の余命を1年渡せるというチカラ。減りゆく花純の余命を前に、日野がどう対応するのか。その謎を軸にある種のカウントダウンによって物語は推進力を得て、ぐいぐいページを送らせます。 最近『余命10年』(映画化決定)など、余命もののヒット作がいくつかありますが、おの「残された日々」という切実さは身に迫るものがありますね。手のひらに情報とサービスが集まる今、生きる実感というか、生身のリアリティをくれるのが、死という題材なのかもしれません。 本作の結末は苦しいもので、別の展開はなかったものだろうかとは思いますが、それゆえに読者へのメッセージを持ち得たとも思います。今を生きることと、利他の精神。他人からの干渉を避けていた日野は生きる喜びを手放していたも同然で、そんな彼は花純によって救われました。きっとこれからの未来にも、辛いことはあるだろうけど、おそらく日野はそれに向き合って生きていけることでしょう。その代償は、運命と呼ぶにはあまりに重いけれど。 後半のできごとはやや強引な感もありますが、主役2人のキャラクターが好感度高くて、彼らのハッピーエンドを願う気持ちで読める一作。設定の男女を入れ替えてもよかったような気がしますがどうでしょうね。別にどっちでもいいのか。予定外に夜更かし

移動の本質。僕らはどこに向かいたいのだろう

 釣りスピリッツというアーケードゲームにハマるかもしれない今日この頃です。 さて。メタバースに関するニュースを多く見るようになってきました。アバターが自由に行き来する仮想空間。ザッカーバーグさんは「仕事や遊び、学びに創作など思いつくことはなんでもできるだろう」と言っているそうです。そしてメタバースの登場は人の移動を減らして、環境負荷も低いと。 これだけ話題になり、すでに大きなお金も動いていることを考えると、近い未来メタバースのある生活がやってくるのでしょう。インターネットやスマートフォンやzoomがあっという間にインフラになったように。僕個人は今はまだ及び腰ですが、そんなのお構いなく気づいたらなくてはならないツールになるのかな。ちなみに、一般生活に登場するのは3年後くらいらしい。 「よりみち」を標榜する当ブログとして考えたいのは、移動ってなんだっけ?ってことですね。例えば在宅勤務をやってみて僕が感じたのは、通勤時間にもそれなりの意義や恩恵はあったな、です。満員電車は勘弁ですしHPは減りますが、スマホを見る、本を読む、ぼんやりする、寝るなどなど、隙間でしかないけど、隙間には隙間なりの意味があったかなと。旅行で言えば、目的地に行くことが重要ではあるものの、その途上にも旅情ってありますものね。 原始まで遡れば、そもそもは食料を求め森を出て移動を始めた人類が、生存のために定住と農耕をはじめ、社会ができると今度は土地に縛られるようになり、やがて近代になり再び自由な移動を求めていきます。馬車、電車、自動車、飛行機。世界中に移動できるようになると、次はその時間をなるべく短縮するように考え、ついに登場するメタバースは、移動そのものをなくしてしまおうとしているのでしょうか? 例えばGoogleマップが全部仮想空間になりアバターを通して自由にどこにでも行けるようになると想像したら、自宅にいながらにして移動時間さえも仮想的に体感しながら旅行できちゃったりするのかな。少なくとも視覚と聴覚は、本物の移動と変わらない体験ができるようになるのかもしれないですね。 それでも。買い物にしても、通勤にしても、旅行にしても、単目的(商品を買う、仕事をする、観光をする)で考えると移動時間はない方が効率的だと思うのですが、もうちょっと俯瞰してよりよく生きることを目的として考えると、無駄っぽい過程にある行為も

感想_草魔法師クロエの二度目の人生

最近夜更かしがきつくなってきました。寄る年波よ。 さて。小田ヒロ『草魔法師クロエの二度目の人生』(2021年刊)読了。不遇の人生の末に獄死させられたはずがなぜか5歳に戻っていたクロエは、一度目の人生で得たスキルと知識を頼りに自らの運命を変える戦いを始める。守護者にも恵まれ、まさかのドラゴンとの遭遇を経て、ついにクロエは新しい人生を手に入れる! 草魔法師クロエの二度目の人生 自由になって子ドラゴンとレベルMAX薬師ライフ | 書籍 | カドカワBOOKS いろいろ女性向けの異世界文芸を読んでいて、抜群に面白かったのがこちらです。不遇の末の転生とチートスキルは異世界もののお約束ですが、この作品が良かったのは、一度目の人生の結末もしっかり言及があり、そしてだからこその転生後の選択や発言に説得力があること。それから、草魔法が安易にチートなわけではなく、設定のディテールがしっかりしているので、没入しやすい。本人のキャラクターも好感が持てて、気がつけば応援したくなるのです。 登場人物との出会いや別れもいい感じで、クロエのキャラがしっかり立っているからこそ、そのドラマが効果的に物語を推し進めてくれます。ドラゴンもいきなり最強じゃなくて、生まれたてでまだ非力ってのもいい塩梅。全体としてはストレスなく読めるのも、異世界に求められている要素をしっかり満たしていると思います。 いろいろとこの先の布石も散見されたので、確実に続刊出るんでしょうね。ぜひ2巻も読みたいと思ったのでした。同じKADOKAWAさんだと『 サイレント・ウィッチ 』も人気タイトルだけど、僕的にはクロエ推しで。こういう"当たり"を見つけるのも読書の楽しみですよねー。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

選択のオーバーロードを乗りこなす

コロナによる保育園休園増加がニュースになっていますが、うちの子を通わせている園もついに…。 さて、気を取り直して。「選択のオーバーロード現象」という言葉を新聞で見ました。人は、選択肢が多すぎると選択がしにくくになり、さらには選んだものへの不満感を抱きやすくなる現象だそう。その話は知っていましたが、名前が付いていたのは知りませんでした。いわゆる選択肢のワナというやつです。 よく知られているのは、ジャム6種類の試食を用意すると3割が購入するのに、24種類揃えると購入したのがたった3%だったという話。なんとなく共感できますよね。選択肢が多いと、ハズレが多いような、なぜかリスクを負っているような感じにすらなることがあります。当たりがひとつだとすると、分母が多い方が当選確率は下がる。実際はそんなに単純じゃないでしょうが、そういう気分になることは不思議じゃないし、「やっぱあっちにすればよかった〜」というのはランチのメニューを選ぶだけでも日々起きていること。 今はとにかく選択肢の多い時代。様々な商品・サービスが登場し、そのどれもが消費者の多様なニーズに応えるため、差別化を図るため、重箱の隅、のさらに隅、に穴まで開けて、その先に何が見えるかな?ってくらいに細分化されています。本当はそれは嬉しいことのはずなのに、どこかのフェーズから手段と目的がこじれちゃって、もっとシンプルでよかったのになんて思うこともしばしば。 たまにメニューは一種類のみという飲食店ありますよね。これは選択肢のワナの対極で、この簡潔さがありがたく感じることは、以前より増えているかも。提供者からすると、いろいろなロスが少なくてずいぶん効率的でもありますしね。 とまあ、問答無用の一択から97%が敬遠する24択まであるわけですが、この中でうまくやっていくコツは、「おおらかに行こうぜ」ですかね。多少思ってたのと違っていても生き死にがかかるほどの大問題じゃないでしょうし(ジャムなら特に)、全部を知り尽くしたうえで最適を判断することもおそらくは不可能。だったらその状況を楽しむしかない。忘れてはいけないのは、選択肢が増えたことで、何か損をしているわけじゃないってこと。迷ったり失敗したりする可能性は上がるとしても、それはそういう体験であり相応の対価を得ているはずで、損失ではないと思うのでした。 「迷わせない」ってのは、今後重要な価

感想_すず色のモーニャ

  公園の梅の花が咲いていました。こんなに早いっけ、開花? さて。キューライス『すず色のモーニャ』(2021年刊)読了。森の奥で暮らす魔女のモーニャは、町の人には恐れられ、たった一人で暮らしていた。そこにどこからともなく現れた少女ドロシーと、愛犬トト。屈託のないドロシーによって、モーニャは少しずつ心を開き始め、彼女たちは願いを叶えてくれるオズの大魔王がいるというエメラルドシティを目指す。しかしそこには思いもよらない運命が待ち構えていた。 すず色のモーニャ - ほぼ日刊イトイ新聞 キューライスさんを存じ上げなかったのですが、ウェブ発で様々な人気キャラと漫画を生み出していたり、絵本をヒットさせていたりする方でした。言われてみると、絵本は見たことある気がします。で、こちらのモーニャ、とっても良かったです! 最初はゆるめの四コマ的な感じかと思いきや、楽しげな前半から冒険色が出てくる中盤、そして何やら終盤には切ない展開まで待っていて、ちょっとしたハリウッド並のドラマが展開されるのでした。一応、オズの魔法使いをうすーく下敷きにしつつも、オリジナルのストーリーです。 序盤、モーニャが雰囲気だけで人々から遠ざけられるのは、『桃太郎』の鬼は本当に悪いのか?議論が頭に浮かびました。「鬼」というイメージだけで悪者扱いすることがあるように、モーニャも言われなく恐れられたりしています。それをドロシーはあっけらかんと、正論で、半ば強引に連れ出してしまいます。噂に流されずに自分の目でモーニャを評価するドロシーはとても素敵。多くの弱きものや、マイノリティへの優しさを感じさせ・・・たりはしない、ドロシーとトトの丁々発止がいい具合。あくまでフラットさ! そして二人には究極の選択が待ち受けるわけです。素直な思いを伝えられなかったこと、軽い気持ちでエメラルドシティに来たこと、彼女たちは少し後悔という名の痛みを抱えます。でも、強い意志によってそれを乗り越える二人。決して安易なハッピーエンドとは違う、信じ合い、そしてお互いに向き合ったからこその結末だったように思えました。あくまで語り口はライトなんだけど、結構グッときたな。 愛嬌のあるイラストと、とぼけたキャラクター、だけど芯のあるストーリーで大人の鑑賞に耐えうる一冊。子供にも読ませたいんですが、ルビが振られてないので未就学児にはきついですね。小学校低学年なら

レトロさんぽを浅草で。

BTSの曲がかかると1歳児まで踊り出すようになってきました。ユニバースター恐るべし。 さて。ずいぶん久しぶりに浅草花やしきに行ってきました。小さな敷地に相変わらずの懐かしアトラクションがギュッと集まっていて、年長さんお喜び。相変わらずな一方で、写真映え推しが進んでて、いくつかの印象的なフォトスポットがあったほか、時間限定でアトラクション内で自由に写真が撮れるという企画も。手持ちの資産を活かすいい試みですね。 浅草寺もやっぱり気持ちがいい場所で。雷門も、仁王像も、五重塔もインパクトある。見上げればスカイツリー、仲見世もその周辺も、観光地であり下町であり、ごちゃごちゃしてますが唯一無二の街だなぁとしみじみ。老舗はもちろん、周縁エリアには洒落たカフェとか多いし、足を伸ばせば蔵前など隣町にもすぐ行ける。散歩向きの街。 何か特別なものを探そうとしたり、意味のあるものや誰かに言いたくなるようなものをと構えちゃうとなかなか見つからないのですが、フラットな視線と心持ちで街をぼんやり見ていると、いろいろといいところが見つかる気がします。ベタな観光土産も、日常的なお店も、どれもそれなりの味がある。 花やしきや浅草って特にそういうのんびりした気分で歩くにいい街かもしれないなーと思いました。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

クラシックカメラ、始めます。

大寒だった昨日より寒かった気がする今日でしたね。日は少しずつ伸びてきましたけれども。 さて。親戚のおじさんの遺品だったカメラを譲り受けました。古いコンタックスのⅡ型と言われるもので、1930年代生まれのもの。かなり長いこと使われていなかったと思われ、動くのかどうかわかりません。そのまま試してみてもよかったのですが、オーバーホールに出すことにしました。 訪ねたのは浅草の ハヤタ・カメラ ラボさん 。クラシックカメラの修理販売に定評のある専門店です。予約をしたうえで、実機をもって訪問すると、早速状態を確認して、問題なくオーバーホールできるでしょうとのことだったので預けて待つこと約2ヶ月。無事に修理が完了しました。 見た目からはわかりませんが、すべて問題なく動作するようになったようで、「いい写真撮れますよ」とのこと。分解した写真まで見せてくれました。どんなのが写るか、楽しみです。フィルムカメラは、アサヒペンタックスのSPFてのを使ってますが、フィルム装填の勝手もだいぶ違いそうなので、ネットで情報集めるところから始めます。 なお修理代は税込で91,300円。決して安くないわけですが、検索してみた感じだときちんと整備されたものの市場価格はこのくらいのようだったので、思い切っちゃいました。このカメラが世界にどれだけ残っているかはわかりませんが、少なくとも今後増えることはない100年近く前のものを残すというのも悪くないだろうと。 もちろんなんとなくカッコいいじゃん!的ミーハー心も大いにあるわけで、長男も「カッコいい!」と言ってくれたので、誕生100年を迎える頃には彼に譲れるように(欲しいと言われたら)大事に使おうと思うのでした。 いい感じに撮れたらここでアップしようと思いますので乞うご期待。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。