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失敗を成功の基にできるように。

美術館に行きたいのですがなかなか時間が取れません。 Chim↑Pom見に行かなくては! さて。日経新聞の「こころの健康学」という連載が好きなのですが、そこで「失敗は失敗で終わらない」という記事がありました。若い頃は特に、若くなくてもですが、人はいろんな失敗をしてそこから学ぶという趣旨なのですが、とても共感できる内容でした。 ざっくり言うと、失敗した後が大事という話です。失敗は悔しいし、恥ずかしいし、できれば避けて通りたいものです。でも、失敗したことのない人なんて恐らくいないし、そもそも何が失敗なのかは実は人によって定義も分かれるところだと思います。仮に今失敗してでもそのおかげでのちの成功が生まれるんだとしたら、それって失敗だったのか?って感じですし(失敗なんでしょうけど)。 記事にもありましたが、いくらくよくよしても、失敗は無くならないんですよね。なので、そこからいかに学び、改善していけるかで、人は成長していくと。そして、失敗にしても成功にしても、行動しかたらこその結果であり、行動なくしてはそもそもの結果すら得られないと、話は展開していきます。いちいちもっともで、よく言われる通り、考えるばかりで動かないのは、結果何も生まれないということですよね。 僕も大小の失敗してきましたし、今も現在進行形でしていますが、大切なのは失敗した理由を考えることでしょうし、次に失敗しないように努力することだと思います。本当に、起きたことは変わらないし、いくら悔やんでも覆水盆に帰らないので、その時点からの最善を模索するようにしています。迷惑をかけたならすぐ謝る、取り返せるものがあるならすぐやる、あとはなるようになる。それしかないですね。 良くも悪くも人は忘れる生き物なので、自分も失敗の記憶は忘れないとしても薄れていきますし、他人はもっと早く忘れるもの。だから、失敗したくないのは変わらないけど、失敗を恐れて足がすくむことのないように、と言い聞かせながら、なんとかトライしています。いや、本当は避けて通りたいんですって。 そういえば、B'zの歌に「嫌な問題、大損害、避けて通る人生なら論外。生きてるからしょうがない」ってありましたね。そうそう、生きてるからしょうがないんです。しょうがないことを言ってても、それこそしょうがないので、とっとと進むしかないんですよね。さ、散歩だ散歩! よりみちし

キャンセルカルチャーの中で惑う

街中でLOOP乗ってる人を多く見るようになってきました。ファミマにもポートができるそうで、今度利用してみよう。 さて。吉野家の方の問題発言が物議を醸しています。僕自身、吉野家さんの牛丼を時々食べているのですが、今の状況だとちょっと足を運びにくいなと思ってしまいました。吉野家の牛丼は好きだけど、問題発言を容認しているとは思われたくない。気にしすぎかもしれませんが。 俗に言うキャンセルカルチャー。直近ですと、ロシアでの事業を停止するかどうかでも、世論の圧力があったように思いますし、非常に多くのところで社会問題と生活が結びつき始めています。ずい分前の話ですが、僕は牛乳大好き人間なので、雪印さんが問題を起こした時は雪印の牛乳は飲むまい!と思ったものですが、昨今はその比ではないでしょうね。 今は、企業活動が倫理観を問われていますが、これがより進行していくと、我々消費者自身の態度も問われていくのでしょうかね。一挙手一投足にスタイルや信念を求められたらちょっとしんどいので、そこまではいかないことを願いつつ。 何というか、良くないものは正さねばならないと思いますが、それにみんなで罰を与えるようなことからは距離を置きたいと思うのでした。普通にお仕事されている従業員の方がちょっと気の毒で、いつも行くお店のスタッフさんの心中はどんな感じだろうなと思う今日この頃。答えもオチもなくてすみません。 よりみちしながら、行きましょう。今日も、いい1日を。

幸福には2つの種類があるらしい。

衣替えしました。春は新しい装いがしたくなりますね。 さて。「幸福学」という学問があるそうで、前野隆司さんという方が第一人者として10年ほど前から研究をなさっていると新聞を読みました。幸せは大きく分けて「目の前のハッピー」と「中長期的な人生の満足度」という2つに分かれるそうです。確かに、今の気分と、長い目で見ての充足感というのは、似て非なるものですが、それぞれが作用して幸福につながるというのは腑に落ちる話。強いて言えば、短期的に凹んでいても、長期的にはまずまずハッピーと思えてればいいですよね。最近の言葉で言うところの、ウェルビーイング。 幸福学では、幸せを感じる要素を4つに分解しているそうで、 1、自己実現と成長(やりがい、主体性など) 2、つながりや感謝、利他性や思いやり 3、前向き、楽観性(なんとかなると思える) 4、自分らしさ、ありのまま(他者と比べない) を満たすことで、幸福感は高まるとのこと。全く異論はありません。そして、これが簡単にいかないから難しいということだと思います。 コロナによって幸せの尺度をそれぞれに見直し始め、軌を一にして働き方改革も叫ばれています。振り返ればこれまでは、自分自身の幸せというものに、あんまり面と向かって考えてはいなかったかもなぁと個人的には思います。それでも特別大きな問題はなかったし(恵まれてます)、20年前までは社会全体も概ね良い方に向かっているような気がするという空気だったようにも思います。自分が無知だっただけというのもありますが。 改めて自分の幸福感でいうと、好きなことをやる、周りはコントロールできない、がベースにあるかなと思います。僕は運動が好きなので、なるべく運動をすることでずいぶんと満たされます。いいことばかりではないですけど、悪いことばかりでもないので、小さな良きニュースをちゃんと拾うようにしています。今日は天気が良くて嬉しいとかそういうレベルの。あとは、周りの目は気になるんですけど、でもどうしようもないことの方が多いのでそこを気にしすぎない、でしょうか。 逆の立場で考えると、僕は他人のことってそんなに気にならないのです。例えば、自分のズボンのチャックが開いてたら恥ずかしいんですけど、でも誰かのチャックが開いているのを自分が見て思うことは「あらら。でもま、そういうこともあるよね」なんです。だから、自分のチャックが開

感想_騎士団長殺し(上下)その2

  葛根湯様様の僕です。無事に体調回復しました。 さて。村上春樹『騎士団長殺し』の感想の後編です。 改めて、村上作品の主人公は一貫して孤独(ある意味での)であり、徹底したスタイルを持ち、実年齢とは別に少年のままですよね。それが独自のファンタジーとなり、 " 子供みたいな純粋性 " を残した(あるいはそうでありたいと願う)人たちを刺激して、「これは自分の物語だ」と思わせているのかもしれないと思いました。だからこそ世界中で愛されているし、あまり共感できないという人もいる。村上チルドレンやハルキストと呼ばれる人は、この純粋性に憧れを持つ人なんだと思います。子供っぽいと言っても間違いじゃないのかも(そして僕もその一人)。 ところで副題に「イデア」と「メタファー」とありますが、これってなんでしょうね。日本語訳すれば、理念と暗喩。前者は物事のあるべき姿で、言い換えれば善なるもの。後者はそこに隠された意味で、真実や示唆というところでしょうか。「どんな物事にもいい面と悪い面がある」は本書にも出てきましたし、村上さんの定説だと思いますが、何事にもイデアとメタファーがあると言っても差し支えないかもしれません。あるべき姿と、その裏に潜む意味と。この辺りは本書の大きなメッセージのひとつのようにも感じられます。 小説としても前半は「イデア」が仕掛けとして次々立ち上がり、後半は「メタファー」となって回収へと向かっていく。私たちの目の前に現れることは全部何かしらの意思を持ったイデアということができるし、そして巻き起こるあまねく事象は何らかの示唆を含んだメタファーでもある。無駄なことなんておそらく一つもなくて、それらを拾い集めながら僕たちはどこに向かうのかを日々決定しているのでしょう。好むと好まざるとに関わらず、いい面と悪い面を混在させながら。 それに自覚的であることが、僕たちの日々をよりよくするために必要なものであり、他人に対して寛容である唯一の方法のようにも感じます。時間がすべてを押し流し、強大なものが力を行使し、ちっぽけな個人ではただ飲み込まれてしまうような毎日だからこそ。今日、何を見て、何を思うのか。自分にとってそれらが何の意味をなすのか。無自覚であればそれはただ流れ去る空白でしかなく、でも目を凝らして一つ一つを吟味すれば、強大な何かに対抗しうる強い力になる

感想_騎士団長殺し(上下巻)その1

突然発熱して1日伏せってました。何だったんだろう。 さて。村上春樹『騎士団長殺し』読了。うまくやっていると思っていた夫婦生活は、妻からの一方的な申し出により終わりを告げた。私は家を出て当てもない旅をし、そして友人の雨田政彦の紹介で、彼の父である雨田具彦の暮らした小田原の家に転がり込むことになった。一人になるために。傷を癒すために。しかしその家には知られざる傑作絵画『騎士団長殺し』が眠り、そして謎めいた白髪の紳士より肖像画の依頼が舞い込む。開き始めた環は、私を取り込んでどこへ向かうのか。 相変わらずの村上さんスタイルで、面白く堪能しました。しかしいつもながら長大な物語ゆえ、どこからどう感想を綴っていいかわからないので、本書に習って2回に分けたいと思います(イデアとメタファーに分けられないけど)。まずは物語の筋について。 序盤、またも妻に去られ(女のいない男がまた一人!)、井戸のような穴が現れ、やがて謎めいた人物と少女が主人公を翻弄していくのは、いつもの村上節だな~と、久しぶりの長編でしたが、安心感と既視感の間で。孤独なようでいて女性関係には妙に縁がある主人公もおなじみです。職業は肖像画家。描写から読み取るしかないのですが、そのスタイルは、村上さんの創作スタイルと相通じるのではないかと想像しました。対象の中に深く入り込み、その核となるものを見つけたらそこから物語を立ち上げ、様々なものを肉付けしていくような。あくまで想像に過ぎませんが、そう思わせてくれます。主人公の描いた絵を見てみたかったな。 免色さんというキーマンが名前からして不穏すぎて、果たしてどんな役回りになっていくのかという興味が前半を引っ張っていきます。何かしら邪悪なるものの象徴になっていくのではないかと思っていましたが、最後までそういうことはありませんでした。善なるものとは言えないかもしれないけど、全体として彼は彼の役割を全うしていたように思えました。むしろ、仮想敵のようなものを物語に求めてしまった自分が恥ずかしいような。そういう分かりやすさを知らず知らず求めてしまうのか…。それから、いつ主人公が穴に潜るのかと思ってましたが、ついには潜りませんでした。笑 出口ではあったけれど。 非常にたくさんのキーワードとモチーフが出てきます。免色さんという人物と名前もそうだし、謎の大きな穴もそうだし、騎

銃なんて、持たされてたまるか。

NBAはいよいよプレーオフ。ひいきのペリカンズが滑り込んで嬉しいです、はい。 さて。昨日(4/16)の日経新聞朝刊に、作家の辻原登さんによる、装幀家・菊地信義さんを偲ぶエッセイがありました。そこで菊地さんが残したというこんな言葉に深く感銘を受けたので、引用させていただきます。   「スマートフォンの画面をなぞる。読むのではなくなぞる。書くのではなくなぞる。書くは、刻む、引っ掻(か)くの掻くから来てるんですよ。そのうち指すら使わずにすませるようになる。無精になり手持無沙汰(てもちぶさた)になった手に、持つのではなく持たされるのは銃だと思うよ」 ウクライナ危機を言い当てているのかとさえ思いますが、もうひとつ思ったことがあります。あらゆるものが便利になって省略されて、文字通り「手応え」がなくなっていく。手応えがないと、当然のごとく行為に対する実感が失われていく。すなわち罪悪感すらも感じにくくなる。記憶にも残りにくい。 ネットで起きる誹謗中傷もそうでしょう。手応えがないから誰かを傷つけることに想像がいかない。例えば仕事中に、僕も似たようなことをしている。面と向かっては言いにくい、都合の悪いことや反対意見を、メールやメッセージでならぶつけられてしまったりする。なんならより強い、攻撃的な言葉で。あるいは無機質で誠実さに欠ける表現で。こうすれば自分が同時的直接的に傷つくことはないから。 同じ内容を紙とペンを使って掻きつけることができるだろうか。書いている途中に、我に帰るんじゃないかな、何やってんだ俺?って。直接言った方が早いやって。そのとき、その手から銃は消えているような気がします。 「持たされている」というと誰が持たせたんだという話になりますね。その銃を持たせたのはプラットフォームでも時代でもなくて、自分自身だということも、忘れないようにしなければ。 無精は僕たちの見えざる敵だと考えさせる言葉でした。便利の裏に潜む強敵に知らぬ間に飼い慣らされてしまわないように。そのためには、手も足も頭も心も、よく動かさないとですよね。よーし、散歩でも行くか! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_タコピーの原罪(上下巻)

阪神と佐々木投手の勝ち星が同じくらいになるんじゃないかと心配している僕です。 ★以下、若干のネタバレを含みます★ さて。タイザン5『タコピーの原罪』上下巻読了。ハッピー星からやってきた宇宙人のタコピーが出会ったのは、笑わない少女、しずか。彼女は学校でいじめられ、家庭は崩壊していた。タコピーはしずかに笑顔を取り戻せるのか。 ジャンプ+で話題沸騰、上巻も発売即重版で書店を賑わしてた問題作です。上巻読んであまりの救いのなさに辟易しつつも、下巻では一応いろいろ回収されてはいました。 落とし所は「お話をしよう」。いろんな事情、いろんな想いをひとりで抱え込むのではなく、それをアウトプットしよう。互いに交換しよう。痛みをわかってあげられなくても、代わってあげることができなくても、それで何かを変えられないとしても、だけどそれを吐き出そう、吐き出していいんだよ。と、メッセージします。 それはとても共感できるし、いいメッセージだと思うのですが、深い話でもありますし、いじめ、毒親、人間関係とテーマが重いだけに、なかなか消化し切るには時間がかかりました。もう少し掘り下げて描いて欲しかった気もするけど、それはそれでややこしくなりすぎるからこのくらいでいいのか。 さて、タイトルにもあるタコピーの原罪とはなんなのか。ハッピー星の掟も明らかにはされませんでしたが、「1人で帰ってきてはならない」=誰かを幸せにして連れ帰る、友達を連れてくる、あたりが掟なのかなと読み解きました。それができなかったこととあわせて、タコピーもまた母親と言葉を十分に交わすことなく飛び出したわけで、そのコミュニケーション不全こそが原罪と理解しました。 親子、夫婦、兄弟、友人、クラスメート、世界中に日常的にあふれているだろう、いくつかの断片でのコミュニケーション不全をあぶり出し、その闇にセンセーショナルに光を当てた衝撃作。普遍的なテーマだけに、ここから脚色して長編映画とかにするといいのかもしれないと思いました。連続アニメとかでもいいのかな。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

赤羽の名喫茶は今日も。

  パッカブルスーツに興味がある今日この頃。一着買っておこうかどうしようか。 さて。赤羽駅はもしかしたら初めて降りたかもしれません。なので飲み屋さんにも行ったことないのですが、タクシーの運転手さんいわくすっかり人が戻っているそうです。むしろ、飲み屋街以外は戻っていないそう。 駅前のどこかでランチにしようと、Googleマップで検索しようと思ったら、「友路有」の文字が。あ、これ、人気喫茶店じゃないですか。よし、ここに行こう。ランチもきっとあるよね? と、よーく見ると2号店だったので、駅前の本店へ。ランチ、ありました。 ポークソテー頼んだのですが美味しい〜。サラダ、味噌汁、コーヒー付きで、いい感じ。常連さんで満席。ちょうどいい感じのレトロさで、変に気取ったところもなく、喫煙ブースが分けられていたのも、嫌煙家としてはありがたいところ。居心地いいな。窓の外に、駅前の喧騒を見下ろせるのもいい。 なんというか、街と共にあるお店ってこういうところだよなって思います。すなわち、多くの人に愛されて、地域に根ざしているってこと。もはや赤羽のランドマーク。次にこの町に来る機会があるかわからないけど、二度目があったらまたここにもやってきたいと思うのでした。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ダーウィン事変(1〜3巻)

長男の水筒に麦茶と間違えてハーブティー入れちゃったんですが、我慢して飲んでくれたそうです。父、うっかり。 さて。うめざわしゅん『ダーウィン事変』1〜3巻読了。人間とチンパンジーの子供、"ヒューマンジー"のチャーリー。ミズーリの田舎で育った彼はハイスクールに通い始めるも、好奇の目で見られ、トラブルが絶えない。そんな中、ALAという過激な動物保護活動をする団体によって狙われることに。なぜ彼らはチャーリーを狙うのか、そしてチャーリーの出生の秘密とは。 ある日から書店でどーんと平積みになっていると思ったら、「マンガ大賞2022」1位を獲得したのでした。試し読みを読んだらバッチリ引き込まれて一気読み。めちゃくちゃ面白かったです。浦沢直樹さんの『MONSTER』を思い出しました。シリアス路線の社会派サスペンスタッチ。 マンガ大賞2022 まずはチャーリーvs謎の団体ALAという構図で、そのバトルが面白い。狂気としか思えないALAリーダーと、知能も運動能力も常軌を逸したチャーリーはスパイダーマンさながらの活躍で、超痛快で、手練れの兵隊たちを次々撃破するのは気持ちいいです。それを支える学校で唯一の理解者ルーシーというヒロインもまた、ぶっ飛び気味のナイスガールで好感度マックス(こういうキャラが本当に好きだ!)。チャーリーの両親もクールだぜ。 そしてその背景には、人間至上主義とでもいうべき現代社会への問題提起らしきものがあり、ヴィーガンというライフスタイルに対する議論もあり、そのあたりの伏線がチャーリーとどうつながっていくのか、そこがこの作品を骨太にして、興味をそそるのです。タイトルもお上手で、人類が今の所、地球の進化の頂点のように僕たちはつい考えてしまうけど、1万年単位でみたらあくまでこれは進化の過程でしかないかもしれないということ。そういうスペクタクルがあります。 舞台がアメリカの田舎で、保守的な村人が出てきたり、警察やFBIも登場してくるのはハリウッド映画を見ているようだわ。あるティーンエイジャーが、過激思想で学校を銃撃するのも、ある意味でリアルよね。もう既に映画化できてしまいそうだし、見てみたいです。 この先、チャーリーがヒーローになるのか、ダークヒーローになるのか、はたまたヴィランになるのか(さすがにそれはないか)、まだまだ物語は序盤という感じ。このスケー

オズマガジン2022年5月号「新しい下町さんぽ」②

たぶん生まれて初めてお弁当を作ったような気がします。長男のついでに自分のも。 さて。昨日に続いてオズマガジン最新号の話題です。巻頭は、川原崎宣喜さんによるフォトストーリーが。隅田川と、そこにかかる橋と、スカイツリーと。僕にとっては親しみある風景で、淡いブルーの色調が春っぽくて素敵でした。隅田川にかかる橋はどれもいい感じで、ぜひ一つ一つ渡って確かめてほしいなと常々思っております。推しは清州橋かな。厩橋や蔵前橋も好き。そういえば最近は、すみだリバーウォークなんてのも出現したっけ。 そう、下町と直接関係ないかもしれませんが、このエリアは水辺の町。隅田川のほかに神田川もあるし、荒川もあるし、その支流もいろいろある。大横川親水公園のようなものもある。北十間川をSUPしている人だっている。それらも、このエリアの居心地をよくしている理由のひとつだと、僕は思います。水辺はやっぱり人を優しく、穏やかにするのでしょう。散歩がはかどる。 ページをめくっていると、気になるお店がてんこもり。まずは渋谷にあったコーヒーハウスニシヤがいつの間にか閉店し、田原町にて「コーヒーカウンターニシヤ」となっていたことでしょう。これはマストゴーだと思います。あと、「シノノメ」さんがベーカリーをオープンさせてたり、「チガヤ」さんが森下に登場してたり、いまだに行けてない「スーパースペシャルドーナツ」も森下か、これははしご決定だな。などなど。 巻末にはカフェ喫茶カタログも。こうしてみると、名カフェといって差し支えないお店がたくさんあるなぁと。また行きたいあの店や、まだ行ったことのないあの店や、あらためて行きたいリストを整理しちゃいますね。楽しい作業。 昔から人情の町なんて言われたりしますが、生活と商売の距離が近いのが、下町エリアのいいところかもしれません。結果、人の顔が見えやすいのではないかと、誌面を見ながら思うのでした。よーし、明日か明後日か、どこか行ってみよっと。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

オズマガジン2022年5月号「新しい下町さんぽ」①

  佐々木郎希投手、若干20歳で圧巻の完全試合! 13連続三振とか偉業すぎる!!! さて。興奮冷めやりませんが、オズマガジンの最新号「新しい下町さんぽ」特集が発売です。「街を歩くことを通して出会える小さな幸せをお届けする」という雑誌のコンセプト(共感しかありません!)に沿って、下町エリアを案内しています。 僕は10年近く錦糸町エリアに住んでいました。下町と呼ぶのかは微妙なところですが、東東京(イーストトーキョーとも言う)という括りには入るエリアで、すっかり人気の街となった清澄白河にも蔵前にも押上にも、自転車やランニングがてら、よく遊びに行っていました。 もう言い尽くされていますが、このあたりは渋谷や新宿などの東京の西側に比べると、ずいぶん家賃も安かったようですし、まだまだ昭和の匂いが残っていたり、ところどころ江戸の面影も残っていたりします。そういう昔ながらのものと、それに惹きつけられてきた新しい世代とがいい感じに融合したのが今ということになるでしょう。 かつての下町は、懐古主義的な部分があったように思います。が、今の下町は、やや性急すぎた都市化の反動としての文化が色濃いように感じます。丁寧さとか、人情とか、飾らなさとか、そういうものを重んじる現代のカルチャーであり、ライフスタイル。 まあ御託はおいといて、とにかく心地のいい場所が増えているということですね。明日は、もう少し中身についてご紹介していきたいと思いますので、ご期待ください。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

海の公園と動物園にて。

テレビをつけると戦争のニュースが映って憂鬱になりますね。早く終わってほしいのひと言。 さて。八景島のお隣、海の公園へ。このところの陽気で人手も多く、すでにがっつり海に入っている子供たちもいて、砂浜にはたくさんのテントが並んでいました(今どきの海水浴はシートじゃなくてテントはるのか!)。ビーチバレーに興じる人もたくさんいます。SUPやボートなど海の上を楽しむ人たちめちゃ気持ちよさそう。潮干狩り勢もいたようで。 その隣の多目的グラウンドではラグビースクールが練習をしていて、その横のバスケコートには変わるがわるいろんな人たちがプレーを楽しんでいて(ところで、中学生らしき男女がずいぶん上手で、今はネットでトップレベルのプレーを簡単に観られるから技術をマネしやすいというのもありそうだな、と思った)、駐車場ではテニスの壁打ち、ジョギングコースではもちろんランニングが。 芝生広場にもテントが並び、売店は大盛況。どこを切り取っても平和そのものという時間が流れていました。春と、海の、偉大なる力を目一杯浴びて、海辺の街ってやっぱりいいなぁと思うのでした。 そこから車で10分ほどの金沢動物園にもよりみち。ゾウの牙がやたら長かったり、キリンの子供(1歳)が愛らしかったり、オオツノヒツジが壮観だったり、こちらも良き時間と空気が満ちていました。 全ての人に、平和な休日を。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

卒園、進級、そして入学式。〜長男6歳4ヶ月、次男1歳9ヶ月〜

亀の甲羅が剥がれて生え替わる(?)ことを初めて知りました。驚き! さて。私事ではございますが、年度の切り替わりで、卒園式&入学式というビッグイベントがありましたという記録。長男が卒園式1週間前に発熱してざわつきましたが、コロナではなかったので休園騒ぎにならずにすみました。 ■卒園式 両親とも参加可で無事に開催。我が子もさることながら、級友たちの成長を見るのもこんなに楽しいものだとは。みんなほどよい緊張感持ちつつ、卒園証書を受け取り小学校の抱負をしっかり発表してました。長男君は「理科を頑張りたいです!」だそうです。3年前の小規模園卒園時はガチガチで一言も発せなかったことを思うとすごい成長。 お母様方は涙を浮かべる方が多かったようですが、僕はそういう込み上げるものは1ミリもありませんでした(薄情?)。ただただ微笑ましいという感じ。いろいろ子育てに悩むことは多いですが、実はできることってあんまりなくて、見守ることなのかなぁと思ったりする今日この頃。と言いつつ日々日々はイライラもやもやばかりですが。苦笑 ■入学式 親は1人のみ参加可ということで、長男のご指名で出席。2年生からの動画メッセージあり、校長先生はEテレのような優しいテンションで挨拶してくれたり。担任の先生も、幼保の延長のような温度感で、今はかなり子供に寄り添う感じなんですね。序盤の授業もそんな感じ。 ひと通り終わって解散後、子供たちは保育園の友達と一目散に校庭に駆け出してて、これまた微笑ましい光景。学童もスタートして、新しい環境に、多少の疲れも見えるけど、頑張ってほしいなあと思います。いろいろあるけど、急ぎすぎずに、ゆっくりやっていこうぜお互いに。 ■このひと月の備忘録 (長男) 歯が抜ける。2本目もグラグラ。園のお別れ遠足で往復2時間歩いたそう。初めてサッカーシューズを買ったのでもう少し頑張ってほしい。サッカーもラグビーも修了証があってすごいな。学童デビューで、僕は初めてお弁当作りました。鮭フレークごはんミートボールポテトフライゆで卵ミニトマトのレンチン入れるだけ弁当で好評。 (次男) 初めての飛行機。なかなかテンション上がってたけど、着陸くらいでぐずる。ずっと膝の上がきついかな? 絵本大好きで毎日読み聞かせ。会話はまだだけどコミュニケーションしっかり取れるように。と同時にイヤイヤ期の入り口という感じ。 最近覚

インクルージョン・ライダー

3rdワクチン副反応は2ndとだいたい一緒でピーク時で37度台後半の発熱でした。 さて。多様性という言葉を聞く機会が増えるにつき、それについて考えることも多くなりましたが、「インクルージョン・ライダー」という言葉、ご存じでしょうか。ハリウッドで数年前から用いられている「包摂条項」と訳されてて、撮影時に実社会と同様に多様な人々も起用することを求めるものだそうです。有色人種も、女性も、性的少数者も、障害を持つ人も。 本来、多様であることは当たり前というか、わざわざ概念を持ち出すまでもなく世界は多様ですよね。僕と、あなたは、間違いなく別の人格ですし、人間以外にもたくさんの生物が存在してますし。なので、この「包摂」という概念をどこまで持てるかが最も大切なことなんだろうと思います。当たり前にある多様性を当たり前のものとしてフラットに受け止めること。上から目線ではなく。 自分自身が包摂的で寛容であるかと問われると、イエスと即答はできないのが事実です。そうありたいとは思っているものの、できているかは自信がない。社会はすでに階層がさまざまにあるのが実際で、私の会社には大卒しかいませんし、外国籍の方もいません(多分)。その環境が「普通」になってしまっている。 インクルージョン・ライダーは、その「当たり前」を壊そうという試みですよね。今ある当たり前は、多分自分たちが生まれるよりはるか昔からあっただろう価値観やシステムをそっくり作り替えようという行為だと理解することがスタートかもしれません。本質的な多様性と、今の社会にはギャップがある。それをなくしていったらどうなるのかを、想像すること。たぶん、誰もそんな社会で生きたことないから、どうなるのかは誰も知らない。かなり長いスパンで考える必要もあることなんだろうな、とも思います。地球の歴史くらいに。 まだまだ勉強不足でまとまりませんが、包摂と寛容は、とても大切にしなくてはならないように感じているのでした。インクルージョン・ライダーって、語感がかっこいいぜ! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

カフェによりみち、いい気持ち。

3rdワクチン、キメてきました。副反応出ませんように、と。 さて。注射の帰りにミサキドーナツさんでドーナツとコーヒーを買って、横浜はハンマーヘッドのテラスでひと息入れまして。ぼんやりニュースアプリをななめよみした10~15分くらいでしたが、心地のいいひとときでした。こういうスキマ時間、大事ですよね。 コロナがあって、在宅勤務とリモートワークが増えたことで、家で過ごす時間は増えましたし、時間の融通は利かせやすくなりました。が、どこで仕事をするとしても、それは絶対的にオンタイムなわけで、オフタイムをどう過ごすかは変わらず大事ですよね。下手すると自宅周辺だけが生活範囲になりかねない。自宅はオンにしてもオフにしても日常すぎて、息抜きとはちょっと違うんだよな。いや、息は抜けるが、目新しさがないから新陳代謝しにくい気がする。今まで以上にサードプレイスが大事なのかもしれないなぁ、などとニュース読んでいたはずが、気付くとそんなことをぼんやり考えてました。 ところで、カーサブルータスが「新・カフェとロースター」という特集でしたね。増え続けて進化し続けるカフェ&ロースター。日本中にとびきり素敵なお店が増えていて、小川珈琲の京都の新店めちゃくちゃ行きたいし(というか京都行きたい)、清澄白河にできたCOFFEE MAMEYAもハイソ過ぎるだろうと唸っちゃうし、 こないだ足を運んだSingle O Hamacho も載っていたしと、よくもまあこんなにできますよね。NIGOさんとブルーボトルのコラボした店まであるのかよ! ちょっと刺激のある非日常と、ほどよくリラックスする時間をくれるカフェってやつが求められるのは、よくわかる気がします。べらぼうに値が張るわけではないですしね(そんなに安いわけでもないけれど)。 さて、次はどんなカフェにいきましょうか。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。