4歳児にキメハラされたました。水の呼吸、知らんし。 さて。郡司芽久『キリン解剖記』(2019年刊)読了。1989年生まれの解剖学者である著者が、学生時代から含めて10年で30頭のキリンを解剖してきたその記録と、やがてキリンの首の第8の骨を発見するまでをまとめた一冊。 2月発売号での「癒しの動物」特集に向けて読みました。世の中にはいろんな本がありますね、まさかキリンの解剖についての本があるなんて。はい、解剖です。亡くなったキリンを研究室で引き取り、メスを使って皮を切り、筋肉を削ぎ、骨を研究しています。リアルにその現場を想像すると、なかなかですよね。 意外でしたが、これだけメジャーなキリンでも、首の動作についてまだわかっていない事があったのです。そして著者はそれを発見した。なんとなく僕は、こんなに便利な世の中なんだし、AIが活躍しちゃう時代だし、もう大抵の謎は解けていて、わからない事なんてないんじゃないか。全部wikipediaに載っているんじゃないかって気持ちになってしまっているんですけど、本当はそんなこと全然なくて、僕の思い上がりというか勘違いでしかないことを、再確認しました。世界はまだまだ広いのです。 キリン種は、今はキリンとオカピの2種類だけながら、絶滅してしまったサモテリウム・メジャーやシヴァテリウム・ギガンテウム、ジラファ・シヴァレンシスなどなどかつては30種もいたそうです。サモテリウムは700万年前頃に生きていたそうで、2016年に化石が見つかったばかりとか。化石といえば恐竜やマンモスくらいと思い込んでいましたよ。 最後にとても示唆に富む言葉で結ばれていました。どうしてキリンを解剖して研究するのか。なぜたくさんの動物の標本を作るのか。それは、博物館という場所で守られる3つの「無」という理念があるからだそう。 すなわち「無目的」「無制限」「無計画」だそう。特に研究に使わないから、あるいは置き場所がないから、という理由で制限をしない。今は目的がなくても100年後、誰かが必要とするかもしれないから。そのために標本を作り、残していくのが、博物館の仕事だと。 意味や理由ばかり問われがちな今、この理念はとても大切だと思ったのでした。だってね、僕たちだって何のために生きているんだって言われたら、答えられないですよね。それはただ、生命というバトンを受け取って、渡すだけのこ...
「よりみち」をテーマに綴ります。お出かけのような物理的なもの、心持ちのような精神的なもの、たしなみのような文化的なもの、全部ひっくるめての「よりみち」を推奨していきます。よりみちしながら、いきましょう。(ブログタイトルは『暇と退屈の倫理学』より借用。基本方針は、2022年1月1日のポストをご覧ください)