スキップしてメイン コンテンツに移動

本当に非常にはっきりとわからなすぎる

1/21火曜日おはようございます。今日は長文です。


昨年11〜12月に行われていた千葉市美術館の「非常にはっきりとわからない」展の図録が届きました。アーティストユニット「目【me】」の個展で、僕は鑑賞後大興奮し、しかしいろいろとわからなかったため、図録を注文しました。


図録は今回の展示に限らず、目の過去作品を包括的に振り返る記録集で、論考も充実。サイズ違いの紙を地層的に組み合わせた装丁もすごい。個展がチバニアンにインスパイアされてるとのことなので、これもそうかも?

目という作家は、大掛かりなインスタレーションによるギミックがすごく楽しい、という程度の認識でしたが、はるかにスケールの大きいコンセプトと緻密さを持っていたことがよく分かり、彼らの作品のほんの少ししか観ていないことを強く後悔しました。 

その本質は、不確かな現実や認識の再発見。自分たちが観ているもの、知っているものの不確かさを、強烈に知らしめてくれます。今年の夏には東京の空に巨大な顔を浮かべる「まさゆめ」というプロジェクトが登場するので、楽しみすぎる。 

★以下、ネタバレレビュー★
千葉市美術館は、2020年7月にリニューアル予定ということで、外観はすでに工事囲いのようなものが。受付を入っても同じ様子で、搬入直後か引っ越し前か、という感じで脚立やら台車やら段ボールやらが散乱しております。

展示室のある7、8階に行くと(僕は7階から)・・・これまた同じ! 搬入直後か、引っ越し前か。普通なら「何これ?」だし、目や現代美術を多少知っている人でも「これが作品!?」という感じ。

何が何やらよくわかりません。もちろんキャプションもありません。奥に進むと、半透明のカーテンで覆われた所があり、なにやらスタッフがごそごそ動いてる。導線を示す養生テープがカーテンの奥にも続いているため、どうやらカーテンはいずれ開かれるらしいと待つこと5分、ご開帳! 奥には素敵な作品がありました。

が、このカーテンどのタイミングで開くのだろう? いつ閉じるのだろう? 30分前に来た人は、開くこと知らずに帰った可能性もあるのかな? 長居できなかったのでその辺はわかりません。

7階の次に8階にエレベーターで移動すると・・・! まさかまさかのまったく同じ! 7階と、まったく同じものがそっくりそのまま展示されているのでした。作品(風のもの)も、台車も、脚立も、段ボールも・・・! これはヤラレタ!

こうなると、自分が載ったエレベーターが本当に動いていたかすらあやしくなる。もしかして動いてなかったのかもしれない。が、7階はミュージアムショップがあり8階にはないので、確かに異なるフロアには移動している。

普段、エレベーターの階数表示を盲目的に信じていますが、8階と書かれたそこが本当に8階かどうかはわからないということに気付かされる。「これはこう」と思い込んでいるけれど、その実態を僕たちはまったく理解していなかった!

さて、同じということはわかったものの、「本当に」同じなのかはわからない! こんなところに台車あったっけ? このダンボールはどうだったろう? そう、見ていたけど、全然見てなかった! 人って目の前にあるもののそのものを見ておらず、ただ印象だけを見ているのですね。わかりやすく体験させられます。

あれ、足場の上に人が寝てるけど…7階にいたっけ?(確認しに戻ったらいた!) しかし、頭部は絶妙に死角にあるので、人なのか、人型の物体なのかわからない。ああ、展示タイトルがいやがおうにもつきまとってきます。ちゃんと、わかるんです。だけど、「はっきりとは」わからないようにできている! 非常に!

ここで起きたことはだいたい以上です。時間が許せば、何回もフロアを行き来して、もっとディテールを検証したいところです。いやいやこれはすごい体験でした。仕掛けはシンプルながら、ホワイトキューブでこれやるのすごい。「オーシャンズ11」のトリック思い出したよね。

しかし、これでは終わりません。そういえば、建物自体の外壁工事っぽいのも作品? 美術館自体が2020年7月にリニューアルすることは本当。さて、どこまでが、作家が仕掛けたこと? 


多分、気付けてないもの、見逃しているものたくさんあると思います(見てるようで見えてないもので)。時間経過で変化が起きるということは確定したので、むしろ同じことが繰り返されるのではなく会期中どんどん別のものに変容し続けるかもしれない。けど、それも1度ではわからない。あのカーテンオープンが、7・8階で同時に起きているのだろうか。だとしたら、スタッフは別の人がやってることになるけど、それを自分の目で確かめる術はない!! もう一度行くしか確かめようがない。

ということで、行って楽しく考えて楽しい展示でした。鑑賞者も作品の一部なのかも。

千葉からは以上です。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

コメント

このブログの人気の投稿

相模原camp

さて。キャンプ行ってきました。我が家は道具無しの素人なのでバンガローに宿泊して、ふとんもレンタル。食事類はすべて友人家族におんぶにだっこ。感謝しかありません。 向かったのは相模原のほうの青根キャンプ場というところ。とにかくお天気に恵まれて、夜〜朝こそひんやりしましたが気持ちよくて。バンガローはきれいでエアコンもあったので快適そのもの。 子供達もいろいろ手伝ってくれてお昼はカレーを作り夜はお鍋を作り、翌朝はホットサンド。燻製もあったりどれもこれも美味しくて。自然の中でいただく手作り料理。ベタですが本当に最高ですね。 施設内に大浴場があるのも嬉しいし、川も流れてて釣りや川遊びに興じることも。2日目は近くの宮ヶ瀬湖で遊んで帰りました。とにかく子供たちが楽しそうで、多幸感あふれるキャンプになりました。めでたし。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_天気の子

  『天気の子』(2019年公開)鑑賞。異常気象で雨が降り続ける東京に、神津島から家出してきた16歳の帆高。ある日知り合った陽菜というもうすぐ18歳の子は、祈るだけで晴天をもたらす不思議な力を持っていた。ふたりは、その能力を仕事にしはじめて。 前作『君の名は。』がとても面白かったので期待もありつつ、世の評判はけっこう割れていたようで、とても楽しみでした。そして、すっごく楽しめました。 ハリウッドリメイク意識か!?(してほしい!)というくらいのディザスター感、チェイスアクション、そしてジブリなみのファンタジーで、やりすぎ感すらあったと思いますが、やはり真骨頂はジャパニーズ青春エンタテイメント。美しいアニメーション、花火大会の奥行きとかすごいですね。実写にするならぜひ3Dで観たい。 いろんなポイントがあったと思いますが、いちばん感じたのはイノセンスを問われるなぁということ。「君の名は。」以上に、ふたりの主人公の関係に力点が置かれていて、ファンタジーでありながらも真っ直ぐな感情の動きに、思わず涙ぐみました。この真っ直ぐさを受け入れられるか、言い換えると「きれいなものをどこまで信じていられるか」で評価が割れそうな気がしました。 知らぬ間に陽菜を損ない続けていた帆高の自責の念はどれほどだったか。それを思うと、山手線の線路内を走る非現実的にも見えるあのシーンは「ありえない」ほどの想いをちゃんと表現してくれたシークエンスだと感じました。 雨が降り続いた東京は、どこかコロナと共生する今の自分が重なります。どんな苦難があってもそれでも僕たちはそこで生きていくし、物語は続いていく。もちろん去年の段階でそんなことを考えていたはずはなく、それだけ本質をとらえていたということでもあると思います。 天気や生死、運命など、世界にはどうにもならないことがたくさんあるけど、その中でそれぞれに役割を探しながら生きている。大事なのは、ちっぽけな僕たちでも、確かに世界のカタチを変えうる瞬間というのはあるんだということ。須賀のいうとおりそれはただの自惚れ、思い込みかもしれないとしても。 追っ手を振り切って屋上を目指す帆高に、須賀は逃げるなと言った。帆高...

鑑賞_生まれておいで 生きておいで

さて。東京国立博物館で開催中の内藤礼の企画展「生まれておいで 生きておいで」鑑賞してきました。とんでもなく良かったなこれは。 展示は大きくふた部屋+1。まずは平成館の展示室ですが、入った瞬間この人やっぱ天才だなと。薄暗い室内に、小さくてカラフルな毛糸玉がテグスで吊り下げられています。頭の高さの少し上くらいにランダムに並ぶそれはそれらは小惑星のようであり、生命体のようでもある。とてもささやかでシンプルなのに、おごそかで美しい。 何気なく置かれる木や石、展示ケース内に敷き詰められた白フェルトも作品だよね。 わずかにゆれる小さな風船、ガラス玉? 鏡に材質不明の板も、あ、鈴もあった。鑑賞者が行き交う姿すら取り込んで景色にしてしまう神業です。そーっと息を吹きかけると小さくさざめくのもまたよき。もしかしたらケースの向こうが死者のゾーンなのかもしれない。 それは普段からそこにあるのに見過ごしているような、まだなにかの形にもなる前の(胎児のような)、あるいは形としての役目を終えた後の、精霊のような魂のようなものに思えてきます。見えるものと見えないものの間にある、もしくはずっとそこにあるのに見過ごされてきた、なにか。お盆に見るに相応しいな。今日は終戦記念日だ。 次の展示室に移動すれば天才の偉業その2。空間との調和が半端じゃない。小さきものに目を凝らし、歩き、しゃがみ、想いを致す。木片の上の毛糸の切れ端、ケースの隅の微細な紙片、木彫の下に佇む陰影、ガラス玉の連なりを透かす光、そっと立てかけられた小枝、キャンバスの絵の具は描いたというより映し取るように。観てると思考と言葉が自然と湧き出てくるのが心地いい。物と物の距離、偶然のような必然のようなバランス、全てを包むような白いフェルト。あるものと、ないもの。 自然光を取り込んだ空間なので、あ今陰ったな、とわかる。真っ白だったキャンバスは時間と共に彩られていく。しかしそれもやがて無に帰すということ。始まりと終わりとその輪廻という永遠。光と影、生と死、黄泉のつがいよ。歩み寄らないと見えない銀のテープ。この展示室は以前は仮囲いがされ絨毯も敷かれていたそうですが、作家の意向ですべて剥がされオリジナルの空間が蘇ったそう。 この博物館には太古のアイテムが多数ある中で、内藤礼の現代美術作品がそっと溶け込む。それによって 生と死や光と陰のように対になるもの、...