『天気の子』(2019年公開)鑑賞。異常気象で雨が降り続ける東京に、神津島から家出してきた16歳の帆高。ある日知り合った陽菜というもうすぐ18歳の子は、祈るだけで晴天をもたらす不思議な力を持っていた。ふたりは、その能力を仕事にしはじめて。
前作『君の名は。』がとても面白かったので期待もありつつ、世の評判はけっこう割れていたようで、とても楽しみでした。そして、すっごく楽しめました。
ハリウッドリメイク意識か!?(してほしい!)というくらいのディザスター感、チェイスアクション、そしてジブリなみのファンタジーで、やりすぎ感すらあったと思いますが、やはり真骨頂はジャパニーズ青春エンタテイメント。美しいアニメーション、花火大会の奥行きとかすごいですね。実写にするならぜひ3Dで観たい。
いろんなポイントがあったと思いますが、いちばん感じたのはイノセンスを問われるなぁということ。「君の名は。」以上に、ふたりの主人公の関係に力点が置かれていて、ファンタジーでありながらも真っ直ぐな感情の動きに、思わず涙ぐみました。この真っ直ぐさを受け入れられるか、言い換えると「きれいなものをどこまで信じていられるか」で評価が割れそうな気がしました。
知らぬ間に陽菜を損ない続けていた帆高の自責の念はどれほどだったか。それを思うと、山手線の線路内を走る非現実的にも見えるあのシーンは「ありえない」ほどの想いをちゃんと表現してくれたシークエンスだと感じました。
雨が降り続いた東京は、どこかコロナと共生する今の自分が重なります。どんな苦難があってもそれでも僕たちはそこで生きていくし、物語は続いていく。もちろん去年の段階でそんなことを考えていたはずはなく、それだけ本質をとらえていたということでもあると思います。
天気や生死、運命など、世界にはどうにもならないことがたくさんあるけど、その中でそれぞれに役割を探しながら生きている。大事なのは、ちっぽけな僕たちでも、確かに世界のカタチを変えうる瞬間というのはあるんだということ。須賀のいうとおりそれはただの自惚れ、思い込みかもしれないとしても。
追っ手を振り切って屋上を目指す帆高に、須賀は逃げるなと言った。帆高にとっては陽菜を諦めることこそが逃避であり、彼はそこを乗り越えたからこそ未来を切り開いたんだと思います。
心から強く願い動けば、世界も運命も変えられるんだよ、その手で。「君の名は。」と通じる新海監督からのメッセージだと、僕は感じました。冒頭に言ってた通りラノベの設定みたいなお話で、都合の良すぎる展開もかなりありますが、僕はこのメッセージを確かに受けとりました。
帆高はなぜ島を出たのか、陽菜は最後何を願っていたのか。描かれてない部分に想像の余地があるのも新海節ですね。
ところで、「君の名は。」の瀧くんが出てたのは気付いたのですが、三葉と四葉をエンドロールで見て、えーどこにいたのーー!?って検索しちゃいました。そこだったかー!というのもお楽しみ。
よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
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