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出版界にもDXの波

半期に一度の棚卸仕事しました。倉庫にずらり並んだ本の山を見て、いろいろ気が引き締まります。 さて。物流クライシスでもあり、出版業界も当然コストカットは必須で、倉庫もいろいろと効率化が進んでいます。環境の問題も考えたら、課題は山積です。 そんな昨今ですが先日、集英社、講談社、小学館が、エムダムといえ雑誌編集制作の共通プラットフォームを利用するというニュースを見かけました。もともと集英社がプレイボーイ他男性誌で導入し、それを小学館CanCamが導入し、そしてさらに広がったとか。光文社や世界文化のなども導入するそう。 どうやら、デザイナーも編集も印刷所も、ひとつのプラットフォーム上で作業を行う仕組みっぽいので、データを送ったりなどのタイムラグがなくなる模様。ネットのCMSみたいなものなんですかね。 一昔前なら競合他社の、仕組みを使うなんてもってのほかだったと思いますがそんな時代じゃありません。「競争しなくてもいいところは協働したい」というコメントはとてもいいなと思いました。もう競争相手は雑誌じゃなくて、動画やらイベントやらライブコマースやら、たくさんいますもんね。 それぞれのコンテンツを持ち寄った新しい企画開発も進んでいるそうで、出版界もいろんな場面で合従連衡が進みそうです。しなやかに変化したものが生き残るってことだよなと、改めて思わされるニュースなのでした。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

映画館で涼もう。

ヨーロッパでもとんでもない熱波に襲われてるそうです。どうなってしまうんだ地球…。 さて。そんな時は涼しい劇場だ!ってわけでもないですが、『トップガン マーヴェリック』が世界的に大ヒットしているそうで(観たい!)、日本でも興行収入100億円を突破しそうだとか。アメリカでは中高年層が劇場に戻ってきたとかで、明るいニュースのようです。 一方で、『バズ・ライトイヤー』は期待を下回る出足だったそうで(観に行く予定)、配信の拡充もある中で映画館に足を運んでもらうのは簡単ではない模様。自宅で簡単に観られる利便性を上回るのは大変ですよね。わざわざ観に行く意味、映画館ならではの体験を付与できるかどうかがポイントか。 と、理屈で考えるとそうなるのはわかりますが、そんなにあれこれ考えなくても映画館楽しいと思うんですけどね。もちろん映画の良し悪しはありますが、映画館行って損したなーと思ったこと、僕はあんまりないような気がします。 僕としては、劇場ですごす2時間ばかりは得難い時間でして、とにかく情報にまみれた日常の中で、暗闇とある種の静けさに満たされる場所はものすごく重宝しています。要するにスマホから離れて集中できる、ってことが快適なんでしょうね。ん? なんか、サウナと一緒かもね。あちらは開放で、こちらは一点集中。ベクトルは違うけど、ある種のマインドフルネス。 何はともあれ、外は暑いので映画館で涼むのも一興かと。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_心をととのえるスヌーピー

サーキュレーターと扇風機の違いを学んだ僕です。それにしても、いきなり暑さ全開ですね。 さて。 スヌーピーミュージアムに行ってきたわけですが、 そういえば、最近書店でよくスヌーピー本を見かけるよなと思って購入したのがこちらの本です。枡野俊明さんという曹洞宗のご住職による監修で、コミックのピーナッツに「禅」との共通点を見出し、その教えを説くという一冊。なるほどそうきたか! 昨年出版されて早くも10刷と大人気! 構成は、禅の言葉ひとつと、それに対応するピーナッツ作品が並び、解説が加わるというシンプルなもの。例えば「日日是好日(にちにちこれこうにち)」とあって、「晴れの日も雨の日もかけがえのない一日」ですよと説き、あわせて「人生には晴れの日も雨の日もあります」というマーシーの台詞が入ったコミックが添えられると。 なんたって禅の言葉なので、ちょっと心を整えてくれるような教えがたくさん出てきて、今の自分に合うものがきっと一つや二つ見つかると思います。ピーナッツと併用されるので、とても受け止めやすくて、寝る前とかにパラパラめくるのにちょうどよい感じで、「悩みが消えていく」という副題も、さもありなんというところ。 強いていうならば、僕的にはピーナッツの本質は、禅の言葉のような思想を軽くいなしちゃったり、茶化しちゃったりする茶目っ気だと思うのですよね。前述の日日是好日にしたって、マーシーの言葉を受けたペパーミントパティは「今夜の私の谷は土砂降りだわ」って返すわけで。禅というよりはリアリストかな、と。きれいごとを、きれいごとだけで終わらせない(決して馬鹿にもしてないのがいいところ)から、より悟りを開いているとも言えそうな気がしました。 ちなみに、写真の右の本は、ミュージアムで買った公式図録で、こちらはシンプルにピーナッツの作品集といった向き。巻末に作者のシュルツさんの奥さんと、落語家の春風亭一之輔さんのインタビューがありました。ピーナッツが落語とちょっと似てるというのは目から鱗。確かにね。ちなみにこちらのブックデザインは祖父江慎さん&コズフィッシュ。 何にしてもピーナッツのコミックにはユーモアと哲学が詰まっているってことは間違いないですね。 よりみちしながら、いきましょう。たまにはスヌーピーみたいに屋根の上で寝るのもいいかもね。今日も、いい1日を。

いつも心にスヌーピーを。

好きなサンリオキャラは、ハンギョドンです。 さて。行ってきましたよスヌーピーミュージアム! 少し前に六本木からお引っ越しして、現在は南町田グランベリーパークにあります。スヌーピー尽くし! SNOOPY MUSEUM TOKYO 3階建ての建物は、2〜3階が展示室、1階がショップと受付、隣の建物にはカフェもあるという構成です。いろんなスヌーピーのイラスト、オリジナル作品、オブジェがあって、写真映えが強く意識されてると感じましたがどうでしょう。それに加えて、企画展。今は「しあわせは、みんなの笑顔 Laugh and Smile」(7/10まで)を開催中。その名の通り、思わずクスリ、ニヤリとしてしまうような作品がキュレーションされていました。 改めて読んでみると、シンプルながらウィットに富んでいて、古びない普遍性があるのですね。谷川俊太郎さん訳の見事さもあって、非常に含蓄があります。物事に対してフラットで自然体とでも言いますか。正義や道徳ではなく、ポピュリズムでもなく、自分らしさとかを飾るでもなく社会におもねるでもなく。そう言うの、なんと言うべきでしょうね。地に足ついてる。浮かれてないけど、落ち込んでもいなくて、日々を普通にやり過ごしてる。 その世界観を生きるスヌーピーも、ウッドストックも、チャーリー・ブラウンも、ルーシーも、他のみんなも、とても魅力的。それぞれ違うけど、みんなどこか僕らにも似ているような。日常のささいなエピソードを切り取るその眼力に感服しました。 そういえば小学校の頃はスヌーピーの筆箱使っていたっけ。あとスヌーピーがテニスするゲームウォッチも持ってたな。40年近く経つわけですが、その思い出は僕の中で色あせずに残っているのでした。お土産に図録とポストカードを購入。折に触れて彼らのイズムに触れたいと思います。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

網棚ロスト&ファウンド

すっかり真夏の陽気につき、子供連れて公園で水遊びです。 さて。事件はその道中に起きました。電車を降りて、ベビーカーを押しながら改札階行きエレベーターに乗る瞬間気付きました。あ、リュック、網棚に置いたままやん!!! もちろん電車はすでに発車してるので、急いで改札の駅員さんに事情を話す。今出たばかりの東京方面行きの電車、前から2両目、進行方向左手、長いシート、紺色のカンタベリーのリュックなんですけど! 田町駅で確認してくれることになり待つこと10分、無事に発見されたとのことで田町まで取りに行ってことなきを得たのでした。滝川クリステルさんの言ってたおもてなし、嘘じゃなかったね。とりあえず、すぐ気づいて正確に位置を報告できたのが勝因。 さて、網棚クライシスと言えば、以前ベネチアからミラノに向かう電車の網棚にやはりリュックを置き、居眠りして起きたら跡形もなく消えてたこともあったっけ(パスポート入り☆)。はたまた、別の海外旅行帰国時に成田空港から乗った京成電鉄でも忘れたことあったな。あの時はだいぶ後になって気づいたけど、無事に網棚にステイしたままUターンしたようで成田で確保されて上野駅まで送り届けてくれたっけ。 それだけやらかしてても、つい乗せちゃうんだよな、網棚にリュック。ひとときその重力から解放してくれる魅惑のスペース、網棚。混雑時には他のお客さんとの間のクリアランスだって確保してくれる頼もしいやつ。そしてその快楽に負けて僕はリュックのことをすっかり忘れて旅立ってしまうのでした(ミラノでは忘れてない。起きたらなかっただけ。出てこい犯人)。 きっとこれからも時々やっちゃうんだろうな。次からは、このポストに追記していくことにしよう。 よりみちしながら、いきましょう。なにもリュックまでよりみちさせることはないけれど。今日も、いい1日を。

世界を拡張するゲルハルト・リヒター

四畳半タイムマシンブルースがアニメになるんですねー。神話大系未読なので読みたい。 さて。東京国立近代美術館にて開催中の「ゲルハルト・リヒター展」に行ってきました。生誕90周年というドイツ出身の現代アートの巨匠。日本では16年ぶり、しかも東京では初めての個展だそうで、必見! ゲルハルト・リヒター展 名前は知っていながらも、作品などはあまりよくわかっていませんでしたが、とてもスタイリッシュな絵画&写真作品たちでした。ミニマムで、フラットだけど、とにかく強い。サイズが大きいのもあるけど、そこに込められたメタファーとしての密度と質量がすごかったです。 例えば代表作の《ビルケナウ》は、ホロコーストを題材にした4点の大型抽象画。画面の下には、本物のアウシュヴィッツの当時の写真を描き写しているそうで、その元ネタとなる写真も併せて展示されていました。どんなに目を凝らしても具体的な像は見えてこないのに、重苦しいタッチと、キャンバスを引っ掻いたような跡と、鈍い赤色はやはり、そこで流された血をイメージせざるを得なくて、それは目の前のものよりも情報という実態のないものを見ているのかもと思いました。 併せて、大きな鏡の作品も展示されているのですが、自分が収容所に立っているように錯覚するほどの迫力でした。実際に収容所の中に入ったことがあるわけでもないので、これもイメージがそうさせている。 かと思えば、「カラー・チャート」シリーズは、正方形の様々な色のパネルが配置された一見ポップな作品。5×5枚を最小ユニットとして、それを36セット並べて一枚の作品となっていました。色の並びは全てランダムだそうで、目に鮮やか。この世界のあらゆる色を凝縮しているようで、でも現代では解像度の粗いデジタル・ドットに見えないこともない。ここも鏡の作品があるので、空間の物理的な広がりも感じられます。ビルケナウの次に置いて対比させてるのがニクイ。 写真の上に絵の具をたっぷり乗せた「オイル・オン・フォト」も目から鱗。写真と絵画は常に比較されるものだと思ってましたが、両方取り入れてしまうこんな合わせ技があったとは! 意味があるとは思えない大胆な絵の具によって、一枚の写真が変容してしまうことに驚かされました。単純なのに奥深い。展示作品全体通して、こういうギミックが効いていると思いました。 昨日、抽象についてポストした流れ での抽象

抽象化することが大事ということ。

NBAはドラフトが終了して、来年はどんなシーズンになるのか今から楽しみです。 さて。「抽象化することが大事」という趣旨の記事を読みまして、なるほどな〜と思いました。曰く、抽象=曖昧としたものでよくない、というイメージがあるが、本来の抽象化は全体像をつかむことを意味するそう。なるほど、それは大事なことだ。 抽象というとつい、「ふわっと」や「ざっくり」方面にとらえがちですが、そうではなく、より本質的な核心だけを抜き出すのが本来の抽象化ということか。うまくできればその抽象には汎用性がもたらされ、汎用性があれば様々な事象にも応用が効いてくる。だから抽象化ができれば、そこを起点に物事のコンセプトを立てることにもつながっていくと。 個別具体的な各論にとらわれて、マクロに全体をデザインする視点て、抜けてしまうことも多いかもしれないな。ある意味、可視化されている各論を語るのは容易くて、そうではないメタな目線を持てるかは、なかなかセンスや訓練のいることなんでしょう。 あるいは逆に、抽象的なものから具体的なイメージを膨らませることも、僕たちは苦手としているかもしれません。すぐに答え=正解を欲しがったり、他人の目を気にするがゆえに、抽象的なものを難解として遠ざけてしまう部分があるような気がします。不正解でも、自分なりの見解を持って当たれば、それはどこかで大事な意味を持つこともあるはず。 目先の利益や、わかりやすい現象だけではなく、大きな目線と心踊るロマンが必要ってことですかね。などと思ったのでした。おしまい。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する

関東、もしかしてもう梅雨明けしましたかね? やったー。 さて。猫子著、じゃいあん作画『追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する』読了。外れクラスとされる「重騎士」を引いたエルマは内心ほくそ笑む。なぜならここは前世でやり込んだゲーム「マジックワールド」の世界そのもので、重騎士は一見使い勝手が悪く不人気だが、極めれば最強となる壊れクラスなのだ! それを知らない周囲の人間たちはエルマを嘲笑い、父は彼を追放。エルマはひとり冒険に繰り出し、重騎士を育て、最強への道を歩み始める! 無茶苦茶面白かった。無茶苦茶面白かった(2度言う)。まだそんなに多くを読んでいないのにあれですが、作者の猫子さんを、ラノベ界の東野圭吾と呼びたくなったよ。そのくらい、簡潔で無駄のない文章と、よく作りこまれた設定に魅了されたのです。コミック版も忠実に再現されていて、早く続きが読みたいぞ! 何がいいって、使い勝手が悪い重騎士という特性上、チートで無双することはわかっていながらも、いつも格上とのギリギリの戦いなので、普通にワクワクすること。使う技も、出てくる敵も、キーアイテムも、ベタなテンプレではなく、玄人好み。グールヘッドにマッドヘッドって、ビジュアルも気持ち悪すぎるだろうよ。笑 まだ序盤ですがすでに盛り上がってる上、ここからの展開もまだまだ広がりがあることが読み取れるので、先へ先へとページをめくらせる推進力に。この辺りが東野圭吾と呼びたくなる理由。 今更ながら、ゲーム世界を物語として再現するって最初に考えた人すごい。実際のゲームはプログラム通りにしか動かないけど、現実世界に落とし込んだ瞬間、あらゆる設定に意志が宿ってキャラたちも自由に動き始めるという。この作品も、ゲームよりも貨幣価値がインフレしているとか、貴族がより権力を強化しているとか、確かにそういうことは起こりうるよな、とリアルです。 ネット小説と侮るなかれ。こういう本物と時々出合わせてもらえるから、エンタメってやめられません。(まだ初心者のため、もっと前から同様の名作あるのを知らないだけかもしれませんが) よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

ユニクロ銀座、リニューアルしてた。

毎年のように言ってますが夏至が好き。夏はこれから、なのに、昼は短くなる。その背反性が。 さて。ユニクロ銀座店に立ち寄ったら、いつの間にやら10周年だそうです。そして知りませんでしたが、去年リニューアルしたそうで、12Fに小さなカフェスペースまでできていました。コーヒー200円とユニクロ価格。銀座ウエストによるバタークッキー、美味しかったです。文明堂のどら焼きもあったよ。なんでもゲイシャが450円で飲めるらしいので、次はそれにしよう。 お店に入った時に雰囲気変わったな〜くらいに流していたのですが、各フロアに様々な展示をインストールしていて、ユニクロのイズムが全て落とし込まれているようです。いち早くライフウェアというコンセプトを押し出したユニクロは、ファストファッションとは一線を画してますよね。 そして感心したのは、2Fで展開されていた「銀座のお店とコラボレーション」。鳩居堂や、カフェパウリスタ、シネスイッチ銀座に千疋屋など、銀座を代表するお店たちのオリジナルTシャツ&トートバッグを販売していました。これが絶妙に素敵で、コレクションしたくなるやつでした。僕は、森岡書店さんのやつが一番欲しかったな〜。 時代に合わせてしなやかに変化していく姿は、見倣うべき点も多いですね。よかったら足を運んでみてください。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_グリーンブック

そういえばマリリン・モンローの映画を観たことないことに気づきました。 さて。映画『グリーンブック』(2019年日本公開)鑑賞。NYのナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップに、その評判を頼りに運転手の仕事が舞い込む。依頼主は、黒人の天才ジャズピアニスト、ドクター・シャーリー。8週間に及ぶアメリカ南部の演奏ツアーを通して、トニーは美しいアメリカの風景と、そして苛烈な黒人差別の現実を知る。 アカデミー賞作品賞を受賞した本作、噂に聞いた通りのフィールグッドムービーでした。最初は反目し合う二人が、いくつかの出来事を通して友情で結ばれ、最後にはクリスマスの小さな奇跡を呼び起こす。友人たちと楽しい食事の後にでも観たくなる、多くの人に好まれそうな映画です。いい感じで笑えるのは、コメディの名手ファレリー監督の手腕と、役作りで大増量した主演のヴィゴ・モーテンセンの達者っぷりのおかげ! フライドチキンのくだり、笑えるぜ! イタリア系移民で、決して裕福ではないトニーも当初は黒人差別を当たり前にしています。それは60年代当時のアメリカでは一般的な光景だったのでしょう。でも、そんなトニーでさえ、ホテルでもレストランでも、そして演奏に招かれた先のトイレでも差別を受けるドクターの姿を目の当たりにして、憤りを覚え始めます。もちろん、観客もその目線を追体験しながら、自然に憤慨。 そうなることをわかっていながら、ドクターがなぜ南部ツアーに出たのか。それについて明確に語られるシーンはありません。暴力とは違う形でのメッセージであり抵抗なのか、彼自身のアイデンティティを巡る旅なのか。差別される側でありながら、一般的な黒人とは全く違う立場にあるため、同胞である黒人からも奇異の目で見られるその孤独は、想像するだけで胸が痛みます。何かを変えたかったんじゃないかな。それが何かはわからないけれど。そういう焦燥ってあるような気がします。 トニーもまた決して順風満帆の人生ではなかったでしょうが、ドクターの才能を理解し、その孤独を受け入れていく。クライマックス、ずっと耐えてきたドクターはトニーとともに戦い、傷つきながらも音楽に救われ、そして最後には良心に触れる。現実は決して変わらないとはいえ、その後も二人は親交を深めたというのだから、運命の出会いだったのでしょうね。未来への小さな希望だったかもしれない。 題材の重厚さを考

とりあえず、ビールで。

あっという間にNBAはシーズンが終了しまして、チャンピオンのGSWは来年のプレシーズンに日本に来るので、観にいこうかな。 さて。メトロミニッツローカリズムの最新号「日常を豊かにするクラフトビール」特集が発行されました。夏、待ってましたのビール特集! カバーイラストのプールサイドの木陰がゴールデンエールに見えてきますね。 誌面を飾るのは、茅ヶ崎のPassific Brewing(スペルミスじゃないです)さん、岡山のkori breweryさん、そして東京のKUNITACHI BREWERYさん。今や日本中にさまざまなビール醸造所がある中、潔いまでに絞り込んで、それぞれのスタイルをレポートしています。どこも訪ねて行きたいし、飲みたすぎる。 僕はクラフトビールを愛好してますが、それを語る舌も言葉も持ち合わせていないので、ただただ右から左へと流し込んで「美味いですわ!」と言うのみです。いろんな味わいがあって、多少の好みの差はあれど、どれもだいたい美味しいのだから仕方ない。作り手の方々には叱られそうですけれども。 ところで、そんなメトロミニッツさん、今年の11月に創刊20周年を迎えるということで、早めのお祝いにオリジナルビールをKUNITACHI BREWERYさんと作ったそうです。6/24〜7/10に築地でPOP UP SHOPをオープンして、そこでボトルが買えるほか、都内のいくつかのお店でドラフト&ボトルが楽しめるそう。これはぜひ遊びにいきたいところ。 とりあえずビールで。そんな夏が、すぐそこです。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 

人は人、自分は自分ではありますが

ファミチキをパンで挟むやつが破壊力ありすぎて震えてます。 さて。日経新聞の 自分だけの表現、Z世代が探す 失敗許される街つくりたい という記事を読みました。原宿が新しい何かを生み出す場として再生しようとしているそうです。確かに原宿には以前ほどの熱狂はないのかもしれません。実際に街を見続けているわけではないので、あくまで印象ですが。GAP前でファッションスナップとか懐かしすぎる。 それ以上にこの記事で個人的に興味を引かれたのは、 「 幼少期からスマートフォンが身近にあり、常に膨大な量の情報に接してきたため、SNSなどを通じて、自分よりすごい人たちの存在がどうしても目に入ってしまう環境にいる」 という言及。世界中の情報にアクセスできるようになり、現在も過去もあまねくアーカイブされる今、それはもちろん嬉しいことでもありますが、作り手側からすると競争が世界中全レベルということにもなりうるってことか。見なくていいものも見えてしまう。 情報が多いのはいいけれど、多すぎるのはつくづく大変なことだと思います。ポジティブなことも増えるけど、同じだけネガティブも増えてるだろうから、それらをいかに掻き分けていけるのか。 他人のことが目に入りやすい今、ノイズに振り回されずに自分を持っていられるのか。なんか考えちゃうのでした。失敗は、したくないけど、したらした。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

着るを楽しむ。

  本棚の整理をして少しすっきりしました。でも積ん読は溜まる一方。 さて。ユニクロの作る雑誌LifeWeareマガジンを読みました。特集は「The Joys Of Clothing」ということで、着る楽しみ。うん、なにごとも楽しめるといいですよね。 巻頭では、さまざまなニューヨーカー18組のスナップが。アーティストやショップオーナー、学生にギャラリストに普通の母娘などなど、バックボーンもさまざま。ロケーションも含めてNYっぽさが匂い立ちます。スタイルのある人たち。人生を楽しむこと。行きたくなるぜ! それからこちらもニューヨーカーの、映画監督ソフィア・コッポラのインタビューも必読です。 今年は、新しい服が欲しいなぁという気分が高まっておりまして、それはリベンジ消費なのかもしれないし、ただそういうサイクルなのかもしれませんが、自分が心地よくいられる服を着ることはやっぱりいいなぁと思います。 今の自分は、週末は砂場に腰掛けたり、次男が鼻水やらご飯粒やらいろいろつけて抱きついてくるので、とにかくラクでタフなものを。平日は外回りが快適なビジネスカジュアルを。 他人の目も一応気にはなりつつ、それ以上に自分の気に入ったものを身につけるのは、今日をきげんよく過ごす一個のアイデアだよなとあらためて思う今日この頃。食べたいものを食べるし、聴きたい音楽を聴くのと、同じですね。健全性。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

続・LUUP乗ったよ

  数年前、手足口病にかかったのですが、足の裏が痛くて歩くのに難儀しました。もはやいい思い出? さて。先日初めて シェア型の電動キックスクーターのLUUPに乗りました が、一回だけで評価するのもなんなのでもう一度利用してみました。今度は東京で、外苑前駅から北参道駅まで。 あらためて都心にはずいぶんポートが増えていて(きっと今も増え続けてるのでしょう)、使い勝手はかなりあがっている印象です。今回乗った付近もたくさんポートがあって、借りるのも返すのも目的地近くにあって便利でした。 前回はその遅さが気になりましたが、短い距離をサクッと移動するにはあんまり気にならないということがわかりました。今回のような1km前後の、歩くにはちと遠いんだよな〜ってところに利用するととても快適。そして下り坂だと20km/hくらい出ますね。上り坂を心配しましたがこちらはちゃんと15km/h出てました。 ただ、地図が頭に入ってないと、車道を走ることや右折の難しさを鑑みるとスムーズに行けない可能性はありますね。ハドルバーにスマホ固定できるので、地図にナビしてもらいながらって乗り方もできるでしょうけれど。サイドミラーはちょっと使いにくかったかな。目視のほうが安心。 ということで、いわゆる「ラスト1マイル」の移動手段としてはすごくいい気がしてきました。また乗ると思います! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_くるまの娘

夜、みるみる冷えてきて、慌てて長袖長ズボンのパジャマに戻しました。さぶ。 さて。宇佐見りん『くるまの娘』読了。病気を経て変わってしまった母、そんな母をなじり手を上げることもある父、そんな家を早々に出て行った兄、そして妹のかんこは、学校にうまく行けなくなって…。しかし、祖母の葬儀のため家族は1台の車に乗り込んだ。かつての家族旅行のように車中泊を経て、束の間の高揚感にも包まれるが、思わぬ衝突が生まれて。 くるまの娘 :宇佐見 りん|河出書房新社 『かか』『推し、燃ゆ』の宇佐見りんさん最新作。前2作どっちも読んでないので、フラットな気持ちで読みましたが、とても力のある作品でした。わずかな出来事で小さな家族のひそやかな歴史を掘り下げていくのですが、車というキーアイテムもあってロードムービーのような印象でした。とても映画的だと思いますし、実際に映像化したものも観てみたいと思いました。安直だけど、『ドライブ・マイ・カー』のような味わいになりそうな。 簡単に言えば、半壊した家族です。かなり悲惨と言ってもいい。でもそれは、誰が悪いわけではなく、誰にも止められないままそうなったもので、程度の差はあれど、どんな家族も、どんな人生も、そんなものだろうと思いました。たまたま良いほうに転がることもあれば、どうしてか悪いほうにいってしまうこともある。かんこたちは、ちょっとついてないほうの目が出ただけ。 でもそれを、周囲や社会は許してくれなかったりする。細かい事情は全然見えてないのに、表面の現象だけで善悪を決めつけ、価値観を押し付け、結論を迫ろうとする。現代はそれがより、短絡的かもしれない。むやみに正義を振りかざされることも多いような気もする。でも、人間関係とか人生とかって、きれいに因果を求められるものじゃないし、正しいとされるものがすべてでもないんだよな、と読みながらそんなことを考えました。この物語では「自立」や「自己責任」というものを問いかけています。自己責任という言葉はある頃から一般的になりましたが、そんなに簡単にひとりで何でも引き受けられるもんじゃないですよね。 そういう、どろどろしたものを、多かれ少なかれみんな抱えている。どんなに世の中が便利になって、スマートに成熟したとしても、こういう人間味や、ある種の不条理はなくならないんだろうと思います。いや、なくしてはいけないものなのでしょう。