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世界を拡張するゲルハルト・リヒター

四畳半タイムマシンブルースがアニメになるんですねー。神話大系未読なので読みたい。

さて。東京国立近代美術館にて開催中の「ゲルハルト・リヒター展」に行ってきました。生誕90周年というドイツ出身の現代アートの巨匠。日本では16年ぶり、しかも東京では初めての個展だそうで、必見!
名前は知っていながらも、作品などはあまりよくわかっていませんでしたが、とてもスタイリッシュな絵画&写真作品たちでした。ミニマムで、フラットだけど、とにかく強い。サイズが大きいのもあるけど、そこに込められたメタファーとしての密度と質量がすごかったです。

例えば代表作の《ビルケナウ》は、ホロコーストを題材にした4点の大型抽象画。画面の下には、本物のアウシュヴィッツの当時の写真を描き写しているそうで、その元ネタとなる写真も併せて展示されていました。どんなに目を凝らしても具体的な像は見えてこないのに、重苦しいタッチと、キャンバスを引っ掻いたような跡と、鈍い赤色はやはり、そこで流された血をイメージせざるを得なくて、それは目の前のものよりも情報という実態のないものを見ているのかもと思いました。

併せて、大きな鏡の作品も展示されているのですが、自分が収容所に立っているように錯覚するほどの迫力でした。実際に収容所の中に入ったことがあるわけでもないので、これもイメージがそうさせている。

かと思えば、「カラー・チャート」シリーズは、正方形の様々な色のパネルが配置された一見ポップな作品。5×5枚を最小ユニットとして、それを36セット並べて一枚の作品となっていました。色の並びは全てランダムだそうで、目に鮮やか。この世界のあらゆる色を凝縮しているようで、でも現代では解像度の粗いデジタル・ドットに見えないこともない。ここも鏡の作品があるので、空間の物理的な広がりも感じられます。ビルケナウの次に置いて対比させてるのがニクイ。

写真の上に絵の具をたっぷり乗せた「オイル・オン・フォト」も目から鱗。写真と絵画は常に比較されるものだと思ってましたが、両方取り入れてしまうこんな合わせ技があったとは! 意味があるとは思えない大胆な絵の具によって、一枚の写真が変容してしまうことに驚かされました。単純なのに奥深い。展示作品全体通して、こういうギミックが効いていると思いました。

昨日、抽象についてポストした流れでの抽象絵画。具体的なものをモチーフとしてるものも、すぐには内容を読み取れないものも、どちらも目に写る世界を拡張するような感覚があって、見えていないものを浮かび上がらせ、見ている「つもり」な虚像を暴き出すような。変に込み入った難解さもなくて、抽象的なので、「理解できる」とはとても言えないですが、何かカッコイイ!という見応えがありました。大きな作品から、だんだん小さな作品になっていく流れも良かったと思います。


公式図録を買ったのですが、美術展て基本的には一期一会だから、図録で振り返れるっていいことだよなと、今更思うのでした。会期は10/2まで。ぜひ、お見逃しなく!

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。








 

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