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鑑賞_生まれておいで 生きておいで

さて。東京国立博物館で開催中の内藤礼の企画展「生まれておいで 生きておいで」鑑賞してきました。とんでもなく良かったなこれは。 展示は大きくふた部屋+1。まずは平成館の展示室ですが、入った瞬間この人やっぱ天才だなと。薄暗い室内に、小さくてカラフルな毛糸玉がテグスで吊り下げられています。頭の高さの少し上くらいにランダムに並ぶそれはそれらは小惑星のようであり、生命体のようでもある。とてもささやかでシンプルなのに、おごそかで美しい。 何気なく置かれる木や石、展示ケース内に敷き詰められた白フェルトも作品だよね。 わずかにゆれる小さな風船、ガラス玉? 鏡に材質不明の板も、あ、鈴もあった。鑑賞者が行き交う姿すら取り込んで景色にしてしまう神業です。そーっと息を吹きかけると小さくさざめくのもまたよき。もしかしたらケースの向こうが死者のゾーンなのかもしれない。 それは普段からそこにあるのに見過ごしているような、まだなにかの形にもなる前の(胎児のような)、あるいは形としての役目を終えた後の、精霊のような魂のようなものに思えてきます。見えるものと見えないものの間にある、もしくはずっとそこにあるのに見過ごされてきた、なにか。お盆に見るに相応しいな。今日は終戦記念日だ。 次の展示室に移動すれば天才の偉業その2。空間との調和が半端じゃない。小さきものに目を凝らし、歩き、しゃがみ、想いを致す。木片の上の毛糸の切れ端、ケースの隅の微細な紙片、木彫の下に佇む陰影、ガラス玉の連なりを透かす光、そっと立てかけられた小枝、キャンバスの絵の具は描いたというより映し取るように。観てると思考と言葉が自然と湧き出てくるのが心地いい。物と物の距離、偶然のような必然のようなバランス、全てを包むような白いフェルト。あるものと、ないもの。 自然光を取り込んだ空間なので、あ今陰ったな、とわかる。真っ白だったキャンバスは時間と共に彩られていく。しかしそれもやがて無に帰すということ。始まりと終わりとその輪廻という永遠。光と影、生と死、黄泉のつがいよ。歩み寄らないと見えない銀のテープ。この展示室は以前は仮囲いがされ絨毯も敷かれていたそうですが、作家の意向ですべて剥がされオリジナルの空間が蘇ったそう。 この博物館には太古のアイテムが多数ある中で、内藤礼の現代美術作品がそっと溶け込む。それによって 生と死や光と陰のように対になるもの、

香川よりみち記2024_四国水族館へ

さて。直島から高松に戻りホテルユヅキさんに宿泊。市街地の端っこエリアですかね、古ビルリノベの一室で1LDK的な間取り。とても綺麗でこちらも家族4人で泊まるに十分、長期滞在にも向いてそう。で、近所の「やまもと寿し」さんがとても感じよく、そして朝もまた近所のパン屋「春風堂」さんで。地元の人が普段使いするお店にお邪魔するのは旅行の楽しさの一つですね。 この日は高松から車で1時間ほどの四国美術館館へ。宇多津というエリアで次回の瀬戸内国際芸術祭にも加わるそうですよ。要注目。 香川にありながら四国の名を冠するこちら、展示テーマは大きく3つあり、瀬戸内海、太平洋、そして四万十川を始めとする清流。うん、四国を名乗るに相応しい内容。館内はコンパクトながらそれぞれに生息する個体が展示されてて子供にも見やすい作り。屋外にもゾーンがあって瀬戸内海を借景に楽しめました。イルカのプレイングタイムも派手さはないけど良かったね。しかも飼育してるのは珍しいマダライルカ! たっぷり満喫したら近所のうどん屋さんでランチして、香川旅フィニッシュ。レンタカー屋さんに聞くところ香川もインバウンドのお客さんがかなり多いらしく、海外からの直行便を積極的に誘致してるそう。レンタカーもインバウンドの方多いそうで、高松市街地の夜ごはんは外国語が入り乱れてるそうです。 アート瀬戸内もそうだし、イサム・ノグチや名建築もあるし、四国全体に目を広げればさらに観光資源たくさんあるものね。1週間とか周遊したら楽しいだろうな。いつかはお遍路もやりたいものです。 最後にフライトまで少し時間があったので、「菓子と珈琲 暖(はる)」というお店に伺いました。ご夫婦でやられてるお店で、シュークリームとコーヒーをいただきましたが、とても素敵でしたので、高松空港利用の際にはぜひ寄り道していただきたいです。 ということで直島を中心にのんびりだけど充実の香川旅。とても良い夏の思い出になったのでした。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 飛行機ら富士山も見えましたー。

香川よりみち記2024_続・直島へ

さて。直島の朝ごはんはアカイトコーヒーさんへ。直島出身オーナーが始めた自家焙煎珈琲のお店で、カフェにてモーニングをいただきましたがとっても美味しかったです。古書や雑貨もあってお店の雰囲気もとてもよく。毎回朝ごはんはここに来たいですね。 午前中は島のビーチで海水浴。草間さんの黄色い南瓜作品のすぐ横なので、海からこの南瓜を愛でられます。午前はまだ空いていたものの南瓜撮影をするお客さんはひっきりなし。ビーチのほうは高松や岡山から来ている半地元の人たちが中心だったと思います。THE島の夏って感じで気持ちいい! ビーチわきのレストランで昼食を済ましたら、道すがら見つけたカフェでかき氷を。これがまたとんでもなく美味しくて、イチゴ味は凍らせたイチゴそのものを削り出すスタイル。みかんも贅沢に果実をまるっと使っていて、これ目当てにきてもいいレベルかよ。1〜2年前だかにオープンしたばかりだそうですぜ。 午後は地中美術館でアート鑑賞。子供らがモネの睡蓮やジェームズ・タレル作品を堪能していていい感じでした。 てことで駆け足でしたが直島でやるべきことをきっちりやり尽くして夕方のフェリー(最終)で高松へ。ほんとは連泊したかったのだけれども〜。 また数年後に来たいです。やることはおそらく大して変わらないだろうけど、それがいいってもんdすよね。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

香川よりみち記2024_直島へ

さて。香川県は瀬戸内海の島、直島に行ってきました。アートで世界的にも知られる島で、インバウンド旅行者多数でした。 高松空港でレンタカーしてそのままフェリーに乗船。満員で乗れないとかあるのかな…と怯えてましたが、午後の便てこともあってかクルマはすっかすか、乗客もさほど多くはなく、のどかそのものでした。 男木島、女木島を横目に、のんびり過ごすこと約1時間で直島に到着。出迎えてくれるのは草間彌生のアート作品の赤い巨大南瓜。中にも入れる作りなので子供達も大喜びだし、観光客はこぞって写真撮りまくり。これだけでも来たかいあります。自身も含めてみんなのテンションが上がってるのを見て、あらためて、フォトジェニックであることの強さを感じるのでした。 同じ港のすぐ横には直島パヴィリオンというアート作品も。立体蜘蛛の巣ジムといった造形で、こちらも中に入ることができる体験型。やっぱり子供たちは大喜びで、バックの海の夕暮れもいい感じ。いやー楽しいな。 本日のお宿は、クイント直島という古民家リノベ物件を部屋貸ししているところ。港からすぐ近く、事前チェックインのみで入れて2ベッド+布団2組ルーム&ダイニングという家族4人にありがたい間取りで、快適滞在でした。 晩ご飯はお店探しにやや苦戦しましたが、ものすごい大盛りメニューのお店に入れてお腹もふくれたところで、お風呂はアートな銭湯、「I 🖤 湯」へ。エキセントリックな内観にこれまた子供達歓声。ただし内湯の温度が熱すぎるとのことで湯船には浸かれなかったけれどね。 滞在数時間にして大満喫の直島の夜は更けていくのでした。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_ルックバック

さて。映画『ルックバック』劇場鑑賞(2024年公開)。チェンソーマンの藤本タツキによる青春マンガのアニメ化。マンガを描くことが大好きな藤野は、引きこもりで同じくマンガ好きの同級生京本と出会う。導かれるように二人で作品をつくり上げついに雑誌連載が決まるが二人は別の道を進むことになり…。 周囲の評判がとても良く、58分という尺もありスキマ時間にサクッと鑑賞。THE青春ジュブナイルという感じでほろ苦なあと味。ネタバレを避けるのがなかなか難しいですが、強烈な感動やわかりやすいメッセージよりも、各シーンの意味を考えてるといろんな点がつながって全体像が浮かび上がる系の良作でした。作画もアニメーションも凄く情感あって良かったな。エンディングの音楽も。 自己愛の強い藤野は自身を責めるが、パラレルワールドがその背中をそっとさすってくれる。あっちの世界線でも京本の運命はおそらく変わらないし、藤野と漫画の距離も多分変わらないことを示唆する。人は出会うべくして出会い、別れるべくして別れるってことなのかもしれない。 背景しか描けなかった京本が、物語を立ち上げ藤野を救うくだりがハイライトで、それは藤野との出会いが背中を押してるし、きっと漫画の力でもあるんだろうな。主役ではないとされる、背景もれっきとしたクリエイティブであり、それを作る人々へのリスペクト。藤野のアシスタント探しでも直接的に言及してましたね。人は一人では生きていけないという普遍へのメッセージもあるのかな。 京都アニメーションの事件をこんな風に直接的に描いたのは驚きで、作者なりの追悼や怒りの意味があったのでしょうか。これを使うのはまだ早過ぎるようにも感じましたがニュースで見るのとは違うインパクトがあったので、風化させない意味でもよかったのかな。そして創作に昇華することで理不尽に負けない決意も示してくれたとも思いました。 4コマ漫画というモチーフも良かったですね。とてもシンプルなフォーマットだけどその最小の物語でさえ人を動かすチカラになりうること。藤野キョウの物語はこれからもまだ続いていく。その原点は学級新聞の片隅の四つの四角にあるし、もしかしたらファーストキスというあの作品にも通じるのかも。 創作は誰かを救うこともあるし、時に誰かを傷つけてしまうこともある。無力感に苛まれることも多いけど、たった1人の感動が得がたい幸福感も与えてくれ

感想_汝、星のごとく

さて。凪良ゆう『汝、星のごとく』(2022年刊)読了。小さな瀬戸内の島での出会いは17歳。父が家を出た暁海と、恋多き母に連れられてきた櫂。誰にも言えない孤独と不満を抱えた2人は惹かれ合い結ばれる。時間と距離のすれ違い、母の呪縛、大切な人との別れ。運命に翻弄され、過去という亡霊に取り憑かれた2人がその行く末に見つけたものとは。2023年本屋大賞受賞作。 初めての凪良さん作品、周りの絶賛評に誘われましたが、自分にはそこまでフィットせずでした。展開がドラマチックすぎると思ったし、思わせぶりなセリフが多いけど一つ一つのシーンが深まらない。結果、2人をもうひとつ好きになれませんでした。 選択が常に極限すぎるからかな。理不尽もらい事故に不条理袋小路などなど本人に非のないハードモードの目白押しで同情はするけど自分ごとにはなりにくい。好みでしかないけど、価値観の小さなささくれや、日常の他愛のない湿気にこそ、普遍が露わになるのではと思っている自分がいるので、そこが相容れなかった。 もしも櫂にあの事件がなかったら。暁海の母が昔のままだったら。それでも2人の物語が重なり合っていた、ようには思えなかったのです。境遇以外の2人のつながりが脆弱だったし、櫂の文才も暁海の刺繍センスも、裏付けに欠けていた。あるいはエクストリーム波瀾万丈シーソーゲームをサバイブできたのはこの二人だからこそとも言えるのかもしれないけどね。その絶対性に共感も知性も要らないのかな。 このラストならもはや暁海と北原先生の互助は不要に思えるし、結局のところ櫂の私小説なのだとしたら何を突っ込んでも野暮にしかならないぜ(櫂’s脳内美化フィクションで片づいちゃう)。凪良さんも施設育ちとwikiにあったからこれが事実と言われたら受け入れるしかないものね。15年にわたる恋物語を下敷きに、創作や自立、ヤングケアラーにジェンダーと、色んなエッセンスが入りすぎて本筋がボヤけた感じもしました。ラブストーリーだよねこれ? 結ばれぬ恋としての重みは足りなくて、なんとなくセカチューを思い出しました。男女両A面という意味では冷静と情熱の間か。って例えが昭和臭なので、つまりは歳食ったおじさんのタワゴトですね。令和に求められたある種の通過儀礼であり、時代を超える作品ではない(と思う)けど、その時代を確かに彩った物語として位置付けられそうな気がするのでした

水面を覗き込んだら宇宙が見えた

さて。鍵岡リグレアンヌの個展「Undersurface」を鑑賞してきました。6/22〜8/3まで天王洲アイルのMAKI ART GALLERYさんにて。 去年か一昨年の企画展で一目惚れした鍵岡さん、待望の個展です。今回は彼女の代表的なシリーズ「Reflection」をメインにした展示。このシリーズは水面をモチーフに独特の技法で唯一無二の絵画作品に仕上げたもの。その色彩の美しさと、彫刻的な立体感、そして見る人を引き込むリズムが素晴らしいのです。 ちょうど作家さんが在廊していていろいろお話も聞かせていただけました(!)。さまざまな水面を求めて各地に足を運んでいること、ビビっとくる瞬間をひたすら待ち、撮影した写真をもとに水彩画の習作をまず起こすこと(今回はその展示も。見比べるとまた楽しい)。そしてそこから作品に落とし込むこと。 風や波によるゆらぎに同じものは一つとなく、その時々の光や周囲の環境を写し込んだ水面はまさしく一期一会であり、そこで切り取られた瞬間がこういうふうに作品化されるプロセスにまず感動。さらに作品を前にすると、宇宙から見た地球や大陸のようにも見え、無限の広がりが感じられるというのもすごい。ひとつの水面から立ち上がる永遠。刹那と悠久をつなぐアート。大げさではなくそう思うのでした。 うん、作品のリズムがそう感じさせるんだよね。水がひとつところにとどまらないように。命の循環や自然の摂理をも思い起こさせて、ずっと見ていられる。豊島美術館の作品『母型』にも通じる輪廻を感じますね。物質の動きを伴わないあくまで絵画なのにそれを成し得ているという神業作品。背景をうかがえたことでいっそう深く魅せられたのでした。いや本当にいい時間だった。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

谷中よりみち記。2024初夏

さて。久しぶりに谷中へ。HAGISOカフェで朝のひとときを過ごしました。おそらく宿泊中の外国の方がひとり朝食を食べていただけの静かな平日。朝の光が少しずつしみわたってきて古民家リノベらしい、懐かしさと穏やかさが実に心地いい。せわしない日常にはこういう時間が必要ですよねーとひとりごちる。 ひみつ堂は開店前からすでに行列していて(かき氷が美味しい季節になりました)、おなじみの店が相変わらずの姿を見せる一方で、知らないお店もできていれば、町の一角の建物が取り壊されて新しい建物の工事が始まるところも。全体的な空気感は下町のそれで変わらないけど、変化自体は常にありますね。 この町にはけっこういろいろな思い出があるので、来るたびにあれこれを思い出したりします。以前は新しいお店を躍起になって探していたけれど(そういう仕事だったため)、そこから離れたことで、時間がたったことで、そういう変化もあるのか。 なじみの町をふらっと散歩するよさと、そもそもそういう町があるよさを感じた朝だったのでした。人って思い出に生かされてますよね。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

浜松よりみち記。2024年6月

さて。浜松でふらっと入ったお店がとても良かったのです。駅前すぐのLIBERMENTさん。この日はシェフがひとりで切り盛りされてました。 クラフトビールとナチュラルワイン、それに合わせたお料理がセールスポイントとのことですが、お料理が本当に美味しい! サラダは新鮮でトリュフの香りがよく、枝豆のガーリック炒めもシンプルながら秀逸、から揚げも三ツ星級に美味しければ、サーモンのリゾットはボリュームたっぷり大絶品! なにこれハズレなし! シェフは元ホテル勤めとのことですが、素晴らしいお仕事です。 クラフトビールはすべて缶のようでしたが、写真の反射路ビヤ(ファンです)のやつが美味しかった! 時間の都合もありワインに手を出せませんでしたが次は楽しみたいですね。 どうやって見つけたかと言えばGoogleマップで「クラフトビール」で検索しただけ。簡単で便利な時代ですな…。なんの不満もないどころか大満喫したのにそこはかとない味気なさを感じたりもしちゃうのがソフト老害クオリティ。 浜松には仕事で年に2回くらい来ていましたがしばらくご無沙汰になりそうです。普通に遊びに来たいぜ。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

キャットウォークに見惚れる

さて。ズーラシアに行きました。1年ぶりくらいかしら。子連れで年に数回、動物園や水族館に足を運んでいますが、そんな日々もおそらくあと5年くらいなんだろうなという気持ちで楽しんでいます。 行くたびにちょっとした発見があったりもして、この日はチーターの美しさに見惚れました。こんなに長く見たのは初めてで、その優雅なウォーキングをけっこうサービスしてくれました(これが本当のキャットウォークか!と)。 ちなみに見た目の違いは、チーターは純粋なドットで、ヒョウは黒丸の中に茶色模様、ジャガーはヒョウ柄の中に小さい斑点。少し前にテレビで知っただけですが。 動物園はだいたい17時前には閉園して強制的に終わりになるのも晩ご飯に差し支えなくていいですね。スタッフの人はきっとこの後もお世話がいろいろあるんでしょう。 次はどんな動物と出会えるかな。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

文を喫する。世界が広がる。

さて。六本木にある文喫さんが、名古屋の栄にもオープンしたそうで機会があったので立ち寄ってきました。 文喫は簡単に言えばブックカフェ。入場料(栄は90分750円)を払えばフリードリンクとたっぷりの蔵書を閲覧できる(栄は3万冊)。しかもここはモーニングのサービスがあり朝は無料でトーストをいただけるという、さすが名古屋極まれり! 7:30からオープンです。 てことでオープン直後に行ったらほぼ貸し切りで優雅で文化的な朝ごはんとなりました! 六本木よりもはるかに広くて席のバリエーションも豊富。くつろげるソファ席や、1人に浸れるカウンター、じっくり読書に耽れる書斎のようなスペースに、がっつり集中できそうなワークシートも。天国かよ!一日中いれるよ! 改めて、文喫という言葉について考えて(漫喫の流用ではありましょうけど)、文を喫するか、と。喫には契りを交わすからくる言葉で口の中で深く切り結ぶ的なニュアンスも。書物をじっくりと味わう、身体的にも精神的にも書の世界に浴する場所だなー。本風呂?書物浴?ブックスパ? 棚に並ぶ本はジャンルごとに並びます。小説、旅、食、建築、ビジネス、デザイン、などなど。本という四角い形はおおむね変わらねど、大きさも色もデザインも多種多様で面白いなあ。そしてその扉(表紙)をひらけば豊かな世界が広がっているわけで。 てなことをふわふわと考えながら『汝、星のごとく』を50ページほど読んだのでした。なんて豊かな時間でしょ。名古屋に来るときはまた寄りたいな。本の続きも気になるしね。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

横浜夜景レストランへ

さて。横浜みなとみらいの辺境というと大袈裟かも知れませんが、山下埠頭のさらに先にあるレストラン「Re:Jounal」さんにお邪魔してきました。横浜エリアでカフェをいくつも展開するUNI COFFEEさんちのお店です。 なんといってもそのロケーションが最高で、窓際の席からはみなとみらいの景色が一望のもとに。テラス席ではそれに加えてベイブリッジも間近に望める、これぞ横浜オーシャンビューと言ったところ。今回ディナーでしたが、みなとみらいのスカイスクレイパーに沈む夕陽の美しかったことよ! お料理も絶品イタリアン。特に牛タンのカルパッチョ(トリュフ添え)と全粒粉タリアタッレのボロネーゼが美味しかったなー! リピートしたいレベル。他にもいろいろ飲み食いして満腹満腹。 その頃にはすっかり夜の帳が下りまして、マジックアワーは気づけば煌めく夜景へ早替わり。暑くもなく寒くもない今の季節にぴったりの夜をごちそうさまでした。 元町中華街駅から徒歩15分ほどとアクセスがいいとは言いにくいですが、それゆえの隠れ家感が心地よい一軒です。ちょっと特別な日にぜひ。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 なお、テラス席は事前予約ができず、当日朝から早い者勝ちで解放する仕組みでした。確かに天気次第だから賢いやり方かも。

感想_オッペンハイマー

さて。映画『オッペンハイマー』(2024年公開)鑑賞。原爆の父ことロバート・オッペンハイマー。その世紀の発明は、数多の命を一瞬にして奪い、しかしそれは悲惨な戦争を終わらせるものだった。本年度アカデミーの作品賞、監督賞、主演&助演男優賞ほか7部門受賞作! クリストファー・ノーラン最新作はシリアス伝記映画。インターステラーとかテネットのようなハイパーSFからこういう濃密ヒューマンまで撮れるんだから、毎度のことながらインテリジェンスすごすぎだろと。作り手によってはとっても地味になりそうなところですが、いくつものドラマを走らせ、巧みな映像表現と、あといちばん思ったのは音楽の使い方が神業すぎて、退屈しらずの3時間でした。え、もう180分経ったの!? オッペンハイマー本人はなかなかの曲者で、学生時代にはメンタルもちょっとやられてたり、共産主義者の集会に顔を出したことで疑いもかけられたり。科学者としての実力は確かながらそのこじらせた性格もあって、プロジェクトを共にする仲間たちとも一触即発(他の科学者たちも曲者揃いなんですけど)。 そんな様子を戦後の時間軸に起点をおきながら(こっちがモノクロ)、回想形式で振り返るシナリオ(こっちがカラー)がまずすごいんだよな。オッペンハイマーは善人ではなかったかもしれないけれど、純粋な科学者であり、ある種の犠牲者でもあった。映画的ハイライトをリハーサル実験にもってきて、メガトン大爆発映像と不穏に神経逆立てる音楽で盛り上げつつ、主眼はあくまで数奇な運命を俯瞰することに置いた緻密な構成よ。 「あなたはどうしたいのか、何をしたいのか」と問われるシーンがいくつかあって、オッピーは答えに窮する。いったい私は何をしたのだろうと自問するような。学者として理論を突き詰め、実践に没頭し、衝き動かされるまま、求められるまま進んでいたら、気づけば後戻りできないところまできてしまっていた。その功罪は個人の手にはあまりにも大きすぎて。殺意のあった毒林檎は止められたけど、大義のための原子爆弾は個人の意思ではもはや止めることは出来なくて。 アインシュタインとの邂逅がなんだか胸熱で、彼もまた世界を変え、やがて忘れられていくオッペンハイマーの未来を唯一知る人。2人だけが知る会話に疑心暗鬼にとらわれたストローズのエピソードは、結局のところ真相は当事者にしかわからないことのメタファーに

横トリ鑑賞。野草のような僕たちの未来

さて。横浜トリエンナーレ行ってきました。リフレッシュした横浜美術館を中心にした国際芸術展。8回目。 今回のテーマは「野草:いま、ここで生きてる」。複雑性を増し、様々な危機に見舞われる現代、それでも時にしなやかに、時に力強く生きている私たちを、野草になぞらえながら問いかけます。 アーティストをディレクターに招聘するのが横トリの特徴で、ゆえにコンセプチュアル。とっつきづらさもありますが、その分深みもあると思います。会場の挨拶文にある言葉が全てという感じだったので、一部引用させていただきますね。 「私たちはささやかに想像してみることを提案します。すなわち、私たちの生とは、任意に結びつき、横につながり、予期せず出会い、他者に対して開放的で、絶えず変化し生成する、そのような野草であると」 多様性や環境に対する個人的な闘争から、歴史的・社会的な国や共同体レベルの紛争までがあふれる世界で、ここに集まった作品群もそういった争いに根差したものが多かったです。会場入って最初に飛び込んでくるのは男女も肌の色も混然としたマネキンで首の上からスマホを持った手が伸びます。多様性や見えない差別を問いつつ、現代のスマホ脳を批判してるようにも見えます。 厳しい環境の中わずかな手元の素材で絵を描くコソボのアーティスト、台湾で働くベトナム人のストライキを再現した作品、鮮やかな壁の前に張り巡らされた有刺鉄線のオブジェなどなど、ワールドワイドなそれぞれのサバイブが可視化され目の前に置かれます。それは苦しさ、厳しさを突きつけてくる。 それでも僕たちは生きているし、生きていかなくてはならない。タフな状況ではあるけれど、古今東西、野草の如く確かに生きてきたわけで、どんな危機も乗り越えられると信じるに足ると思います。あなたも、私も、きっとそれぞれ何かと戦っている。一つひとつは小さな野草の叫びを捨て置くことなく目を凝らし、耳を澄まし、想いを致すこと。それらを尊重し共生することが、大事なことなのでしょう。 美術館の他の拠点とも連携して展開されていますが、願わくば館を飛び出して屋外のパブリックなところでもまとまった数と規模の作品が見られると、より街と人の目に触れて意義が高まるのかなとも思いつつ(難しいですよね)、おかえり横浜美術館! 横浜美術館が閉まってると横浜のアート界隈がやっぱり寂しいので嬉しいです。 美術館横の壁面