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香川よりみち記2024_四国水族館へ

さて。直島から高松に戻りホテルユヅキさんに宿泊。市街地の端っこエリアですかね、古ビルリノベの一室で1LDK的な間取り。とても綺麗でこちらも家族4人で泊まるに十分、長期滞在にも向いてそう。で、近所の「やまもと寿し」さんがとても感じよく、そして朝もまた近所のパン屋「春風堂」さんで。地元の人が普段使いするお店にお邪魔するのは旅行の楽しさの一つですね。

この日は高松から車で1時間ほどの四国美術館館へ。宇多津というエリアで次回の瀬戸内国際芸術祭にも加わるそうですよ。要注目。

香川にありながら四国の名を冠するこちら、展示テーマは大きく3つあり、瀬戸内海、太平洋、そして四万十川を始めとする清流。うん、四国を名乗るに相応しい内容。館内はコンパクトながらそれぞれに生息する個体が展示されてて子供にも見やすい作り。屋外にもゾーンがあって瀬戸内海を借景に楽しめました。イルカのプレイングタイムも派手さはないけど良かったね。しかも飼育してるのは珍しいマダライルカ!

たっぷり満喫したら近所のうどん屋さんでランチして、香川旅フィニッシュ。レンタカー屋さんに聞くところ香川もインバウンドのお客さんがかなり多いらしく、海外からの直行便を積極的に誘致してるそう。レンタカーもインバウンドの方多いそうで、高松市街地の夜ごはんは外国語が入り乱れてるそうです。

アート瀬戸内もそうだし、イサム・ノグチや名建築もあるし、四国全体に目を広げればさらに観光資源たくさんあるものね。1週間とか周遊したら楽しいだろうな。いつかはお遍路もやりたいものです。

最後にフライトまで少し時間があったので、「菓子と珈琲 暖(はる)」というお店に伺いました。ご夫婦でやられてるお店で、シュークリームとコーヒーをいただきましたが、とても素敵でしたので、高松空港利用の際にはぜひ寄り道していただきたいです。

ということで直島を中心にのんびりだけど充実の香川旅。とても良い夏の思い出になったのでした。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。





飛行機ら富士山も見えましたー。

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