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山形よりみち記おまけ。庄内の素敵なものたち

 




さて。最後に庄内旅行の雑感をまとめて終わりたいと思います。

まず、庄内平野の清々しさを一番に感じました。空港から車を走らせると、空の広さを感じました。その先には出羽三山と鳥海山といった山並み。まだまだ雪の残るこの時期、その美しさは際立っていたと思います。それなりに日本各地を訪ねていますが、こういう平野と雪山のコントラストは貴重なのではないでしょうか。とても気に入りました。出羽三山は日本遺産でもあり、聖地として知られる場所。次は参拝に行くぞ。

食の豊かさも特筆すべきところで、「酒田フレンチ」という言葉もあるくらい、大地の恵みを生かしたレベルの高い食を提供するお店が多いそうです。鶴岡には全国的に知られる奥田シェフのイタリアン「アル・ケッチァーノ」も。今回の訪問はかないませんでしたが、奥田さんが手がけるドルチェのお店「ファリナモーレドルチェ」には行けました。そこで写真の瓶入りティラミスと、「TSURUnoOKAeSHI」なるシルクマカロンを購入。これがどちらも絶品! 特に真っ白なマカロン(中はバタークリーム)は無敵!!!

米どころの山形ですから、日本酒も多彩。なんですが、僕はビール党ということで、クラフトビールをいくつか。各地のお酒を巡るのはほんと楽しい。

ほかにもクラゲで有名な加茂水族館だったり、カクテル「雪国」が生まれたバー、ケルンだったり、まだまだ行きたいところがてんこもりなので、必ずや再訪したい町となりました。

旅行に出ると、思い出が増えますね。思い出は、非日常の中に生まれやすいもの。そして良い思い出の数々は、僕たちを支える力になると、コロナの中で僕は思うのでした。

そして、外に出るということは、ある意味において自分と向き合うことであり、遠くへ足を運ぶことは、すなわち日常を省みることなんだと、僕は思います。外の世界を知ることで、自分の輪郭が見えてきたりするものですよね。

僕たちには旅に出る理由がある。どこかに出かけるたびに、そう思うのでした。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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