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檸檬の実とはかく素晴らしき。


ナイススティックって45周年だそうです。同い年か。どうりで好きなわけだ。

さて。千駄木のレジェンド「檸檬の実」さんを訪ねてきました。今回は、檸檬の実のHPで連載していたちぎり似顔絵エッセイの「たべる人」の展示を観に行くため。何を隠そう私もそこに登場させていただいたので。ちぎり絵を作られたのは渡辺えみさん

展示はお店のお二階で行われていて、たくさんのお客さんが入れ替わり立ち替わりやってきていました。中には私のようにモデルになった人もいて、不思議な交流が生まれていたのでした。ちぎり似顔絵とご本人を見比べられた貴重な機会。こうしてみると改めてちぎり絵の楽しさ、独特の味わいが感じられていいですね。そして、よく似ていることがなんと言ってもすごいこと! 絵を描くよりはるかに難易度が高いと思うのですけれども。

そしてそして、前回も書きましたが、檸檬の実の磁力の凄さよ。改めて出演者の皆さんが寄せるお店へのコメントを見ていると、どれも愛情あふれていて、そして何よりも「美味しさと喜び」がだだ漏れでした。わかるな〜、とにかく美味しいんだよね、ひと口目から完璧に、そして最後のひと口までブレることなく。それは店主イダマイコさんのプロフェッショナルな技術はもちろん、それを貫徹させる意志というか、人柄のなせる技だと思います。お客さんを満足させたい精神。

それなのに! 私ったらやんごとなき理由で食事を済ませてお店に来てしまったのでした。大失態!!(どうしようもなかったの) 改めてちゃんとご飯食べに行くぞ!と誓ったのでした。「たべる人」は冊子にまとめていただいていたので、こちらはちゃんとお持ち帰り。

なお、私のにがおちぎり絵を長男に見せたら「超似てる」と絶賛でした。ちょうど図工の授業でちぎり絵を体験していたのもグッドでした。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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