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ホカオネオネで走ってみたよ

2023NYCマラソン出走権を持っている僕です。下がれ燃油代!収まれ円安!

さて。そんなこんなで今話題のHOKAのシューズを買いました。この数年周りでも履いている人が増えていて、スニーカー好きがその性能を絶賛し、そして決定的だったのはレガーシーハーフで履いているランナーが激増していたから。ちょうど先代のランシューがダメになりかけていたのと、ビジネス(カジュアル)シーンででも履けそうなルックスのものを探していたので。

で、レガシーハーフ帰りにスポーツショップに行って、早速試着。おお、なかなかいいじゃないか。しかし店員さんが一言「横幅きつくないですか?」。あれ、そう? 言われてみると小指の付け根の骨が見た目にわかるくらい浮き出てるな。そんなにストレスはないから大丈夫な気もするけど、見た感じはなかなかにエグい。「やはりこれはちょっと…」という店員さんの二言目で、そうだよねと引き下がることに。どうやら同じサイズの幅広モデルの設定があるそうなのだけど、店頭在庫は切らしていた。

フィッティングはわかったので、じゃあネットで買うよねってのが現代っ子。はい、すぐに出てきましたよ「CLIFTON」のワイドね、と。であっという間に到着したので早速履いて出かける。しっかりしたホールド感、軽やかなボディ、そして弾むように足が前に出る(ような気がする)。なるほどねー、カーボンプレートこそ入っていないけどこれが厚底(なんだよね?)の威力か。

そして走ってみる。5kmだけだし、たまたまかもしれないけど、いつもより推進力を得たような気がしたよ。と同時に普段と違う筋肉に負荷がかかっているような気もしたよ。なかなかワクワクしますねこれは。ただ、この第一印象だと、この靴にしっかり合わせてトレーニングしないと、20km以上のランは今の僕には厳しいかもと思いました。

道具にはあんまりこだわりがなくて、道具で差が出るようなレベルじゃないと自分では思っているのですが、こうして違いを実感すると楽しくなりますね。次はもう少し長く走ってみるか。

ところで、HOKAのサイトを見ると、こんなブランドポリシーのようなものがありました。

なぜなら、走ることには、

単に体を動かす以上のものがあるからです。

それは、新しいあなたに出会うことであり、

同時に我を忘れること。

すべてのひとは、動くことで魔法にかかります。

このことをできるだけ多くのひとと共有することが、

私たちが存在する理由なのです。

さぁ、動き出す準備をしましょう。


うん、共感しかないな。よろしく頼むぜニュー相棒! よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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