ということで。アカデミー賞ノミネートも話題の『コーダ あいのうた』鑑賞。アメリカの港町で暮らす高校生のルビーは、早朝から漁の仕事を手伝いながら学校に通う。彼女は家族で唯一の健聴者として、世間との窓口役を背負って家族を支えていた。そんなルビーは、ひょんなことから合唱クラブに入ることになり、そこで類まれなる歌の才能を見出されるが…。
リメイク元である『エール!』を予習して臨んだわけですが、『コーダ』とてもよかったです!
冒頭から船の上で気持ちよく歌うルビーに、彼女が音楽を愛していることと、才能に恵まれていることが端的に伝わってきます。まずこのオープニングだけで良作の予感。そこからシームレスにつながっていく、耳は聴こえないけれど、ユーモアがあって明るい家族の様子の伝え方もいい感じ。そういう前提に説得力があるので、そこからの展開にどんどん感情移入していきました。
ルビー達は、その特性ゆえに家族がずっと一丸となって暮らしてきた。それは固い絆であり、とても濃密な時間だったからこそ、ルビーはそれ以外の世界をあまり見ることが叶わなかった。ゆえに外の世界に踏み出すことに抵抗があること、家族も当たり前にルビーに依存してしまっていること、そういう世界観が、短いシーンの中にもしっかり落とし込まれていました。ルビーが歌う時の気持ちを問われて、うまく言葉にならないことを、手話で応えていたのもとても良かった。生まれつき手話がそばにあり、家族との唯一のコミュニケーションツールであることを考えると、健聴者であるルビーにとっても手話は第一言語なんだよね。
そして、そのフリがあるからこそ、ルビーの歌う意味や喜びをサウンドでもビジュアルでも感じさせてくれているのが音楽映画として観ても素敵なわけで。合唱クラブでは楽しく開放的に、デュエットではその素晴らしい歌唱力を披露、そしてクライマックスでは単なる歌を超越した彼女だけがなしえる音楽を表現していて、それは家族をつなぎ、そしてこれから先多くの人の魂を震わせる唯一無二の個性となることさえ予感させました。彼女にしかできないそのスキルは、あの家族だからこそ生み出し得たもの。序盤のシークエンスがしっかり活かされていて、また泣けるぜ。
細かいところも気が利いていて、漁業の現状と窮地に落ちる様子、兄のプライドや両親の愛情、デュエット相手のマイルズの悩みもしっかり描かれていてよかったです。先生もちょっとマンガ的ではありますが、情熱は伝わるし、彼もまたメキシコ移民としてなにがしかの苦労があっただろうことが滲むのもよき。主題歌的に使われるジョニ・ミッチェルの「both sides now」がこの映画を象徴していて、物事にはいい面と悪い面、二つの面があるという歌詞が、この映画のテーマの直喩になっていたように感じます。
すなわち、聴こえる世界と聴こえない世界。音楽に出会う前と後。愛する家族と自立。片方の世界しか知らなかったのが、いつの間にか境界線を超えて向こう側に行くことで、それまで見えていなかった側面を知るということ。誰もが通るそのいくつもの通過儀礼を、ルビーもまた超えていくのでした。未来の答えなんて誰も知らなくて、もし知りたいと望むのなら、そのラインを越えるしかないということ。うん、挑戦を後押ししてくれる映画でもありますね。
ハイライトのフォールコンサート、音のない世界に住む両親にはそれはただただ退屈でしかなかったのが、周りの反応に促されて、何かが起きたことを知ります。その夜、父は彼なりの方法でルビーの想いを慮り、彼女を送り出す決断を下します。ルビーは先生の言葉を訳さなかったけど、父には確かに伝わっていたことに涙が出ました。しかし、コンサートの音を消すのも、娘の喉に手を当てるのも、『エール!』と同じ描き方なのに、演出でずいぶん受ける印象が違うものです。
ラストシーンの手話が意味するところはすぐ検索してしまいました。そうだよね、という意味で、後味のものすごくいい映画でした。なお、家族はすべて聾唖の俳優さんをキャスティングしているそうで、聞くところによると手話ってアメリカでは地域によってけっこう違うとかで、手話専門のディレクターもついていたとか。これもまたひとつの多様性。多様性という言葉だけでは見えてこない世界をしっかりと描いてくれた、心に残る観るべき映画の1本だと思います。
『エール!』と大筋はほぼほぼ一緒。よりディテールの緻密さが増して、結果、ドラマ性が高まったように感じました。でもそれは、『エール!』で話の筋をわかっていたから、より深く入り込めたってことなのかも。なんにしても、両方観てよかったな。
上映は残りわずかだと思いますが、できればぜひ劇場で。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
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