スキップしてメイン コンテンツに移動

横トリ鑑賞。野草のような僕たちの未来

さて。横浜トリエンナーレ行ってきました。リフレッシュした横浜美術館を中心にした国際芸術展。8回目。

今回のテーマは「野草:いま、ここで生きてる」。複雑性を増し、様々な危機に見舞われる現代、それでも時にしなやかに、時に力強く生きている私たちを、野草になぞらえながら問いかけます。

アーティストをディレクターに招聘するのが横トリの特徴で、ゆえにコンセプチュアル。とっつきづらさもありますが、その分深みもあると思います。会場の挨拶文にある言葉が全てという感じだったので、一部引用させていただきますね。
「私たちはささやかに想像してみることを提案します。すなわち、私たちの生とは、任意に結びつき、横につながり、予期せず出会い、他者に対して開放的で、絶えず変化し生成する、そのような野草であると」

多様性や環境に対する個人的な闘争から、歴史的・社会的な国や共同体レベルの紛争までがあふれる世界で、ここに集まった作品群もそういった争いに根差したものが多かったです。会場入って最初に飛び込んでくるのは男女も肌の色も混然としたマネキンで首の上からスマホを持った手が伸びます。多様性や見えない差別を問いつつ、現代のスマホ脳を批判してるようにも見えます。

厳しい環境の中わずかな手元の素材で絵を描くコソボのアーティスト、台湾で働くベトナム人のストライキを再現した作品、鮮やかな壁の前に張り巡らされた有刺鉄線のオブジェなどなど、ワールドワイドなそれぞれのサバイブが可視化され目の前に置かれます。それは苦しさ、厳しさを突きつけてくる。

それでも僕たちは生きているし、生きていかなくてはならない。タフな状況ではあるけれど、古今東西、野草の如く確かに生きてきたわけで、どんな危機も乗り越えられると信じるに足ると思います。あなたも、私も、きっとそれぞれ何かと戦っている。一つひとつは小さな野草の叫びを捨て置くことなく目を凝らし、耳を澄まし、想いを致すこと。それらを尊重し共生することが、大事なことなのでしょう。

美術館の他の拠点とも連携して展開されていますが、願わくば館を飛び出して屋外のパブリックなところでもまとまった数と規模の作品が見られると、より街と人の目に触れて意義が高まるのかなとも思いつつ(難しいですよね)、おかえり横浜美術館! 横浜美術館が閉まってると横浜のアート界隈がやっぱり寂しいので嬉しいです。

美術館横の壁面は日々変化し続けるグラフィティーアートに。通りかかるたびに変貌していて楽しいです。それもまたわずか見ぬ間に成長する野草の如き。

強くしなやかに生きられているかな?と自分の日々を顧みつつ。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。












コメント

このブログの人気の投稿

相模原camp

さて。キャンプ行ってきました。我が家は道具無しの素人なのでバンガローに宿泊して、ふとんもレンタル。食事類はすべて友人家族におんぶにだっこ。感謝しかありません。 向かったのは相模原のほうの青根キャンプ場というところ。とにかくお天気に恵まれて、夜〜朝こそひんやりしましたが気持ちよくて。バンガローはきれいでエアコンもあったので快適そのもの。 子供達もいろいろ手伝ってくれてお昼はカレーを作り夜はお鍋を作り、翌朝はホットサンド。燻製もあったりどれもこれも美味しくて。自然の中でいただく手作り料理。ベタですが本当に最高ですね。 施設内に大浴場があるのも嬉しいし、川も流れてて釣りや川遊びに興じることも。2日目は近くの宮ヶ瀬湖で遊んで帰りました。とにかく子供たちが楽しそうで、多幸感あふれるキャンプになりました。めでたし。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_罪人たち

想定外過ぎたし度肝抜かれ過ぎた。ライアン・クーグラー監督『罪人たち』(2025年公開)鑑賞。1932年ミシシッピ。双子のスモークとスタックは7年ぶりにシカゴから帰ってきた。白人から古い製材所を買い取り、音楽酒場に改装。街の黒人たちを集めたオープニングの夜、盛り上がりが頂点に達した時、招かれざる客がやってきた…。 『国宝』の絶賛評価にあえて背を向けたわけではないけど、こっちもかなり面白いらしいという噂にのみ誘われて、前情報なしで劇場に行きました。最初は自由を求める黒人の感動ドラマかと思い、音楽映画としての迫力に全身高鳴り、からのまさかの展開に超びっくりしてたら、最後には傑作やんか。そしてエンドロールの後にそれは伝説クラスに…!凄かったな。観終わって誰かと話したさが半端じゃなかったです。 ブルースの持つ歴史とパワーをてこにして、魂の叫びや黒人に限らない人類のルーツ、そこにある原罪、そして内なる光を描き出した物語。て何言ってるかわかんないけど、濃厚に緻密にいろんなメッセージが詰まっていたように感じました。足跡と叫びの多重奏。 整理つかないので順を追いましょう。前半は帰ってきたスモークとスタックがクールで、旧知の仲間たちとのファミリー感も何か起きるフラグに満ちて高揚感ありあり。みんなキャラ強くてかっこいいしサミーの歌声には痺れたしスタックが驚くのも無理はない。全てのエネルギーが凝縮されたようなあの夜は、全身がブルースの渦に引きずり込まれたよね。もちろん劇場中を巻き込んで。過去も未来もひっくるめて、究極の磁場となるスーパーマジックリアリズム!!!からの一気の540か1080くらいの超反転に瞳孔開きまくり。絶頂から絶望へ、饗宴から凶宴へ、祝祭から厄災へ。転調が見事過ぎる…! 尋常ならざるものの登場にはそっちかよ!と本当に驚きましたが、それはそれでホラーとしての迫力も神業級。1人、また1人と倒れていくあの恐怖よ。血やパニック苦手な方はご注意を。あの白人はアイルランド系移民(歌詞がそうだったな)で彼らもまた被差別人種だったそうで、ただのフリークスでもなさそう。痛みも記憶も共有するのは、虐げられてきたものたちの無念であり、死者の怨念なのか。 振り返るとトラックの荷台にいたヘビもなんかのメタファーに思えるし、そして先住民の存在は何だったんだろ。天恵の歌声が魔物を呼び込み、繰り返された搾...

感想_スピード・バイブス・パンチライン

2回続けてラップの話いきます。つやちゃん『スピード・バイブス・パンチライン ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』(2024年刊)読了。今、”勝てる”しゃべりとはなにか、それがラップと漫才だ!という仮説に基づいて近年の両カルチャーをヒップホップ系の文筆家が分析します! 時代の要請として、私たちのしゃべりは高度化してきていると感じています。テレビのお笑いに始まり、ネットスラングが爆増し、SNSが拍車をかけ、アテンションエコノミーにさらされて…。で、その状況の中でしゃべりを最高に先鋭化させてるのがラップと漫才だろうというお話。確かにすぎるし興味ありすぎるじゃん! 0.1秒で掴み、解らせ、笑わせ、唸らせる必要があるんだよねマジでさ! 漫才がどんどん高速化していて、確かにM1とかの何分間かにいくつネタを詰め込むかみたいな世界に始まり、それを逆手に取った間の作り方も研究され、ラップの世界にも高速化はあり韻の踏み倒しもあり、それを前提としたズラしのテクニックもまた漫才、ラップともに見られる現象であると。 で、それらのテクニカルなものはすべて伝えるべき最大の笑いorメッセージを届けるためであり、すなわち最強のパンチラインをいかにして作り上げるかというところに回収される。そのための高速化、ずらし、パワーワード構築であると。うわほんとそれね。日常においてもそれはもう同じで、会話の中でいかに勝つか、いいねをもらうか、記憶に残すか、のハードルは上がり続けていると思います。 いや別に勝ち負けやってるわけじゃないんだけど、気持ちを伝えるものが言葉なわけで、その伝え方が時代によって変化していることは確かなんですよね。そりゃいちばん大事なのはハートの部分だってことは古今東西変わらないんですけれども。 てことで本書はそんなふうにシーンの変遷を具体的な漫才や楽曲を例として解説してくれてるので、読み物としても面白いし漫才好きやラップ好きは、あれねわかるわかる、となりそうな一冊で楽しく読めました。近年の変化をわかりやすく言語化して落としてくれますしね。突き詰めるとスピード・バイブス・パンチラインにたどり着くということ。 この駄文もいかに読んでもらえるかを考えながらスピード・バイブス・パンチライン・ハート&ソウルを突き詰めてがんばってこうと思います。てことで2回連続のラップ関連書レビューでした。今日も、いい...