スキップしてメイン コンテンツに移動

感想_オーラの発表会

成瀬より、海松子(みるこ)派で。綿矢りさ『オーラの発表会』(2021年刊行)読了。大学進学を機に一人暮らしを始めた片井海松子(みるこ)。嗅覚に優れ、最小限の衣服を着回し、趣味は多摩川での凧揚げ。ひそかに「まね師」と呼んでいる同じ高校だった萌音からは他人と体よく交われないその生き方をいろいろ突っ込まれるけれどそんなのはどこ吹く風。小学校の頃から海松子に思いを寄せる同級生に、大学教授である父の教え子イケメンも巻き込みながら、海松子の風変わりな毎日は過ぎていく。

あっぱれお見事な一冊でした。本屋大賞を取ったのは成瀬ですが、その前に海松子がいたよ! 常人とは違うスタンスで日々を送っているという意味では共通点のある2人。成瀬はファンタジーだったと思いますが、海松子は、いやこっちもファンタジーか。でもなんか絶妙なリアリティを伴っているのは綿矢節という感じ。斜め上というか、斜め後ろからチクチク刺してきます、本作も。

序盤は海松子の異質さと硬さが前に出過ぎてた気がしましたが、中盤からこなれてきて思わず声を出して笑っちゃうところ多数。萌音との不思議な距離感と、周囲に対する低温度な定義。それでいて諏訪とのキスに動物的に反応するところは艶かしく、一方で森田くんとの20年後に向けてようやく一歩進んでいくのは微笑ましい。

海松子ほど極端ではなくとも、周りの人とうまく協調できないというのは、あるあるな気がします。今はSNSで知らなくていい側面が勝手に飛び込んでくるからいっそう難しそう。海松子はそういうブレがないので頼もしいし、できれば自分もそうありたいと思ってしまう。

一方で、ブレないがゆえに海松子に近づきたい人は悪戦苦闘せざるを得ないのがおかしみであり、海松子自身の悩みでもあり、どんな個性も表裏一体てことか。実は海松子と最もうまくやれそうなのはコスパの鬼の増本くんで(あだ名、つけたのかな)、萌音とはまた違った海松子の理解者というか相棒になれそうな気がします。萌音はその観察眼ゆえに海松子のことを誰よりも見てくれていた人。

出てくる人物みんな、表面では見えない一癖がありつつも、その欠落はポジでもありネガでもあり、ひっくるめて個性なんだなと。オーラとはすなわちその個性の総称で、生きてきた時間とか、いろいろな選択によって練り上げられていくのでしょう。

どんな形であれやっぱり人は1人では生きていけなくて、今の時代でもそれは変わることなく、誰かと触れ合うことでオーラの色も見え方も変わっていく。できればそれを前向きに受け止めて、柔軟に変化していけたらいいんだけどね。そんなやさしいメッセージを感じた一作でした。

てことで自分は成瀬より海松子派ということで、今日もいい1日を。

コメント

このブログの人気の投稿

相模原camp

さて。キャンプ行ってきました。我が家は道具無しの素人なのでバンガローに宿泊して、ふとんもレンタル。食事類はすべて友人家族におんぶにだっこ。感謝しかありません。 向かったのは相模原のほうの青根キャンプ場というところ。とにかくお天気に恵まれて、夜〜朝こそひんやりしましたが気持ちよくて。バンガローはきれいでエアコンもあったので快適そのもの。 子供達もいろいろ手伝ってくれてお昼はカレーを作り夜はお鍋を作り、翌朝はホットサンド。燻製もあったりどれもこれも美味しくて。自然の中でいただく手作り料理。ベタですが本当に最高ですね。 施設内に大浴場があるのも嬉しいし、川も流れてて釣りや川遊びに興じることも。2日目は近くの宮ヶ瀬湖で遊んで帰りました。とにかく子供たちが楽しそうで、多幸感あふれるキャンプになりました。めでたし。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_天気の子

  『天気の子』(2019年公開)鑑賞。異常気象で雨が降り続ける東京に、神津島から家出してきた16歳の帆高。ある日知り合った陽菜というもうすぐ18歳の子は、祈るだけで晴天をもたらす不思議な力を持っていた。ふたりは、その能力を仕事にしはじめて。 前作『君の名は。』がとても面白かったので期待もありつつ、世の評判はけっこう割れていたようで、とても楽しみでした。そして、すっごく楽しめました。 ハリウッドリメイク意識か!?(してほしい!)というくらいのディザスター感、チェイスアクション、そしてジブリなみのファンタジーで、やりすぎ感すらあったと思いますが、やはり真骨頂はジャパニーズ青春エンタテイメント。美しいアニメーション、花火大会の奥行きとかすごいですね。実写にするならぜひ3Dで観たい。 いろんなポイントがあったと思いますが、いちばん感じたのはイノセンスを問われるなぁということ。「君の名は。」以上に、ふたりの主人公の関係に力点が置かれていて、ファンタジーでありながらも真っ直ぐな感情の動きに、思わず涙ぐみました。この真っ直ぐさを受け入れられるか、言い換えると「きれいなものをどこまで信じていられるか」で評価が割れそうな気がしました。 知らぬ間に陽菜を損ない続けていた帆高の自責の念はどれほどだったか。それを思うと、山手線の線路内を走る非現実的にも見えるあのシーンは「ありえない」ほどの想いをちゃんと表現してくれたシークエンスだと感じました。 雨が降り続いた東京は、どこかコロナと共生する今の自分が重なります。どんな苦難があってもそれでも僕たちはそこで生きていくし、物語は続いていく。もちろん去年の段階でそんなことを考えていたはずはなく、それだけ本質をとらえていたということでもあると思います。 天気や生死、運命など、世界にはどうにもならないことがたくさんあるけど、その中でそれぞれに役割を探しながら生きている。大事なのは、ちっぽけな僕たちでも、確かに世界のカタチを変えうる瞬間というのはあるんだということ。須賀のいうとおりそれはただの自惚れ、思い込みかもしれないとしても。 追っ手を振り切って屋上を目指す帆高に、須賀は逃げるなと言った。帆高...

鑑賞_生まれておいで 生きておいで

さて。東京国立博物館で開催中の内藤礼の企画展「生まれておいで 生きておいで」鑑賞してきました。とんでもなく良かったなこれは。 展示は大きくふた部屋+1。まずは平成館の展示室ですが、入った瞬間この人やっぱ天才だなと。薄暗い室内に、小さくてカラフルな毛糸玉がテグスで吊り下げられています。頭の高さの少し上くらいにランダムに並ぶそれはそれらは小惑星のようであり、生命体のようでもある。とてもささやかでシンプルなのに、おごそかで美しい。 何気なく置かれる木や石、展示ケース内に敷き詰められた白フェルトも作品だよね。 わずかにゆれる小さな風船、ガラス玉? 鏡に材質不明の板も、あ、鈴もあった。鑑賞者が行き交う姿すら取り込んで景色にしてしまう神業です。そーっと息を吹きかけると小さくさざめくのもまたよき。もしかしたらケースの向こうが死者のゾーンなのかもしれない。 それは普段からそこにあるのに見過ごしているような、まだなにかの形にもなる前の(胎児のような)、あるいは形としての役目を終えた後の、精霊のような魂のようなものに思えてきます。見えるものと見えないものの間にある、もしくはずっとそこにあるのに見過ごされてきた、なにか。お盆に見るに相応しいな。今日は終戦記念日だ。 次の展示室に移動すれば天才の偉業その2。空間との調和が半端じゃない。小さきものに目を凝らし、歩き、しゃがみ、想いを致す。木片の上の毛糸の切れ端、ケースの隅の微細な紙片、木彫の下に佇む陰影、ガラス玉の連なりを透かす光、そっと立てかけられた小枝、キャンバスの絵の具は描いたというより映し取るように。観てると思考と言葉が自然と湧き出てくるのが心地いい。物と物の距離、偶然のような必然のようなバランス、全てを包むような白いフェルト。あるものと、ないもの。 自然光を取り込んだ空間なので、あ今陰ったな、とわかる。真っ白だったキャンバスは時間と共に彩られていく。しかしそれもやがて無に帰すということ。始まりと終わりとその輪廻という永遠。光と影、生と死、黄泉のつがいよ。歩み寄らないと見えない銀のテープ。この展示室は以前は仮囲いがされ絨毯も敷かれていたそうですが、作家の意向ですべて剥がされオリジナルの空間が蘇ったそう。 この博物館には太古のアイテムが多数ある中で、内藤礼の現代美術作品がそっと溶け込む。それによって 生と死や光と陰のように対になるもの、...