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感想_バーサス(1・2巻)

さて。作画:あずま京太郎 原作:ONE『バーサス』1・2巻読了。とある異世界において、人類は魔族の侵略により滅亡の危機を迎えていた。47体の魔王を倒すべく育てられた47人の勇者たち。ついに最後の戦いへと臨むが…待っていたのは圧倒的な力の差だった。滅亡の道しか残されていないと思ったそこに現れたのは、まったく別の世界。そしてそこでもまた人類は滅亡の危機にあった…。

話題の異世界コミックと思いきやこれは異世界を超えたファンタジー。SFであり、ミステリーであり、オカルトでありのカオス設定で、つまりはこれマルチバースもの。そこに進撃の巨人みを足した構成ですかね。出てきたバースは全部で13。そのすべてで人類は天敵の前に追い詰められている。で、その天敵同士を戦わせたらどうなるか、ってところまで。

スケール大きいし、先も気になる。天敵同士が潰し合うだけじゃさほど話が広がらなそうだし、むしろ天敵たちは相当レベル高いから徒党を組んでさらなる脅威になっちゃうのかな。人類には今のところ1mmの勝ち筋も見出せやしませんけれど。大下克上は果たしてあるのか!?

ある程度巻数が進んだらまた一気読みしたいタイプの物語。とにかく天敵たちが怖すぎるぜ! ところで『黄泉のツガイ』が面白すぎるのですがそれはまた今度。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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