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写真と家具の町・東川

↑エルマーと竜カラーのデザインですね。

さて。ちょっと遅くなっちゃいましたがメトロミニッツの4月20日発行号は「座り心地のいい町」特集。座り心地をキーワードに、主に北海道の東川町を紹介しています。うん、僕なら「座りのいい町」にするかな。すなわち落ち着く町、しっくりくる町。

なぜ東川町が「座り心地のいい町」かというと、こちらは旭川家具と呼ばれる木工家具の一大産地だから。旭川空港から車で10分ほど、大雪山を間近に望むそこは田んぼなどの景色も美しい北海道らしい雄大な町です。しかも今、若い世代を中心に移住者もとても増えていて、洒落たお店なども続々できているという。

数年前に一度だけ行ったことがありますが、それは素晴らしい町でした。6月の最高に爽やかな時期だったというのは大きなバフだと思いますが、それを差し引いてもいい町です。で、家具なんですね。家具工房があちこちにあって、素敵な椅子ももちろんたくさんある。象徴的なのは、新生児にはこの町で作られた椅子が送られるという施策。「君の居場所はここにある」という想いが込められてるそうで、それだけで泣けますね。

さらには世界的な椅子研究家の織田憲嗣さんがお住まいでそのコレクションは東川町が現在は公有化していて、公開もしているそうです。なんて豊かな町なんでしょう。中学校で使う机と椅子も地元産で、なんと卒業時に持ち帰れるんだって。めちゃくちゃ素敵だ。あと隈研吾さんのサテライトオフィスもあるとか。

それだけでも凄いのですが、実はもっとすごいのは30年前に「写真の町」を標榜して、全国の高校生を対象にした「写真甲子園」が開かれているのです。予選を勝ち抜いた高校生がこの町に集まり、限られた時間の中で写真を撮り競うというTHE青春なイベント。それを展示する館ももちろんあります。

地方創生の言葉ができる遥か前から、この町は未来を見すえてそしてその未来を実現してきたことを想像させる歴史ですよね。借り物の町おこしではないし、一過性のブームでもない。座りがいい町なんですが、その実、しっかりと根を張り立派に自分たちの足で立っている、なんとも懐の深い町なのでした。

読んでたら行きたくなってきた。旭山動物園もあるしね、家族旅行しちゃおっかな〜。なお、ふるさと納税の返礼品にこの町の宿泊券もあるらしいですよ。家具もありそうだね。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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