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旅するお楽しみをもう一度

『おかあさんといっしょ』(おかいつ、と略す衝撃!)の体操のお兄さん卒業のニュースに涙している僕です。好きだったんですよね〜。

さて。フリーマガジンのメトロミニッツ最新号「わたしが旅に出る理由」を読了しました。手に取らないわけにはいかないタイトルです。小沢健二を思い出さずにもいられないですね。

石川直樹さんが香川を旅すればその瀬戸内海の景色に魅了され、画家の網代幸介さんは日光東照宮を独自のタッチで描きます。網代さん初めて聞くお名前だと思ったのですが、絵本『てがみがきたなきしししし』の著者さんでしたか! 広島の本屋さんで見かけて衝動買いしていたので、そのファンタジックな作風と合わせて僕的にも旅というキーワードにリンクする人選でした。それから、詩人・作家のくどうれいんさんは、初めての富士山詣でに出かけておりました。

特集のコンテンツは以上なので、もうちょっとたくさん読みたかったというのが正直なところではありますが、三者三様の旅が楽しめ、それぞれのデスティネーションにも心惹かれるものがありました。ああ、旅に出たくなる。

ところで僕には旅に出る理由があるのか。大それた答えはなくて、一言で言えば「感動が欲しい」ということになります。それが旅でないといけないことはないのですが、知らないところに行く、はたまた、遠くまで足を運ぶ、というのは、非日常であるがゆえ感動を得やすい行動ではありますよね。美しい景色を見る、美味しいご飯を味わう、偶然の出会いを楽しむ、電車や飛行機に揺られる、いつになくたくさん歩く、思わぬ失敗やトラブルに見舞われる、有名な観光地を体験する、などなど、やっぱりそういうのって楽しいわけで。感動が欲しいですらないか、「楽しみたい」だけ。地方でマクドナルド行っても別にそれはそれである種の楽しさではあるんだよな。地元の高校生とか見て。感動じゃないけど。

旅じゃなくても楽しみはたくさんあるけれど、旅という楽しみもいいものだということです。春はすぐそこ、旅立ちたい自分の衝動を感じる一冊なのでした〜。あれ?「いい日旅立ち」なるビールを片手に読んでいるんですけど・・・!(仕込みじゃないです)

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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