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感想_アオバノバスケ(1)

ブラジルも議会襲撃とかちょっと待ってよ…って感じですね。

さて。学慶人『アオバノバスケ』1巻読了。小学生にして身長195cm、バスケをすれば反則級だった大樹は、異端ゆえに何事にも興味を失っていたが、中学で2コ上の先輩、明星レオに出会って人生が変わる。レオのプレーに魅せられた大樹は、全国の舞台でレオと対戦すべく、バスケ強豪校へと進学する。

スラムダンク関連記事が量産されている中で、次の注目バスケ漫画とされていたこちら。講談社のコミックDAYSで連載中、1巻がこのほど出たばかりですが、これはめちゃくちゃ面白かったぞ!

スピーディな展開は超今時で、1巻にして河田と花形と仙道が出てきて、沢北的なのもいて、Bチームは土屋と越野で、清田と流川がチームメイトで監督はジャイアントキリングのあの人(かラストイニングのポッポ)みたいなオールスター登場だよ! 早々にクセつよキャラだらけ!

そして肝心要のバスケのほうはNBAのスーパースターでありポジションレスな現代バスケの象徴とも言えるニコラ・ヨキッチを取り上げたり、体の使い方やパスコースへの言及などガチ勢も唸りそうな本格感がすでにビシバシと。ちょっと古いタッチの画なのか?と見せかけてアーティスティックな描写を織り交ぜてくるのも面白いです。

日本で身長2mの動けるポイントセンターというのはファンタジーかもしれないけど、とはいえ絶対あり得ない話ではない。バスケそのものやキャラクターの感情にリアリティがあれば全く問題はなく、この作品はそういうリアルとファンタジーのバランスがとても良さそうに感じました。夢がある、けど、荒唐無稽じゃない。スラムダンクだっていかにも漫画な設定・展開だけど決してありえない話ではないんだよねー。

ということでCチームに入れられた新1年が下克上目指して2年中心のBチームに挑む2巻がはたしてどうなるのか。待ち遠しくて仕方ない!(4月発売予定) 次に来る漫画間違いなしの1作、ぜひお見知り置きを。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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