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カタールW杯レビュー:日本編

今更ではありますが、楽しかったワールドカップを忘れないようメモしておきます。

11/27 19:00 vsコスタリカ
さあ日本の大一番! 19時までに夕食入浴終えて代表ユニ(古いやつ)を長男と2人で着込んで日本代表チップスで準備万端。立ち上がりは気合い空回りファウル多すぎ、少し落ち着けてからは膠着。コスタリカは細かいミスも多くて決して強くないが引いて守る相手に有効な手を打てずチャンスも作れず。正直なところ凡戦と言わざるを得なかったかと。そして痛恨のミスからの負け。これは悔しいが、ドイツに負けてコスタリカに勝っても同じ1勝1敗と思えばやはり勝負は最後のスペイン戦!

12/1 28:00 vsスペイン
さあ勝負の最終節。テレビで見ながらドイツの試合はアベマを手元に流したけど見てる暇ないな。5時に長男起こして後半から投入したら、まさかまさかの劇的な逆転弾!(長男的には2-0の完勝) こんなミラクルあるんですかの1位通過。歓喜! 三苫の1mm絶対出たと思ってたわ。スタッツ見るとよくこれで勝てたな(ドイツ戦も)という感じで、神がかってる!

12/5 24:00 vsクロアチア
長男君と5時起き録画鑑賞。PKまで想定してなくて学校(と仕事)遅刻ギリギリになりながら涙をのみました。グループリーグ以上に落ち着いていて先制は見事だったしピンチらしいピンチもなかったのに、そううまくは行かないのか―! 負けた気がしない敗退で、もう1試合見たかったよ。でも、実に楽しい4試合でした。ジェットコースター。

僕はワールドカップしかサッカー見ないので4年ごとに情報アップデートしている感じですが、大きな流れでは日本のクオリティー上がっているんだなと思いました。強豪国相手にもワンチャンで点が取れて、そう簡単には失点もしない。

見てて思ったのは、ワンタッチ目の精度が強豪国より劣る気がしました。プレッシャーない場面でもワンタッチ目がピタリと収まっていない気がして、その0.1秒がプレスに対して後手を踏むように見えました。と思ったら中村憲剛さんも「止める、蹴る」の差とおっしゃってますね。技術として日本選手ができないわけないはずなので、意識なのかイメージなのか。久保はそのあたりが一段上にいる印象でしたが。

あとはやっぱりフィジカルモンスターがほしいな、とは常々思うところ。浅野はスピードが武器みたいなことを実況が言っても、リュディガーにもグバルディオルにもスピードで太刀打ちでないのを見るとやはり問答無用のフィジカルがほしくなっちゃいますね。日本にも2~3人はいてもいいと思うんだけどな。

とかなんとか言いながらも素晴らしい戦いをありがとうございました。近い将来のベスト8、ベスト4を楽しみに。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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