さて。マーク・グラノヴェッターというアメリカの社会学者が「弱い紐帯の強み」という説を唱えていたそうで、これは家族や友人、同僚といった濃い繋がりの人より、顔見知りくらいの弱い繋がりの人のほうが有益な情報をもたらす、というものだそう。
親しい間柄だと大体情報が共有されてるから新情報が乏しく、そうじゃないほうがいいいということで、これは実証されているそうです。言われてみればそういうものかもしれないと納得感もありますね。利害関係がないからフラットというのもありそう。
もうずいぶん前の説ですが(1970年頃)、「弱い」ってのがいいなぁと思ったのです。前に読んだ「弱いロボット」の話にもあったけど、完全なものより不完全なもののほうが愛されたり役に立ったりというのもあったっけ。
論理的には強くて正しいほうが求められそうなものだけど、実際に役に立ったり本当に必要とされるものがそういうものばかりとは限らないということは、忘れないようにしたほうがいいのかもしれません。そもそも自分自身がそんな完全体じゃないですものね。だからこそ完璧に憧れはするけど、それが全部ではないと。
話が飛躍しすぎてますが、弱さを認め合いながらどうやったら強くなっていけるかを協力して考えていくのがいいんでしょうね。それを人任せじゃなくネット頼みじゃなくて、一個ずつ積み上げていけると、それはけっこう楽しいことだろうなと思うのでした。
よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
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