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名古屋よりみち記。2022秋おまけ お土産


スラムダンクの映画より『リアル』16巻を求めてる僕です。映画に合わせて出ないかな。

さて。昨日ポストしましたON READINGさんで2冊購入したのでそのご紹介で、名古屋よりみち記を〆たいと思いマス。

1冊目が、NOBUE MIYAZAKIさんの『See You Tomorrow』。大人向けの絵本ですね。絵本の体裁ですが、漢字に読みがながないので、これは子供には向けられていないといっていいと思います。中身は、日がな一日何をしているかよくわからない過ごし方を断片的に、観念的に刻み、最後は「またあした。」で終わります。

果たしてこの内容に意味があるのか。意味なんて求めちゃいけないのか。そもそも意味があってもなくてもどっちでもいいのではないのか。そんなことを問いかけているような気がします。便利や効率や理由を求めがちな僕たちをちょっとたしなめるような、まあまあと肩に手をのせてくれるような、そんな味わい。

僕は最近よくこういうことを考えるので、そうなんだよな~と思いながら浸りました。生産性もなければ建設的でもなく、別に投げやりでもなく自堕落でもない、何の気なしの自由というか。なんとなく、そうしたいからしただけ。というテンション。誰に言い訳する必要もないし、自分を納得させることさえも要らないんじゃないかと思ったりします。理由なんて知らないというか、そうしたかった以上の理由なんて、本当はないんですよねー。知らんけど。「後付けはいらないよ」って感じですかね。

ちなみに作者は姉妹でSTOMACHACHE.として活動されていて、横浜で言うとハンマーヘッドの館内のペイントやサインを手掛けてますね。雑誌や広告などご活躍で、僕の好きなテイストということもあります。

2冊目は、イラストレーターの箕輪真紀子さんによるリトグラフとペインティングによる作品集。素朴なタッチで何気ない風景を描いているのですが、そのさりげなさがなんとも映画的で、タイトルはまさしく『Film』。記録、というニュアンスもあるのかな。コロナパンデミック中に制作されたそうなので。

これも、何でもないことの肯定であるような気がしました。特別じゃなくたって全然いいし、そこにたくさんの人の営みが刻まれてもいるわけだし。なんかそういう普通だって普通に大事なんだぜ、という気持ちです。

何を言っているのかよくわかりませんけれど、僕自身は「ありのまま」とか「等身大」といった言葉が含んでしまう、努力や向上を放棄してしまうニュアンスはあまり好みではないのですが(含まれてなければいいのですが)、自分に嘘をつくのはいかんと思っていて、知らぬ間に誰かのための特別を志向しちゃうと、なんか違うんだよなって思うのです。

この2冊はそんな気持ちを肯定してくれるような気がしたのでした。勝手に僕がそう思ったってだけですが、「表現」として抽象を可視化できるクリエイターってあこがれちゃいますよね。

ということで名古屋よ今回も楽しかったぜ。また近いうちに会いましょう。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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