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夜驚症をきっかけに考えたこと


サニブラウンやりましたね〜! まだまだ期待できそうで楽しみしかないです。


さて。夜驚症(やきょうしょう)というものの疑いが次男にありまして、これ、夜中に突如泣き叫び、こちらの呼びかけには応じず、10〜15分ほどで何事もなかったようにまた眠りにつく、というもの。原因は不明だそう。


診断を受けたわけではないのですが、ここ数日この症状に近しい状態が続いたので、何事かと不安だったのですが、どうやらこれではないかなと思ったしだい。ただ、ディテールは多少違うので、夜泣きの延長でしかないのかもしれませんが。成長と共に大半は自然治癒するということで、漠然と不安でしたが名前のついた現象ということでちょっと安心しました。夜中起こされるのはしんどいけれど。


長男くんは、川崎病というものを1歳の頃に患って、それもその時に初めて聞く病名でした。夜驚症といい、おそらく一般的な知名度はそこまで高くないのではないかと思いますが、いろいろあるものですね。ついでに最近、長男は学校の目の検査で「外斜位」の疑いありということで、近々眼科を受診予定。これも初耳。


私自身も、小児てんかんをやってまして、10歳くらいから高校卒業まで薬を飲み、年に一度の脳波検査を行なっていました。なんというか、こういう大なり小なりの事情って、みんなそれぞれにあるんだろうな。概ね健康で、周りからは特にわからないこと。健康問題に限らず、さまざまな種類における問題というものを、誰もが抱えている。それもまた物語の一部。


普通に接する中でそれを見抜く事は不可能だろうけど、そういうものであるということは忘れずにいよう。もしそれが顕在化したときには多少なりとも気の利いたリアクション(ノーリアクションも含めて)ができるといいなと思うのでした。


よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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